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2017年04月26日 イイね!
『川奈ホテル』という追憶のキーワード〜ポルシェ914に乗せてくれた『あいつ』Part.2〜



 4月なって、早くも4回をかぞえる日曜の朝がやってきた。

 穏やかで風もない平和な午前中は、このところ、総走行距離111,111kmをマークしてからは、すっかり出番の少なくなったプログレの手洗い洗車にあてた。ついでにエンジンルームをのぞく。ウィンドウォッシャーの補充をしてやる。特段の不具合もない。ま、6月には9回目の車検が待ち構えているから、その時にしっかりと「健康診断」をお願いするとしよう。

 駐車場を縁取るツツジの赤とピンクの花たちが、もう少しで満開のときを迎えようとしていた。

 午後はインターネットのWi-Fi関連機器がもう古くなっていて、しきりに感度劣化を訴えてきているので、新しいハブ式ルータを調達しようと電器量販店のパソコン館へ、プログレを走らせた。

 30分後、NECの『Aterm Wi-Fi快適生活 お役立ちBOOK 』を貰って量販店を出る。販売店員に指摘された「指定通信スピードの枠」を確認する必要ができたからだった。その件は月曜日に契約しているJ-COMに問い合わせることにして、心はすでに午後2時から放映される「巨人×阪神」戦に移ってしまった。

 ところが、肝腎の地上波デジタルのチャンネル4では暢気な旅番組が流れている。調べてみると、放映開始は午後3時15分から、となっているではないか。それではやむを得ない。ケーブル放送のJ-COMに切り替えればやっているはずだから……。

 その前に、チャンネルをフジTVに寄り道してみた。

「フジサンケイレディスクラシック」最終戦の白熱した様子が映し出された。このところ、イ・ボミを筆頭に韓国勢に蹂躙されていた女子ゴルフ界も、魅力のある若手たちが基礎技術をしっかり体得し、力をつけてきたこともあって、かつての活況を取りもどしているらしい。この日も日本勢の5人が2ストローク差で終盤を競り合っている。



 舞台となっている静岡県・川奈ホテルゴルフコースは「世界のベストコース100」にも毎年ランクインしている名門で、プレイするには、基本的にはこのホテルに宿泊する必要がある。駿河湾に面し東に富士山が臨める18ホールが「富士コース」、東南側で伊豆大島と向き合い、ちょっと距離は短めだが、「グッバイホール」と呼ぶ海越えの断崖絶壁付きのショートコースの洗礼を受けるのが「大島コース」。打ち終わると吊り橋を渡ってグリーンへ向かうのだ。
 

*ティーショットしているのが当時31歳だったわたし。まだ正式にHDCPも取得してなかった時代。結局60歳で「8」に。



 トーナメントは「富士コース」の方が使われていた。TVが紹介してくれる
川奈ホテルゴルフコースには、いくつかの記憶がつながっている。プレイをしたのも十回を超えている。

 最初は1962年(S37=おお、55年前か)。「週刊現代」から総合月刊誌の「日本」に移籍してすぐのこと。編集長から「キミはゴルフをやるそうだから」とレジャー入門特集『GOLF』の担当を割りふられた。監修は作家でゴルフに関する著作も多かった水谷準さんにお願いしたところ、プレイと撮影は『川奈…』にしよう、その交渉は任せたまえ、ということで、こちらはモデルクラブから若いカップルのモデルを調達、一泊付きで川奈まで足を伸ばした。たしか伊東までは東京駅から列車を利用し、そこから地元のタクシーで川奈へ向かったように記憶している。
 




 それから10年後に再訪したときには、プロゴルファーの杉本英世さん(彼は川奈でキャディをやりながらプロを目指したことで有名)と国際事件記者として盛名をはせた大森実さんと、週刊現代連載企画『ビックスギの水平打法』をまとめ上げるために3日間の合宿をここで行った。この時の功徳だろうか、それからは時にはハーフ40を切ることもめずらしくなくなった。
 



*このビッグスギの企画が大当たり。この頃の週刊現代は100万部を突破していた。そしてこの「枕投げ」秘伝は目から鱗、と大評判だった。

 一つだけ、それからの「ベストカー」時代には、痛い目に遭った記憶がある。杉本英世さんの何かの記念コンペがあって、当時、講談社の服部敏幸社長代行が招待されたので、わたしも運転手を買って出て、ご一緒に参加できることになった。そこで徳大寺有恒さんから長期貸与されていたBMW633アルピナで川奈を往復することにした。
 快適とは言いがたいが、まずまずのテンポで東名高速を抜け、厚木ICから小田原にむかう自動車専用道路へ入った。油断があった。東名を走るのと同じ調子でアルピナ633のアクセルを踏んでいた。と、前方で旗を振る人影。15キロオーバーで、チケットを切られてしまった。以来、小田厚道路を利用するときには、細心の注意を払うようにしているが、後日、講談社役員室からお呼び出しがあった。

 恐る恐る出頭すると、服部社長代行の部屋に通された。
「おい、あのスーパーカーみたいな派手なクルマ、思っていたより乗り心地がよかった。ところで、これを取っておきたまえ。ご苦労さんだった」
 封筒にはスピード違反の罰則金と同じ金額が収められていた。
 さすが、わが大学の剣道部先輩。有り難く、頂戴したものだった。


