昭和30年、当時の通産省は自動車の普及を狙って
「国民車構想」なる、今から見ればハチャメチャな御触れを通達した。
いかに、今もそうだが役人がクルマという事を理解していない・・という事が良く分かる逸話なのだが、具体的な要綱はこうだ。
「乗車定員4人または2人で100Kg以上の荷物が乗せられる事。最高時速100Km/h以上および時速60Km/h(平坦路)で燃料1リットルあたり30Kmの走行が可能な事、エンジン排気量は350~500cc、車重400Kg、価格は月産2000台で25万円以下」
おいおい、共産圏でもないのに「価格」と「性能」に乖離が見られるし、数値的根拠に乏しいものであった。
しかし、日本の技術者たちは、そんな無理難題に立ち向かった。
その構想に最初に手を上げたのが
「スバル360」だ。
航空機の技術を応用した軽量コンパクトなボディと大人が4人乗れるユティリティは当時驚異を持って受け入れられた。
航空技術を応用したモノコックボディを採用して、ボディの各所には何と!FRPを採用。
価格は
42万だった(42万5千円だったかもしれぬ)。
ちなみに当時の大卒者初任給が
1万2千円。それでも、クルマというものがグッと身近になった瞬間であった。
なんたって、その頃自動車の普及率は、北米では
「3人に一台」、日本では何と
「289人に一台」!!!
(ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォ-
という普及率だったのだ。
昭和30年代の東京都内。まだまだタクシーや商用車が主流だった。
スバルの後につづき、三菱500、トヨタ・パプリカ、そしてマツダR360クーペが発売された。
マツダのアプローチは簡単だ!
国民車構想を実現するためには、まず車重だ、クルマを小さく造ればよい、だったらドアは二枚で良い、国民車構想には2人乗りでもでも、という文言があるからという。
いかにもマツダらしいアプローチだ。
当時からマツダ、いや、東洋工業と言った方が良いだろう、デザインは秀逸だ。
こういった、構想の盲点ともいえる部分を最大限に利用して生まれたのがR360クーペだった。
しかし、さすがはマツダだ。そのデザインは今から見ても斬新で、古さを感じない。
あ~広告の女性のファッションなんて恐ろしく時代を感じるではないか!
男性の方のファッションだって、舘ひろし あたりが着れば今でも通用する!?モノだ。(笑)
価格も30万円!!当時の人たちもこれは欲しい!!!と思ったのだが、
さすがに2+2のクルマじゃ使い勝手が悪い、クルマは生活必需品、四人がしっかり乗れて、荷物も積めなきゃ・・・という時代、残念ながらR360は、そんな時代の要請には正直合っていなかったという事が不幸だったと言えるだろう。
結局、国民車構想は無理があるという事で、メーカーからも喧々囂々があり、いつの間にか立ち消えになってしまった。
しかし、R360クーペも含め、スバル360、スズライトなどの、後の各メーカの礎となるクルマたちが生まれたのだ。
今見ても個性的なクルマたち。
そんな個性が、今のクルマたちに欠けているとは思いませんか。。。??
Posted at 2005/04/16 10:01:09 | |
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