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2017年06月24日 イイね!

レーダーがあったら日本は米国に勝てたか、・・(-。-)y-゜゜゜。




今年6月、太平洋戦争の転機となった「ミッドウェー海戦」から75年を迎えた。日本の敗戦へのきっかけとなったこの近代史上最大の海戦に、「現代日本に通じる大切な教訓が隠されている」と指摘するのは、防衛装備庁技術戦略部の藤田元信氏だ。
最近、新著『戦略は技術をくつがえす』(クロスメディア・パブリッシング)を発表した藤田氏は、75年前の海戦における日本の失敗を分析した上で、技術と戦略の関係を学ぶことの重要性を説く。

日本で無視され、米国が評価した技術
 
ミッドウェー海戦は、お互いの艦艇を視界に入れずに戦った、史上初の海戦であったと言われています。そして、アメリカ軍の勝利に決定的な役割を果たしたのは、電波の反射を使って目標を探知する兵器である「レーダ」でした。

レーダには、発振器とアンテナが欠かせません。じつは、アメリカをはじめとした諸外国のレーダ開発には、日本人の発明が利用されているのです。ご存知でしたか?その代表的なものが、「八木・宇田アンテナ」と「分割陽極型マグネトロン」です。

八木・宇田アンテナは、その名前のとおり、八木秀次と宇田新太郎という日本人研究者の研究成果でした。魚の骨のような簡単な構造で、優れた性能(鋭い指向性と高い利得)が得られることが利点です。いまでもテレビの受信アンテナとして広く使われているので、皆さんも見たことがあるのではないかと思います。

このアンテナは、日本では誰にも注目されなかったものの、1926年に英語で論文を発表したところ、米国で大いに賞賛されたと言われています。

分割陽極型マグネトロンもまた、日本人研究者である岡部金治郎が、1927年に発表したものでした。

分割陽極型マグネトロンは、それまでにアメリカで開発されていた単陽極マグネトロンでは不可能だった、高い周波数の発振(マイクロ波を発生)を可能としたうえ、高効率でした。レーダの実用化に向けて、性能を飛躍的に高める研究成果でした。

早くも1920年代に、日本人研究者により八木・宇田アンテナと分割陽極型マグネトロンという、画期的な新技術が生み出されていたにも関わらず、日本陸海軍はその研究成果をレーダの開発につなげることはできませんでした。

たとえば海軍では、「これからの海戦にレーダが必要かどうか」という議論が盛んになされた一方、事業化に進むための具体的な検討はずっと低調だったようです。一方、アメリカとイギリスをはじめとする諸外国では、これらの研究成果を早期に事業化し、通信機器やレーダの開発に応用していました。

シンガポールの戦利品から発見
 
1942年5月中旬、「シンガポールの戦利品で、現地で理解できないものがある。電波兵器のようなので、調査に来てほしい」との依頼を第5陸軍技術研究所から受け、日本電気と東芝の社員からなる民間の調査団が組織されました。

調査団が現地で調査したところ、件の電波兵器は、日本人が発明した八木・宇田アンテナであったことが判明しました。日本では誰も顧みなかった八木・宇田アンテナを、イギリスがみごとに兵器に応用していたことは、関係者にとって衝撃だったと言われています。

同じころ、日本陸軍は、押収した文書(通称「ニューマン文書」と呼ばれる)の中に、YAGIという単語が出てくることを発見しました。そこで捕虜に質問したところ、「それはそのアンテナを発明した日本人の名前だ」と教えられ、そのとき初めて八木・宇田アンテナの存在を知ったとも伝えられています。

じつは、日本の海軍技術研究所や陸軍技術研究所でも、小規模ながら、レーダ技術の研究は行われていました。ところが、軍上層部には、レーダの研究開発に対する理解者が少なく、レーダの研究開発は遅々として進まなかったと言われています。そのため、大東亜戦争の開始時点でも、日本のレーダは実用化にほど遠い段階にありました。