 それらの「川奈ホテル追憶」の時間を、実は近ごろ、平日の午後0時30分からの20分間、決まって反芻しながら楽しんでいる。当BLOG前回の《ポルシェ914に乗せてくれた『あいつ』》で紹介した石坂浩二が主演する、シニア層をずばり狙った連続ドラマ『やすらぎの郷』の舞台、夢のような環境と品質の高い造りの老人ホームこそ、川奈ホテルがロケ先となっていた。だから、中島みゆきの歌声に導かれてはじまるオープニングシーンで、毎日、川奈に心が吸い寄せられてしまう……。

 ♪もう一度はじめから もしもあなたと 歩き出せるなら
  もう一度はじめから ただあなたに尽くしたい
      ————主題歌「慕情」 中島みゆき(作詞・作曲)

 このドラマが見事にヒットしているらしい。

「日刊ゲンダイ」によれば、4月3日からスタートしたテレビ朝日系の昼ドラマ「やすらぎの郷」が絶好調で、ライバル各局が慌てふためいているという。
 脚本は倉本聰(82歳)。彼の想いが濃密に練りこまれたこの作品は、かつてテレビの黄金時代を支えた俳優、作家、ミュージシャンら「テレビ人」と称する業界人だけが入居できる老人ホームが舞台の人間ドラマだ。出演者には石坂浩二をはじめ浅丘ルリ子、有馬稲子、加賀まりこ、草刈民代、五月みどり、常盤貴子、野際陽子、藤竜也、風吹ジュン、八千草薫ら豪華キャストが名を連ねている。

「4月3日から7日までの第1週の番組平均視聴率は7%。しかも、4日は日テレ系『ヒルナンデス!』、TBS系『ひるおび!』、フジ系『バイキング』を抑えて同枠のトップになった。第2週になっても勢いは止まらず、10日、12日も同枠のトップになっています。これはもう無視できない数字です」と、民放関係者コメントを紹介している。

 民放各局は、当初はせいぜい2〜3%の視聴率だろうと多寡をくくっていたのがこの高視聴率。まさかシニアを対象にした昼ドラマがここまで視聴者のハートを捉えてしまうとは! このまさかの結果に度肝を抜かれているらしい、と伝える。



 石坂浩二君、よかったね。明日からまた平日の5日間がまたやってくる。もう第16話まで来たんだよね。ひきつづき、楽しみに「やすらぎの郷」にチャンネルを合わせよう。

 それにしても、浅丘ルリ子、加賀まりことの「仰天の邂逅」をじっくり拝見させていただいたが、ふたりがそれぞれに、あなたに迫る演技は見事だった。昔の仲間との同窓会に、わたしまでが招待された気分で、浮き浮きしてしまう。そして、あなたに関わる「ヤングレディ時代」からの眠ったままの秘話の数々が、むくむくと頭をもたげて甦ってくる……。
 




 新しく手に入れた2シーター、ミドシップのポルシェ914になぜあの時、わたしが助手席に座っていたのか、をはじめ、クルマに関する石坂君との記憶も、もっと掘り下げてみたくなった。それはあの時代、プライドが売り物の総合雑誌「日本」から、「ギャングレディ」と異名をとっていた女性週刊誌に移動させられた編集者がどう生き抜いていったか。その仕事を検証することでもあった。



 どうやら、「フジサンケイクラシック」も結着がついて放映終了。阪神も2対1で巨人に勝った。
「さて…」
 と、腰を上げた瞬間に目に入ったものがある。TVモニターの奥の壁にかかっている「白馬」のパステル絵である。作者は……石坂浩二画伯である。




 

 白いフェラーリの化身がいなないている姿。なぜ、この作品がわたしの手元に秘蔵されているのか、それは次回に……。
Posted at 2017/04/26 18:59:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
2017年04月12日 イイね!
ポルシェ914に乗せてくれた「あいつ」〜『やすらぎの郷』主演の石坂浩二が若々しく光っていたあの時代〜

 カレンダーが4月にめくられた途端に、困った習慣に取り憑かれてしまったようだ。

 テレビ朝日系が4月第1週から放映を始めた連続・帯ドラマ『やすらぎの郷』のせいで、昼食を摂ったあとの12時30分からの20分間は、TV桟敷に釘付けされる毎日である。TV創成期からその才能をもてはやされた主人公の脚本家・菊村栄を等身大で演じる石坂浩二。そのナイーブで深みのある役づくりに惹きつけられて、目が離せなくなってしまった。



 物語はまだ導入部から抜け出していない。認知症になった元女優の妻(風吹ジュンが演じている)の介護に疲れ果てていたとき、『やすらぎの郷 La Strada』という老人ホームから入居の誘いを受け、夫婦での移住を決意していたが、妻があっけなく他界してしまう。

 半年が経って……武蔵野の名残をとどめる善福寺池畔(杉並区)を、タバコを燻(くゆ)らせながら散策する菊村の背中にやどる寂寥感。ひとり息子の家族が同居してくれているものの、どこかで価値観がすれ違って、寒々しい日々がはじまっていた。そこへ再び『やすらぎの郷』から誘いを受けて、移り住むことにこころが動く。

 その最後の決断を、菊村が同じ時代を花形ディレクターとして共に力と心を通わせてきた“戦友”中山(近藤正臣)にだけは伝えるシーンで、その間のいきさつをこちらに理解させるシーンを用意する。ゆったりしたこのテンポが、標的であるシルバー層には快い安定感を与えてくれるに違いない。



