本日は少し暗い話題になってしまいますことを
お許しくださいm(_ _)m
(クリックでBGMとしてご視聴ください。 PC閲覧推奨)
今日という日・・・
一年前の今日・・・
最愛の母が亡くなりました・・・
時には親友のように過ごした母は子供のように好奇心が強く、また無邪気な人でした。
それ故に僕とも会話が合って映画やアニメはもちろんゲームも好きだったので
最近のエンターテイメントにもついていける人でもありました。
一年前の春、母が脳梗塞で倒れて入院してからは会話ができなくなりました。
あれだけおしゃべりが好きだった母からするとそれは耐え難いものがあったと思います。
病室にお見舞いに行くとそこにいた母は母であることは間違いないのですが
あの頃の、倒れる以前の母とは違いました。
それでも1%でも回復の可能性があるのなら例え体が不自由でも
キレイな物を見てワクワクしたり
音楽を聴いて高揚したり
感動して涙を流したり
そんなことができるのなら生きていてほしい・・・
その考えは一貫しておりました。
ですが、僕の姉は
「たとえそれで命を繋ぎ留めても苦しい日々が続くだけ」
「もしその時が来たら私はこの苦しみから解放してあげたい」
それが姉の考えでした。
それも理解できるだけに、最悪の日のことは考えないようにしてました。
そして去年の今日・・・
11月11日
仕事でお見舞いに行けなかった僕の代わりに
お見舞いに行ってくれていた姉からメールが届きました。
『また急変し体調がよくない』
『このままだと命の危機に晒されるが延命処置を取るのか取らないのか』
『医者が求めてきている』
この内容に対し僕の考えは一貫していたのでできるのなら延命処置を取ってほしいと返信しました。
それから1時間後
今度は姉から電話が掛かってきました・・・
そのことにただならぬ気配を感じた僕は
僕 「もしかして・・・」
僕 「もう・・・」
僕 「もうダメなのか!?」
そう聞くと姉は
泣きながら
姉 「もうダメみたい・・・」
姉 「あんたどうする?」
姉 「たとえ延命処置をとったところでもっても1週間耐えられるかどうからしい」
姉 「もちろん人工呼吸器や管を繋がれることになるけど」
姉 「それでも1週間もつかもたないかって・・・」
姉 「もう・・・」
姉 「もう、送り出してあげようよ・・・」
例え今日という一日を免れても
機械に繋がれた状態で母を見送ることになれば僕も姉も一生後悔するだろう・・・
僕は止まらない涙の中に
母との別れを決意しました・・・
僕 「そうだな・・・」
僕 「もう送り出してあげよう・・・」
僕 「まだ、息があるんだろ?」
姉 「うん・・・」
姉 「今は心電図の機械を繋がれているけどもう呼吸が浅い・・・」
僕 「待ってて!」
僕 「今すぐ行くから!」
急いで電話を切ると仕事を切り上げて
ばんぶるびーで高速道路に乗り今まで踏んだこともないアクセルの量を踏み病院へ急ぎました。
高速道路を飛ばしていくばんぶるびーが病院に向かうにつれ
僕の記憶にはフラッシュバックのように母との思い出が頭の中を駆け巡ります。
幼少の頃、映画館に連れて行ってもらったこと
クルマと免許を持たない母と一緒に出掛けたとき歩くのが面倒と母にわがままを言ったこと
学生の頃、なかなか布団から出られず怒られたこと
地元のお祭りに友達同士で深夜まで遊んでいて家に帰ったら母に怒られて頬を叩かれたこと
対戦ゲームが流行った頃に一人でやるのがつまらなく無理やり相手をしてもらったこと
(あのとき慣れないゲームと操作性に力が入っちゃって手が痛いって言ってたね)
大人になってからは色々ありましたがそんな中でも一緒に旅行へ行ったこと
母の好きだったアーティストのコンサートへ一緒に行ったこと
そしてばんぶるびーを一緒に取りに行ったこと
そんな思い出が病院に近付くにつれ年表のように流れていきます。
喉もカラカラで心ここに在らずの僕は病院までの距離が長く感じました。
そして病院に到着すると走って母の元へ!
担当のお医者さんと看護師さん
そして姉が囲むように母の周りに立ち見守る中
母は浅い呼吸をしていました!
僕 「間にあった・・・」
そんな僕の到着に担当のお医者さんが
医者 「先ほど一時危うかったのですが」
医者 「お姉さんが息子さんが来られるとお母さんにお伝えされてから」
医者 「息を吹き返すように数値が戻ったんです」
医者 「きっと息子さんのことを待っていらっしゃったのですね」
そんなお医者さんの言葉を聞くと
僕はさらに大粒の涙を流し顔もグシャグシャになりながら
まだ温かい母が母という存在であるうちに抱きしめるようにして
僕 「今まで迷惑ばっかりかけてゴメンね!」
僕 「最後まで安心させてあげられなくてゴメンね!」
僕 「そしてありがとう!」
僕 「今まで育ててくれてありがとうございました!」
僕は何度も何度も感謝の気持ちを叫び続けました。
しばらくするとやがて心電図の数値が
60になり
40になり
20になると
最後は0に・・・
母は誰よりも家族を大事にしそして僕達、姉弟が大好きでした・・・
そんな僕達に最後を見送られたことはきっと本人も満足してくれているだろう・・・
やさしい母と別れるとその日は一晩泣きました・・・
生前、母が日記を書いていたことは見て見ぬふりをしていましたがそんな日記を開けると・・・
飛び飛びの日付がありなんとも母親らしい文面に再び涙をしながら見ていくと
以前チラッと見た日よりも少し更新していたところがありました。
それは励ましの言葉があったり、その日に思い留めたことが記入されていたりとしていましたが
病気になったときに最悪の日を予想していたのか
「もし私が死んでも悲しむことはないんよ」
という言葉が書き綴ってあったのです。
涙と笑顔を交えながら日記を読み終えると最後のページに
僅かなお金が挟んでありました・・・
「困った時あんた使いや」
最後まで・・・
最後までこの世を去った後でもやさしい母でした!
僕はそんな母のやさしさに泣き崩れながら
もう一生一緒にお話しすることもできない・・・
もう一生一緒に映画も見れない・・・
もう一生一緒に音楽も聞けない・・・
もう一生一緒にゲームもできない・・・
もう一生一緒にドライブもできない・・・
もう一生一緒に旅行もいけない・・・
もう一生一緒に感動を共有できない・・・
そしてもう一生会えない・・・
母に会いたい・・・
あれから一年・・・
淋しさに押しつぶされそうになりながらもなんとか生きてこれました・・・
11月11日・・・
これからは毎年あの日のことを思い出すだろう・・・
そのたびに今年もなんとかやってこれたと感じるのだと思います。
人はその日が来た時
死を目前に恐怖するでしょう
でも、その先にあの世へ行った家族や最愛の人が待ってくれているのかと思うと
その死という恐怖も少し和らぐのかもしれません。
今日は喪に服す一日といたします。
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Posted at
2016/11/11 13:22:04