2017年06月28日
全楽論
はじめに
今回の記事は,浮かんだことを忘れない内に垂れ流しで書いていきます。
したがって,とっ散らかった読みづらい内容になるかもしれませんが,ご了承ください。
突然だが,この記事を開いてくれたあなた。
あなたに訊いてみたいことがある。
自動運転をどのように考えているか。
のっけからタイトルのネタバレになるが,ストレートに訊こう。
自動運転は次のうちどちらだと思うか。
安全技術か。
安楽技術か。
この質問を,例えば自動車メーカーにしてみよう。
会社としての公式回答を求めれば,第一義は安全技術である,と答えるだろう。
人間はエラーをするものであるが,機械ならばそのエラーを防ぐことができて交通安全に繋がる。
本音か建前かは分からないが,だいたいそういう回答が返ってくるはずだ。
一方,ユーザーサイドではどうか。
安全技術だと思っている人もゼロではないかもしれないが,大多数は安楽技術と答えるだろう。
なにせ,表向きは上のようなことを答えるメーカーも,流すCMはご存知の有様だ。
そうでなくても,特に米国と日本において,多くの人が「運転は苦行だ」と感じている現実がある。
そこを機械がやってくれる。ユーザーがもっとも体感できるのは安楽だ。安全ではなく。
現在の自動運転に関する研究開発は,このギャップを放置したまま進んでいる気がしてならない。
メーカーが安全技術として提供しているものを,ユーザーは安楽技術として享受している。
事故防止の自動ブレーキを「クルマが勝手に止まってくれる♪」と言った女がいるとかいないとか。
自動ブレーキでこれなんだから,自動運転の齟齬のレベルなど推して知るべしである。
あまつさえ一部メーカーは,その認識違いを正すどころか助長しているのが現実だ。
やっちゃった人たちとか,シリコンバレーの口八丁とかね。
結果,フロリダでモデルSがスクラップになり,みんな死になセレナの揶揄が復活した。
他方でトヨタでは,技術的にはレベル2の新型LSを「自動運転」の語を使わず売り出してきた。
このあたりがメーカーごとの良心が問われる部分かもしれない。
自動運転を安全技術と定義するか,安楽技術と定義するか。
究極的にはその両者を兼ね備えた技術たり得る以上,最初の一歩は非常に重要だ。
願わくば,安全技術として一歩を踏み出してもらいたい。
一足飛びに自動運転とキャッチーに行くのではなく,正しく運転支援システムとして欲しい。
未成熟のまま安楽技術として売り出すと,民衆が群がるだけに悲劇を招きやすい。
その昔,自動車はまさに安楽技術として世に現れ,夥しい数の不安全を世に振りまいた。
この安楽を安全に御せる技術と法律が築き上げられたのはずっと後年のことだ。
表裏一体の技術において同じ轍を踏んでしまうとしたら非常に遺憾である。
無論,安全先行の普及の困難さもわかっている。
エアバッグやシートベルトがこれほど広まるまでには,これまた長い年月がかかっている。
しかし,世のため人のためと,信じてなされる継続は力である。
今日の茶飲み話でだが,あの米国でついにベルト着用率が日本並みになったそうだ。
法規になくともベルトとエアバッグを付け続けた成果かもしれない。
作動しないならしないに越したことはない。
その点では,運転支援システムも,エアバッグやシートベルトも一緒。
多分あと何回か続く。
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Posted at
2017/06/28 00:10:53
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