 かつてテレビ界に功績のあった者だけが無償で入れる老人ホーム『やすらぎの郷』への入居――まるで夢のような話を中山に打ち明けた翌日、菊村は東京で最後の夜を迎える。しかし、息子はこれから仕事で出張、嫁も会合で外出するという。孫娘だけが家に残り、嫁が頼んだウナギの出前を断って夕飯を作ってくれるという。

 窓際でタバコをくゆらし、背を向けている菊村に、息子が声をかけた。
「じゃあ出かけるから。タバコはほどほどにしときなよ」
 菊村の感情が爆発する。
「一郎!(息子の名)タバコを喫うなっていうのはオレの健康を心配してのことかね。おれとタバコとの付き合いはお前との付き合いよりよっぽど長いんだ。おれがお前を育てられたのも、タバコが作品を書かせてくれたからだ。タバコが体に悪いことはわかっている。けどなあ……」
 菊村、いや石坂の唇が怒りでふるえている。
「当節、おれにとって体に一番悪いのは、そこいらじゅうに書かれた禁煙、あの文字だ。あの文字がおれにストレスを……」
「わかったよ。もういいません」
 そういって気まずい空気を、そのまま引きずって外出していく息子夫婦。

 再びタバコに火を点ける菊村。やがて意を決したように立ち上がると、一旦は嫁がほしがっているのを知り、譲るつもりであった亡き妻の紬の着物を庭に持ち出し、火を点けてしまう……。



 燃え上がる炎と漂う煙がひとつになって、そのなかに妻の面影が浮かび上がる。と、隣家から庭越しに声が飛んできた。

「菊村さァん。なにか燃やしていらっしゃいますか!? 庭で焚き火は禁じられていますよ。菊村さ〜ん」
 
 そこで画面がパーンする。
 海岸線を縫うように走る黒塗りの乗用車。菊村を迎えるために老人ホームからさいまわされたものだった。
 そして待ち受ける仰天のできごと。しばらく逢わなかった過去の友人たちがまるで夢のように菊村の目の前に現れる……浅丘ルリ子、加賀まりこ、有馬稲子、野際陽子、八千草薫。ミッキー・カーチス、藤竜也。





第3話はここまでで、最初の山場となる第4話が放映される4月6日の午後は、2週間ほど前から約束が入っているため、前もって録画をセットしておかねばならなかった。ともかく、この日の「仰天の正体」を見逃すわけにはいかない。

 4月6日午後0時。時間を見計らって、マンションの1Fに降り立った。新宿京王ホテルのティーラウンジで、ベストモータリングが出生魚さながら、日々伸び盛りだった時代に映像技術部に4年ばかり籍をおいていて、いまでは新進の映画監督・脚本家として注目されている田中壱征君と、午後1時に落ち合う約束だった。
 2016年、オムニバス映画『TOKYO LOSS』を国際映画祭に出品して話題になり、この4月下旬、N.Yで先行上映を予定しているという。その報告を兼ねて、22年ぶりに逢いたい、と嬉しい誘いであった。だらだら坂を抜け、駅に通じる道をいく足取りは、弾んでいた。




  
 駅前のロータリーは華やいでいた。満開近い二基の「染井吉野」に、同じ二基の「辛夷(こぶし)」が白い花を開いてみせる共演者となって、寄り添っている。と、その一画に「smoking-area」が用意されているのが目についた。喫煙者が3人ばかり、それぞれのポーズで、周囲に気兼ねしながらも、タバコをくゆらしている。この光景を、菊村ならどう受け取るだろうか、と気になった。恐らく彼なら、ここでは決してタバコを吸う気にならないだろうな、と。

 練馬駅で地下鉄大江戸線に乗り換えてからも、この日、放映される「やすらぎの郷」の展開がどうなるのか、気になって仕方がなかった。なにしろ今回から、石坂が22年前までは妻だった浅丘ルリ子と、芸能界デビューの時から、なにかと縁の深かった加賀まりことの「邂逅」シーンがはじまるのだ。



 実は……この3人が光り輝いていたあの時代、1965(S40)年から1972(S47)年までの8年間を、わたしは「ヤングレディ」という女性週刊誌に籍を置いて、親密な交遊をかさねていたのだ。その辺の事情は2011年の12月23日付の当BLOGですでに紹介ずみ。改めてここに再録しておくので、ぜひご一読ありたい。

愛が扉をたたく (こちらをクリック)
~「独占スクープ」のご褒美で再びヨーロッパへ~

わたしも当稿をアップするに当たって、久しぶりに読み返してみた。なるほど、石坂浩二君とは、同時代の空気をたっぷり吸いながら、親密な交遊を重ねていたのがよくわかる。






 そうだった。最初にカルマンギアの発展型として登場したばかりのポルシェ914の助手席に乗せてくれて、皇居のまわりのお濠端を何周も回ってくれたのを思い出した。
「たいへんなクルマ・フリークで、ベストカーが創刊されると、その記念イベントであった『愛車オークション』にも率先して参加、イエローの猛牛、ランボルギーニをもちこんでくれたり、ホィールデザイン賞の選考委員になってくれたり……」とも記述しているが、オークションに持ち込んでくれたのは、マセラッティ・メラクでなかったろうか。





 そんな回想にひたっているうちに、新宿都庁前に着いた。改札口を抜けて外に出ると、そこは超高層ビルの蝟集する一帯。ピッと甦る記憶があった。石坂君がランボルギーニか、マセラッティのどちらかのスーパーカーを持ち込んでくれた『オークション会場』がこのあたりで、かつては淀橋浄水場だったのを再開発が進行していた時代。高層ビルの谷間に大きな空き地があちこちに広がっていた。

