早いもので、もう9月ですね。
更新一時停止している間に色々ありましたが、イラスト製作に追われていたのでさらっと紹介(^-^ゞ
8月の頭だったかな?毎年恒例、夏の風物詩の御艦さんと会見して
今年も2隻で寄港されました🚢🚢
金沢護国神社の大東亜聖戦祭に参加して
去年は諸事情で欠席だった田母神さんもいらっしゃいました(^-^)
靖国参拝して
今年も台湾の方々が参拝してくださいました(^^)人(^^)
イラスト依頼されていた終戦日イベントも無事終了して一息吐いていたら━━━
先日、約10年間使っていたガラケーが壊れたので終にスマホに機種変、操作に悪戦苦闘しつつ今に至ります(*´∀`)ノ
本題前に1つ。
アベンジャ君の愛称を決めました★
考えて下さった皆さん、ありがとうございましたm(__)m
命名の儀(候補名を書いたカードを切って1枚ずつ引いて最後に残ったもの)の結果……
愛称は「雷屠"ライト"」になりました(^-^ゞ
その他、頂いていた候補は
・アーちゃん
・安倍ちゃん
・雷撃
・sea thunder
・雷鷲"カミワシ"
・蒼雷"ソウライ"
・天月雷(振り仮名がなかった為、読み方が分かりません)
個人的に安倍ちゃんが気に入ってましたが(笑)
雷撃機ということで雷に関する名前が多かったですね⚡
命名の儀のとき横に置いていたので、あの子が選んだ名前でもあるのかなと(´∇`)
で、名前が決まってから一層フワフワになった気がするのは…やっぱり気のせいかな💦
改めてアベンジャーの雷屠をどうぞ宜しく(^^ゞ
さて、本題ですが今回はそのままタイトル通りの記事です。
もう過ぎたのに今更?と思われてるかもしれないけど、8月9日前後に書かなきゃいけない訳じゃないし←何て言い訳だ
そんな訳で、長崎原爆について改めて考えることになったきっかけは…
街角インタビューです(^_^;))
「広島と長崎に原爆投下した飛行機の名前を知っていますか?」
テ「B-29の名前ですか?広島がエノラゲイで長崎がピースメーカ…じゃなくて……スターダスター??(大汗)あれ?(ヤバい本当に度忘れした)」
記者さん固まっちゃったし、原爆投下日を知らない人が増えてるっていうニュースにショック受けてる場合じゃなかった(__;)
勘違いされそうなので2回言いますが、知らないんじゃなく本当に度忘れしただけで
長崎の原爆投下機を知らなかったなんて断じて…←さっきから言い訳ばっかだな
だけど、自分も含め長崎原爆って広島に比べて知名度(という言い方は不適切かもしれないけど)が低い気がする。
メディアも広島程に取り上げないし何故かなと気になったので長崎出身の仲間(Aさん)に聞いてみました。
以下はAさんや仲間に聞いた話と、それを元にした個人的な考えです。
なので、それは違うやおかしいということがあれば遠慮なくお教えくださいm(__)m
Aさんとの会話
「長崎出身のAさんに聞くのは失礼かもしれませんが何故、長崎原爆は広島のように強く発信されないんでしょう?」
Aさん「長崎県民は本音では肯定…とまではいかなくても仕方なかったと思ってる人が多いからじゃない?」
「原爆投下されて仕方なかった?」
A「僕にはよく分からないけど、友達も原爆は神の摂理が云々って言ってたっけ。まぁ、彼はキリスト教徒だから神の行いは正しいと思わざるを得ないのかもしれないけど」
そう言われて思い出したけど高校時代だったかな?
日本史の授業で原爆投下はキリストの意思みたいな話をちょこっと聞いたような…
自分はキリスト教徒じゃないので真意は分かりませんが、他の仲間にも同じ質問とAさんの話をすると意外にも似たような答が返ってきました。
Bさん(40代)「当時、長崎にはキリスト教徒が多かったから全員とは言わないが間違いではないだろう」
Cさん(50代)「大多数の人は悲劇だと思っているけど、一部のキリスト教徒にはそうじゃないらしい。原爆投下後の広島を浄化されて美しくなったと書いた物や、原爆で亡くなった人が天に召されていったと喜ぶような歌があるくらいだからな」
そして大学生のDさんから
「自分も広島と長崎について調べていたら見つけたものがあるから送ります。誰かの手記か知らないけど、当事者がこんな風に言ってたら同情したくもなくなりますね」
Dさんのメールに引用されていたものがこちらです↓
この大罪悪を終結し平和を迎える為にはただ単に後悔するのみでなく、適当な犠牲を献げて神にお詫びをせねばならないでしょう。
これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。
然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。
信仰の自由なき日本に於いて迫害の下四百年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかったわが浦上教会こそ、神の祭壇に献げられるべき唯一の潔き羔ではなかったでしょうか。
この羔の犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人々が救われたのであります。
━引用終━
この一部だけでは何とも言えない(どんな過程でこの文が出てきたのか分からないので)けど、少なくともこれを書いた人は仕方ない、起こるべくして起こったことと捉えている気がしました。
皆さんはどう思われましたか?
それから更に調べているとこんな文書を見つけました↓
第二次大戦中、アメリカ合衆国のプロテスタントやカトリック教会の司教達も日本への原爆投下のために尽力した。1945年8月5日、パイロットが自分の母 親の名前を命名したB29爆撃機「エノラゲイ」がティニアン島から離陸する直前、牧師が、「あなたを愛する者の祈りを聞き届けてくれる全能の神よ、お願い です、あなたの天の高さに向け、我々の敵と戦う乗組員を守って下さい。。。これからも我々はあなたを信頼しながらこの世の道を歩みます。。。(全テキス ト: H. Gollwitzer "Die Christen und die Atomwaffen" 1957からの引用)」と祈りました。
キリスト教の神の助けにより7万人が広島で翌朝8時半即死しました。その後5年間に20万人の命が失われました。勿論、神様に感謝しました。彼ら、あのアメリカのクリスチャン達が。
冷戦時代、両教会は水素爆弾の開発や配置をも支持しました。
ここまでです。
これを見るとキリスト教と原爆は無関係ではなさそうですね。
Aさんの話も全てが嘘ではない気がしてきました。
Cさんの言ってた歌は知らないけど、この手記?のような考えの人がいたならそういう歌があってもおかしくはないとも思うし
ここまで考えて多分というより独断ですが、ざっくり一言で纏めると
広島→心から原爆を憎んでいる
長崎→投下されたのは仕方ないと思っている人もいる
だから、そういう人たちの気持ちにも配慮してあまり大々的に取り上げないのかな?と思いました。
誤解なきようにお願いしたいのですがキリスト教徒や原爆投下を肯定している人(がいるとしても)たちを否定している訳ではありません。
そういう考え方もあるんだなくらいですね。
信じる神が違うなら考え方は寧ろ違うものだと思いますし。
そもそも自分が「アベンジャ君、可愛い。マジで癒される~」等と大和乗組員や遺族の方々が聞いたら撃たれても文句言えないことばかり言ってるので人にどうこう言う権利はありません(^_^;)))
だけど、今度もし同じことを聞かれたら
シルバープレートとでも答えておこうかε=ε=┏(・_・)┛