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Pootaroのブログ一覧

2017年08月21日 イイね!

Mike Stern

Mike Stern

青山にある Jazz Club「Bluenote Tokyo」に出かけてきました。

出演は Mike Stern です。


Mike Stern は 1953年 アメリカ出身、いちばんロック的なジャズギタリストと言われています。
この20年くらい毎年来日してくれていて、私もそのたびに見に行っているので、私がいちばんライブを見ているギタリストだと思います。


今回のメンツは Bill Evans(Sax),Darryl Jones(B),Simon Phillips(D)。
Bill Evans は Miles Davis バンドでコンビネーションを組んでいた盟友、Darryl Jones も元 Miles バンド、これに Jeff Beck との共演や TOTO そして上原ひろみトリオプロジェクトのメンバーとしての活動でも知られる名ドラマー Simon Phillips というメンバーです。


客席は1曲目前の演奏前から大盛り上がり状態でした。
もちろん演奏も1曲目から全開、アンコールは Jimi Hendrix の Red House、終わってみればあっという間で大満足のステージでした。


本日の1曲は Jean Pierre。
1982年の Miles Daivs バンド時代の映像で Sax は Bill Evans です。
当時は空き地で、今は東京都庁になっている場所での演奏です。

この頃の Mike は太っていて長髪で白いストラトキャスターという、どう見てもハードロッカーのような風貌で、思いっきりロックしているソロと、バックに回ったときのものすごく繊細なコードワークという対比に、当時学生だった Pootaro 少年が、Rock的な音で音使いは Jazz という演奏に目覚めるきっかけになりました。


この動画の音はこのアルバムに収録されています。
ご興味ございましたらどうぞ。

Posted at 2017/08/21 00:28:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ライブ | 日記
2017年08月18日 イイね!

あれから5年(Part-2)

あれから5年(Part-2)前編に続き、入院生活編です。

絶対安静でベッドから降りることが禁止、抗生剤の点滴が1日4回という生活になりました。
寝ることができないくらいの激痛を生まれて初めて経験しました。

あまりに痛いので鎮痛剤のおかわりをお願いしたら、看護師さんに「この薬は1日に処方できる量が決まっていて、今飲んじゃうと明日の朝の分は無しになっちゃいますよ」と言われました。
ものすごく強い薬だったのだと思います。
それでも背に腹は代えられず、お願いしちゃいましたが、あまり効きませんでした。

たぶん、入院した時点で抗生剤での治療には手遅れだったのだと思います、土曜日・日曜日・月曜日と日が経つにつれて、症状は悪化の一途をたどり、月曜日の夕方には自分で自分の足がどこにあるのかわからない感覚になりました。
「足の指を動かしてみてください」といわれて、やってみても足の親指がほんの少しだけ動く程度で、体を起こすこともできず・・・体幹および下半身不随という状態になってしまいました。

この急展開には、自分の体の状態は実感なので理解できていましたが、頭の認識がついていけませんでした。

その晩に緊急手術となりました。
この時は背中から切開して、背骨を開けて脊髄の圧迫を取り除く手術です。
全身麻酔でしたが、手術後に集中治療室には行かず、ストレッチャーに乗って病室に帰ってきたのを覚えています。

この手術で症状は少し改善して、足も前より動くようになったのですが、それも3日程度しか持ちませんでした、感染症はなおも進行中だったのでしょう。
再び前と同じように足の指さえも動かせない状態になってしまったので、再手術となりました。

こんどは、脇から切開して背骨を前(腹側)から開けて脊髄の圧迫を取り除く手術です。
言ってみれば、人間を三枚おろし(二枚おろしかな)にして背骨と脊髄をクリーニングします。

この手術の後は集中治療室に収容されました、3日くらい居たはずなのですが、あまりよく覚えていません。
(集中治療室は、その瞬間を生きることに特化した場所で、日にちや時間という概念の無いところだと思いました。)

手術は無事成功したのですが、この手術の後の 10日間は入院生活の間で、私にとっていちばん苦しい日々でした。
手術で椎間板を除去して背骨をクリップ止めなどといろいろとやったため、下手に動いて背骨がずれたら脊髄が切れる可能性もあって、そうなったら The End!! 治療不可になっちゃいます。