 それからちょうど40年経って、ある時期までこの副都心のシンボル的存在だった京王プラザホテルの回転ドアをクルリと回して、ロビー階のコーヒーラウンジを目指した……。わたしの「還暦+21歳の青春」にまたひとつ、新しいテーマが加わったようである。            (この項、つづく)
Posted at 2017/04/12 03:21:29 | コメント(2) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
2017年03月30日 イイね!
「30年前のベスモ映像」にハマり続けた10日間〜プレゼント付き『疾れ!スープラ』創刊期の晴れ姿 Part.2〜

 その頃(1984=S59年)の国内ではお目にかかれなかったTOYOTAセリカXX2800GT。さまざまな窮屈きわまる規制や力不足から、貧弱だったこの国のスポーツタイプ車に比べて、なんとも誘惑的なスタイルをもち、一段上のポテンシャルを持っているという噂に、明日への夢を感じとっていた。

 そいつになんとか触れられないものか。
 TOYOTA側に交渉すると、ハワイまで行ってくれれば、お世話できます、という嬉しい返事。ハワイ? いいねえ。



 そこで五木寛之さんを誘惑してハワイへ飛んだ。いい機会だから、ついでに北米仕様のフェアレディZXターボも用意してほしい、という五木さんの注文にも、応えることもできた。

 その時のフィーリング試乗記は、いまでも「なるほど、クルマとの交流レポートとはこうありたいね」と触発されるものが満載されている。改めて、ぜひ読んでいただきたくなる。

 そのセリカXX2800GTが帰国子女よろしく、日本仕様版「A70」スープラ(セリカとしては3代目)として登場するようになったのが’86年6月で、翌’87年1月になって、7M-GTEUに5速MTが設定され、ドアミラーにブリスターフェンダーOKの3ナンバー車が追加されている。「ベスモ」創刊とドンピシャリ、歩調があっていたのだ。



 そこで改めてA70スープラの姿を鑑賞してみようと、VHSから変換しコンパクトな形で保存してあるDVDを引っ張り出した。

最初に「再会」できたのが、イタリア・ミラノ郊外にあるピレリタイヤのテストコースを疾走する白のスープラ3.0GTターボの晴れ姿。が、こちらが捜し求めていたのは、もっと攻撃的な姿で、それが前回BLOGで紹介した『激走対決 トヨタvs.日産』の号で、スープラはその特集の中で『独占試乗 国産最強270ps 最高速253.5km/hをマーク‼︎ スープラ3.0 GT-turbo A全開フルテスト』と、特別な扱いを受けていた。そこからわたしの「30年前のベスモ映像」にハマり続ける10日間がはじまったのである……。

 創刊して11号目に当たる1988年10月号がそれだった。チェカーフラッグをバックに、CONTENTSが軽快なリズムに乗って紹介される。

 1st.CORNER フェラーリF40
(いきなり、真紅のスーパーカーが、水煙を巻き上げて疾走し、コーナーをターンし、下り勾配を駆け下りる姿)
 2nd.CORNER 激走対決 トヨタvs日産 壮烈な戦いを徳大寺有恒が斬る!
 (おお! その特集の中に、やっと捜し求めていた黒のスープラ3.0 GT-turbo Aが全開フルテストを敢行する姿が収録されていた!)
3rd.CORNER HONDAコンチェルトで北へ1000km Report伏木悦郎
……and 
  4th.CORNER BMステーション ゲスト/五木寛之
 (なんという奇縁。五木さんのスープラ試乗からはじまったこのSTORYが、ここで再び交錯していたのか⁉︎ とはいいながら、それがどんな内容であったのか、全く記憶がないとは情けない。しかし、この後の鑑賞が楽しみ、と思えばそれでいいか)

 お決まりの『BEST MOTORing』オープニングCGが流れると、画面は深い霧に包まれ、「7月20日、箱根にモンスターが現れた」と白抜きのテロップが浮かび上がってきた。レーシングカーさながらの後ろ姿。初めて見るF40だった。
 お馴染みのナレーター、荻島正巳さんの声も興奮気味で、いつもより甲高く聴こえた。



「フェラーリが創業40周年に因んで発表されてF40の市販1号車が日本へ上陸した。(中略)リアカウルを跳ね上げる必要もなく、ゼーンブ見えてしまうパワーユニットは、90度のバンク角を持つV83ℓ、ドーンと目立つインタークーラーを見ての通り、ツインターボで最高出力は478馬力、しかしまだまだ余裕があって、過給圧をチョイといじれば650馬力まで出力アップされる(後略)」

 車両価格=4500万円 生産予定台数=600〜1000台。

 この日、F40は40台のオーナーズフェラーリとともに修善寺サイクルセンターでデモンストレーション走行を行った。ドライバーはグループCの経験を持つフェラーリの社員。
 午後6時を過ぎたとき、助手席へ試乗する機会が与えられた。誰に? その頃、ベストカーから転籍したばかりの大井貴之くんだった。そのときの彼の行動と判断は、特筆ものだった。カメラと録画用デッキを強引に自分の体に縛りつけ、手ブレ覚悟であの狭い助手席からの撮影を敢行したことだった。






 外絵の赤いマンモスの走りと、エンジンサウンド、タイヤのスキール音。それに加えて、薄闇の中、にわか仕立ての車載カメラが辛うじて捉えるドライバーの運転ぶりがシンクロする。映像メディアの利点を、このとき、はっきり嗅ぎ取ったのを、思い出させてくれた。尺にしてわずか4分16秒の短い巻頭のコーナーだったが、インパクトは強烈だった。

