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2017年02月13日 イイね!
ベストカーからの『恋歌』に心ふるわせて…〜週刊現代連載小説『新 青春の門』と結ばれる一本の糸〜


 今にも暗い空から白いものが舞ってきそうだった木曜日の夕刻、つまり2月9日にいつもの年より早めに厄介な「確定申告」を終わらせることができた。この10年を、お世話になっている「青色申告会」で、始めから指導・担当を受け持ってくれたMさんは往年の(?)ベストカー愛読者で、手続きの終わったところで、こう訊ねてきた。

「今年の仕事始めとしてベストカーへ行って、かつて連載中の『疾れ! 逆ハンぐれん隊』に夢中だった読者あてに、電子書籍の『Premium版』ができるので紹介してと頼み込むつもりだ、と「みんカラ」で予告してありましたが、あれはいつ掲載されるのですか?」
「ありがとう。そこまでご存知とは! 明日発売の3月10日号です。どんなページになっているか楽しみにしていてください」

 嬉しいじゃないですか。その上、赤いスイフトRSで佐倉まで行ったのもご存知だった。そんなこともあって、心待ちしていた2月10日、そのオープンする時間を見計らって、駅までのだらだら登りの坂道を、この日は明るい日差しに包まれながら弾む足取りで駅前書店へ……。



 この書店にはクルマ関係の専用棚があるのが嬉しい。目勘定で5冊の「ベストカー」が積んであった。表紙には「新型SUBARU XVカタログ」のタイトルが派手に謳ってある。『SUPER SPY SCOOP』という懐かしい嗾しかけ見出しが、ペラペラとめくったカラーグラビアの扉ページで躍っている。そうか、正式発表は4月6日か。で、こちらの手は勝手にページをめくる。

 活版の見開き144〜145ページで、ピタリと止まった。右がフジスピードウェイの開設50周年記念イベント(3月12日=入場無料)『富士ワンダーランドフェス』の告知で「歴史が、伝説が、ここによみがえる」と呼びかけている。そして左側で……。

 ベストカーガイド時代の人気連載
 30年の時を経て電子書籍で帰ってきた!
 疾れ! 逆ハンぐれん隊 五木寛之
 本誌初代編集局長:正岡貞雄が電子化実現

 OH! ビューティフル! 本文の文章も配慮が行き届いている、というより率直な、その頃の空気で育った人でなければ書けない想いが、そこに弾けていた。

 ミハル&ジロー、名車バトル
 手に汗握ったコーフンが再び…

 長年ご愛読の皆様には懐かしいタイトルでしょう。本誌がまだベストカーガイド時代だった‘85年7月、月2回刊を記念して始まった連載小説が、五木寛之先生の痛快カーアクションロマン『疾れ!逆ハンぐれん隊』である。
 わたせせいぞう先生のイラストを表紙とした単行本、文庫本も当時、トレンディで話題となった。若き日、興奮しながら読んだ方も多いと思う。
 そして30年の時を経てついに電子書籍となり、気軽にiPad、タブレット、スマホなどでも読めることになった。
 電子書籍の実現には、本誌初代編集局長の熱い想いと奔走があった。

 そんな前置きをしてくれたところで、五木さんの「読み出したらブレーキが効かなくなる」この小説に加えて、パートごとに登場するクルマや著者お気に入りの車を中心に文化的背景などを語る、徳大寺有恒氏、黒澤元治氏、初代編集局長とのトーク集が入り、各章扉ページにはスタイリッシュな写真が入り、付加価値が高いのである、とまで紹介してあるではないか。

 そして、感激的なトドメを。この電子書籍の配信元『ぽらりす e-Books 名作ガレージ』(コンテン堂モール専門店)に簡単に「訪問」できるQRコードまで掲載してくれる心配り。このベストカーからのラブコール=恋歌にわが心はジーンと熱く震えてしまった。それは創刊以来、ベストカーへの協力を惜しまなかった五木さんへの感謝の念が、今もなお、ベストカー編集部に醸成されている証しでもあった。


 
 当然のように、1冊をピックアップした。でも、まっすぐレジへ向かったわけではなかった。もう1冊、買って置きたいものがあった。オンセール中の週刊現代(2月18日号)である。五木さんが23年ぶりで再開した『新 青春の門』の第九部『漂流篇』も第3回目に……。そのスタートした第1回については、すでにわたしの『みんカラ』では、こう触れてあった。

 ———−いよいよスタートした第九部『漂流篇』。舞台となる場所はシベリア。
 それに備えて、改めて第八部『風雲篇』を書棚から取り出している。物語は、裏ルートに便乗して渡ったシベリア・ハバロフスクから馬に乗ってイルクーツクを目指す信介が、同行のロシア娘との「熱い渦巻き」にのめり込むシーンでフリーズしている。だから、五木さんがどんな書き出しを用意してくれたか。ドキドキしながら『週刊現代』の活版ページ、100P目を開く……。



『バイカル湖への道』という小見出しタイトルのついた見開きページの左側から、いまの「時代の寵児」SUVまがいのクルマが、崖際を右回りしながらこちらへむかって疾走してくる。嬉しいね。いきなり、ソ連製の4WD車、ワズの登場だ。今回の書き出しも、クルマからはいっている。五木さんの得意技の一つである。次回は、このワズ450Aがなぜこの物語を牽引していくのか、からはじめたい。(この項、つづく)と。

 この「次回」に書き継ぐために「第3回」を購入しようとしているのだが、その前にちょっとばかり驚いた出来事があったので報告しておきたい。実はその準備のためにGoogleで「ワズ450A」を検索すると、そのトップに、わたしのアップした「五木寛之『新 青春の門』がスタートした日」が収まっているではないか。

 それはそれで光栄なことだが、こちらの目的は別にあった。たしか、かつて小沢コージ君が「ワズ試乗」のレポートがあったはずだが、と検索するつもりが、いきなりこの出来事。悪くないね。で、その結果は?

