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2005年06月25日 イイね!
有終 幸福と不幸 何がこの二車の運命を変えたのか?次々と襲い掛かる「ロータリー」の挑戦にも、持てる力を振り絞って闘ってきた KPGC10 GT-R にも、よいよ終焉の時がやって来ようとしていた。

1972年9月、スカイラインは4代目となる「ケンメリ」スカイラインをリリースした。

もはやそこには、力強さとか究極の早さ・・といった言葉はどこにも見当たらなかった。。。
なにより、一回り大きくなったボディが、レースカーにとって決定的に不利であることは、誰の目からみても明らかだった。。



それでも6月の北野操るGT-Rの気迫のこもった走りに、多くのファンが、「次」を期待したのは無理からぬ事であった。。。

しかしその事が、逆にマツダの闘争心に火をつけてしまった事は、なんとも皮肉な事では無かったのだろうか。。。

10月10日

ついに、その日がやって来た。

北野GT-Rとの敗北を受けて、再編成された「マツダ ロータリー」勢が、GT-Rのホームグランドである、富士6キロのフルコースに集結した!!

「マツダ」は二台のワークスGT-Rに対して、なんと「武智」、「従野」、「増田」、「岡本」の五台と、マツダオート東京から「寺田陽二郎」の六台がエントリーしたのだ。

そんな「マツダ ロータリー」に対して、「日産」はもはや戦力の向上は見込めない・・・と誰もが思ったGT-Rに対して、S20エンジンのヘッド周りの改造で数馬力・・・そして、この日の為にブリヂストンに特製の「スーパースリックタイヤ」を開発させてGT-Rに搭載させた!

さらに、「スーパースリックタイヤ」になり、幅が広がったのをフォローする為に、「オーヴァーフェンダー」の見直しがされたが、単純に幅を広げるのではなく、短時間に実験を繰返し、「空気抵抗の少ない形状を見つけ、GT-Rに取り付けた。


左が従来型、右が新型。滑らかに大きく幅広くなっているのが分かる

フロントは従来と違って、フロントスポイラーと滑らかに繋がる形状とし、フロント&リヤとも、上下方向には滑らかにボディに繋げ、先端と後端はできるだけ長く伸ばす事により、空気の流れをスムーズにし、エンジンの馬力アップと共に、空気の流れまでも味方に付け、「ロータリー」の挑戦を受けて立つ事になったのだった。。。


リヤも同様である。滑らかに大きくなっている事が良く分かるアングルだ。

最後となろうGT-Rなのに、こうまで日産が・・・

いや実は「日産」という会社が、GT-Rの開発に邁進したというより、もうこの頃はレースに携わっていた関係者の手でGT-Rの「ポテンシャルアップ」が図られていたのだ。。。

それは「公害対策」により、それまでレースカーの開発に携わっていた部門の全てが、「公害対策」に注力されたので「レース」部門の開発まで手が回らなくなっていたからだ。

「レース」に関わっていた技術者達は、「公害対策」という名の下でGT-Rが遅くなった・・・と言われる事だけは、プライドが許せない・・許せなかったのである。

やれる事は自分達でしよう・・と、半ば手弁当で、ある時は旋盤を回し、ある時は慣れない手つきではあったが、S20エンジンのヴァルブ・シムの調整を夜通し続けたのであった。

彼らにとってGT-Rは、「誇り」でもあったし、「彼らの分身」以外の他ならなかったからだ。。。

そんな技術者達の姿を見ていた黒澤は、最後のレースで再びGT-Rを蘇らせようと静かに闘志を燃やしたのは当然の成り行きであっただろう。。。

予選・・・・・

黒澤に託されたGT-Rは、ロータリー勢と激しくヴァトルを繰り返した。

馬力が上がったとはいえ、パワーウェイトレシオの劣るGT-Rを、ストレートでは、時には周回遅れの「ロータリー」勢の後ろに回り、可能な限りのスリップストリームを駆使してR380でも達成に時間の掛かった「2分」の壁を破り 「1分59秒70」 を記録!