 さて、次のコーナーは? 喜多郎のむせび泣くようなメロデイに乗って、今度は黒のスポーツカーが、ウォータースクリーンを背後に残しながら、ワインディングを楽しんでいる。ドライビング byジェフ・リース。TOYOTA 3000GT。いま、限界域に独走する……のナレーションがかぶさる。恐ろしくお洒落なNEW SUPRAのCMが、こんなふうに呼応して挿入されていたとは! 広告もまた、時代を映しとる重要な「データ」だと、改めて感じとる……。







 いよいよ目玉の「トヨタvs.日産」の激走対決である。行司は徳さん。この人の喋りはいつ聴いても、見事だな、と感心させられる。まるで文章を綴るように、おのれの論理や感じたことを言葉にできる不思議な才能の持ち主で、もう逢えなくなったのが、なんとも残念でならない。



 特集の最初の舞台は7月24日、真夏の富士スピードウェイ。’88 JAF-GP 全日本富士500マイルレースであった。来日したポルシェ962C(フロムA)に挑むトヨタ88C-VとニッサンR88Cの闘いぶりが注目されていた。

 徳さんが真っ直ぐトヨタと日産、それぞれの両陣営の基地を訪れる。わたしも同行していた。まずトヨタのトムスガレージへ。豊田章一郎社長の姿があった。次に日産の専用テントで当時の久米豊社長にインタビュー。時代はモータースポーツをベースに開発が進み、V84ℓ、大型車時代への移行に焦点が絞られつつあった。
 徳さんのこの解説が、その辺の事情を噛み砕いてくれる。

「トヨタがスープラをベースにグループA仕様の車を出しました。もともとスープラは、年間5000台以上を継続して生産されるクルマとして、グループAのホモロゲーションを受けていて、すでにレースをやっている状況ですが、もう一段強化するためにレース用のレギュレーションでは500台つくると、また相当に、そして大幅に改造できる。
 今回の主な狙いは吸気系らしい。ターボを大きくしたり、インテークマニホールド、バルブ……その辺を改造して、エンジンのパワーUPを図っている。この追加改造された500台は270馬力で、これは相当なものですが、レースに使う車はもっともっとブーストチャージをあげてハイパワーになっている。
 このクルマをテストするにあたって、比較対象として250 馬力エンジンをもつポルシェ944ターボSを谷田部に持ち込んだのですが、大きな差はブレーキですね。時速200キロからのフルブレーキングで、944の方は144m、スープラは183.3m。これはウエイトの差。スポーティカーの場合、これが重要な課題。(竹平テスターも指摘していますが、と前置きして)スープラの場合、素晴らしい性能だがちょっと重い。それがウィークポイントですね」





 最後に、こう締めくくっている。
「グループAのホモロゲーションカーとは、メーカーがレースでそのクルマを鍛えていい成績を上げ、信頼を高めるために送り出されたクルマです。その点、今度のスープラはどうか。豪華で、しかも270馬力でスピードを味合わせてやろうという、そこの一点に絞られているようで、本来、グループAカーというのは、スポーティであるはずなのに、そのことをちょっと忘れているかいな、という気がします」
 徳さんがそう語り終わるのに合わせて、夜闇の中へスローモションで吸い込まれて行くスープラ。《3.0GT turbo A主要装備》がテロップで紹介され、情感たっぷりなピアノの音に乗って、赤いテールランプがフェイドアウトした瞬間、谷田部の高速バンクに切り替わる。遠くから空気の壁を切り裂きながら迫ってくるスープラの気配。それが、轟音とともにあっという間に目の前を過(よ)ぎった。



 ああ、「一人はうまからず」だ。この’88年10月号をベスモ仲間と一緒に、ワイワイガヤガヤやりながら鑑賞できたら、どんなにいいだろうか。

 閃めくものがあった。そうだ! この動画を「もう一度」か「新しく」は別にして、ぜひ見たいと言ってくれる「ベスモDNA」の持ち主に、何らかの方法でDVDに焼き付けたものを、プレゼントする方策はないものか、と。



 この10月号にしても、この後、新設したばかりの『BMステーション』に、五木寛之さんを迎えて、聞き上手の渡辺典子さんとの、弾みっぱなしのトークも用意してある。
「クルマっていうのは、人生の伴侶なんですよ。よくベターハーフというでしょ? 人を愛するようにクルマと付き合ってほしいな」
 こんな五木さんのメッセージを引き出したあのころの渡辺典子さん。何とも明るいお嬢さんだったが……。

 書き出しでも触れたが、この3月に入ってからずっと「スープラの晴れ姿」を求めて、ベストモータリングの創刊時映像にはまり続けている。すっかり記憶から消えてしまっていたが、その前後の主要な企画には、必ずと言っていいほど「70スープラ」が絡んでいたのだ。



 例えば、その前々号の88年8月号では、グループAの世界最強マシンといわれた「シエラRS500」の実走テストでも、グループAスープラを絡ませているし、翌月号の88年11月号では「中谷明彦、スープラ3.0GTターボAを全開で走らせる」を間瀬サーキットで収録しているし、明けて89年2月号では、こんな仕掛けが待っていたのだ。
 