 右往左往してやっと探し当てたのがこれ。
『走るシーラカンスに試乗 ロシアが作るバン、UAZ』(小沢コージ)


  PHOTO BY 中野英幸

 これはみんカラの本家にあたるCarviewの編集記事欄(2011年9月22日)所載の得難い読み物となっているので、ぜひこちらへどうぞ。

 第3回目は「さすらい人」の小見出しのついたもので、こんな「あらすじ」付きではじまっていた。

1961年、夏の終わりのシベリア。足を負傷した伊吹信介はドクト ル・コジヤーエフの世話になっていた。KGBの検問をドクトルの機転で突破した信介たちは、バイカル湖へ向かい車を走らせる。

さすらい人(びと)の歌

 検問を無事にくぐり抜けたことで、信介はようやく落ち着きをとりもどした。さっきま でドクトルにきこえそうなくらいに、心臓の鼓動がはげしく高鳴っていたのである。
 ひと安心したせいか、急に眠気がおそってきた。四駆の太いタイヤから、リズミカルな振動が伝わってくる。信介はいつのまにか、しばらく居眠りをしていたらしい。

 信介は夢を見ていた。幼いころ、父の伊吹重蔵に背おわれてボタ山の山裾を駆けている夢だった。

 赤い香春(かわら)岳が見える。タエの白い顔が迫ってくる。
〈待たんかい〉
 と野太い声がした。筑豊の新興やくざ、塙竜五郎の声だった。
 いつのまにかおぶわれている相手が、父親から義母のタエに変っていた。二人は小高い 丘の上にいた。目の下に炭住と呼ばれる炭鉱労働者の住 宅が見えた。住宅というより長屋 といったほうがいい粗末な建物である。そこが信介の生まれ育った 筑豊の土地だった 。 遠くの道を、白い花輪と黒い人影が見える。その行列はボタ山の下を、ゆっくりと進んでいく。
(あれは、なんばしよっとね)
 信介はタエにたずねる。
〈骨噛(ほねか)みたい〉
〈 ホネカミ?〉
〈 ああ。骨噛み〉
〈 骨ば噛むとね〉
タエはしばらく黙っていたが、ぽつんと言う。
〈落盤事故で、人が死なしたと〉
信介はなんとなく恐ろしくなって、タエの白い肩に顔をうずめる。タエは化粧をしていなくても、なぜかいい匂いがした。

「 おい、イブーキー」
  耳もとで呼ばれて、信介ははっと夢から目を覚ました。
「 あれがバイカル湖だ。見えてきたぞ」
「 バイカル湖――」 信介は目をこすって、ドクトルの肩ごしに青く光る湖面をみつめた。
(これがバイカル湖か)窓をあけると、冷気が勢いよく吹きこんできた。思わず胸が高鳴るのをおぼえた。信介にとってバイカル湖は、憧れの湖だった。
 一九五〇年代の学生たちにとっては、パリのセーヌ川よりも、カリブの海よりも、シベ リアのバイカル湖のほうがはるかに心をそそる神秘な存在だったのだ。
☆      ☆      ☆      ☆
 フウっと一つ、大きなため息がでた。「ワズ」については、「四駆の太いタイヤから、リズミカルな振動が伝わってくる」と、主人公が眠りの世界に落ちてゆく舞台装置に使われているだけだったが、早々と心の拠りどころである「ふるさとの山」が登場してきたのに驚いていた。



 五木さんは最近のインタビューで「主人公が29歳で筑豊に帰った時が、この物語の終わりだと思っている。ふるさとの山と向かい合う峠から、彼のふるさとを見下ろすところで」と語っているが、その布石が始まっているな、と感じ取ったからである。

 ともかく、クルマをメディアとして物語を動かす、この小説書きの名手が、その時、どんなクルマで伊吹信介が香春岳と向き合わせることになるのか、今から楽しみにしている。

その辺のクルマたちとの絶妙な絡みこそ、実は今回の電子書籍PREMIUM版の中で、改めて「五木ワールド」として構築したところに満載しているつもりなので、ぜひ機会を作って味わっていただきたい。


*こちらへどうぞ

 たとえば『メルセデスの伝説』(講談社刊)では、アウトバーンを、メルセデスの黒い280Eが、デュッセルドルフからフランクフルトを経由して、シュツットガルトヘむかってぶっ飛んでいくところを、徳さんたちと語り合う。さらに五木さんが1985年(S.60)に単行本化した『風の王国』(新潮社刊)は、主人公の駆るメルセデス300GDがパトカーに呼び止められるスリリングな場面で書き起こされるシーン。
――背後でスピーカーの耳ざわりな声がひびいた。ミラーのなかに赤いライト
が点滅している。
「品川ナンバーの白い車、左へよって停止しなさい」
 速見卓はブレーキをふんだ。さっきから追尾してくるパトカーに気がついては
いたのだ。だが止められる理由がわからない。
〈まずいことになったぞ〉