コルセットができあがるまではベッドの上で動くことさえ禁止、枕も無しで頭を少しでも起こすことすら禁止です。

おまけに、内臓に問題があるわけでは無いので食事は普通どおりのメニューです。
ご飯だけはおにぎりにしてもらいましたが、こんな状態では満足に食べらるわけも無く、食事は半分食べられるのが良いところでした。

そんなことをしているうちに、栄養失調になったり、肺に水がたまって排出するための管を挿入したり、血中酸素濃度不足のため酸素吸入になったりと、負のスパイラルというのでしょうか、いちどバランスが崩れるとあちこち崩れだすんですな。

医者から「これから後は、本人の生命力の問題です」なんて言われたのもこの頃でした、様態急変の可能性ありの結構アブナイ状態だったのかもしれませんね~。

でも、本人は呼吸が苦しいわけでもなく、胸部から下の部分は感覚が全くなくなっていたこともあって痛みもなく、「何言っているんだろうなぁ~」って思っていました。
それよりも、寝返りさえ自力ではできない、当然トイレも自力では無理な状態に「これからどうなっちゃうんだろうな~」なんて漠然と考えていました。

10日後にコルセットが届いて、ベッドの上で起き上がることを許されるようになりました。
といっても、そのときの私は自力で寝返りすることもできないくらいの麻痺状態です。
リハビリ科の先生と看護師さん達に助けてもらって起き上がりましたが、長い間寝た姿勢しかとっていなかったので貧血になりました(苦笑)

それからは感染症の治療と並行して、廃用症候群を避けるためにリハビリです。

リハビリ科の先生の指導の下、寝返りの練習、ベッドの上で起き上がる練習、ベッドから車椅子に移る(移乗といいます)練習をしました。

リハビリ室に行けるようになって最初の日には、衝撃的なことがありました。
入院以来初めて自分の足で立ってみた(自力で立てる状態にはほど遠いので、正確に言うと "自分の足に体重をかけてみた" です)のですが、足の裏の感覚が無いため自分の体重がかかっているのが全くわからないんです。

平行棒を使って歩くことを試みたのですが、足を上げるためにはその足から体重を抜かなければならないことも体が忘れている状態でした。
5m 移動(足でというよりほとんど腕力です)するのに1分以上かかりました。

これはショックでしたね~。
病室に戻って「これでは、歩くようになることはできないかも、車の運転なんて夢のまた夢、絶望かな~」って本気で思いました。

リハビリの一環で、毎日2時間ぐらいは車椅子に座っていたのですが、1時間を過ぎると背中が耐えきれないくらい痛くなりました、この時は「これからずっとこの痛みが続くのかな」って不安でした。

感染症の方は、抗生剤を点滴して感染症となった菌の活動が収まるのを待つのみ、点滴をしながらほとんど1日おきに採血して CRP という値をモニターしていましたが、なかなか基準値(0.3以下)まで落ちませんでした。
(入院時は 20 を超えるくらいあったそうです)。

10月に入って、転院の話になりました。
この病院は急性期病院なので、症状が安定したら退院(もしくは転院)というのが原則というのと、整形外科としての治療はやれることは全部やって成功と言えるレベルなので、これから必要なのはリハビリということです。

ソーシャルワーカーの方が毎日のように病室に来てくれて、私の意見を聞いて各方面の病院と連絡を取ってくれました。(このソーシャルワーカーは聡明な感じがする美人で、毎日会えるのが楽しみでした。)

転院先は、歴史のある病院とその年にオープンした病院の2択になりました。
パンフレットを見たり Web でチェックしたりといろいろ考えましたが、歴史のある病院は労災に強い病院だったので、私の症状とはちょっと違うなと思い、その年にオープンした病院に決めました。

転院の日は入院からほぼ2ヶ月後の 10月15日でした。
血液検査の CRP 値はまだ基準値まで下がってはいなかったものの、これからも病院ということだし、このくらいだったら良いでしょうということで、見切り発車でした。

前日の夕方に主治医が(ふらっと立ち寄った雰囲気で)病室に来て「この感じだと、時間はかなりかかるけどかなりの所まで回復するはず」とコソッと(非公式に)言ってくれました。
この言葉がリハビリの大きな原動力になりました。

そして、車椅子のままタクシーに乗ってリハビリ病院に転院したのでありました。

またいつか、リハビリ編を書こうと思います。
続く?