ようやく、海軍で初めて実用レベルのレーダが作られたのは、開戦から数か月が過ぎた、1942年3月のことでした。このときは波長の異なる2種類のレーダが試作され、戦艦「伊勢」「日向」に搭載されました。それぞれに長所・短所があるものの、どちらも一定の機能・性能を有することが確認されました。
       
ミッドウェーで払った高い代償
 
1942年6月、ミッドウェー島に向かった日本海軍の空母機動部隊には、レーダを装備した艦艇は1隻もありませんでした。実験艦として、レーダを搭載していた戦艦「伊勢」「日向」は、ミッドウェー島から遠く離れたアリューシャン方面に派遣されていました。

一方、ミッドウェー島付近で、日本海軍の空母機動部隊を待ち受けるアメリカ海軍の主要艦艇には、対空捜索レーダCXAMが装備されていました。さらに、ミッドウェー島に設置された固定式のレーダも稼動状態にありました。

そのため、ミッドウェー島付近で日本軍の攻撃を待ち受けていたアメリカ軍は、日本軍の艦載機の接近をレーダでいち早く察知し、奇襲を避けることができたのです。

レーダの実用化により、日本海軍の戦略の前提となっていた、空母と艦載機を中心とした奇襲攻撃は、もはや成立しなくなっていました。

そのことに気がつかない日本海軍は、ミッドウェー島に有効な打撃を加えられなかったばかりか、反撃してくるアメリカ海軍の艦載機を直前まで発見できず、主力の空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)と約300機の艦載機、そして多数の熟練兵を失いました。

こうして、日本軍は、自らのレーダの技術開発の深刻な遅れを、高い代償により知ることとなったのです。

日本の戦略家が技術を学ぶ意義
 
ミッドウェー海戦における日本の敗北は、一般に、機械故障による索敵機の発進の遅れや、現場の混乱を誘引した指揮官の判断に原因があると論じられています。確かに、偶然や現場での判断により左右された部分もあったでしょう。

しかし、ミッドウェー海戦を、「技術」という観点で捉え直すとすれば、ミッドウェー海戦は、レーダ技術が、日本軍の戦略を破壊した戦いだったと総括できるでしょう。

戦いの様相を一変させるレーダをいち早く取り入れ、使いこなしたアメリカ軍と、要素技術の研究において国内にアドバンテージを有しつつも、レーダの必要性の議論に終始し、事業化を推進しなかった日本軍の能力には、大きな差が生まれていたのです。

日本でも、ミッドウェー海戦の後、それまで低調だったレーダの研究開発は、おおいに奨励されました。しかし、長年の蓄積を必要とする研究開発の遅れは、ついに取り戻すことができませんでした。

「技術」という観点から、ミッドウェー海戦の敗北へとつながったレーダの研究開発の問題点を考えると、以下の2点に集約されると考えられます。

(1)未知の要素が多いレーダの研究開発に関し、上層部の理解が得られなかったこと
(2)国内の科学技術イノベーションを国防に生かす仕組みが未成熟であったこと

1930年代において、レーダの研究開発は未知の要素が多く、きわめてリスクの高いテーマの1つでした。技術的な内容を理解できる人間も、レーダが戦いにどのような効果をもたらすのか、という部分を論じることができる人間も、国内にわずかしかいなかったうえ、双方が対話をする機会も、ほとんどありませんでした。

国内にどのような技術があり、どう育成し、どう活かすのか、といった長期的な視野で技術マネジメントを行うことができる、組織や人材が欠けていたと言ってもいいかもしれません。

これらの問題点から、現代日本にも通じる教訓を得るとすれば、長期的な技術マネジメントの視点の欠如が、致命的な結果をもたらすことがあるということでしょう。

様々な新技術が、市場や社会のあり方を支配するようになった現状を鑑みると、組織運営を担うリーダ、戦略家が技術を学ぶ意義はますます高まっているものと思われます。技術者もまた、自らの職責の範囲を超えて、技術が戦略に与えるインパクトについて、もっと意識すべきかもしれません。