 それらはPREMIUM版のPart3『闇の巨宝を奪回せよ』編に収録されているのを、ぜひ知っていただきたいし、今後も手がけていく Part9以降も、ハワイでのスープラ(セリカXX)や、フェアレディZX Turboの試乗記や、五木寛之vs,わたせせいぞう対談など「宝の山」を公開してゆきたい。ベストカーからの「恋歌」に励まされながら……。
Posted at 2017/02/13 15:43:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | ベストカー時代 | 日記
2017年02月07日 イイね!
「自由時間」70分を HYBRID RSで楽しむ〜『北総の小江戸』と近頃評判の佐倉へ〜

 海浜幕張駅の脇を抜け、湾岸千葉ICからのった東関東自動車道をスイフトHYBRID RSは快活に疾走していた。

 ボディカラーは情熱を感じさせる緋色で、メーカーではそれに『バーニングレッド・パールメタリック』の呼称を与えていたが、率直に言ってMAZDAの『ソウルレッド』に比べると、もう一つ、ハートに迫ってくる深みに欠ける印象だった。が、走るリズム感は悪くない。VWゴルフのもつFFスポーツのDNAが学習され、しっかり移植され尽くした印象である。



 千葉・木更津方面と分岐する宮野木JCTの手前では、京葉自動車道へむかうクルマの流れでいくらか渋滞したものの、そこを抜けると再び快適に、成田方向を目指す……。

 さて、足元の動きはどうだ? 
 開発陣はヨーロッパの道で走りこみ、鍛えてきたRS専用の足元のチューニングを、しきりにアピールしていたが、100kgを超える軽量化もあってか、アップテンポのミュージックを聴きながら、ちょいとスラローム・テストしたくなる、悪戯っぽい誘惑が……。

 ま、そんなアホなことができるわけはないじゃないか。おのれを叱った途端に少しばかり、車線をはみ出したようだ。ピピピッと警報で注意を促してきた。メーカーオプションだけど、セーフティーパッケージが用意されているわけだ。「単眼カメラ+レーザーレーダーが、いつでもあなたの走りと万一の危険を見張っている」とアピールしていたご自慢の一つだ。特に「前方衝突被害軽減ブレーキアシスト」と「自動ブレーキ」の機能は、この200万円を切るコンパクトクラスで手に入るのだから、有り難い。

 幕張を出て20分。四街道ICまで「あと2km」の標識。Carナビで四街道ICから佐倉へむかってR136が伸びているのを確認する。

 佐倉は、利根川南岸沿いにあって、「江戸防衛の東の要衝及び西方面より西国大名に江戸が攻撃された際の将軍家の退避処として徳川譜代有力大名たちが封ぜられ、幕府の老中職についた大名が徳川各藩中最多を数えたことから、俗に『老中の城』とも呼ばれ、それとともに城下町も栄えました」(佐倉市公式Webより)とあるが、プロ野球界で永遠の輝きをもつ長島茂雄の生まれた町として有名だろう。
 わたしたちの世代では講談で、処刑覚悟で佐倉城主の悪行を将軍に直訴した「義民・佐倉宗吾」を知る程度だが、運河沿いに立ち並ぶ古い商家の風情は、なかなかのモノだと聴いていて、一度は訪れてみたい町の一つであった。近頃は「北総の小江戸」として注目されはじめた町でもある。


*GOOGLE MAPより



 四街道ICで降りると、すぐにR136が正面で待機していた。左折してすぐのY字型の交差点で右手へ、「物井・佐倉」方面を選ぶ。適当なカーブを描いて小高い丘を駆け上がり、下っていく。左手は小ぶりな工業団地や学校が適当に陣地取りをし、右手には一般住宅が肩を寄せ合っている。どうやら細長い丘陵地帯で、その背骨に当たる部分をR136は走っているらしい。

 珍しく交差点の赤信号にぶつかった。アイドリングストップでストンと回転計の針が真下に垂れしまう。
 青になった。アクセルON。まったく再始動のショックもノイズもない滑らかなスタートぶりである。
 どうやらマイルドハイブリッドはエンジン駆動の支援から、メーターなどの電装品への電力供給など、さまざまな役割を担っているようだ。アイドリングストップした累積時間と積算節約燃料がmlの単位で表示されるのが、新しい。


*GOOGLE MAPより

 スイフトRSは丘陵から駆け下りたようで、視界いっぱいに冬枯れの水田地帯が広がっている。佐倉の町の中心は、まだまだ先のようだ。時間が足りない。諦めて引き返そうか、と車速を落としたところで、左前方に小ぶりだけれど白いアーチ風の橋が目にとまる。そろそろ、ここまで来ました、という証拠写真を抑えていたかったので、肚がきまった。 