 わたしがベスモ創刊20周年を記念して書き上げた『ベスモ疾風録』の第6話に、こんなくだりが紹介されていたので採録したい。 





−—−—疾走するF40の赤いボディが霧の中に消えていくシーンが「売り」となったこの号を機に「ベスモ」は上昇気流に乗る。創刊1周年と銘打った12月号は『男が疾る!星野一義』で話題を集めた。そのころから編集部に寄せられる声の中に、発売と同時に書店に駆けつけ、いま仲間と一緒に鑑賞会を開いている、という内容が多くなった。
 1989年2月号、新しい金脈となったガンさんの「ドラテク特訓道場」に、その「新しい風」が合流してきた。ガンさんが熱く忠告する。「キミがレーシングドライバーとして、もっと先を目指すのであれば、路面に対してタイヤがどうなっているかを感じとらなくてはダメなんだ。将来、フォーミュラーカーに乗った場合、ドライビングの前に、マシンのセッティングがあって、それが感じとれないとセッティングはできないよ」
 膝に手をおいたまま「はい」と肯く。晴れやかな表情だった。実はこのとき、すでに土屋圭市に「F3に挑戦してみないか」という声がかかっていた。碓氷峠で腕を磨いた、いわば「異端の星」が「メジャ-」から「正統」にシフトチェンジした第1歩が、実はこの瞬間だったのかもしれない。その時の使用車がまた、スープラだったのである。

 この号も、改めてじっくり、みんなと鑑賞できたらいいな。
 そんな風に何かを抱え込んでいると、必ず解決への道筋を教える出来事がやってくるものだ。
 現在、わたしが取り組んでいる電子書籍「疾れ! 逆ハン…」の販売サイト『コンテン堂』から、こんなキャンペーンの連絡がはいった。

春のコンテン堂フェア

コンテン堂モールの電子書籍を購入決済するだけで電子マネー2000円分が当たります。
対象店舗:電子書籍ストア ConTenDo|コンテン堂
     コンテン堂モール内専門書店
     

     応募はこちらから

期間  :2017年3月31日(金)~2017年4月10日(月)23:59
応募口数:期間中の各店舗で購入決済 (「eレンタル版」も対象)を行なった人が対象
     ※各店舗エントリーは共通で一人一口まで
     ※無料コンテンツは対象外
賞品  :2,000円分のWebMoney×100名様
     ※ConTenDo|コンテン堂モール用WebMoney
配布方法:キャンペーン期間終了後に抽選
     抽選時に会員登録いただいているユーザーID(メールアドレス)に

 これを受けて、わたしの肚は決まった。ベストモータリング同窓会のメンバーに限って、先に紹介した 
        
①BM‘88年8月号

②BM‘88年10月号
        
③BM‘88年11 月号
        
④BM‘89年2月号


 この中から①項目だけ希望の月号を選び、わたしの「メッセージ欄」へ、わたしの指定した「キーワード」を添えて、ご連絡いただき、各号、先着5名さままで試作品として該当月号のDVDを送らせていただきます。



「キーワード」は恐縮ですが、一旦、電子書籍『PREMIUM版 疾れ!逆ハンぐれん隊 PART.9』(こちらからどうぞ)を購入いただき、そこへ登場する「セリカXX 2800GT」のボディカラーの色を確認の上、応募いただきたい。その上で、是非、コンテン堂の電子マネーキャンペーンに応募いただき、2000円の幸運を射止めていただくのはどうでしょうか。
 こちらの締め切りは、先着5名とさせていただくが、キャンペーンの方は4月10日いっぱいとなっている。グッド、ラック!
Posted at 2017/03/30 03:09:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | ベストモータリング | 日記
2017年03月14日 イイね!
疾れ!スープラ、ベスモ創刊期の『晴れ姿』
〜PREMIUM版パート9付録企画からの「贈り物」〜

 ちょうど1ヶ月前に『ベストカー』で、1ページをまるまる使って紹介してもらった「五木寛之先生の痛快カーアクションロマン『疾れ!逆ハンぐれん隊』の電子書籍PREMIUM版」に、また新しいパートを補充することができた。

 本編の小説セクション『Part.9 バンドー先生の逆襲』は、ジロー、ミハル、竜さんの逆ハンぐれん隊をスポンサーとして支えてきた、漫画家・バンドー先生が廃業宣言することからはじまる。そして真紅のフェラーリ・テスタロッサの助手席に竜さんを押しこむと、自らがハンドルを操って高速道路を目指す。それまで時速5キロ以上のドライビングをしたことのない先生が200キロオーバーの世界へ!



*新しく登場したPREMIUM版 PART.9 [バンドー先生の逆襲」はこちら

 そしてはじまる4人の、修学旅行さながらの冒険の旅。新しく仕立てたスーパー4輪駆動車のゲレンデ・ヴァーゲンで西へ向かった。舞台は奈良・大和路。美しくも妖しい二上山に秘められた一千年の謎とは……。逆ハンぐれん隊がタイム・スリップして見たものとは!