ここまで読んでいただきありがとうございます。
人生、いつ何があるかわからないですね。

化膿性脊椎炎は、誰でもなる可能性があるそうです。
抵抗力(免疫力)が普通にあれば、発症することはまずないそうですが、発症者は中高年が多いということです。
もし、背中に痛みを感じたら楽観せず診察を受けてください。
(私のようになるまで放っておくバカタレは居ないと思いますが(笑))

そして・・・5年って短いようで長いですね。
その後、いちばん最初にお見舞いに岐阜からかけつてくれた親友、そして(知り合ったのは退院してからなのに)私の健康状態をいつも自分のことのように心配してくれた大切な人がこの世から去ってしまいました。

「なんで、私じゃなくて、彼・彼女が?」って感じるときがありますが、この世に残されているということを大切にしないと・・・って感じています。
Posted at 2017/08/18 01:21:09 | コメント(7) | トラックバック(0) | 回想録 | 日記
2017年08月17日 イイね!

あれから5年(Part-1)

あれから5年(Part-1)8月17日は入院記念日です。

2012年のこの日、前月から続く背中の異常な痛みに加えて足の感覚や動きまでおかしくなってきたことに危険を感じて近所の総合病院に診察に行きました。
診察の結果「ここでは手に負えないので、紹介状を書きます」と言われて、さらに大きな病院へ行くことになりました。

そのまま入院となり、家に帰れたのは翌年の3月でした。
この入院中に運転免許証も失効となりました。

このブログはこの時の回想録です。
入院から5年が経過し、体調も安定してきて、日常生活もほとんど全てを自力で過ごせるようになっているので、夏休みの作文という感じで書いてみました。

車の話でもないし、長文で文字だけだし、読んで楽しい話でもないと思います、そんな感じがしたらスルーしてくださいm(__)m

今にして考えると発症と言えるのは、前月(7月)の中旬に行われたツーリングの帰り道です。
高速の渋滞を避けるため下道を走ったのですが、どうも体調が悪いので、とりあず水分補給と思ってコンビニに寄りました。

車から降りて歩くと、左の肩甲骨のあたりに重さを感じました。
子供の頃から、疲れたときに背中が痛くなることがよくあったので、それかなと思って、家に帰ってゆっくり休めば治るかなと思い帰路を急ぎました。

1週間しても治るどころか症状は悪化の一途をたどりました。
痛みは範囲も広がり強さも増して、肋骨が締め付けられるような痛み(特に背中側は異常な痛みでした)となり、さらに腹筋は本人の意思に関係なく、自分で動かしてもここまで強い力は入れることができないくらいの強い収縮をするようになりました。
痛みに耐えながらロンドンオリンピックを見ていたのを覚えています。

これはいくら何でも異常事態と感じて、近所の整形外科に診察に行きました。
レントゲンの結果では、背骨や肋骨はとても綺麗な状態でどこにも異常は見られないとのこと。

痛みは筋肉から来るものだろうという診断で、強い鎮痛剤を処方していただき、筋肉のこわばりを緩和する治療のためにしばらく通院となりました。
結果的には、この鎮痛剤がものすごくよく効いたことが入院を遅らせて、病状を悪化させることにつながってしまいました。

8月に入ってからも状態は変わらず、通院と鎮痛剤で過ごしていましたが、お盆週間に入った頃に新たな症状が出てきました。
最初の自覚症状は足裏の感覚です、正座をした後のような痺れを感じで感覚が薄くなってきました。

その2~3日後には、足の動きがおかしくなりました、左足を前に出そうと思ったら、右足のさらに右に出たんです。
こうなると、いかに健康に無頓着な私とはいえ、何かたいへんなことが起きていて放置が許される状態ではないと感じ、診察のため近所の総合病院に行きました。
「簡単には帰ってこられそうもないな~」って予感があったので部屋の片付けをしてから行きました。