これは、あの富士のコースを平均180Km/h以上で駆け抜けた事になるのだ。
いかに驚異的なタイムかが伺えるだろう。

しかし、レースの世界は非情である。

「ロータリー」勢もチームプレーを駆使して、やはりロータリー勢同士でスリップストリームを使い、従野サヴァンナが黒澤をさらに上回る 「1分59秒35」 をマークしてポールポジションを奪取したのであった。。


もはやGT-Rがフロントを取る事は難しくなってしまった・・

予選の結果を見て、だれもが、決勝は「ロータリー・オンパレード」のレースになるだろうと予測した。

決勝・・・

ざわめきにも似た、異常な雰囲気の中、シグナルが「青」に変わった。
「ロータリー」勢の加速は、GT-Rをはるかに凌いでいた。スタートから黒澤は数台のロータリーに先行を許し、バンクに突入して行った!

まさにGT-Rというマシンと、黒澤の執念にも似た気迫でロータリーに対して一向にひるむ事無く、戦いに挑んだのだった。

裏富士と呼ばれる、テクニカルなコーナーの続くコースで、黒澤は何と、次々とロータリー勢をパスして、集団のトップを行く二台のロータリー勢の背後に迫ってきていたのだ。

「マツダ」はこの二台を使って、お互いにスリップストリームを使い、ストレートでGT-Rを引き離す作戦であったが、最終コーナーでGT-Rはさらに一台抜き去り、なんと2位までに上り詰めていたのだ。

これでは「マツダ」が当初描いていた、二台のロータリーが併走して・・・という作戦は使えなくなってしまった。

黒澤の激走に「ロータリー」勢も歩調を狂わされ、一周目でトップに立っていた「武智」がスピン!さらに後続車に激突され大きく順位を下げたが、素早くピットに入り、修理を施し・・・

しかし、直にはピットアウトしなかったのだ。

彼は先頭集団が来るのを待ち、絶妙なタイミングで黒澤の前に立ちはだかったのだ。

「武智」に代わって先頭を走るのは「片山サヴァンナ」。

しかし大方の予想を覆し、その背後には黒沢のGT-Rがぴったり貼り付き、機を狙っていたのだ。

「武智」は「片山」を援護する為に、順位よりチームプレーに徹する事にしたのであった。

「ロータリー」勢は、全戦力を集結し、たった一台のGT-Rに対抗する作戦に打って出てきたのだ。

しかし、異常なまでの執念で追い回されるロータリー勢に、あせりと緊張が積み重なっていった。
そして、次々とトラブルが起こって行くのであったのだった。

最初に、先頭の「片山サヴァンナ」がエンジントラブルで、コース上にストップ!
序盤戦から「ロータリー」勢の一角が崩れ去ってしまった。

ピリピリとした緊張と、激しくぶつかり合うバトルで、黒澤もまた「武智」と接触!コースのグリーンベルトまで押し出されてしまったが、最小限のロスタイムで黒澤はGT-Rをコースに蘇らせたのだ。

黒澤がコースアウトの隙に、先行した「従野」、「増田」の「ロータリー」勢を、黒澤は激しく追い始めた。

一瞬のスキも無い、激しい戦いが繰り広げられたいたのだった。

たった一台のGT-Rの為に、数台の「ロータリー」勢が非情にも襲い掛かっていたのに、まったくそれ動じる事無く黒澤GT-Rは激しくヴァトルを続けた。

4周目、ついに黒澤はトップに躍り出た!

ヘアピンで黒澤は全ての「ロータリー」勢を抜き去り、トップに立ったのだ!

ストレート!

黒澤は再び「従野」に抜かされてしまったが、ストレートに舞う全てのクルマを使い、背後に喰らい付きスリップストリームを駆使し、それ以上順位を下げる事なく、「従野」の背後に不気味に貼りついた。

6周目、その「従野」のリヤタイヤがバーストし、勢いでクラッシュしてしまった!

10周に至る前に「マツダ」ワークスは、たった一台のGT-Rの為に壊滅的なダメージを被ってしまった。

もはや、戦力的に黒澤GT-Rに対極できるのは「増田」、「武智」の二台となってしまったのだ!

