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1945年、広島に原爆が投下されたのが8月6日、続いて長崎に落されたのが8月9日、
そして8月15日に終戦を迎えました。
今年は終戦から69年、自衛隊創設から60年目になりますが、
「原爆投下による教訓」と題して私が感じたことを述べたいと思います。
広島に投下された「ウラン235型原爆」、通称「リトル・ボーイ」によって、20万人の市民が殺され、
長崎に投下された「プルトニウム型原爆」、通称「ファット・マン」によって14万9000人の市民が殺されました。
私はアメリカハワイ州の高校に在籍していた頃、アメリカ・世界史の授業で、
「広島と長崎での原爆投下によって、アメリカ合衆国は戦争を終結させ、多くの人々の人名を救った。」
と習ったことを鮮明に覚えております。
その時、私は敵国日本を代表する唯一の生徒であり、
「母国日本は悪い国だった」という印象を抱いた記憶があります。
"The American Nation"という米国の教科書本文には、まず原爆の開発に関する経過が記されています
(1942年から極秘裏にマンハッタン計画を進めて原爆が製造されていたこと、1945年にニューメキシコ州で人類初の原爆実験が成功したこと)。
そして、8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が投下されたこと・・・。
これらが計画的また実験であったことを暗に認める表現となっていますが、
その最後はトルーマン大統領の
「原爆の投下が戦争を終わらせ、数百万人の命を助けた」
という発言で締めくくられています。
教科書によって多少の表現差はありますが、最後の締めくくりはほぼ皆一緒です。
対して日本の教科書の記述内容を見てみると、
平成17年、当時中学校で使用していた帝国書院版歴史教科書には、こう記述されています。
「ポツダムの会議では、アメリカ・イギリス・中国の名前で日本の無条件降伏をうながす共同宣言を出しました(ポツダム宣言)。
しかし、この宣言を日本が黙殺したため、戦争の早期終結を望むアメリカは、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾を投下しました。」
つまり、「日本は降伏しなかったから、原爆を投下された」
と原爆投下を正当化する記述内容になっています。
また、東京書籍版の教科書には、
「戦前の広島市が軍都として発展してきたこと」が「被爆都市となってしまった」原因の一つであると記述されています。
これらが日本の代表的な教科書の記述と言えます。
これら日米両国における教科書の記述がプロパガンダであり、間違っていることは、以下の声明や証言から証明できます。
第一に、
トルーマン大統領は、広島への原爆投下後、
「日本陸軍の最重要基地である広島に1個の核爆弾を投下した。」
という公式声明を出しました。
原爆被害を受けた広島の市街地は、陸軍基地ではありません。
ただの市街地です。
そして広島で原爆によって亡くなられた市民は一般人です。
戦時国際法では、一般市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。
すなわち、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為です。
次に、
広島、長崎に原爆が投下されたあと、米国で原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、
二つの原爆投下について、
「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」
と公式に述べています。
つまり、あの二度にわたる原爆が「実験」であり、
「実験」だからこそ広島と長崎には、それぞれ種類の異なる原爆が投下されたということです。
では、何故そのような実験が行われたのでしょうか。
極東国際軍事裁判オランダ派遣判事だったバーナード・W・A・レーリンクが、
「連合国の国民は有色人種を、昔から人間以下とみなすように教育されてきた。
有色人種である日本人は人間ではないと、トルーマン大統領をはじめ政府、軍の高官、科学責任者が感じていたからこそ、
広島、長崎で数十万人を一瞬にして焼殺できたのだ」
と、白人の差別意識の存在を批判しています。
さらに、ブログ「ねずさんのひとりごと」には、
終戦後の昭和20年9月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」という資料が紹介されています。
トルーマン大統領に提出された公式な報告書です。
内容は以下の通りです。
「たとえ原爆が投下されなかったとしても、ソ連が参戦しなかったとしても、本土上陸作戦が行われなくても、
日本は非常に高い確率で九州上陸作戦の決行予定日である昭和20年11月1日から、12月31日までの間に、確実に降伏したであろう。」
つまり、
「日本に反撃能力がなく、日本から報復される心配がまったくなかったから」、
実験として原爆を投下したと結論付けています。
広島の平和記念公園には、
「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」
と刻まれた石碑があります。
では、いったい何が「過ち」だったのでしょうか。
今でも多くの日本国民は「戦争したことが過ちだった」と思い込み、
「二度と戦争は繰り返してはならない」と誓いを立てることが良いと思っているでしょう。
勿論戦争にならない方が良いのは当たり前のことです。
日本は当時最後まで戦争を回避しようとあらゆる努力をしましたが、
日本が戦争に突入したのは自衛の為に止むを得なかったことであり、
アメリカがそのように仕組んだのです。
また当時日本は世界で唯一欧米列強に立ち向かった国であり、
日本のお陰で彼らの植民地政策を終わらせ、
その後アジアやアフリカで多くの国々が独立を果たしたのです。
戦争にならない為に、攻撃を受けない為には、「報復能力」を備えていなければなりません。
ねずさんのブログには、もう一つ驚くべき内容が掲載されていました。
実は日本は、広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本では、原爆の開発を終えていたという事実です。
当時、軍の上層部は、この新型爆弾をもって米国に大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しましたが、
昭和天皇は、この上奏を却下し、原爆の製造・開発の禁止を命じました。昭和天皇は、世界が核競争になることを未然に防ぐため、
技術レベルでは原爆を開発することができ、それを米国に撃ち込むことさえできたにもかかわらず、
それを人類のためにと、却下されたのです。
このことは、終戦の詔勅(しょうちょく)にも明確に述べられています。
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敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
(口語訳)
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。
この上、なお交戦を続けるであろうか。
ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、
朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
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世界中のどの国も国益の為にアレコレ策を練りアクションを起こします。
しかし、我が国の天皇陛下は、国益よりも人類の平和の為に身を切って行動したのです。
日本は天皇を中心とした愛情主義国家であったことを物語っています。
しかし、我が国の天皇陛下の崇高な精神と人類愛は、弱肉強食主義、我欲主義国家には、「豚に真珠」だったのです。
最後にまとめとして、私達が「愛情主義」を取り戻すこと。
そして価値がわからない豚には、「攻撃したら痛い目に遭うよ」という「報復能力」を保持することが重要であることを学びました。
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画像は戦後広島にご行幸された昭和天皇