 五木さん独特のエンターテインメントの味は、今もなお生き生きとわたしたちを魅了してくれるが、今回はとくに「PREMIUM」として用意した4つの「挿入部」にも、特色を持たせたつもりである。



 まずは連載スタートから第5部まで、国内を舞台にしてさまざまな事件や出来事に遭遇しながら、クルマとともに青春をたくましく生きていく『逆ハンぐれん隊』を、次の6〜7部で海外に飛ばした後で、しばしの休息を与えていた。そして次の連載再開までの幕間(まくあい)で、作家・五木寛之の「クルマを描く心構え」を率直に吐露している珍しい「独白」。それをたっぷり聴ける仕掛けとした。それが4部構成となっている「PREMIUM」版の①部と②部で、

① 連載ひと休み…幕間からの本音
クルマを書く心構えについて
② キミをきっと小説好きにして見せる!
「メルセデスの伝説」からの招待状

 そのあとは、かねてから取り扱いを狙っていた「スープラ&フェアレディZ  ハワイ特別試乗記」を投入できた。今年初頭に、こんなふうに触れていた、この部分である。

 ――ヨーロッパから帰国して一息ついたところで、また五木さんを熱く誘惑したものだ。五木さん、ハワイでなら、ジャパニーズ・スーパースポーツとして登場したばかりのTOYOTAスープラを味見できますが、いかがですか、ハワイへいきましょうよ、と。
 
「いいね、ついでに北米仕様のフェアレディZXターボも用意してください」
「あ、よくご存じなンだ。それもいいですね。やってみましょう」

 決めた! 2002年に「排ガス規制」への対応ができないため、累計28万5280台の実績を残して生産を終えた、あのスープラへの挽歌を、ぜひ本編に添えるとしよう。そして、その次の回でオアフ島を縦断した『ZXターボ』の試乗記も……。




 それが今回、やっと実現した。こんなタイトルで!
③ 疾れ! 汝の名はジャパニーズ・スープラ
  ――五木寛之フィーリング試乗 in ハワイ 第1回
④『ダッツン・ジー』に死ぬほど憧れてみたいか?
――五木寛之フィーリング試乗 in ハワイ 第2回
 
 ぜひぜひ、また一つ、新しく輝く星を加えた「ぽらりす eBooks〜クルマ仲間名作ガレージ」へお立ち寄りいただきたい。

 この作業を終えたところで、妙に心が浮き立っているのに気づいた。『スープラ』という名の悲運のクルマ。その走っている姿にあってみたくなっていた。‘80年代終盤から、’90年代序盤にかけて「ジャパニーズ・スポーツカー」の代表としてTOYOTAスープラは、生き生きと先頭を走っていたではないか。

 そのあと、NSX、GT-Rが追従して賑やかな時代へと爆走していくわけだが、それはまた、ベストモータリングの創刊された時期でもあった。

 さて、どの号でその頃のスープラに逢うことができるのか。生憎とこの数年「断捨離」を迫られていることもあって、ベスモのVHS入りのパッケージは整理してしまった。行き先は「ベスモ同窓会」のプレゼント景品だったから許されるとして、一目で「どの号に何が掲載されているか」を知る手がかりは、すっかり消滅していたのである。

 幸い、自分が制作・企画に関わった号だけは、VHSからDVDに変換して、コンパクトな形で保存してあった。

 記憶をまさぐった。たしか創刊1周年記念号の前後に「漆黒のボディカラー」で谷田部の高速バンクを悪魔のように走り抜けたあいつが潜んでいるはずだ。


*そのころ北米ではセリカXX2800GTの名で販売されていたスープラ。

 まず、1989年新年号をピックアップして、PC内蔵の再生機にセットする……。
 目次ページが軽快なメロディーに乗って紹介されていく。

 お、まずガンさんだ。NEWレジェンドV6Tiエクスクルーシブの「TEST&MOTORING」。続いて「海外取材from ITALY ピレリの“聖域”を初公開!! by 徳大寺有恒」か。ピッと記憶を刺激するものがあった。申し訳ないが、エビスサーキットと磐梯吾妻ラインでのガンさんTESTコーナーは早送りして、先を急いだ。




*ドライバーは大井貴之君。ベストカーから移籍してきての海外初取材。初々しかった。




 この時期のベスモはCM満載。日本交通公社の30秒ものが終わったところでアルプスの山肌を縫って駆け下りて来る赤のアルファロメオ164 V6に、チェロの弦の低音が響きながらシンクロする。スイスとイタリアの国境、セント・ベルナルドを超えたところで牛の群れに行く手を阻まれるシーン。今もなお、鮮烈に記憶していた。

行き先はミラノ郊外にあるピレリタイヤの『ヴィッツォーラTEST TRACK』で、案内役を徳さんにお願いしていた。
 全てが自然を生かしたテスト環境で、走行路には風に吹かれて、落ち葉が舞っているし、路面もごく一般路に近い、鈍い光沢をもっている。





 徳さんもお気に入りの「聖域」であった。3度目の訪問だという。
「ここは考えられるすべての道路のパターンが収められている。一般の人が一般路を走るような状態でテストできなければ、生きたタイヤは開発できないから、という思想を貫いているからね」

 その先進の思想とテクノロジーに共感させられた取材だったが、そこでデビューしたてのスープラが、すでにここのテスト車両に採用されていたのを知り、スープラの立ち位置を直感したものだった。









 テストシーンはP700-Zでウェット限界を走る姿を捉えていた。
 BMW-M5にはじまって、300E—AMG、フェラーリ328GTS、ランチアテーマieターボ、サーブ9000ターボ、ポルシェ911ターボ、フォードシエラコスワースがつぎつぎと顔見世をし、最後に白のスープラ3.0 GTターボがウエットハンドリングコースを、ひらりひらりとこなす晴れ姿で締めくくっていた。





 こうなると、もっとないのか、と捜索の手を広げたくなるではないか。で、発見! 3号を遡った1988年の10月号こそ、わたしの脳裏に焼きついていた「黒のスープラ」の躍動している号だった。