ストレートに入ると、黒沢GT-Rの必要なスリップストリームを嫌がって「増田」が「武智」がコース幅いっぱいに使って右に左に逃げまわっていた。

それでもGT-Rは、裏富士に入ると「ロータリー」を抜き去り先頭を奪い、再びストレートでは・・・という、これまで何回も繰り返されてきたヴァトルを繰り広げていた。

しかし・・・・・・

それは、残り6周という所で起こってしまった。。。

激しい競り合いを繰り返してきた「武智」と「黒澤GT-R」がコーナーで激突。。。

ついにGT-Rはコースに戻る事は無かったのであった。。。

これが、俗に言う72年GT-R最終レースでの。。。

「勝負には負けてレースには勝った」
 
といわれる戦いの一部始終である。

このレースの後、急遽襲ってきた「オイルショック」が、またGT-Rに重くのしかかって来た。

モデルチェンジ前のモデル・・・そして翌73年1月、「ケンメリ」にもGT-Rが追加されたが、それは「余ったS20エンジンを処分する為と、GT-Rのファンに向けた日産の鎮魂歌」だったとも言われている。

「ケンメリGT-R」総生産台数197台・・・

実際には、もっと多く造られたのだが、一般的にはこの200余しか最後のGT-Rは存在していないと言われている。。。

一方の「マツダ」は、「ロータリー」の特性を生かし、公害対策には生き残ったが、この「オイルショック」の「燃費」の問題で苦境に立たされたが、レース活動は続けた。

「サヴァンナ」は100勝をマークした。

しかし、そこに「賞賛」の声は聞かれる事は無かった。。。

なぜなら「サヴァンナ」には、もはやGT-Rの様な強力なライヴァルが存在せず、一人で勝ち続けた様なモノだったからだ。

「GT-R」は「ロータリー」に苦しんだ。

そして、「50勝」・・・生涯記録はワークスが去った後も、プライヴェート達が頑張り「58勝」を上げ、後世まで、語り続けられる事になった。

「サヴァンナ」は、「GT-R」より多くの勝ち数を上げながら、人々の記憶から忘れ去られてしまった。。。

これを歴史の悲劇としか、言い様が無いのではなかろうか。。。

そういった意味では「GT-R」は「幸福」であったと言えよう。
「サヴァンナ」は強すぎるが故に「不幸」であったに違いない。

長々と続いた、この「ロータリーとGT-R」のブログだが、そこに日本の自動車産業の縮図と、人の運命にも似た「幸運」と「不幸」の狭間を垣間見た・・・と私は思うのだが、皆さんは如何感じただろうか?

少なくとも、今の日本でも有り得ない様な、劇的で刺激的なレースが30年も前にすでに繰り返されていた事だけは、ここを訪れた皆さんだけには胸に刻んで欲しいのだ。。。

最後に、本当に長い間、このシリーズを応援して、時には励ましてくれた皆さんに心からお礼を述べたい。。。

「ありがとう」・・・と。。。

2005年6月26日 徳小寺 無恒
Posted at 2005/06/26 03:59:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月19日 イイね!
逆襲 GT-R富士フルコースでロータリーに逆襲する。。世代交代を思わせる5月に日本GPの敗退で、マスコミや多くのレースファンの中からも「GT-Rの時代は終わった・・」との声が盛んに聞かれるようになった。。。

事実、この年の9月には、新しいスカイラン「ケンメリ」の登場がハッキリと分かっていたので、無理からぬことではあったが。。。

GT-Rにとって悪夢の5月からひと月後の6月。

そんな雑音を掻き消すかのごとく、GT-Rは富士グランドチャンピオン戦第二戦に出場した。

このレースはGT-Rのホームグランドである、富士の6kmフルコースで行われる。
6Kmフルコースに合わせてGT-Rは完璧なまでにセッティングがされていたのである。

このフルコースのテクニカルなコーナーを、日産パイロットたちの「秘儀」と「神業」を駆使すれば生き返るに違いない・・・そう思ったファンも少なからずいた事も事実である。。


    「かつては、フロントローが当たり前のGT-Rだったのに・・・」

レースの予選が終わった・・・

GT-R勢のはかない望みも「サヴァンナ」が打ち砕いてしまったのだ。。

GT-R乗りの「北野」、「都平」のテクニックを持ってしても、GT-R勢はセカンドポジションを取るのがやっとであった。

決勝の幕が切っておとされた!