ミッドウェー海戦の敗北から75年、ビジネスの最前線に立つ一人ひとりが、技術と戦略の関係をいま一度考え直すことで、新たな未来が切り拓けるのではないでしょうか。




仮に日本が英米よりも先にレーダーを実用化していても日本は負けた。ミッドウエイで勝っていても戦争が半年か1年長引いただけで日本は負けた。ミッドウエイの敗戦は手痛い敗戦だったが、その時点ではまだ日本海軍は優勢を確保していて豪州方面への侵攻を計画していた。日本の国力が完全に底をついて敗戦を決定づけたのはガダルカナルを巡るソロモン方面での消耗戦に敗れてガダルカナル方面から撤退した時点で、その時点で戦争の勝敗は決まったと言っても良い。日本が米国に負けたのは科学技術が劣っていたからではない。当時の日本にレーダーがあろうが近接信管があろうが日本は負けた。それは国力があまりにも桁違いだったからだ。米国は正規空母18隻、軽空母9隻、護衛空母100隻以上を戦争中に建造した。日本が戦争中に就役させた正規空母は4隻、大和型戦艦を改造した信濃を入れて5隻である。戦車揚陸艦は米国1200隻、日本90隻、戦時標準貨物船は米国が1万トン級貨物船やタンカー3200隻、日本が1000隻、航空機生産数米国30万機、日本7万6千機、戦車生産台数米国M4・5万両、日本97式2200両、最大の敗因は日本が国家総力戦の概念を読み誤ったことが原因だった。この数字を見れば一目瞭然だが、日本も生産力は米国の20分の一とか言われていたが、よくやたっと言えなくもない。主力艦対米7割ではなくて工業生産力対米7割だったら何とかなったかもしれない。でも恐るべき国にケンカを売ったものだ。次にケンカを売る時には彼我の国力を十分検討してからにしよう。
Posted at 2017/06/24 17:16:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2017年06月24日 イイね!

空飛ぶ円盤は存在するか、・・(-。-)y-゜゜゜。




6月24日は「空飛ぶ円盤の日」です。1947年の今日、アメリカのワシントン州レイニア山の近くで、音速を超えて飛ぶ「9個の謎の飛行物体を見た」という証言がありました。それから70年。アメリカ大統領選でも話題になるなど、UFOの存在は今も人々の関心をひきつけています。

      
大統領もUFO信じる
 
世界中に影響を与えるアメリカの大統領選挙。そこで「地球外生命体」がテーマにあがり話題になりました。

 
トランプ大統領と接戦を繰り広げたヒラリー氏が「地球外生命体」に関する政府情報の公開を約束したのです。

 
実は国のトップの人が真剣にUFOの存在を信じていることは実際にあります。カーター大統領が知事時代、「UFOを見た」という報告をUFO団体に投稿しているそうです。

 
そんな中、47年、米空軍はUFO調査に乗り出します。のちに「プロジェクト・ブルーブック」と言われるものです。23年間に及び、1万2618件にのぼる目撃情報などが分析されました。

 
その結果、UFOの94%が、飛行機や星や流星などの見間違いに過ぎなかったことが判明し、69年にUFOに関する全プロジェクトを閉鎖しました。


「エリア51」はあります
 
「エリア51」とは、米国ネバダ州の砂漠にある軍事施設のことで、「世界で最も有名な秘密基地」と言われています。映画「インデペンデンス・デイ」の中で、宇宙人を収容する施設として登場しました。

 
そんな「エリア51」ですが、米政府は存在すら認めてきませんでした。それが、米中央情報局(CIA)の機密文書の中で、存在が触れられたのです。

 
残念ながら、「宇宙人を収容していた」という記述はありませんでしたが、冷戦期に旧ソ連などを極秘裏に監視するための、米軍のU2偵察機の実験場だったと説明しています。

 
U2は当時、どの航空機よりも高い高度1万8千メートル以上で飛んだため、地元住民はUFOだと考えたようです。今でも、施設への接近、写真撮影は禁止されており、違反したら発砲も辞さないという徹底ぶり。 