 鹿島川大橋と呼ばれる白い橋。真っ直ぐ行けば臼井という町へ通じるらしい。長島茂雄が育った町がそこだった。が、本日は断念。それよりも撮影のために駐めたあたりの背後の小山は、間違いなく、かつては古墳だったに違いない。もっこりと森が盛り上がっている感じで、絵になった。





  そのあたりを羽鳥と呼んで、神社や寺院が木々の間に散在しているなど、なにやら由緒のある妖しげな地域であるらしい。いつか再訪して確認したい。

 さて引き返そうか、とRにシフトギアをセットして嬉しくなった。ナビ画面が後方と、真上から見下ろしているかのような映像を映し出してくれる。これなら後方確認はバッチリだ。



 残りの時間は30分か。
再びR136に復帰して、四街道ICまで大急ぎで引き返す。

 スイフトのランナバウトしての立ち位置は、今回の新型を創り上げたことでさらに「磨きがかかった」と評したい。

 東関東自動車道をクルージングしながら、スイフトRSの
 この頃は、航空機を使う旅の場合は、空港からのレンタカーを、ホテルとセットでネット予約することが増えた。だからレンタルしたクルマがコンパクトクラスなら、何になっているのか、いつも楽しみにしてきた。

 TOYOTA車ならプリウスかヴィッツ、HONDAならFIT。日産はノートあたり。MAZDAならDEMIO、そしてSUZUKIならスイフト。そんななかでもっとも気に入ったのが、去年の5月にしまなみ海道にある《海賊の島》へ行ったときのスイフトだった。その時の先代スイフトの写真と今回のNEWスイフトとを見比べて見たくなった。何かが感じとれる予感が湧いてくる……。

●註:「海賊の島へ」はこちらからどうぞ。





 あ、そうだ!あの時の《海賊の島へ》はあのままになっている。あのつづきは、是非とも仕上げておかなければならない内容だった。

 幸い、持ち時間70分を2分残して、HYBRID RSは幕張の基地に帰着することができ、ランチにありつくことができたのである。

 午後はRSのもう一台、1ℓターボ、6ATのRStを試す予定が待っている。午後も同じコースをとって、佐倉の町まで再挑戦するのも悪くない。しかも「四街道IC」のもう一つ先に「佐倉IC」があったのである。それなら持ち時間の70分でも往復するのは可能かも知れない。

 さてどうしようか?


                       (この項、おわる)
Posted at 2017/02/07 11:06:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
2017年02月01日 イイね!
5速MT新型スイフト RSを味見しに行かないか?〜たまにはマニュアルのクルマで走りたいね〜

 ひと頃、みずからに課した「自粛」の鎖から解き放たれたSUZUKIがえらく元気じゃないか。年末に発表し、1月4日から発売をはじめたスイフト(全面改良)の特別試乗ミーティングを、幕張でやるので来ないか?と誘ってきた。

 1月27日はそのため、ほかのことはすべて断って、それに備えた。提示された3つの時間帯から、真ん中の「午前10時20分」からの枠を選ぶ。
 


 さて、幕張まで、8時から9時台に都心を抜けて、首都高速湾岸線から東関東自動車道にはいるコースは、時間が読めない。それならば、いっそ電車を利用するならどうだろうか?
  
 ここからは、ご一緒に「試乗ミーティング」に同行している気分でおつきあいいただけるよう、レポートしてみたい。

 当日の朝は、強い北風が吹き抜けていた。最寄りの駅まで首をすくめて早足で……。8時01分発の新木場方面行きに乗れば、有楽町下車、元は都庁が建っていた国際フォーラムにつながる地下道を利用すれば、東京駅からのJR京葉線にはすんなり接続できる。9時10分発の快速は、海浜幕張駅に9時44分に着く。これなら充分、余裕たっぷりだ。


 7時55分には通勤、通学の人たちにまじって、駅のプラットホームに。なんと、シニア優先席が空いている。遠慮せずに利用させていただこう。

 読みかけの新書版を取り出す。『松本清張の残像』(文春新書)の著者、藤井康栄さんは週刊文春の女性編集者で、同時代に同じように松本清張という巨星を担当し、今では北九州市立松本清張記念館の館長を務めておられる。清張さんの声が耳元に甦ってくるようなエピソードの数々にのめり込みそうになって、はっと気づくと、電車は「桜田門」を通過したところだった。 

 次の駅、有楽町から真っ直ぐ東京駅のもっとも西側にもうけられたJR京葉線の改札口を目指す。

「快速なら、急げば8時52分発にのれますよ」
 海浜幕張に快速は停まりますね、と念を押すと、改札口に立っていた駅員が一本前に同じ快速のあることを教えてくれる。到着は9時30分だった。15分ばかりを得をすることになるのだが、これが予期しない幸運をもたらせてくれる。

 あっという間の30分。車窓の右側に馴染みのある建物群が現れた。幕張メッセだ。その向こうにチラリと円形のスタジアムが……千葉ロッテの本拠、マリン球場じゃないか。



 さて、海浜幕張着。この駅に降り立ったのは初めてのはずだ。試乗ミーティングの基地、幕張ホテルニューオータニを目で探すと、駅前ロータリーから海側にむかってすぐ左の、のっぽホテルがそれだった。隣接する駐車場スペースの奥まったあたりに、カラフルな小型車がズラリと整列して出迎えてくれる。家を出てから、まだ2時間は経っていない。