重量が軽く、ローギアな真っ赤な「サヴァンナ」が、甲高いロータリーサウンドを響かせながら先頭でバンクへ突入する!
もはやGT-Rは、この「サヴァンナ」の後塵を拝するしかないのか。。。
誰もがそう思ったに違いない。

スタンドとピットの目が、次のコーナーの出口に注がれた瞬間、誰もが目を疑ったのだ!そこで聞えたのは、乾いたエキゾーストを響かせた懐かしいS20のサウンドと共に北野のGT-Rが先頭でマシンを真横になびかせ飛び出てきたのだ!

スタンドは一瞬の沈黙の後、大歓声へと変わった。

不屈の王者GT-Rが、その持てる全ての力と、北野の「秘儀」によって、「サヴァンナ」をコーナーで抜き去っていたのだ!

しかし、「サヴァンナ」はその軽量さを生かして、コーナーの出口ではGT-Rにぴったりと背後に付いている。
最終コーナーを立ち上がって、富士の長いストレートに入るや否や、「サヴァンナ」はGT-Rを事も無げに抜きさっていった。。

富士のストレートが、これほど「長い」とはGT-Rにとって「無常」というしかなかった。。

最大限のスリップを使って、それでも北野は「サヴァンナ」の追撃の手を緩めなかった。

6月というのに真夏を思わせる、鋭い日差しがマシン達を焼き付けているというのに、北野は空気抵抗の増大を嫌って 「コンマ一秒」 でも早く走る為に窓を閉め切っていた。

マシンから発する熱と、太陽の熱によってGT-Rの室内は「灼熱地獄」になっていたが、その熱地獄の中から北野の目は「サヴァンナ」しか見つめていなかった。。

再びコーナーが迫る、するとGT-Rがすかさず「サヴァンナ」に襲い掛かる、GT-Rが「サヴァンナ」を抜いた!
最終コーナーを抜けストレート・・「サヴァンナ」が抜き返す・・

レースの死闘は延々と続いた・・・

「サヴァンナ」が先行し北野が抜く、再び「サヴァンナ」が・・・

富士のコースは、まるでこの二車だけでレースが行われている様であった。。。

激しいぶつかり合い、二台の距離は皆無に等しかった・・・

そして、北野GT-Rはこのレースに勝利した。

表彰台に立つ北野は、灼熱のGT-Rの室内で戦い続けた為に脱水症状を起こしていた。。
本来なら勝利に喜び満面の笑みを浮かべる場面でありながら、北野の顔は青白く、コーラを持つ手は小刻みに震えていた。。。

GT-Rは勝った。

しかし、その勝利は北野の「神業」と、「執念」によって得られたモノの何者ではなかった。。。

GT-R終焉の時計は、無常にも刻一刻と時を刻んでいたのだ。。。

10月10日・・・

その日に向かって時間は過ぎていった。。
Posted at 2005/06/19 14:34:46 | コメント(2) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月18日 イイね!
告白 2400GT-R と 2200GT-R の噂の真実。。右の画像は「日産プリンスR380」に搭載された「GR8」エンジンのベンチテストの貴重な画像である。

この「GR8」は開発当初は200PSを少しオーヴァーするパフォーマンスであったが、最終的には255PSまで馬力が向上
した。

そして、GT-Rに搭載された「S20」エンジンは、当時から盛んに「R380のエンジンをディチューンした」と宣伝されていた。。

実は「GT-Rとロータリー」のサーキットでの歴史を語り、あと二回で終わりを告げるはずであったが、昔から言われ続けていた、「S20エンジン排気量」に絡んだ動きについて、関係者が多く語らない事実を、ブログする事にしたのだ。。。