「50年間は封印すべきだ」
 
UFOの存在を信じていたのは、アメリカだけではありません。実はあのチャーチルも存在を信じていました。

 
「民衆がパニックを起こし、宗教心の破壊にもつながりかねない。機密として50年間は封印すべきだ」

 
当時、チャーチル英首相は、連合国軍のアイゼンハワー最高司令官とこの事件について密談し、こんな指示を出したと言われています。2010年に公開された機密文書によって明らかになりました。文書によると、第2次世界大戦中、英国沿岸を飛行していた英軍の偵察機が、UFOに追尾された、とのことです。

 
英国防省にも、50年以上続いた、UFO調査部門がかつてありました。しかし、2009年、財政難を理由に閉鎖されています。


石破茂氏「ありうる」
 
実は江戸時代の日本にも、空飛ぶ円盤としかみえないような不思議な絵が残されています。この絵は「うつろ舟の蛮女」という名で、江戸時代に書かれた「兎園(とえん)小説」に登場します。

 
「常陸国(現在の茨城県)の沖合に、長さは5・5メートルほどのお香の入れ物のような形をした舟が現れ、中には箱をしっかり抱えた異様な服装の女性が乗っていた。船内には外国の文字のようなものも書かれていた」とあるそうです。

 
この奇妙な絵は、柳田国男がその正体を、ひょうたんではないかとする論文を書いたり、作家の渋澤龍彦がうつろ舟を主題にした小説を書いたりもしています。

 
現代日本の国会でもUFO論争が盛り上がったことがあります。

 
2007年に民主党の山根隆治参院議員がUFOの認識を問う質問主意書を提出。政府は、「UFOの存在を確認していない」とする答弁書を出しました。

 
その一方で、当時の町村信孝官房長官は「絶対にいる」と力説。当時の石破茂防衛相も「ありうる」と、自衛隊の出動の可否を個人的に検討する意向を示したこともあります。

※初出時、本文で「1976年」としておりましたが「1947年」の誤りです。訂正いたします。




大宇宙はもちろん銀河系などの島宇宙内にも生物は真砂の数ほどいると思うし、人間よりも高度な文明を持った生き物も間違いなくいるだろう。でもお互いに行き来するには宇宙ってちょっと広すぎないか。で、地球に飛んでくるのはみんな円盤だけどもしも人類をはるかに凌ぐ高度な文明を持った種がいたとしたら人類の想像をはるかに超えるような手段でやってくる可能性が高いんじゃないか。それにせっかく来たんだから何か接触するだろう。少なくともそこそこの文明を持った種が繫栄していれば、・・とそんなわけであまり円盤の存在は信じてはいない。今は画像合成などでその手の画像や動画はいくらでも作れるし、昔の写真などもトリックが多いだろう、ネッシーの画像のように、・・。でもほかの天体に生物は間違いなくいるし、人間よりも高度な文明を持った種も間違いなく存在するだろう。この広い宇宙に高度な文明を持っているのが人間だけとは思えないが、・・(-。-)y-゜゜゜。でも大宇宙の外側ってどうなっているんだろうね。

Posted at 2017/06/24 11:57:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2017年06月24日 イイね!

超感情的主観主義とハイパーポピュリズムで合意をひっくり返す半島君、・・(-。-)y-゜゜゜。




先月の就任以降、慰安婦問題をめぐる日韓合意の「再交渉」への言及を控えていた韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、日本の法的責任や公式謝罪を言い始めた。日本の「努力不足」までも主張しており、追加措置を求める本音が出てきたかたちだ。

 
文氏は2015年12月の日韓合意後、合意の無効化や再交渉を公言してきた。大統領選最終日の5月8日には、街頭演説で「日本には『慰安婦合意は間違いだった』と堂々と説得する」とまで叫んだ。

 
ところが大統領に就任するや「再交渉」は口にしなくなった。また文氏は安倍晋三首相との電話会談や、今月訪韓した自民党の二階俊博幹事長との会談では、日韓合意について「国民の大多数が心情的に受け入れられないのが現実だ」と伝えるのみだった。

