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2016年10月22日 イイね!

であごすてーに烈風

いろんな事情でブログのほう、かなり滞ってます。
昨年の明野なんて途中まで作っておいてそのまま放置してたら今年の航空祭が既に終わってしまいましたし・・・
いろんな事情で気分が乗らないというのもありますが、たまには1発でっかいアップしたいなぁ・・・
さて

であごすてぃーに。
こちらも忘れてはいませんよ。



であごすてぃーにWW2傑作機コレクション第17号は「烈風」。
そのうち来るとは思いましたが早くもきましたか。


第二次世界大戦では各国でいろんな戦闘機が活躍し、中盤からはその後継となる高性能な新型機が登場しています。
例えば陸軍では九七式戦闘機の後継は隼
海軍は九六式艦戦の後継は零戦
米海軍ならF4Fワイルドキャットの後継はF6Fヘルキャット
はっきりとした位置づけではありませんが、隼の後に疾風が登場していますし、航空技術の進化が著しかったこの時期は非常に短いサイクルで新型機が登場しています。
ではゼロ戦の後継は?
実は後継はないんです。
正確に言えば「間に合わなかった」が正解でしょうか。
空母に搭載して機動部隊の一員として護衛や制空権確保などに使われるゼロ戦の後継になる艦上戦闘機は配備がされる前に終戦となってしまいました。
その間に合わなかった新型の艦上戦闘機がこの烈風です。
零戦と比べてみました。
かなりの大型なのが判ると思います。



モデルのほうですが、値段相応・・・かな。
特にカウルの処理をもう少し丁寧にやってほしかったですね。
とはいえ烈風のモデルはあまりないのでこれは貴重といえるかも。
今回のモデルは3号機にあたります。
実機の写真と見比べると日の丸の白がちょっと細すぎる感じがします。




前から見ると主翼がわずかに逆ガルになっているのがわかります。
内翼が水平で外翼が上反角がつけられているんですね。
パッと見て気が付くのはこの烈風、主翼がとにかく巨大だってことです。
もちろんこれには理由があります。
高い機動性をもつゼロ戦の後継になる新艦上戦闘機にも同等の高い機動性を海軍は求めたわけです。
零戦は軽量の機体に高い機動性をもたせるために主翼を大きくして翼面荷重を小さくしました。
飛行機は主翼で揚力を得ることで飛ぶことが出来ますが、主翼が小さい(面積が小さい)と、その小さい面積で得られた揚力で機体を支えなくてはならなくなります。
逆に大きい主翼(面積が大きい)ならばその大きな面積で得られた揚力で機体を支えることになります。
面積が大きければ大きいほど揚力を大きく得られるわけです(実際には翼の形でずいぶん違うわけですが、相似形の主翼ならば面積が大きいほど有利・・・って意味です)
一方で零戦以上の速度として640km/hを要求されたわけです。
そうなると大型の大パワーエンジンが必要ですが、当然大型で重いので機体も重くなります。
主翼が大きいと抵抗も大きいので速度も不利になってきます。
・・・あいかわらず無理いうなや海軍さん!



キャノピーの大きさを見るとこの機体がかなりの大型機だというのがわかります。
大型の3人乗りの艦上攻撃機並みの大きさです。
サイズは全幅14メートル、全長11メートル、自重3266kg。
ちなみにゼロ戦(二一型)が全幅12メートル、全長9.05メートル、自重1754kgなので、ふたまわりは大きいことになります。
翼面積は30.8平方メートルなのですが、これは畳18.6畳分にあたります。
機体が大きいのはゼロ戦以上の速度性能を求めたためです。
今までゼロ戦で使っていた栄エンジンではなく馬力が2倍近い2000馬力級のエンジンを搭載したためです。
機体のほうは確かに大型化しましたが、主翼の形も機体の形もゼロ戦に似てると思いません?



この角度から見ると大型化したゼロ戦って感じがしますね。
それもそのはず、エンジンを大型化したことや主翼の外翼に上反角をつけたところを除くとゼロ戦をほぼ踏襲したものになっているわけです。
設計を請け負ったのはゼロ戦と同じく三菱で設計主務者はゼロ戦の設計主務をした堀越技師ですからまさにゼロ戦の発展型といっていいかと思います。



烈風ですが、十七試艦上戦闘機という名前で海軍が試作発注したのは昭和17年6月ですから、ミッドウエー開戦の頃です。
ゼロ戦が制式化されて2年もたって初めて開発スタートですからこれはずいぶん遅いことになります。
いくらゼロ戦が高性能だったとはいえ、戦闘機なんて1日2日でできるものではなく、設計に何年もかかるのですからこれは致命的だといえると思います。
この頃は戦闘機のエンジンは大パワー時代になっていますから、当然2000馬力級のエンジンを搭載することが決まっていました。
海軍の要求はゼロ戦並みの運動性を持つこと。
・・・でたよ・・・・
高い運動性をもたせるには翼面荷重を低くするようにして主翼を広くしなければなりません。
こうなると抵抗が大きくなるので速度性能には不利になります。
エンジンが大型ならさらにそれを補うために主翼を広くして、そうなると速度性能が低下するので・・・と自分で自分の首を絞めるようなことになりかねないわけです。
ゼロ戦は高い運動性能をもっていたので格闘戦ではバツグンの能力がありました。
ベテラン搭乗員が格闘戦をすれは敵なしの状態だったでしょう。
これに対して当然敵は格闘戦にはいらないような戦い方をするわけです。
高速で接近して射撃して、高速で離脱する。
たとえ格闘戦になってもゼロ戦が追いつけない速度で逃げたり上昇能力で振り切るような戦闘機を作りそういう戦い方になってくわけです。
しかも連日の激しい戦闘でベテラン搭乗員も次々散華されてしまっていたのですから、想定していた空中戦になっていかなかったんでしょうね。



さて烈風の1号機は昭和19年4月になんとか完成しました。
ところが飛ばせてみると速度が出ない、上昇力が低い(後継になるはずのゼロ戦より低い)というものでした。
烈風に搭載されたエンジンは「誉」というエンジンを海軍は指定してきました。
これは紫電改などに搭載されていたもので、確かにパワーはありますが、整備性などいろいろあって狙った出力を出すのが難しかったわけです。
この誉エンジンが足を引っ張った結果だったわけですが、このテストをうけて海軍は落胆して烈風を見放し、工場は紫電改の生産に転換しろというなんともあんまりな命令をしました。
これに対して三菱は当初自分たちが考えていた自社製のエンジンを搭載してもう一度テストをすべきだと主張したわけですが、海軍は聞き耳持たなかったようです。
ムチャな要求とムチャな仕様押し付けてあんまりな話だとばい!
三菱もだまってはおらず、海軍とは関係ナシに自分で自社製のエンジンを搭載してテストしてみたら要求性能に近い性能がでました。
これをうけて海軍は手のひら返しで採用、烈風を生産せよという命令をだしたわけです。
ずいぶん身勝手というかなんというか・・・


烈風が制式採用決定になったのは昭和20年6月。
既に運用できる空母はなく空母での艦上機運用も放棄していました。
「艦上戦闘機」ではなく烈風は防空戦闘機を示す「局地戦闘機」としてデビューしたものの、結局量産機が完成する前に終戦を迎えることになります。

Posted at 2016/10/22 22:48:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー雑誌 | 日記

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