ロータリーとの過激な戦いの中で、メーカー内部にどんな葛藤があったか・・・
これまでのシリーズを読んで頂いた皆さんには知って欲しかったので、ブログしようと思ったのだ。。。



まずは「S20エンジン」の真実であるが・・・

この「S20」という呼称は、日産のエンジン呼称である事は、明白な事実であるが、本当の名称は「GR8B」であった。
つまり、このエンジンはまったくのプリンス技術陣オリジナルのエンジンであったのだ。

ハコスカの前の世代のスカイライン2000GT-Bに搭載されたエンジンは「GR7B」。
そのレース仕様のクロスフロー化されたエンジンは「GR7Bダッシュ」と呼ばれていた。

R380のエンジンは、明らかにそのエンジンの流れを汲むモノである事が、エンジン呼称を見るだけでも分かるであろう。

そして、GT-Rのエンジンも本来の名前「GR8B」からも確かにR380の流れを引き継ぐもの・・と推測されるのだが。。

しかし、レース用のエンジンをそう簡単に市販車向けにできる訳はなかった。
実際には、「GR8をベースに、すべてを設計しなおしたエンジン」であったというのが正解なのだ。



カムシャフトの駆動方式、シリンダーヘッド、バルブリフター、潤滑油のウエットサンプ化、ヘッドカヴァーなどなど、ベースにしたとはいえ、その変更点は本当に多義に渡るのだ。
だから、単純に「ディチューンしたエンジン」という表現はいささか誇張した言い方であったといえよう。

そして、意外に知られていないのは排気量が、オリジナルの「GR8」が1996CCなのに対して「S20」は1989CCと、ストロークが0.2mm短かったのである。

さらに「ウエットサンプ」によって潤滑油量の確保の為に、オイルパンの真横に溶接で四角い「箱」をつける・・・といった、いささか急作りな造りも見受けられるのが興味を惹く。
(S20エンジン画像矢印部)

ロータリーとの戦いが激しくなるに従って、だんだんと改良の余地が少なくなって来ていった。
それでもレースで勝利を続けるGT-Rに対して、実は排気量を大きくしたらどうか・・・という構想が芽生え始めていた。

一年に満たない期間に、ローターリーが台頭してきて、なかなか単純には馬力の向上が難しくなってきていたからだ。。

しかし、実際には排気量のアップは行われず、他のプロジェクトが進んでいたのである。
そのプロジェクトとは 「L24換装計画」 であった。

実はクラスが異なるが、フェアレディ240Zのレーシングヴァージョンが、71年3月に富士のコースにて2分の壁を超えたのである。
一方のGT-Rは、数々の改良が加えられていたが、どうしても2分の壁を破る事はできなかった。

それに、だんだんと厳しくなる「排出ガス規制」にも、DOHCという構造から苦労する事は目に見えていたので、フェアレディで上手く行ってるのなら、GT-Rにも・・・というものであった。

早速、車両重量やギアレシオなど、考えられるデータ全てを使って富士の6Kmのラップタイムをコンピューターで割り出した。

「S20」253PS8500min-1  21.94Kgm6800min-1  ラップタイム2分02秒37
「L24」236PS7000min-1  24.70Kgm6800min-1  ラップタイム2分03秒62

L24の方が馬力は小さいがトルクが大きいので、さぞかしタイムが向上するであろうと考えられていたのが、実際には余り大きな差が出ず、逆に最高出力がより高回転の位置で発生する為に、ギアリングが低く設定されている「S20」の方が、コーナーの立ち上がりでも有利で、ストレートでも馬力が「L24」より大きいので「S20」の方が早く走れる・・という結果になってしまったのだ。

まさに、クルマの成り立ちの違いで「フェアレディ」の様な結果が得られなかったのであった。

実はこの結果について、日産側には大きな「失望感」があったのだが、「旧プリンス」からGT-Rに携わっていたメンバーからは、安堵の声が聞かれたのだった。。。

その声とは「S20DOHCを搭載してこそ、GT-Rとしての存在意義があるのに、いくら早いからと言ってSOHCのL24を積んではGT-Rの意味が無くなる・・・」というモノだった。