 
大統領府が一度公表した人事の発表での「韓日合意再交渉」という表現を直後に取り消したこともあり、対日関係悪化を避けた現実的判断とみられてきた。

 
だが文氏は最近、欧米メディアに「日本の法的責任や公式謝罪」を訴え、「最善の努力をしていない」と語り日本を批判している。

 
日本政府は慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日韓合意に従い、安倍首相が「おわびと反省の気持ち」を表明。元慰安婦への支援金として10億円を拠出するなど、合意を誠実に履行し、最善の努力をしている。

 
「再交渉」という表現はなくとも、文氏の発言は大統領就任前に戻ったかたちだ。対日関係を考慮しているとしても、日本には直接訴えず、欧米メディアを相手に抑えてきた本音を吐露したとみられる。

 
欧米メディアに向けた文氏の発言は、朴槿恵(パク・クネ)前大統領が海外で日本批判を続けた「告げ口外交」と本質的に変わらない。合意蒸し返しへの韓国特有の手法と解釈されても仕方がない。



この国は国家としての誇りや尊厳はないのか。国家として相手国に約束したことをどうしてこうも簡単にひっくり返せるんだろうか。「国民が心情的に受け入れられない」と超感情的主観主義とハイパーポピュリズムを持ち出すが、国家として合意したんだから国民を納得させるのは相手国ではなくて自分たちだろう。それとも韓国政府と言うのは自国民を納得させることもできないほどレベルが低いのか。こんなことではこの先何度合意しても未来永劫合意は確定しないだろう。こういう国と一体どうお付き合いすればいいのだろうか。
Posted at 2017/06/24 11:55:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2017年06月24日 イイね!

防衛装備品輸出と言ってもそんなに簡単なことじゃないでしょう、・・(-。-)y-゜゜゜。




哨戒機「P1」機体からエンジンまで輸出期待高まる
  
政府は2014年、防衛装備移転三原則の運用を始め、防衛装備品の輸出にかじを切った。パリで開催中の航空宇宙産業展「パリ国際航空ショー」では、フランス政府の要請を受けて出展された海上自衛隊の固定翼哨戒機「P1」(川崎重工業製)に、輸出成功の第1号への期待が集まった。

 
このショーの入り口の近くの建屋にブースを構えたのが、日本航空宇宙工業会(SJAC)と会員12社。新明和工業は海上自衛隊に採用された救難飛行艇「US2」の模型を出展した。

 
担当者は「P1のように実機展示してほしいと言われた」と手応えを見せる。高さ3メートルの波の上に着水できるのは、世界で唯一だ。輸出は政府間の交渉になるが、複数の国から引き合いが来ているという。

 
また防衛装備庁は「P1」用エンジン「F7」の民間転用も検討している。F7は純国産では最大級のエンジン。小型のリージョナルジェットなどへの搭載が見込める。機体全体だけでなくエンジンビジネスも機体できる。

 
F7の開発は防衛省技術研究本部を中心に行われ、IHIが設計・製造を担った。推力約6トンの小型タイプのエンジンだ。低燃費と低騒音を両立したほか、窒素酸化物(NOX)の排出も大幅に削減した。軍用機としての運用実績をテコに、民間機への搭載を訴求していく。

 
一方、SUBARU(スバル)は陸上自衛隊の次期多用途ヘリコプター「UH―X」の模型を出展した。量産初号機を21年度末に陸上自衛隊に納入予定で、その後は各国への輸出も想定する。

 
UH―Xのベース機種は民間用途での輸出も狙う。若井洋航空宇宙カンパニーヴァイスプレジデントは「消防や警察の厳しい任務でも安心して使用できる。アジアなど新興国が主要な販売先になる」との見方を示す。


民間停滞も防需が支える
 
日本航空宇宙工業会によると、2016年度の航空機生産(速報値)の総額が前年度比4・1%減の2兆427億円だった。民間航空機向け部品が大型機の需要減少で落ち込んだ。ただ、防衛や宇宙分野が底堅く推移し、2年連続で2兆円を超えた。