病院に着いて、いろいろと検査をして所見を聞いたところ、考えてもいなかった言葉を聞きました。
医:「××(Pootaroの名前です)さん、背骨、骨折してますよ、圧迫骨折です。」
私:「え?・・・」(心中で「背骨骨折して足の感覚や動きがおかしいって・・・マズイんぢゃない?」)
医:「これはこの病院では手に負えません、紹介状を書きますから○○病院に行って診察を受けてください」

脊椎疾患の専門的治療が必要という、先生のこの判断が無かったら今の生活はありえなかっただろうなと思います。

紹介された病院までタクシーで移動しましたが、私の気力体力はここで限界に達しました(モウアルケマセン)、病院に着くなり守衛さんに車椅子の手配をお願いしました。
昼過ぎ頃、病院に着いたのですが、MRIをはじめ血液検査など、各種の検査をして、所見が出たのは夕方になりました。

診断の結果は "化膿性脊椎炎" でした。
背骨に細菌が感染して背骨を脆くしたことによる圧迫骨折と、感染による膿が脊髄を圧迫しているために、胴から下の感覚と運動機能に障害が出ているということです。
金曜日なので、土曜・日曜は追加の検査や治療はできないけど、医師としては帰宅はとても承認できない状態ということなので緊急入院となりました。

長くなってしまったので、入院生活は続編にします。
Posted at 2017/08/17 18:52:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | 回想録 | 日記
2017年08月06日 イイね!

第1回 team 峠 鬼押し出し園 走行会

第1回 team 峠 鬼押し出し園 走行会

type-C さん主催、第1回 team 峠 鬼押し出し園走行会に参加してきました。

Pootaro が待ち合わせ場所に着いたときには、すでに皆さんお揃いでした。
皆様、はじめまして(高橋高橋さんは、「お友達」になってから1年3ヶ月、やっとお目にかかることができました)。
用事がある中 hornet@86 さんが見送りに来てくれました、自己紹介の後スタートです。


まずは碓氷峠旧道を行きます


途中で眼鏡橋に寄ってトンネル内を散策

この後、軽井沢を抜けて鬼押出し園に向かったのですが、ものすごい雨に見舞われました。
が、それもほんの数分だけ・・・鬼押出し園の手前では道も濡れていませんでした。


鬼押出し園では、ツーリングの定番ソフトクリームを食べたり(team 峠のソフ活集合写真というルールを知らず、ひとり先に食べてしまいました、ゴメンナサイ)、浅間山観音堂をお参りしたり、眺望を楽しんだり、鐘をついたりとノンビリ過ごしました。
標高 1000m を超えるので涼しいだろうと期待していたのですが、結構暑かったのが残念でした。


鬼押出し園を後にした一行は昼食スポットに向かうのですが、type-C さんのカーナビ不調(?)のため、北軽井沢・鹿沢周辺を彷徨いましたが、そのおかげで、サーキットで鍛えた type-C さんのテクニックの片鱗を見ることができました。
前が開いたときにペースを上げる時の瞬発力がスゴイですね、気をつけて走っていないと一気に引き離されます。


小一時間ほどの彷徨の後、PINO・CORINAで昼食です。

私はボロネーゼをたのみました。
屋外席だったので高原の涼しい風に吹かれて昼食、美味しくて気持ちよかったです。


ゆっくりと昼食を楽しんだ後は、鬼押しハイウェイを抜けて

千ヶ滝温泉に立ち寄ってまったりタイムです。


温泉を堪能した後は朝来た道を戻ったのですが、碓氷峠旧道に入った辺りで、再び強い雨になりました。
先頭グループでは強い雨の中、心理戦(笑)が繰り広げられていたようですが、私は最後尾だったのでその様子を見ることができませんでした。(見たかったな~)


碓氷峠旧道を下った後は、今朝の集合場所の「おぎのやレストラン」で小休止して、解散となりました。

天気がコロコロと変わった1日でしたが、降ったのは車で走っているときだけなのはラッキーでした。

type-C グループオーナー、計画・実行・先導ありがとうございました、そして遊んでくれた皆様ありがとうございました、とても楽しい1日を過ごすことができました。
またお目にかかれる日を楽しみにしています。


最後に恒例の全車紹介です。
(今回は皆さん初対面のため間違いがあるかもしれません、間違いがありましたらご指摘ください。)


type-C柊 CX-3(x柊x号)
高橋高橋mayumi.k
キムネギだーいしー
愛車整備中のためレンタカー
hornet@86.hiro
女王様(Pootaro号) 
 




