七夕生まれの君へ
二十歳の誕生日、おめでとう。
君が生まれて、もう20年と言う月日が経つのですね。
実は、君が二十歳を迎えるのは奇跡かもしれないのです。
6歳の偶然受けた健康診断で、君の病気のことが初めて分かりました。
忘れもしません。
検査を受けた日の、夜の9時に、北里病院の先生から電話が入り、一体何事かとお父さんが電話に出たのですが、その時に、北里で検査を受けたから、北里の検査の機械だから分かったのが君の今の病気で、そのことを告げる電話でした。
翌日、とにかく病院へという事で、お母さんと病院へ向かい、そこで告げられたのは
「北里では手に負えません。この病気を専門で研究している先生が、僕の医者としての先生なので、そこへ紹介します。」
「お父さん。お母さん。酷な事を申し上げますが、この病気では、残念ながら 二十歳 まで生きるのは難しいと思います。」
まさに昨日までの幸せな家族の時間が、6歳で「死」を宣告されて、そこへ向かってのカウントダウンの始まりになてしまいました。
それでも紹介された先生の元へ行き、たくさんの薬が処方されて、毎月、毎月、検査とリハビリを兼ねて通い続けました。
すると、最初は 10000倍 を示していた、ある酵素の数値が 3000倍 くらいに落ち着いて、すぐに歩けなくなると言われていた君が、小学校の4年生くらいまで、なんとか歩き続けて、最後には 車椅子 になりましたが、元気に卒業することができました。
そんな君の頑張りを、学校のみんなも見ていてくれて、車椅子で卒業式を迎え、君の為に、校長先生が壇上から降りて、卒業証書を渡してくれました。
泣かないぞって頑張っていたお父さんでしたが、その瞬間に涙が溢れてどうする事もできませんでした。
中学校では、教室の移動の為に、車椅子のまま階段を上り下りできる機械を学校が用意してくれて、その機械を使う為に、中学の先生が講習を受けてくれて、君は車椅子のまま移動ができるようになって、クラスのみんなと同じ時間を過ごすことができましたね。
本当に多くの人たちの、思いやりと、努力のおかげで、高校まで君は車椅子のまま頑張ることができました。
ありがたいです。
そうした多くの人たちの支えのおかげもあって、そして、病院の先生たちの懸命な努力もあって、病気の進行を遅らせる事が出来て、病院の先生たちからも、良く頑張っているねって褒められるくらい治療に前向きで、そして、ダメかもしれないって言われていた 二十歳 の今日を迎える事ができました。
ただ、病気が治った訳ではないので、ゆっくりだけど、病気は進行していて、ここ数年は、それまで効いていた薬も効かなくなり、今日で来たことが明日にはできなくなるみたいに、毎日歯がゆい時間が多くなってしまった事は本当に辛いです。
毎日、静かに寝息を立てて眠っている君を見て、寝ている間、大丈夫かな、しんどくないのかなと、お父さんとお母さんは眠れない毎日が続いています。
でも、君は生きている。
もはや動かすこともできなくなってしまった足は、とても冷たくて曲げるのも辛いのに、腕も上がらなくなって服を着る事も、帽子を自分で被る事もできなくなっているのに、君はいつも笑顔で、逆にお父さんとお母さんを励ましてくれています。
予定日が 7月9日 でしたが、「七夕に生まれてくると良いね」って言ってたら、本当に、7月7日になった瞬間に陣痛が始まって、七夕に生まれてきてくれた君。
本当に君はお父さんと、お母さんにとって最高の子供です。
二十歳になったから、子供って言うのはおかしいかな。
まだまだ病気との戦いは続きます。
君が言葉を話し始めたころ、あやふやな単語を並べて話していたのに、ある時、
「僕はお空の上から、お父さんとお母さんを見ていて、とても楽しそうだな。お父さんとお母さんの所へ行けば楽しいだろうなって思って生まれて来たんだよ」
って言ったのには驚きました。
ちょっと前に「親がちゃ」なんていう心無い言葉が流行りましたが、お父さんは、それを聞いて、そんなことは無い、子供はちゃんと親を選んで生まれてきているんだっていつも思ってました。
君は、お父さんとお母さんを選んで生まれて来てくれたのです。
そんな君の事を、どんなことがあっても、親子として一緒の時間を大事にして、これからの時間も積み重ねてゆきますよ。
「二十歳までは生きられない」って言われても、頑張って病気と笑顔で戦って来た君を、お父さんとお母さんは楽しく、支えて、家族で一緒に歩いてゆきますよ。
生きていてありがとう。
生まれて来てありがとう。
また、新しい一年を一緒に過ごしましょう。
2023年7月7日
七夕生まれの君へ。父より
Posted at 2023/07/08 00:49:01 | |
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