 広報の神原課長が手招きしている。傍らにブラックのNEWスイフトRS。ハニカムメッシュ造形のラジエータグリルと赤いラインの面構え。
 ピンときた。特別に用意してある5速マニュアルシフト装着車に違いない。

「第2グループは10時20分からです。よかったら、それまでこれでその辺を一回りしてきますか?」

 遠慮なく5MTのRSに乗り込む。
 エンジンをかけなくてはならない。最近のMT車はTOYOTAオーリス以来だろうか。エンジンスターターを押す前に、しっかりクラッチペダルを踏みこみ、同時にブレーキペダルも。そしてスターターボタンをプッシュする。
 と、一瞬の間を置いて、RSの1.2ℓの自然吸気エンジンが歓迎のエールを送ってきた。
 レーシングすると、結構、男っぽいバリトンの喉を震わせて、さあ行こうか、とこたえてくれる。




 
 5分後、幕張メッセ脇の3車線通りを海岸方面へ左折すると、スルスルと白バイが追走してくる気配。仲よく次の交差点まで3速ホールドで併走することにした。
 
 次の交差点で、白バイは左折する。こちらは右折して、海岸沿いの長い直線道路を3→4→5と、ゆったりシフトアップしながら、ギアの感触と、ペダルワークの連関を楽しむ。足元の踏ん張りも好ましい。おお、久しぶりに手と足と目が一体化してドライビングしている。いつ以来かな?

 その瞬間、思い出した! アルトワークスの5速MTがあったじゃないか。それが、まるでVWゴルフの味つけを移植したかのように、ひと回り成長して逢いに来てくれたような、親しい感覚……。加えて、足元の空間にゆとりが感じられるのはなぜだろう? 多分、開発陣も出席するだろうから、確かめたいな。


*1,2ℓ DOHC 吸排気VVT メーカー希望小売価格(消費税込み) ¥1,594,080

 基地に戻ると、ミーティングの開始時間が迫っていた。
「どうでしたか?」
 と、神原課長。
「うん、ステージが長尾峠ルートだったら、もっと楽しかっただろうね」
 こちらの答えにニヤリと破顔すると、プレゼンテーション会場へ誘導する神原さん。そうか、本番はこれからだった。







 新型スイフトの商品説明は、スライドによるプレゼンテーションに譲ろう。率直にいって、インドからの『帰国子女』バレーノで開発したプラットフォームをやや短縮して採用、グローバルコンパクトカーとして改良・進化(大胆な軽量化など)させたのが今回の「新型スイフト」だろう。それはそれでいい。ともかく、実車で外へ飛び出し、味見させて欲しいよ。 
【註:バレーノについては《『帰国子女』を乙女峠のワインディングに誘う》をご参照ください】







 まず、今回の「目玉」であるHYBRID RSを予約しておいた。1.2リッター直4+マイルドハイブリッドシステムと、すでに「バレーノ」に搭載されている1リッター直3ターボ仕様(ただしレギュラーガソリン仕様に変更済み)の2台。いずれも欧州で足腰をチューニングしたRS系だとか。
 与えられた時間は70分。ともかく東関東自動車道にのって、成田方向を目指そう。四街道ICあたりで降りて、そこから引き返せばちょうどいい。時間によれば、佐倉の古い街なみに足を伸ばせるかも知れない。




*佐倉郊外にて HYBRID RS 1.2ℓ DOHC 吸排気VVT(マイルドハイブリッド)2WD CVT ¥1,691,280

 基地から幕張の街へ出た。最初の交差点で停止して、「おや?」と気づく。アイドリングストップ機構が搭載されているのだ。そうか。マイルドハイブリッドにはそれが採用されているのだ。いろいろと「運転支援」装置もオプションされているみたいだが、それだけ、SUZUKIのこのフルモデルしたスイフトに託した想いが感じとれるではないか。

 いよいよ、高速自動車道に入る……。ご機嫌な時間が待っていた。
                   
                             (この項、つづく)


 
Posted at 2017/02/01 16:08:11 | コメント(7) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
2017年01月28日 イイね!
『クルマ雑誌は、死なない。』に拍手を!〜『NAVI CARS』3月号がとても光っている〜 


 RJC「若手組」の希望の星、飯嶋洋治さんと久しぶりにおしゃべりをしながら、1月24日の夜、「両国駅」から地下に降りて、新宿・都庁方面行き都営大江戸線の乗客となっていた。

 午後6時30分からはじまった懇親会は、両国・隅田川のほとり、ちゃんこ鍋自慢の「吉葉」。ここは大相撲解説者に成り立ての頃の舞の海と、漫画家、釣りキチ三平の矢口高雄さんとの対談構成者として使ったこともあって、この日の催しを楽しみにしていた。欠点は専用の駐車場がないこと。それを知っていたので、この日のプログレには留守番を申しつけていた。 


*割烹 吉葉は、座敷の代わりに土俵が。元は宮城野部屋で、往年の名横綱・吉葉山ゆかりの「両国名所」

「吉葉」は平日にもかかわらず、えらく流行っていた。ただし、楽しみにしていた午後7時過ぎからの催しとして評判の『相撲甚句』はお休みで、残念ながら若い姉妹による『津軽三味線』の日に当たっていた。