確かに、ここでL24の搭載車のデータが良く、実際に積まれていたなら・・・GT-Rというクルマの評価は大きく変わっていたかもしれないだろう。。。

変わって、浮上したのは、一端は消えた「S20」の排気量アップであった。

この頃は「公害対策」が佳境を迎えていて、大きな改造が難しくなって来ていたので、「S20」でできうるボアのアップで対応する手段が考えられていた。

しかし、ブロックに余裕がある訳でなく結果として 「2200cc」がやっと確保される程度となったのだが、それでもテストでは馬力が簡単に「270PS」が得られ、エンジン単体では、トルクカーブもフラットになっていたが、ヘッド周りが2000CCと同じ為に、吸排気の効率が排気量アップ分に付いて行って無く、このままでは燃焼効率の悪化が避けられず、ヘッド周りの改造が必要と判断されたのだった。

さらに実車に搭載した試験では、やはり排気系の取り回しのせいか、クルマに載せるとトルクカーブの山谷が大きく、そこからもヘッド周りの改造が必要と判断されたのであった。

さまざまの試行錯誤が繰り返され、最終的には吸気側「多球形」、排気側「ペントルーフ」という世にも奇妙な形状の時、馬力もトルクの特性も実車で一番良い結果が出たのであった。

ある時、その改良型のヘッドを2000CCのシリンダーの上に載せて回して見ると・・・
何と馬力もトルク特性も大幅に向上したのであった。

考えてみると、それは当然で、その結果から排気量はそのままでヘッド周りを改造し、燃料の圧力と、カムシャフトの見直しで 「264PS」 が得られたのであった。

大きな遠回りをして、実は「2000CC」でレシプロノーマルアスピレーションで最高のパフォーマンスを得るに至ったのであった。。。

これまで述べた様に、ロータリーとの激闘の中で、「L24換装」の計画や、「排気量アップ」の計画が進行していたが、実は、そのどれもが日の目を見なかったのだった。

もし、そのどちらかが存在する事になっていたのなら・・・「2400GT-R」や「2200GT-R」となっていたのなら・・・

ハコスカのGT-Rの評価は、今の様になっていただろうか。。。

特に 「勝つ」 為とはいえ、「L24搭載化」に付いては、正直に言っていままで公にしたくなかった事実であった事は容易に想像が付くだろう。。。

しかし、ここで得られたヘッド周りの改良によって、GT-R最後の逆襲が行われるのであった。。。

それは、新しいスカイラインが出た翌月の10月の出来事であった。
Posted at 2005/06/19 04:01:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月15日 イイね!
運命 GT-R 50勝とロータリーの逆襲ロータリー勢が「サイド・ポート」の馬力向上に苦心、光明を得ていた時、ライヴァルGT-Rは豪雨の中、「50勝」という大きな節目を迎えていた。

詳細は
「豪雨 ハコスカGT-R 50勝目豪雨の勝利」:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=202334

を見て頂ければ幸いだが、ここで少し補足したいと思う。。

'72年3月20日72年富士グランドチャンピオンシリーズ第一戦「富士300キロレース」に「高橋国光」と「都平健二」の操る、HT GT-Rが参戦した。。。

このレースに出場していたのは、トヨタからセリカ1600GTが三台とマークⅡGSSターボが一台。。
一方のロータリー勢は、寺田陽次郎のカペラと岡本安弘のサヴァンナの二台が出場していた。

折りからの強力な低気圧の接近に伴い、風速18m/secという強風と、横殴りの豪雨の中、レースは始まった。

二台のGT-Rは、スタートと共にトップを奪い、恐ろしいペースで後続を引き離した。



前半は溝の深いタイヤを履いた都平GT-Rが先行したが、溝の浅いタイヤを履いた高橋GT-Rが、コーナーで意外なほど深いブレーキングをするのを見て、8週目にブレーキングを遅らせたところ・・・
スピンしてしまいコースアウト、リタイヤになってしまった。

