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アスロックのブログ一覧

2017年05月05日 イイね!

りょうたん

りょうたん。
といってもおにゃのこの名前でもゆるキャラの名前でもないよ。

GWはやはりヒマだったのでここにいってきました。
でん。

龍潭寺(りょうたんじ)です。
大河ドラマ「井伊直虎」で話題になっているあのお寺です。
地元なんですが実は行ったことがなくて、このGWにせっかくなので見学に行ってきました。


龍潭寺は浜松市の北区にあるお寺で、創建は天平5年(733年)といいますから1200年以上の歴史があります。
建物のほうは南北朝時代の騒乱など長い歴史の中で失われてしまっていますが、それでも江戸時代に建てられた建造物が数多くあって大変興味深いですね。
こちらは山門。
明歴2年(1655年)に建てられたそうです。



山門をくぐると庫裡があります。
拝観の受付はここで行います。
建てられたのは文化12年(1815年)といいますから江戸時代の後期になるでしょうか。
庫裡は僧侶の生活の場となる建物のことです。





庫裡から進むと本堂につながります。
本堂の入り口すぐに3メートル近い巨大な金色の大佛様(釈迦牟尼仏)がたたずんでいます。
(さすがに大佛様を写真に撮るのは・・・なので本堂内は写していません)
この釈迦牟尼仏は遠州地方最大とされています。
大佛様は表面は金色に輝いていますが、数多くの落書きなどが見てとれます。
これは最近の心無い若者が・・・
ではなく、明治維新の際におきた廃仏毀釈で近所の子供たちが大仏様にのって遊んだりした生々しい跡なんだそうです。
本堂は非常に広く、御本尊になる釈迦三尊が安置されています。
このときは拝観客でいっぱいでしたが、江戸時代のワンカットのような雰囲気を感じられました。
延宝4年(1676年)に再建されたそうですから、江戸時代の初期になりますね。
廊下は鴬張りなので歩くたびにぎゅっぎゅっと音がします。

本堂の前には広い庭(補陀落)がひろがります。




本堂を抜けると元禄15年(1702年)に建てられた開山堂が姿を現します。
開山堂とは寺を開いた僧侶が祀られた建物で、ここには歴代住職の位牌がおかれています。
どことなく京都の慈照寺に似た朱塗りの楼閣ですね。


開山堂の裏は井伊け家の位牌が祀られている御霊屋があり、その横を抜けると




広大な庭園が広がっています。
国指定の名勝となっています。
見事な庭園なので目を奪われること間違い無しです。
庭園の中に見える池は心字池。
庭園の両側に見える大きな石は仁王石です。



こちらは本堂の瓦です。
平成の大修理の際に取り外したもので、大正時代の瓦とされています。
非常に立派ですね。



こちらは東門。
現存する龍潭寺の建物では最も古く寛永8年(1631年)に建てられたものです。
ここは旧鐘楼堂で、以前は鐘がありました。




こちらは仁王門。
仁王像がおかれていて龍潭寺を守っています。
実は結構最近に作られたもので昭和62年に建てられました。



仁王門をくぐって外に出るとここには御神木があります。
樹齢400年とされている梛の木で、井伊直政の成長を願って植樹されたといいます。






いやぁ、本当に見事なお寺でした。
また拝観に訪れたいですね。
Posted at 2017/05/05 01:28:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記
2015年06月21日 イイね!

