この寒波の襲来でまとまった降雪、積雪があってオープンしたスキー場は多い。
とはいえ、あまりにも急だったため整備が間に合わず、全面滑走可能のスキー場は限られるが、それも今の所といった感じだろう。
オイラの子供の頃、冬に親父の実家に行けば木製のスキー板があった。
今のスキー板みたいに立派なモノではなく、履いた長靴に紐で縛る昭和初期のタイプ。
親父は学生時代、学校のスキー部だったらしくスキーはなかなかの腕前だと本人は言っているが、果たして…(自分で言ってる事自体が既に怪しい:笑)。
そんな親父はコチラに来て会社の仲間たちとスキーに行っていた。
まだ幼い頃のオイラと妹と母親を置いて…
そんな中、あのバス転落事故現場に遭遇した事もあったらしい。
あの時の現場の様子を未だに言う。
それだけ今でも心配してくれているのだと思うのだが…
小さい頃は「連れてってくれ」と何度も言ったけれど「大きくなってから」と親父はオイラを説得してた。
大きくなってから同じ事を言ってみたが、「もうそんな体力は無い」とか言い出す始末。
挙句の果てに「焼津スケートセンター(現在閉鎖)で我慢しろ。」と。
物心ついた二十代前半。
オイラ世代の方々はピンとくるだろうが、映画「私をスキーに連れてって」をキッカケに大ブームが起こる。
各地のゲレンデは若者を中心に大混雑となった。
松任谷由実嬢を聴きながらゲレンデへ行った方も多かったのでは?
原田知世サン、同い年です。
周りがあまりにも「スキー」の話題をするのでオイラ自身も「やってみるか」とか思うようになった。
「親父に出来てオレに出来ないワケがない」とも思ったし(笑)。
いざやってみると、当然最初から出来るワケがない。
出来ないのが悔しくて何度もトライする。
周囲は笑っていたが、オイラにしてみればそれどころの騒ぎではない(笑)。
何度も挑戦し、自分なりに「滑る」「曲がる」「止まる」をマスターすると、スピードがノッた。
「何コレ、超面白いんですけど~!!」
ご当地の温泉、グルメ、観光など「アフター」の楽しさも覚えた。
道中の「クルマの中」での会話も面白かった。
やがて、あのスノーボードが登場し、これまた大ブームとなった。
これまた「やってみるべ」ということで、見事にハマったオイラであった(笑)。
ビッグエアーは憧れで終わったが…
各スポーツショップもCMに力を入れる。
特にアルペンのCMではBGMに広瀬香美嬢を起用し、男女を描く映像が話題になった。
当時、オフクロは「遊んでばかりいるこの極楽トンボ! またスキー? そんな事ばかりしてないで嫁でも連れて来い!」とよく言っていた。
オイラは「向こう(スキー場)に出会いがあるかもしれね~じゃんか。」と答えていた。
おわかりだと思うが、そういう出会い、オイラには全く無縁(笑)。
今のオイラ。
あの頃程ではないけれど、年に1~2回ゲレンデに足を運ぶ。
女房殿も若かりし頃に何度も行っているらしいが正直…(汗
オイラは教えるのが下手なので数年前、子供達の手が離れた事もあってスクールに入れた。
子供達には強制というと語弊があるかもしれないが、ジュニアスクールに。
さすがに先生はプロ。楽しく上達できるようにご指導してくれた。
家族を連れて行くには理由がある。
オイラの幼い頃の悔しい思いをさせてくない一心だった。
女房殿も子供達も今は「スキーが楽しくてたまらない」という。
女房殿は「この歳になって楽しさがわかった」と。
んじゃ、今まで何だったんかいな(笑)?
しかし良い事ばかりじゃない。
山の天気は気まぐれだ。
雪道は一層慎重に走らなければならない。
そして無視できない予算…
若かりし頃、ゲレンデの楽しみは8割でアフターの楽しみが2割。
今は逆(爆)。
「せっかくココに着たのに、朝からスキーやらずに飲んで寝ている人がいる。何だかナァ…」というお客さんを見たことがあるが、今はその気持ちがよくわかる(笑)。
夜通しで走ってきた上に、もう若くないんだよねぇ。
「夜中に…」ってのも確かに辛くなってきたし。
今のゲレンデは不景気の時代という背景もあったせいか、あの頃に比べたら随分空いている。
リフト何十分待ちとかいう事も無くなった。
中には閉鎖に追い込まれたスキー場も少なくない。
ある若い世代に聞けば「スキーですか?寒いし、金かかるし、雪道危ないし。そんな事までしてやりたくないですよ。」という。
かつてオイラも思っていた事だ。
オイラは「やってみる」という選択をしたのだが、彼らにしてみれば「他にもっとやりたいことがあるので」という事だろう。
確かにあの頃無かったモノが現在は登場しているのも事実。
これも「若者の○○離れ」のひとつなんだろうナァ…