一台となってしまった高橋だが、その後も驚異的なラップを重ね、ついに他のマシンを周回遅れにしてしまい、劇的な「50勝」目を飾る事になったのだ。



ここに当時の高橋のGT-Rに乗った貴重な画像がある。

低いシートバック、ジェットのヘルメット、レーシングスーツだって、現代から比べればお粗末な物だ。。。

こんなコックピットから、芸術的なGT-Rの操縦がされていたなんて、未だに信じがたいモノがある。。。

そんなGT-Rの前に、よいよ究極の「サイド・ポート」チューニングを施された「サヴァンナRX-3」と「カペラ」の「12Aロータリー」軍団が大挙押し寄せて来たのは、二ヵ月後の5月。。。

今では考えられないが、旧富士スピードウェイの、通常の「右回り」のコースを逆走するという、左回り4.3Kmのショートコースで行われた「日本グランプリ ツーリングカーレース」にマツダは、打倒GT-Rを目指して「12A改ロータリー」を搭載したマシンを送り込んだ。。。



このレースに備えて、GT-Rもさらなる軽量化が推し進められていた。
1000Kgを超えるウェートから、なんと100Kg近い減量を施し950Kgを切るウェートまでなっていたのだ!

そして、ロータリー勢が苦手とするコーナリングに対して、更なるアドヴァンテージを得るために、「不等ピッチスプリング」の開発をし、このレースに間に合わせたのだ。

しかし、さらに軽く空気抵抗の少ないロータリー勢は、それまで無敵を誇った日産ワークスを尻目に、予選では1・2・3を独占していたのだ。。。

果せるかな、本戦が始まると、一速のギヤ比が高く、パワーウェイトレシオに劣るGT-R勢は、早くもロータリーの後塵を拝する事になってしまった。

1968年に登場し、すでに4年という歳月と、それまでに重ねられた改良で、すでに限界・・・というところまで来ていたKPGC10 GT-Rにとって、最新型で軽量なロータリー軍団には、もはや太刀打ちできなくなってしまったのか?

しかし、GT-Rも生まれながらの戦士である。

日産パイロットたちの華麗なコーナリングテクニックにより、コーナーの立ち上がりを良くする為に、通常ではタイムが落ちるとされているテールスライドを、ワザと誘発させ、S20DOHCエンジンの回転数を9000~10000min-1にキープして、驚異的な立ち上がりでコーナーをクリアーし、タイムを向上させていた。。。

対するサヴァンナも、新開発の「ワットリンク・リヤサス」でGT-Rに対抗したが、新型サスを開発したマツダ技術陣の英知より、日産のパイロット達の神業に近いテクニックが、コーナーとコーナーでの立ち上がりで、サヴァンナを圧倒した。

しかし富士のストレートは、GT-Rにとって、永遠のように長く感じ「悪夢」以外の何物でも無かった。

コーナーでサヴァンナを抜きさっても、直線では難なくサヴァンナがGT-Rをパスしてしまうのだ。。。

もはや、GT-Rにレースマシンとしての戦闘力向上の余地は皆無に等しかったのだ。

結果は・・・・

ロータリー勢の圧勝だった。

日本のレースシーンにも、ひとつのピリオドが打たれ、また新しい歴史が刻まれようとしていた。。。

GT-R終焉の時は、刻一刻と迫りつつあった。。

この年の9月には、より大きくなってしまったC110「ケンメリ」スカイラインの登場が決まっていた。

その最後のレースまで、あと5ヶ月。。。

しかし、ハコスカGT-Rの戦いは最後まで続くのであった。
Posted at 2005/06/15 01:35:49 | コメント(6) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月12日 イイね!
苦闘 サイドポートで闘うマツダの苦闘そして飛翔!!スカイラインが大柄で空気抵抗が大きく、重量も削減できない・・といった制約を2ドア化、HT化によってかなり改善して、さらにエンジンのチューニングによって戦闘力を増す中、マツダは、相変わらず苦しい戦いを強いられてきた。