豊橋市美術博物館にいってきた。

せっかくの土日ですのでたまにはおでかけをしようかと(先週横須賀にいってたような・・・)、

に乗って豊橋市にある美術博物館に行ってきました。
おっと、レヴォーグの写真がどう見ても真夏(8月ごろ)の空だろ!しかも昨日・今日と曇りか雨だったろ!なんていうささいな突っ込みはナシだ。


ここねここ。
豊橋市美術博物館は豊橋公園内にある施設です。
なぜに美術館?
とおもうでしょうけどこれをやってたんです。
「軍隊と豊橋」展。
実は愛知県の豊橋って旧軍時代は結構陸軍施設があったんです。
歩兵聯隊に騎兵聯隊、さらに師団が置かれ工兵大隊に飛行場、演習場までありました。
御殿場周辺に自衛隊の駐屯地や演習場が集中していますがそれがもっと狭い範囲にある感じでしょうか。
ちなみに豊橋の国立病院の始まりは陸軍豊橋衛戍病院で、それが陸軍病院になってさらに戦後国立豊橋病院になった経緯があります。
結構そこらじゅうに当時の面影が残っている街でもあったりします。

ところで「戦争~」というタイトルがつくこの手の展示って大抵イデオロギー満載の胡散臭い展示になるのがお約束なので正直期待はしてませんでした。


イデオロギーに毒された展示ではなく、かなり資料的価値の高い展示となっていました。
非常に興味深かったです。
上の写真はお土産。
パンフと地図ですが、この地図は第3師団司令部が発行した高師原演習場・練兵場・小銃射撃場・作業場等が記載されているんです。
これは資料的価値高いですよ。
館内は撮影禁止なので写真はなし。



美術博物館を出たらその足でいろいろみてまわりました。
美術博物館が置かれている豊橋公園ですが、ここは江戸時代吉田城がありました。
その後衛戍地(駐屯地みたいなもの)として歩兵第18聯隊が置かれたわけです。
そんなわけで豊橋公園内には旧軍の遺跡が点在してたりするわけです。
写真のように豊橋公園の門は当時を偲ばせる状態で今もたたずんでいます。




営門と哨舎跡。
歩兵第18聯隊が編成されたのは明治17年ですから陸軍でもかなり古い部隊になります。
写真の哨舎は昭和10年につくられたもののようですね。



名古屋鎮台隷下に編成された歩兵第18聯隊ですが、上位組織が第3師団、第15師団、再び第3師団に戻り、さらに関東軍隷下の第29師団隷下となった後に中部太平洋派遣の命をうけてサイパン・グアムと転戦をしています。
2011年に上映された「太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-」という映画がありますが、これに登場する部隊が歩兵第18聯隊だったりします。
日清戦争・日露戦争でも戦闘に参加しています。
日露戦争ではあの有名な奉天会戦でも参加しています。
市内の神社の一角に日露戦争当時のものと思われる砲弾が奉納されていますが、28サンチ榴弾砲の砲弾なのかな?


こちらは門柱。
将校集会所の通用門だったようです。
黄色いタイルが埋め込まれてるんですね。
後ろは工事中ですが、確かここに聯隊記念碑があったと思います。


時代を感じますね。
弾薬庫のようです。
でも昔はこれを油脂庫と聞いたような・・・



豊橋公園内には神社があります。
弥健神社といいます。
衛戍地内に設置された営内神社です。
写真ではわかりませんが石碑に刻まれた文字にはコンクリで埋められた痕がなんとも複雑な気分です。
軍国主義を破壊すると戦後徹底的に否定された軍関係のものでそのひとつとして埋められたのか、それともそれを防ぐために隠すため埋められたのか・・・




神武天皇像です。
弥健神社内にあるものですが、御顔は明治天皇を模しているといわれています。
日清戦争終了後の明治32年に巨大な記念碑がたてられました。
16メートルにもなる石垣の上に切石を積み、さらにその上にこの神武天皇像が設置されていたとのことです。
軍人記念碑とよばれるもので当時の絵葉書を見ると非常に立派な記念碑だったようです。
大正5年に練兵場近くに移築されて現在は豊橋公園内におかれています。