 しかし、ここの「ちゃんこ鍋」は絶品。珍しくワインを赤と白もちょっといただくなど、はしゃいでしまった。そうか、この日は『プログレ抜き』だから、その気になったわけだ。そのせいで、いつもより口が軽くなっている。

 幸い、一人分だけ空席があった。コーナーではかなり揺れる。
「このごろ、仕事のほうはどう?」
 つり革に掴まりながら飯嶋さんが、嬉しそうに報告してくれる。
「今度、NAVI CARSの注文で“自動車雑誌、100年ものがたり”を書かせて貰いました。そこで正岡さんのことも、ちょっと触れさせていただいています。26日の発売です」

「おお、NAVICARSは切れ味があって注目している雑誌です。徳大寺さんが亡くなるちょっと前に出演したトークショーを、代官山蔦屋書店でやってからずっと……楽しみに読ませて貰います」

■ その時の模様は、こちらを参照されたし。
『徳大寺有恒、という生き方。』ドラマの共演者たち

 飯嶋さんには3年前に上梓した『モータリゼーションと自動車雑誌の研究』(グランプリ出版)があり、その際に取材を受けてから、親睦が深まっている。26日が待ち遠しかった。

 1日置いての26日は、朝から心臓冠動脈カテーテル施術でお世話になった大学病院で、メインテナンス検査を受ける。自転車を漕ぎながらペダルに負荷をかけ、その影響を心電図で計測したり、CTスキャン用のカプセルに閉じ込めたりと、結構時間がかかって、解放されたのは午後の2時過ぎだった。



 改装オープンした駅前の書店で、早速、NAVICARS 3月号を購入。まず、表紙が印象的だ。COVER MODELの内田理央がベントレー・GTスピード・コンバーチブルのナビシートから『NAVICARS』を左手に抱いて、こちらを見つめる。
そして、赤抜きのタイトル『クルマ雑誌は、死なない。僕らが愛する「自動車雑誌」の現在・過去・未来』が好戦的で、よっしゃ、という気にさせる。

 巻頭のページ。河西編集長の『VOICE from editor』に初っ端からハートを射抜かれた。いきなり“覚悟”を宣言している。

————雑誌編集者という仕事をするようになって四半世紀が経つ。だがこれまで一度だってそれに飽きたり、つまらないと思ったことはない。“天職”というのは不遜かも知れないが、僕はこの仕事に出会うことができて、本当によかった。そして気力と体力が続く限り、一冊でも多くの雑誌を作り続けていきたいと思う。

 なんだか、自分の気持ちを代弁して貰ったようで、先を急いで読みたくなった。
河西編集長と逢ったのは、多分、先に触れた徳さんの「トークショー」の時だけだと思う。が、NAVICARSを通して何度もコンタクトしている気分でいた。

 徳さんの特集40ページを組むにあたって、トコトン徳さんの書いたもの、しゃべったものに触れたところで「その人生において、時間も、お金も、すべてをクルマに注いだ稀代のカーガイは評論家である前に一人の“クルマ好き”でもあった。そしてその言葉は、いまも僕らの心に響く」と締めくくった彼に、あのときも連帯の熱きエールをおくってしまった記憶がある。そして今回は……いやいや、それは実際にNAVCARSを手にとって読み取ってほしい。



 柱の大特集の『クルマ雑誌は、死なない。』は数えてみると、丁度50ページ。力が入っている。最初に登場するのが、河西編集長の育ての親、鈴木正文さんだ。いまは『GQ JAPAN』の編集長だが、海事関係の業界新聞から『NAVI』の創刊時にスタッフ入りし、1989年に編集長、そして一時フリーとなったあと、2000年に新潮社から『ENGINE』を創刊、軌道に乗ったところで転身して現在に至っている。間違いなく、飛び抜けて異才の人だ。河西編集長の聞き書きらしいが、途轍もなく面白い。クルマ雑誌の今もこれからも「もはや定形はない。」といいきっている。 

 鈴木編集長の発想の元をご本人の言葉で、こう探っていた。
————雑誌を作るとき、基本的には今のシステムでうまくいっている人たちのことはあまり考えない。そういう人たちは別に雑誌を読まなくてもハッピーなわけでしょ。だから、いろんな分野でなんか問題を感じている人、成功していようがいまいが、どこかでなにかをよくしたいという意志を持っている人たちですね。そういう人たちの問題意識と響き合うものだったら、なんでもいいと思っていました。

 鈴木正文さんは最後に言い切っていた。

————自動車は多面体だから、どこに焦点を当ててもいいと思います。要は編集者なりジャーナリストの目の付け所ですよね。もはや「定型」も「正解」もない時代です。テーマは無限にあるはずです。(中略)どこかで時代につながり、クルマとつながるわけですから。「NAVI」もそうしていました。縛られることなく、最後に責任をとるのは自分だから、自分のやりたいことをやるのがいい。やりたくないことはやらないということです。雑誌は誰かに頼まれて作っているわけじゃないから。



 鈴木編集長に続いて、創刊55周年を迎える老舗カーマガジン『CAR GRAPHIC』の四代目編集長を務めた加藤哲也さんも登場する。休刊の危機に追い込まれていたこの雑誌を、失くしてはいけない、と自らが会社を立ち上げて「事業」と「版権」の譲渡を受けて新生を目指した編集者の想いをきき出している。
 