 
16年度の生産額の内訳は民間向けが同10・9%減の1兆1788億円、防衛向けが同12・5%増の5270億円、宇宙分野が同0・3%減の3369億円。吉永泰之会長(SUBARU〈スバル〉社長)は「航空宇宙は経済を活性化する先端技術産業だ。こうした使命を肝に銘じ、産業発展に努める」と話す。




売れればいいけどねえ。武器は単に出来が良いとか悪いとかだけじゃないからねえ。信頼性が何より求められるから日本製の武器と言うと実戦経験が全くないので信頼性の点ではゼロだからねえ。P1やUS2などの本格的な機体を買えるのはそれなりに大きな国ではないとダメだろう。特にP1などは大国でないと買えない。エンジンもカタログ上の性能は良いのかもしれないが、民間で使うにはちょっと小さ過ぎるんじゃないか。民間機で4発だと維持管理に金がかかるし、・・(-。-)y-゜゜゜。UH-Xだっていくらなんでも機体が古すぎるだろう。日本の兵器輸出は緒に就いたばかり、ノウハウがない。いろいろやってみてぜひノウハウを学んでほしい。

Posted at 2017/06/24 11:54:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2017年06月23日 イイね!

翼の向こうに(67)




辺りが薄暗くなって徐々に視界が狭くなってきた頃、私は遠くに焼玉発動機の規則正しい排気音を聞いた。うねりに持ち上げられるたびに私は精一杯首を回して辺りを見回した。そして遠くからこちらに向かって来る一隻の漁船を見つけた。船は自分の方に近づいてきてはいたが、今の進行方向では私のところから少し離れたところを通り過ぎて行きそうだった。


『あの船に拾われなければ本当に生きる道は絶たれてしまう。』

 
私は意を決して首に巻いていたマフラーを外すと両手に持って大声で叫びながらできるだけ大きく振り回した。その分、今までマフラーでかろうじて押し止められていた海水が襟から流れ込んで来て体温で温められた海水と取って代わった。全身が硬直して意識が遠のくような冷たさだった。そんな努力にもかかわらず漁船はゆっくりと私から遠ざかっていった。

 
マフラーを振っていた手の力が徐々に抜けていって、とうとう私はマフラーを海面に投げ捨てた。絶望感が全身を巡って私は海面に仰向けに体を投げ出した。


『これで最後か、一体今までに何機撃墜したかな。十機は超えているはずだから少しは殺されるかもしれなかった非戦闘員の命を救ったかもしれない。それで良しとするべきか。』

 
重くなって支えるのが面倒になった両手を海水に投げ出した時、右手が飛行服のズボンのポケットに触れた。そこには護身用というよりは万が一の時に自決するために自費で購入した拳銃が入っていた。その瞬間、私はあることを思いついた。そして急いで拳銃を取り出すと何度も水を払ってから拳銃を空に向けた。

 
一日中水に浸かっていた拳銃が果たして激発するものかどうか自信はなかった。引き金を引けば暴発する恐れもあったが、躊躇わずに引き金を引いた。


「パン」


乾いた音が海面に響いて弾が出た。私は続けて引き金を引いた。


「パン、パン、パン」

 
何発発射したか分からなかったが、拳銃の発射音とは違う焼玉発動機の規則正しい排気音が自分に向かって近づいてくるのが聞こえた。そして間もなく舳先で銛を構えた若い女性と舵を握っている年配の男性を乗せた小さな漁船が目に入った。どうも敵と思っているらしかった。


「帝国海軍剣部隊の武田中尉だ。」

 
私は銛を打ち込まれる前に何度もそう叫んだ。やっとのことで船に引き上げてもらった私は軍人として何とか毅然とした態度を取ろうとしたが体が言うことを聞かなかった。船底に大の字に寝転がって喘いでいる私に男が声をかけた。


「あんた、今朝方、敵をたくさん落とした海軍さんかね。落下傘が見えたが、あれからずっと海に浸かっていたのか。本当にご苦労さんなことだ。早く濡れた物を脱いで着替えるといい。おい、幸恵、何か着る物を出してやんなさい。」