歩兵第18聯隊記念碑です。
日清戦争、日露戦争、日支事変と激戦を繰り広げた歩兵第18聯隊ですが昭和19年にサイパンに展開中に米海軍の潜水艦により輸送船が撃沈されて聯隊長以下聯隊の戦力の半分を失いました。
サイパンに上陸した後はグアムに移駐、米軍と激しい戦闘をおこないます。
大きな損害を出した後に軍旗奉焼しました。
その後グアム守備隊は玉砕しています。
創設から玉砕まで60年の歴史がありますが在営した若者6万名、遠征を7度行い、1万人もの将兵が散華されています。



こちらは歩兵第118聯隊記念碑。
歩兵第118聯隊は出征して不在となった歩兵第18聯隊営舎に編成された部隊です。
昭和16年に編成され昭和19年にサイパンへ守備のため派遣されました。
その際輸送船が撃沈されて主力を失い、残った将兵は歩兵第135聯隊、第136聯隊とともに突撃し玉砕されています。



こちらは歩兵第229聯隊記念碑。
昭和14年に豊橋で編成され、同年に征途についています。
南支那に転戦後、スマトラ、ニューギニア、ラバウルの防衛戦に従っています。
ラバウルで終戦を迎え復員しました。



これらの記念碑・石碑は決して大きくはない記念碑ですが、刻まれた文字のひとつひとつが国を守るため命がけで地獄の戦場で傷つき散られた方々が大勢いらっしゃると思うと本当に重いですね。
私たちの祖父母たちが命をかけて守ろうとした日本という国、それを背負っているのは私たち今に生きる世代ですね。




こちらは豊橋公園から離れた向山台緑地にある記念碑です。
「聖蹟」とかかれたこの塔ですが、昭和2年に行われた陸軍大演習に昭和天皇が臨御されたことを記念して建てられたようです。
それだけ豊橋が陸軍にとって大切な地だったんでしょうね。



独立工兵第4聯隊碑です。
向山緑地は終戦まで工兵隊の作業場となっていました。
第15師団が豊橋で編成されて工兵第15大隊が設置され、後に解隊されましたがそれ以後工兵部隊が駐屯していました。
独立工兵第4聯隊もそのひとつで昭和15年に編成されています。




なんとトーチカです。
公園内にトーチカが残っているんです。
これは訓練用トーチカで、銃眼も設置されていますね。
トーチカの上には豊橋工兵隊の跡碑がたてられています。




向山緑地公園内にある平和の塔です。
昭和20年に終戦20周年記念事業で建てられたものです。
日清戦争以後、祖国の勝利と繁栄を信じて戦い、散られた将兵と空襲などの犠牲者を追悼し平和の祈りをこめて建てられました。


ここからは以前写したものを。



豊橋には高師地区(当時の高師村)に演習場があったこともあって第15師団が置かれました。
日露戦争末期に兵力不足を補うために創設された4個師団のひとつです。
師団1つで1万人もの消費人口になるので各都市で誘致をした結果、豊橋(高師村)に決まり編成されました。
歩兵第17旅団(歩兵第18聯隊、歩兵第60聯隊)、騎兵第19聯隊、野砲第21聯隊、工兵第15大隊、輜重第15大隊、騎兵第4旅団(騎兵第25聯隊、騎兵第26聯隊)、豊橋憲兵本部、豊橋衛戍病院、豊橋衛戍監獄、豊橋陸軍兵器支廠・・・と師団の大部分(歩兵第29旅団は静岡と浜松に置かれていました)がおかれていました。
それが今の愛知大学や工業高校がある付近になります。
今はスーパーマーケットになっているあたりには騎兵聯隊の駐屯地がありました。
これはその記念碑。
騎兵第26連隊です。



聯隊の営門と哨舎です。
数年前にきたときは心無い大馬鹿者の落書きで汚されていましたが今はどうなっているんでしょう?
またみにきたいですね。

このほかにも豊橋には多くの戦争遺跡があります。
愛知大学にある記念館は第15師団司令部の庁舎ですし、師団長官舎、陸軍教導学校時代の塀が今でも残っています。
このへんは学校が集中しているのですがところどころに営門跡がありますし、市街地には陸軍墓地があります。
今は臨海工業団地となっているところは海軍航空隊の飛行場が設置されていました。
海軍橋が今も残っています。


また時間をつくってひとつひとつ戦争遺跡をしらべていきたいですね。
Posted at 2015/06/21 23:41:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記
2012年04月08日 イイね!

