私とした事が、10日も経ってこんな大切な日を忘れていた事を思い出した。
2006年4月13日パリの病院へ前日緊急入院した「シェカー・メッタ氏」が亡くなった。
若い人たちには、馴染みの無い名前かもしれないが、僕達、日産・・・いやDATSUNのラリーの黄金期を知っている者達には忘れる事の出来ない名前なのだ。
1971年初めてサファリラリーで、DATSUNチームに加入し、240Zラリーでいきなり二位に入賞した兵であった。
(画像中央がメタ氏である。)
TOP画像の様なジャンピングスポットで、ラリーカーとして大きく重い重戦車の「フェアレディ240Zラリー」を飛ばしても、確実にゴールまで導く名ドライヴァーであった。
僕には二人の尊敬するラリー・ドライヴァーが居る。
一人は「ラウノ・アルトーネン」
神業 240Zを華麗に操った男
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239184/
恩人 ラウノ・アルトーネンからみた240Z
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/2239190/
240Z、モンテと言えば、もう彼の存在無くして語れない偉大なドライヴァーで、DATSUNのラリーマシンの高速化に絶大なる影響を与えた恩人でもある。
一方の「シェカー・メッタ」と言えば、サファリでのDATSUNの黄金期を築いた恩人と言えるだろう。
1979年から1982年にかけてPA10バイオレットで4連勝し、サファリでの日産、いや日本車の名声を高めた恩人である。
後年彼は、WRC委員長となりラリージャパンの実現に尽力した事は意外に知られていない事実である。
そんな彼が2006年4月12日、パリで倒れ緊急入院したのだが、翌13日多くの願いも虚しく帰らぬ人となったのだ。。
舗装路の多いステージは正直、得意としていなかったが、サファリロードの様な悪路ではめっぽう強く、豪快でありながら繊細・・と言われた神業のドライヴィングは忘れることが出来ない。
日本では余り知られていないが、そんな彼も1973年のモロッコラリーで240Zを大破させリタイアしてしまった事があった。。。
そういえば、同じ1973年のサファリ・ラリーでも総合優勝しながら、パッセンジャーサイドのフロントフェンダーを飛ばしながらのゴールがあった。
1973年は、メタにとって鬼門の年だったのかもしれない。
そんな彼が亡くなって早くも2年と言う月日が過ぎたのだ。
ラリーの日産が斜陽になって何年が経ったのだろうか?
1971年に彗星の様に現われて日産の黄金期を築いた「シェカー・メッタ」に思いを馳せるに付け今の日産の姿に一抹の寂しさを覚えるのは僕だけだろうか・・・
今宵はPA10が活躍した4年間の資料を引っ張り出し、ラリーの日産とメタの活躍を偲びたいと思う。
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フェアレディ | クルマ
Posted at
2008/04/26 21:21:51