全ては、吸気の方式を「ペリフェラル・ポート」から「市販車」と同じ「サイド・ポート」にレギュレーションが決められてしまったからだ。。。

「サイド・ポート」では、吸気と排気の「オーヴァーラップ」が大きく取る事が出来ず、高速域でのパワーアップが非常に困難になってしまうのだ。。。



さらに、「サイド・ポート」では、吸気の吸入経路が90度曲がってしまうので、意外な程、吸気の抵抗が増し、レスポンスにも影響を及ぼしていたのだ。。。

マツダは、1970年カペラを発売し、それまでの「ロータリー・クーペ」の「10Aロータリー」より排気量の大きな「12Aロータリー」を搭載させた。

この時点では、実は「ペリフェラル・ポート」での開発が終わっており、250PSを軽く超えていたが、「サイド・ポート」になると220~230PSしか馬力が望めなかった。。。

しかし、マツダ勢にとって、馬力の上がらない「ロータリー」であっても、「車両重量の軽さ」、「空気抵抗の少なさ」、そして意外に見落とされがちなのだが、「発売年月の新しさ」つまり「設計年度の新しさ」でGT-Rを迎撃していたのだが・・・現実には、

「GT-Rに対抗できるポテンシャルは備わったが、GT-Rを確実に撃破するまでのパワーは持ち合わせていなかった・・」


のである。。。



1972年3月10日、サヴァンナの対米輸出が開始された。
輸出されたサヴァンナの名前は、「サヴァンナRX-3」・・・

実は、この対米輸出には、マツダ・ロータリーの拡販と共に、「マツダ」にとって「秘策」があったのだ・・・

搭載エンジンの名称は「12Aロータリー」。

それまで国内仕様の「サヴァンナ」には、「ロータリー・クーペ」に搭載された「10Aロータリー改」が搭載され「GSⅡ」というグレードがトップグレードだったのだ。。

「12Aロータリー」を「サヴァンナ」に搭載すれば、「馬力荷重」では完全にGT-Rを上回る事ができる。。そう、マツダは北米での拡販と共に、打倒「GT-R」の秘策として、まずは北米向けに「12Aロータリー」を搭載したのであった。。。

果せるかな、北米輸出を開始したと同時に、「マツダ」は「サヴァンナRX-3」の「公認車両認定」を、8日後の「3月18日」には受けていたのだった。。

しかし「マツダ」はさらに「サヴァンナRX-3」の戦闘力を上げるために
「サイド・ポート」チューニングの「秘儀」を開発していたのだった。。

まずは、単純に「サイド・ポート」の「開口部」を広げると共に、吸気の「タイミング」を早めるために、拡大した「サイド・ポート」の外側にさらに「弓形のポート」を追加したのだ。

この追加された「拡大サイド・ポート」の横の「弓形ポート」は、非常に位置と加工が難しいモノであった。

というのは、「弓形ポート」の加工と位置を誤ると、「オムスビ型」のローターの頂点の「アスペックシール」と、ローターの側面の「サイド・シール」が「脱落」や「破損」する場合があったのだ。。。



さらに「サイド・ポート」の拡大と、この「弓形追加ポート」の位置と大きさを阻害する要因としては、ポートの近辺には「冷却用」の水路もあったのだ!

この「冷却用水路」も「ポート拡大」を妨げていたのである。。。

よいよ「マツダ」の「秘策」もここまでか・・と思われたその時であった。
誰とも無く呟いた・・・

「冷却水路を無くしてしまったらどうだろうか?・・」


急いで「熱分布」の見直しが行われ、そして・・・

「マツダ」の技術者達は、ポート周りだけ「冷却水路」を塞ぐという驚くべき対策を打ったのだった。。

その結果、さらなる「ポート」の拡大が可能になり、「10PS前後」の馬力を得る事に成功したのだ。

「サヴァンナRX-3」は最大で240PSを得る事が可能になり、「馬力荷重」で完全にGT-Rを上回る事が確実になったのだった。。。

その頃、GT-Rは激しい降雨の中、念願の「50勝」を手中に収めていたのだった。。。

豪雨 ハコスカGT-R 50勝目豪雨の勝利:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=202334


Posted at 2005/06/13 00:09:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
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「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...
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