 フットワークも忘れていない。「業界の不夜城」の異名を取る、月2回刊の「ベストカー編集部」に潜入、その実態をレポートしてくれている。



 さて飯嶋洋治さん執筆の『自動車雑誌、100年ものがたり』はどうなっているのだろう?
 2見開きで、それぞれの時代に登場した自動車雑誌の消長を、年表風にビジュアルにまとめ、各ページの下一段で飯嶋さんが解説を展開していた。
 明治生まれの自動車雑誌。つぎに「日本の経済成長とともに」の章で、以下のように触れてくれていた。

————この年(註:1977年)には「ベストカー・ガイド」(三推社・講談社)が創刊されたことも見逃せない。中心となったのは、講談社で「月刊現代」の編集長などを務めた……などと私の名前を挙げ、読者と膝つきあわせて話す一つのメディアとして「クルマ」 があるのではないか?という発想があったところ、クルマ好きの作家の五木寛之に後押しされたことが一因という。同誌はその後も自動車評論家の徳大寺有恒らを擁して、現在の「ベストカー」につながっていく。



 一冊の雑誌が、こんなにも充実していて、刺激をもたらせてくれたのは久しぶりだった。満ち足りた想いで、その日(27日)の午前0時00分になるのを待った。
 ぽらりすe-BOOKSクルマ仲間『名作図書館』にまた新しい「星」が加わることになっていたのだ。
 
 CONTEN堂の味戸さんからのメッセージ。

 Part8は、1/27(金)0:00より、
下記URLにて配信が開始となります。
https://contendo.jp/store/polaris/Product/Detail/Code/J0010123BK0058908008/

 どうぞ、そのURLをポチッとやっていただけると嬉しい。


 
  今回の「PREMIUM版」は『ゴーストカーの秘密』の区切りとなる各章の最後に、五木さん、徳さんとの鼎談に私のレポートをジョイントさせた『欧州迷走3000キロ』を添えている。以下のように……。

1 疾れ! フレンチブルーの『ブガッティ』
2 旅の目玉都市・ナンシーの妖しげな夜
3 デュッセルドルフで面白ゾーン発見!
4 世紀末の『悪い予感』の正体

 ちょうど、40年前に芽生えた五木さんの「後押し」が、こんなかたちでまた一つ、実を結んだわけである。  
                                      (この項、おわる)
Posted at 2017/01/28 23:35:39 | コメント(2) | トラックバック(0) | ちょっと一服 | 日記
2017年01月25日 イイね!
五木寛之『新 青春の門』がスタートした日〜36歳のときに抱いた大志が、いまもう一度燃え上がる〜


 待ち焦がれていた23年ぶりの「連載」再開である。
 
 1月23日付け朝日新聞の見開きスポーツ欄は大相撲の稀勢の里が、白鵬を土俵際で屠(ほふ)ったシーンを大きく扱っていて、その真下で、右ページに週刊ポスト、左に週刊現代とそれぞれの全5段広告が踊っていた。その中から、わたしが確かめたかったのはただ一つ、五木寛之さんの『新・青春の門』が、この号から情報通りに掲載されているかどうか、であった。



 そして……ありましたぞ! 「はやくも話題騒然」という嗾(けしか)けのコピー付きで「第9部 漂流篇」の連載がスタートしたことが告知されていた。

 早速に、近くのファミリーマートまで、朝の散歩をかねて足を運んだ。430円で手にした『週刊現代』2月4日号。パラパラとめくってみる。カラーがおわって、モノクロのグラビアページへ。編集部もしっかり連載開始に連動したページを用意している。



 その扉ページ……いまのままの五木さんが、それでも背筋をピンとはって、こちらへ向かって、深いまなざしでなにかを語りかけてくる。

 36歳のときに抱いた大志が
 いまもう一度燃え上がる。
 なぜ再び筆を取ったのか———。
    熱い決意を語る。

 そして、タイトルがついている。

『新 青春の門』 五木寛之 84歳、いまだから見えるもの

 そのあと7ページにわたって、五木さんからのメッセージやら、48年に渡る『青春の門』の軌跡、映画・テレビドラマを彩った女優たちをたっぷりと紹介している。





 いいねェ。これは自宅に戻ってから、小説を読む前にジックリと賞味することにしよう……。寒い夜に焼き立てのサツマイモをふところにしたのに似た想いで、やって来た道を引き返す足取りのなんと軽かったことか。 

 “去りし昭和の夢と青春”−−− 23年ぶりの執筆再開にあたって

 この物語の第一部がスタートしたのは、一九六九年のことだった。連載の舞台は、同じ週刊現代である。
 それから半世紀ちかい年月が過ぎた。幾度かの中断をへて、第八部まで書き続け、それから二十三年のブランクがあった。
 そして今、新たな構想のもとに、第九部が再起動する。考えてみればとほうもない話である。五〇年の歳月をかけて一篇の長篇を書く機会は、作家にとってそうあるものではない。まして同じ舞台で連載できるというのは、希有な幸運というべきだろう。