 
幸恵と呼ばれた若い女性は黙って船板を外すと汚れた毛布と女物のチャンチャンコを出してくれた。私はその女性に飛行服を脱ぐのを手伝ってもらうと裸の上にチャンチャンコを羽織って汚れた毛布を腰に巻きつけた。魚の臭いが鼻をついたが濡れた飛行服よりははるかに心地よかった。


「幸恵、七輪を起して魚でも炊いてやれ。温まるだろう。」

 
幸恵という女性は手早く七輪を起すと鍋で海水をすくって火にかけた。そしてその中に輪切りにした魚を放り込んで少しばかり味噌を加えて蓋をした。なれた手つきだった。私は歯をガツガツと震わせながらぼんやりと鍋を眺めていた。

 
魚が煮上がると塗りの剥げたお椀によそって差し出した。私はそれを受け取って汁をすすった。汁の暖かさが体中の肉に染み込むように広がった。海水とわずかな味噌で炊かれた魚の名前が何と言うのか全く分からなかったが、私は息もつかずに腹の中へと流し込んだ。そしてあっという間に空になったお椀を手にしてため息をついていると女は笑顔で手を差し出した。

 
二杯目はゆっくりと味わいながら口に運んだ。そしてそれを食べ終わる頃にはもうほとんど暮れかかった陸地が見えてきた。


「申し訳ありませんが陸に上がったら駐在に連れて行ってください。部隊に連絡を取らないと。」


私は舵を握っている年配の男性を振り返った。


「駐在は浜から四里も行かねばな。今日はもう遅い。うちに泊まって明日の朝出かけて行くといい。それまでには服も乾くだろう。その格好で夜中に駐在を起しても相手にはしてくれんだろう。」

 
そう言われて私は自分の姿をまじまじと見直した。赤い花模様のチャンチャンコに毛布を巻きつけた姿ではなるほど海軍の搭乗員と言っても相手にはしてもらえそうになかった。船が入り江の中の小さな漁港に着くと私を岸に待たせて二人は手早く船を舫ってから漁具と魚の入った籠を抱えて歩き始めた。二人の家はそこから五分ばかり歩いたところにある粗末な小さな小屋だった。中は十二畳ほどの板の間と竈を据えた土間があるだけの漁師小屋だった。

 
二人は私を板の間に休ませてそれぞれ自分の仕事を始めた。男は取ってきた魚の始末と漁具の整理、少女は竈に火を入れると食事の支度と忙しく立ち働いているのを私は板の間から眺めていた。


「一杯飲むといい。体が温まる。」

 
一通りの仕事を終えた男は流しの下から徳利と湯飲みを取り出した。差し出された酒を手に取ると男は少女の方を向いて静かに話し始めた。


「幸恵の両親は漁に出て行ってアメリカの飛行機に殺された。小さな漁船に何度も何度も機銃掃射を繰り返してそれこそ木っ端微塵だった。身寄りのなくなった幸恵は近所で付き合いのあった俺のところに転がり込んだんだ。毎日西から飛んでくる敵の飛行機の数は減りゃあしない。

 
それに引き換え、西に飛んでいく味方の飛行機はろくに戻っても来ない。この戦争はもういかんと思っているが、戦争が終わらなければ敵の飛行機は毎日やって来て人を殺して漁場を荒らしていく。それでも今日はあんたが敵の飛行機をやっつけてくれて気持ちが良かった。

 
戦争は人殺しだから悪いことないんだろうけど、我が物顔に日本の空を飛び回って荒らしていく敵の飛行機が目の前で二機も燃えて落ちれば、いけないとは分かっていても手を叩きたくもなるさ。まあ、何もないが酒でも飲んでくれ。そのうちに飯の支度もできるだろう。」