乃木神社にいってきました

ちょっと時間があったので愛知県蒲郡市にドライブにいってきました。
目的地は・・・・ここ


乃木山です。

蒲郡の三谷にある小さな山に神社があります。
その名を「乃木神社」。
そう、日露戦争で旅順要塞攻略戦や奉天会戦で有名なあの乃木将軍が奉られている神社です。


乃木神社の鳥居です。
横に鉄塔が見えますが、日の丸が掲げられるようですね。


乃木将軍像。
かなり大きいですね。



別アングルから。
桜が満開でした。

乃木神社は京都や東京にあるものが有名ですが、全国に複数存在します。
明治天皇崩御後に殉死した乃木将軍に感銘をうけた方たちが建立されたわけですが、それでも何故乃木将軍とはあまり縁もなさそうな愛知に乃木神社が?


愛知県には当時第3師団の管区になっていました。
その司令部は名古屋に置かれていて歩兵第5旅団、歩兵第6旅団、騎兵第3大隊、工兵第3大隊、輜重兵第3大隊、砲兵第3大隊によって編成されていましたが、乃木将軍は明治24年当時歩兵第5旅団の旅団長でした。
その際に蒲郡を訪れたのですが、それを記念して建立したようです。
ちなみに日露戦争直前の明治36年には第3師団は歩兵第5旅団、歩兵第17旅団、騎兵第3聯隊、砲兵第3聯隊、工兵第3大隊、輜重兵第3大隊の編成だったようです。


建国記念日に花壇を建立したのでしょうか。
歴史を感じますね。




石碑です。
もちろん乃木将軍は陸軍ですが、この石碑は海軍軍人・軍属を奉っています。
要約すると
「いくつもの戦争という国難に対して祖国と家族を案じて戦い、二度と祖国の地を踏むことなく散られた多くの戦没者こそが最大の戦争の犠牲者である。戦争を知らない若い世代に戦争を語り継ぎ、またここ地元出身の海軍軍人の魂を納め、平和を祈る」
とあります。

最前線という地獄で国のこと、家族のことを想い、苦しみながら永遠に日本に帰ることができなくなった方々の無念さ、苦しさは想像に絶するものがあります。
石碑に刻まれている言葉、本当に重いですね。

Posted at 2012/04/08 02:11:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記
2012年01月03日 イイね!

鎮魂碑

お正月気分で岡崎公園にいきましたが、その一角でおもわずハッとなるものを見ました。

鎮魂碑です。


昨年の大震災では多くの方が亡くなられました。
そして60数年前にもまた多くの方々が亡くなりました。
「国難」といわれるときは多くの方々の命が失われるときでもあります。


鎮魂碑にはこのように記述されています。
「明治以降ひたすら愛国の心に燃えて幾多の国難に殉じた武人達と銃後を護り無残にも空爆に散華した多くの市民の御霊に対し、わが国の繁栄と世界の恒久平和とを哀心より祈念してここに太平洋戦争後五十周年に当たり鎮魂の灯をかかげます」

重い言葉ですね。



鎮魂之錨です。
比較的小型ですが駆逐艦か海防艦の錨でしょうか?

参考:

江田島にある駆逐艦「雪風」の主錨。
Posted at 2012/01/03 23:14:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 史跡 | 日記

プロフィール

「佐久間挺長ほか潜水艇の慰霊塔がある鯛の宮神社は呉のタクシー運転手さんも知らない場合もあってちょっと行きづらいのですが、あのあたりは安芸地震で結構被害受けたみたいで爪痕がまだ残ってたりします。」
何シテル?   06/23 21:17
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