 表紙パッケージもそれ! 題して『激走対決 トヨタvs.日産』。

 スープラはその特集の中で特別扱いで『独占試乗 国産最強270ps 最高速253.5km/hをマーク‼︎ スープラ3.0 GT-turbo A全開フルテスト』と、ある。

 これは改めて「ベストモータリング公式チャンネル」にお願いして、You-Tubeで鑑賞できるといいのになあ。 

 (この項、次回更新まで)
2017年03月08日 イイね!
『111111』 を走破したプログレ讃歌〜2000年5月からの伴侶「小さな高級車」STORY ①〜

「瑞兆(ずいちょう)」という言葉がある。佳いことの起こる予兆、めでたいことのある前兆という意味らしい。わたしの場合、同じ数字がきちんと揃うと、それが何かの瑞兆と歓んでしまう……。

 3並びの3月3日は桃の節句、朝から東京の空は見事に、明るく晴れ渡っていた。午前8時30分に最寄りの私鉄駅北口のロータリで、RJCメンバーの飯嶋洋治さんと待ち合わせている。11時から御殿場のホテルをベースにしたVOLVOの新世代フラグシップS90/V90の試乗会に、わがプログレで駆け付ける予定で、そのあとガンさんと久しぶりに懇談するつもりだった。





  8時20分になったところで、NIKONのカメラバッグに300mmの望遠レンズを詰め込んで(これで富士山を狙うつもり)、駐車場に降りる。
 前夜の雨で、プログレはしっとりと濡れたままで、朝の光を優しく受け止めている。くしゃみ一つでも、今にも雨滴がボンネットから滑り落ちそうだった。イグニッションKEYを優しくひねってやる。そしてODOメーターを確認する。

 111075。あと36kmで「1」並びとなる。プログレに、よくここまで連れ添ってくれましたね、と頭をさげる。さて、これから環八で用賀に出て東名高速に入るつもり。どこでその記念すべき瞬間が訪れるのか。

 飯嶋さんの柔らかい笑顔が待っていた。走り出してすぐに、ここから「111111」になる瞬間まで、ドライバーはわたしが務めることを伝えた。が、すぐに思い直す。

「恐らく、横浜・町田ICあたりだろうから……そうだ、その手前の港北SAで交代してもらって、カメラでその2度とない瞬間を、ぼくが撮ります」
 いつも勝手なことを押しつけてしまうわたしの注文に、飯嶋さんはやっぱりいつものように笑顔で受け止めてくれる。


 
 週末金曜日の環状八号線は、なかなか前へ進めない。こうなれば奥の手、かつて「FISCO通い」をしていた頃の抜け道ルートへ逃げこむしかない。

 青梅街道の手前から西寄りの古い幹道に入ると、交通量は途端に少なくなった。問題は渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線の踏切と、その区間に限ってルートが午前9時までは、一方通行で進入できないことだった。ダメな場合は再び左折して渋滞している環八にもどるしかない。微妙な時間帯ではないか。

 ジャスト9:00。大きな神社脇にある問題の一方通行の出口に差しかかった。ありがたや、制限時間は解除された直後で、京王井の頭線富士見ヶ丘駅脇を抜けるルートに、先頭で突入できた。そのお陰で、甲州街道にぶつかったところで左折、すぐに環八へ流入。そこからは順調に用賀ICを目指す。

 プログレのメーターはまだ「1並び」までに、26kmほどの余裕を残している……。

 東名高速に乗ると直ぐに、プログレが甘えてきた。久しぶりに高速へ入ったんだから、ちょっと踏み込んで、エンジンのカーボンを吹き飛ばしてくださいよ、と。
「よっしゃ!」
 その声に、助手席の飯嶋さんが怪訝そうにこちらを見る。わたしの左手はすでに走行モードを変更できるスウィッチに伸びていた。ポンと左サイドに抑えてやると《ETC PWR》の青いランプがついて、プログレが変身する。3ℓ、ストレート6DOHCがクオーンと咆哮しはじめたのである。飯嶋さんもニヤリとしている。

「良い音、しますね」
「うん、プログレ・ミュージック!」
「嬉しそうですね」

 飯嶋さんは、かなり年季の入ったM3のオーナー、そして『自動車エンジンの基礎知識』と『自動車メンテとチューニングの実用知識』(どちらも日刊工業新聞社刊)の著者である。わかってくれている。







 多摩川を渡った。多摩丘陵南端の緩やかなアップダウンを東京料金所まで、プログレNC300 iRバージョンはODOメーターに「111100」の数字を刻みながら、いつもよりちょっとヤンチャに駆け抜けていった。

 予定通りに、トイレタイムを兼ねて、港北SAに滑り込む。「111107」か。もうすぐだ。イグニッションKEYを飯嶋さんに託して、後部座席からNIKONでその瞬間を待つことにした。なんだか妙にはしゃいでいるおのれに苦笑した。と、不意に湧いてくる想いがあった。
 
 あれは4年前、一旦は、このプログレを手放すつもりで『プログレへの別れ話』(こちらからどうぞ)を「みんカラ」に記しながら、話はやがて開発者であったTOYOTAの重鎮・和田明広さんに及んでいったあの頃、そして新車価格460万円強でわたしのもとへやってきた2000年の頃をなぞりはじめていた。




*初めてのロングドライブは2000年10月、四国への「ルーツ探訪」のお供だった。

 この機会に、いま一度、プログレとの関わりをおさらいしたくなってきた。
                  (以下、次回へ)
Posted at 2017/03/08 15:16:12 | コメント(6) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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