私は手に持った湯飲みを床に置いた。そして深々と頭を下げた。


「皆さんを守り抜くことができなくて申し訳ありません。」


「いや、あんたたちは良くやってるよ。たった一機でたくさんの敵に向かって行って二機もやっつけたんだから。さあ、頭を上げて飲んでくれ。」


男は徳利を差し出した。


「おじいちゃん、飲み過ぎちゃだめよ。さあ、兵隊さん、潮を流しましょう。こっちへ来て。」


少女は土間に盥を置いて私を呼んだ。


「兵隊さんを流したら私が使ってもいい。」


少女は男を振り返ると返事も待たずに着物を脱ぎ始めた。


「早く裸になってここに座って。」

 
上半身裸の少女は私を急き立てた。私は手拭をとると借りていた着物を脱ぎ捨てて土間に下りた。そして盥の真ん中に座った。少女は手桶の湯を器用に体にかけては手拭で体を洗ってくれた。


「もういいわ。」

 
一通り洗い終わると少女は私に声をかけた。盥から立ち上がったものの衝立一つない小屋ゆえに覚悟を決めて板の間に飛び移り用意してもらった下着と浴衣を素早く身につけた。


「じいちゃん、先に使ってもいい。」

 
女はそう言うと腰に巻いた布を取り去って盥の中に腰を下ろした。人前で平然と肌を晒す女を目にした私は返って目のやり場に困って板の間に置かれた湯飲みを睨み続けていた。


「日本がどうしてこんな戦いを始めたのか、難しいことは俺達には分からん。戦争をしているあんたたちには申し分けないが、こんな戦はやってもらわないほうが良かったんだ。若い者はみんな戦争に行って死んでしまうし、最近じゃあ敵の飛行機が飛んできては船を沈めていくわ、家は燃やしてしまうわ、年寄りや女子供まで殺してしまうわ、いいことなんぞ何一つない。わし等はただ漁をして平和に暮らしていければそれでいいんだ。この戦に勝てば日本が豊かになるのかどうかは知らんが、別にわし等豊かになんかならなくてもかまわん。村の者が穏やかに生活していければそれで十分だ。ところであんたは職業軍人かね。いくら職業軍人でも戦って死にたくはあるまい。軍人でもなんでもないわし等はなおさらだ。」

 
男は湯飲みに注いだ酒を舐めるように飲みながらゆっくりと平坦な調子で話した。感情を高ぶらせないその口調が返って私の心に突き刺さった。


「止めなよ、じいちゃん、この人、予備士官だよ。召集されたんだ。戦争が好きでやっているんじゃないよ。」


何時の間にか、体を洗い終わって体を拭きながら私たちの前に立った女が言った。


「いや、職業軍人も召集された予備士官も関係ない。俺達は軍人だ。その軍人があなた達国民の命や暮らしを守れないということは自分たちの義務を果たしていないということだ。本当に申し訳ないと思う。そのことはどんな理由をつけても許されることではない。」


私は板の間に両手をついて頭を下げた。


「もう止めようよ、こんな話。じいちゃんも見ただろう。この人、たった独りでアメリカの飛行機に向かって行ってたくさん撃ち落したんだよ。この人だって一生懸命戦っているんだから、もう止めようよ、こんな話は。そうだ、洗濯が終わったら体を揉んで上げるよ。一日中海に浸かって冷えて体が堅くなっているだろう。じいちゃんもやってあげるよ。待っていて。」

 
女は手早く衣類を身に着けると土間に下りて私の飛行服を運んできて洗濯を始めた。私は黙って洗濯をしている女を見つめていた。老人は決して私を責めるつもりはなかったのかもしれない。ただ、心の中に積もったものを吐き出したかっただけなのかもしれなかった。老人の口調は決して激しいものではなく、むしろ私に問い掛けているようだった。こんな時はむしろ詰られた方がまだしも気が楽だったかもしれない。穏やかな老人の口調が私の心に重く圧し掛かって離さなかった。


Posted at 2017/06/23 23:17:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記

プロフィール

「レーダーがあったら日本は米国に勝てたか、・・(-。-)y-゜゜゜。 http://cvw.jp/b/110820/39985631/
何シテル?   06/24 17:16
ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って3年になりました。CB1300なかなかの優れものです(⌒‐⌒)。 ...
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