 五木さんの気持ちは、裏返すと読み手の側からの同じ言葉でもありはしないか。


 
「青春の門」は細かくいうと1969年6月19日号が初出である。発売は6月初旬で、その時のわたしは一ヶ月に及ぶ気ままな『ヨーロッパ研修ひとり旅』からやっと帰ってきたところで、久しぶりに手にした『週刊現代』で「新連載小説」として登場した「青春の門」の書き出しに、魂を吸い取られてしまった。
 それは、いまでも、その何行かは、いまでも暗誦できるほどの風景描写ではじまっていた。ちょっとだけ、引用をお許しいただこう。
  ☆      ☆      ☆      ☆
 香春岳は異様の山である。
 決して高い山ではないが、そのあたえる印象が異様なのだ。
(ほんとうは、諳んじているのはここまでで、書き出し以下、原文の引用である)

 福岡市から国道二百一号線を車で走り、八木山峠を越えて飯塚市を抜け、さらにカラス峠と呼ばれる峠道をくだりにかかると、不意に奇怪な山容が左手にぬっと現れる。
 実際よりはるかに巨大な感じを与えるのは、平野部からいきなり急角度でそびえているからだろう。右寄りの最も高い峰から一の岳、二の岳、三の岳と続く。
 一の岳は、その中腹から上が、醜く切りとられて、牡蠣(牡蠣)色の地肌が残酷な感じで露出している。山裾のセメント工場が、原石をとるために数十年にわたって休まず削り続けた結果である。
 雲の低くたれこめた暗い日など、それは膿んで崩れた大地のおできのような印象を見る者にあたえる。それでいて、なぜか見る側の心に強く突き刺さってくる奇怪な魅力がその山容にはあるようだ。目をそむけたくなるような無気味なものと、いやでも振り返ってみずにいられないような何かがからみあって、香春岳の異様な印象を合成しているのかも知れない。





 かつて戦国時代に、この一の岳に築かれた不落の名城があったという。その名を〈鬼ヶ城〉と呼んだそうだが、いかにも香春岳にふさわしい異様な山城の姿が霧の奥から浮び上がってくるような気がしないでもない。
  ☆      ☆      ☆      ☆
 主人公、伊吹信介のふるさとは筑豊・田川に設定されていた。父親は炭坑夫。北九州・八幡生まれのわたしにとっては一山越えた炭鉱地帯を舞台としてはじまる新しい物語に、特別な想いがあった。わたしの父は4歳の時に、四国松山近郊の村から、筑豊の川筋の町・直方に移住し、青年期までを過ごしている。そして肝心なことは、主人公の信介の生まれたのと同じ年、つまり昭和十年(1935)にセメント会社は山を削りはじめている、とあった。ということは、信介とわたしは同級生であり、同じ時代の空気を吸いながら、青春期へと導かれるわけか。

 五木さんは「執筆再開」のなかで、こう書き綴る。
————第一部・筑豊篇の冒頭で、名山、香春(かわら)岳についてこう書いた記憶がある。
「やがていつかは、香春連峰、一の岳の名が、かつて筑豊に存在したいまはなき幻の名山として、伝説のように語られる日がやってくるのかもしれない」
 いまその予感は現実のものとなっている。世界も、人も変る。そして故郷の山や川も変るのだ。そんな時代に、はたして何か変らぬものがあるのだろうか。
 私は、ある、と思う。それは青年の苦悩であり、野心であり、未知の世界への憧憬だ。不安にみちた日々の中にも、明日への期待があり、混迷の奥にも希望がある」
 
 五木さんは、自らをすでに青春を遠くはなれた玄冬の果てにいる、といいながらも、だからこそ見えるものがあるように思われてならないのは、なぜだろうか、と胸を張っている。

 いよいよスタートした第九部『漂流篇』。舞台となる場所はシベリア。
 それに備えて、改めて第八部『風雲篇』を書棚から取り出している。物語は、裏ルートに便乗して渡ったシベリア・ハバロフスクから馬に乗ってイルクーツクを目指す信介が、同行のロシア娘との「熱い渦巻き」にのめり込むシーンでフリーズしている。だから、五木さんがどんな書き出しを用意してくれたか。ドキドキしながら『週刊現代』の活版ページ、100P目を開く……。

『バイカル湖への道』という小見出しタイトルのついた見開きページの左側から、いまの「時代の寵児」SUVまがいのクルマが、崖際を右回りしながらこちらへむかって疾走してくる。



 嬉しいね。いきなり、ソ連製の4WD車、ワズの登場だ。今回の書き出しも、クルマからはいっている。五木さんの得意技の一つである。次回は、このワズ450Aがなぜこの物語を牽引していくのか、からはじめたい。    
                           (この項、つづく)


Posted at 2017/01/25 13:58:50 | コメント(4) | トラックバック(0) | 還暦プラス青春の21歳 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音
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「こんな発見は嬉しいね。多分、朝5時半起きして7時40分からの新型ワゴンR試乗ミーティングに駆けつけたご褒美か。50分枠で調布「味の素スタジアム」を飛び出し、三鷹天文台あたりを一回りして戻りかかった時、左目に映った『近藤道場撥雲館』の文字。あ、新撰組近藤勇ゆかりの地がここにあった!」
何シテル?   02/17 15:39
1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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