解散前に渋滞状況を確認したところ、上信越道は藤岡JCTを先頭に渋滞、さらに関越道は鶴ヶ島を先頭に本庄児玉ICくらいまでの渋滞でした。
高速上で止まっているくらいなら、ちょっと時間がかかっても走り続けられる方が良いと思い、下道を行くことにしました。

まずは景気づけに妙義を抜けて(笑)、R254・県道41・県道13・県道44・R299 というルートで、長瀞・秩父を抜けて鶴ヶ島ICから関越道に乗りました。3時間ぐらいかかりましたが渋滞知らずで快適でした。


ちょっと迷いながら真っ暗な山道を愛車と駆け抜ける独りだけの時間・・・\^◇^/



Posted at 2017/08/07 17:15:40 | コメント(4) | トラックバック(0) | team 峠 | 日記
2017年07月16日 イイね!

ラリックで朝食を

ラリックで朝食を

宮ヶ瀬あんぱん会の「ま@とりさん追悼ツーリング第2弾☆箱根ラリック美術館 カフェレストランLYS(リス)でモーニング☆」に参加してきました。


小田原厚木道路小田原PA組はほぼ時間通りに出発、小田原厚木道路を荻窪ICでおりて久野林道経由で箱根に行きます。
私は初めてこの道を走るので、yαmamotδ 総帥に先導していただき、2番手で追走しました。

総帥の車は、小型軽量な車体に攻めたタイヤの組み合わせ、やや狭いワインディングを踊るように駆け抜けていきます。
先導していただいたおかげで対向車に気を遣う必要もなく、とても楽しく走ることができました。

ラリック美術館に先着して、直行組を待つ小田原PA組


開店を待つ間に、直行組が続々と到着しました。


結局この日集まったのは約26名!! テラス席が貸し切り状態になってしまいました。
ま@とりさんの人柄の良さ、そして人々に愛されていたことがよくわかります。

ま@とりさんが、「大切なあんぱんな仲間達」とよく言っていたのを実感しました。


フランス車乗りの比率が高い会なので、食事中の車の話題は、当然フランス車が中心になります。
いちまるろく? にーまるろく? しーえす? でぃーえす? 私には暗号でした、よく考えてみると、私は Audi と BMW 以外はほとんど知らないのでした。(苦笑)


食事の後は、駐車場で談笑しながら少しずつ解散・・・
復路は久野林道を戻って小田原厚木道路という往路とは逆のルートで、=pwp-inakichi= さんに先導していただきました。

やっぱり林道は楽しいですね~。


大磯PAでトイレ休憩中に、サンナナワーゲンさんの車が突然緑のお漏らし・・・


水を補給してみたのですが、漏れ方が怪しいのでレッカーを呼ぶことになりました。

「大丈夫です、慣れてますから」とニコニコしながら言うサンナナワーゲンさんと、「これが『冷やしあんぱん会』、何かが起こるんだよ」と楽しそうに言う総帥に、"故障も楽しんじゃうなんてラテン系だな~" と、私が今まで参加してきたグループ(ステレオタイプですがゲルマン系と言っておきます)との違いに戸惑いつつも妙に感心して、"こういうユルさも居心地が良もんなんだな" と感じた Pootaro でした。



本日は楽しい時間を過ごすことができました、また参加したいと思います。

今日、お話ししてくれた皆様、ありがとうございました。
残念ながら今日お話しできなかった方、次回はよろしくお願いします。

それにしても暑かったですね~、体調を崩さないよう気をつけてお過ごしください。
またお目にかかれるのを楽しみにしています。





ブログのタイトルは、昨年の夏にま@とりさんから届いた、『「冷やしあんばん会」に行こうよ~』って誘ってくれたメールのタイトルを流用しました。
残念ながら参加できませんでしたが…(T.T)

Posted at 2017/07/16 18:35:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | ツーリングオフ | 日記

プロフィール

「今宵は Bluenote Tokyo までお出かけ。
出演は Mike Stern.」
何シテル?   08/19 16:55
「事故らず、壊さず、捕まらず」3ナイ宣言遵守を肝に銘じて運転しています。
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