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2011年06月24日

ユーノスレース・プレス対抗第1回 in FISCO






●ルマン方式ではじまったユーノス4時間耐久プレス対抗。歴史を重ねてもう20回を数えたのか。前回の優勝でゼッケン①を貰った第2回目、べスモ親孝行ユーノスのスタートを連続ショット(BM91年3月号より)

ここでちょっと一服、とまいりましょうか。

みんカラ SPECIAL BLOG』の顔ぶれを見て、これは「お仲間入り」のご挨拶をしておかなきゃ、と、ちょっと背筋を伸ばしてから、4人のメンバーに「コメント」を入れたのです。それぞれ、かつてご一緒に仕事をしたり、レースで鎬(しのぎ)を削りあった間柄です。

まず、ベストモータリング創刊時に、専属キャスターとして参画してもらった伏木悦郎さんは「孤立を恐れず、孤高に陥らず  からだとクルマ」とある。で、――大変ご無沙汰。相変わらず、言ってることも、やってることも骨太で、羨ましいくらいすっきりしています――と、正直な感想を伝えたのです。

ちょっと間をおいて、「かつては若かった僕も来年還暦を迎えます。ということは正岡さんは……まだまだですね(笑)」という嬉しいレスポンスがありました。そして締めくくる。
「これからは若い人が頼りの時代です。頑固にしかし聞く耳を持って‥‥これで行こうと思います」と。
それから日を置かず、6月20日付のブログに『やっとです』というタイトルで、1980年代からのご自分の活動を顧みた、何度も読み返したくなる一文を書きこまれていました。何が、いまの彼のテーマなのか、判るものがあります。近くゆっくり会いたいものです。清水和夫さんとは、すぐに「ホットライン」が開通。こんどゆっくりネ、と。

吉田匠さんは「CG編集部時代」からの顔見知り。『男は黙ってスポーツカー』か。男のダンディズムが、ちっとも衰えていないぞ。なぜ、仲間入りする気になったかを説明した後で、こう付けたしたのです。
「お仲間入りしました。ひょいと思い出しました。夕闇の迫ったFISCOのプレス対抗ユーノスレース。Bコーナーで匠さんにくっついたと思ってアクセルを踏んだら、出口でクルリ」

●丁寧な返信があった。

――正岡さんがメンバー入りすることで、僕がスペシャルブログの最年長ライターではなくなるので、なんとなくひと安心であります。(笑)ところでここにお書きのFISCOのユーノスレース、プレス対抗の第一回、メディアチームではなく、ジャーナリストの個人参戦イベントの話でしょうか? だとしたらあのときのFISCOはヘビーレインで、僕は序盤けっこういいポジションを走っていて、こりゃあ巧くいけば表彰台も夢じゃないなどと不埒な邪念を想い浮かべたら、その途端にめったにスピンしない僕が100Rでクルリと回り、順位を大きく落としてしまったレースですね。たしかあれはロードスターがデビューした1989年のことですから、もう22年も前の話なんですね。正岡さんのコメントのおかげで懐かしいことを思い出させてもらいました――


それはよかった。実は匠さんに見せたい1989年7月9日に撮影された「貴重な写真」を、ぼくは秘蔵しているんです。
その夕闇せまる、ヘビーレインの第1コーナーに飛び込んだユーノス軍団。先頭を行くのが同じゼッケン⑤、CGの熊倉さん。匠さんの白いマシン⑲が3番手。5番手が⑦の佐藤久実さん、その背後にいる⑥のぼくが7番手でした。



その年の暮れに正式のメディア対抗耐久4時間レースが筑波サーキットでスタートし、その優勝チームが「ベストモータリング」でした。大井貴之、田部靖彦に、編集長クラスが必ずはしること、という条件がついて、ぼくが狩り出されたのです。第2回目は2位。「業界最速軍団」の異名もその時、頂戴したのかな。
 
このモノクロの写真は「レースの鉄人」として、近年、すっかりレースファンに知られる存在となった安川肇さんから贈られたもので、写真を見せられるまで、ぼくもこの「個人戦」のことは失念していました。

そのユーノス・プレス対抗も20回を数え、出場チームの顔ぶれも、随分かわってきたことでしょう。ことしは是非、出場は無理だが、ピットを渡り歩いたり、スタンド側から観戦したりする機会をつくりたいものです。

さて、一服はここまで。気になるのは、佐藤久実さん。5月11日を最後に、更新なし。怠けては、駄目ですぞ。あのとき、あなたは何位でフィニッシュしたんだっけ。


 
ブログ一覧 | サーキットに生きる | 日記
Posted at 2011/06/24 01:38:15

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この記事へのコメント

2011年6月25日 0:32
メディア対抗4時間耐久レース……第一回にてベスモチームが優勝した時の映像を見ていると、大井さんと田部さんに挟まれてシャンパンファイトに興じる局長のお姿も映っておりました。

そして第二回からは、清水和夫さんが「極悪」の二文字を携さえてベスモチームの前に立ち塞がることになったと記憶しております。

そんな名門・べスモチームが消えてしまうのだとしたら、寂しい限りでございます……
コメントへの返答
2011年6月25日 9:12
ボデュウムの真ん中でシャンペンシャワーを浴びた唯一の「勲章」です。だから第2回目のときのチーム名が『べスモ親孝行ユーノス』としたわけですが、多分あれは田部君の命名でしたね。

クルマメディアの興亡を語るのに、このプレス対抗4時間耐久は欠かせません。

ことしはどうなんるのかなあ。ホットバージョンチームは出るでしょうね。
2011年6月25日 6:20
メディア対抗レース…
今では筑波がお馴染みですが
第1回は富士だったんですね。
そういえば、往年の名ドライバーが大集合した、富士レジェンドカップでのロードスターバトルも、面白かったなぁ。


しかし、ヘビーレインなコンディションで、しかもいい意味でも悪い意味でも、デリケートで華奢な足腰の初代ユーノス…筑波とはまた全然違った、楽しさとスリルがありそうです^^;

コメントへの返答
2011年6月25日 8:56
レジェンドCUPのほうは服部尚貴君の企画で、出場ドライバーが本気を出し過ぎて、ガンガン当てちゃったので、後始末がたいへんだったそうですね。
当ブログで、ピットの特設「レストラン」でお昼の弁当をとる話を、軽く紹介していますが、その時、ハッちゃんがこぼしていました(笑)

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「翔平177号目のニュースは秩父の蕎麦屋で手打ちの絶品を啜っている時に知った。虎は18時から雨の横浜でベイと対決、9回表、1-3とリードされていたのを代打糸原、近本、中野のヒットで満塁とし、それを森下の死球、大山の安打、最後に選球眼のいいノイジーが押出し四球で逆転、虎が強くなった。」
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1959年、講談社入社。週刊現代創刊メンバーのひとり。1974年、総合誌「月刊現代」編集長就任。1977年、当時の講談社の方針によりジョイント・ベンチャー開...
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