クルマの世界も生々流転、流行廃りがあるのは皆さんご存知だが、今の感覚で見れば、どうしてこんなクルマが成立してたのだろうか、というタイプのクルマもたくさんある。
今の若い方々には信じられないだろうが、
「ツゥードア・ハードトップ」 なんていうタイプのクルマもそんなクルマのひとつかもしれない。
昭和40年になるまでは、車型と言えば4ドアセダン、2ドアセダン、ヴァンが王道で、質実剛健なクルマが大半を占めていた。
まぁ、この頃までは、所得に対してクルマの価格が高価で、パーソナル性とか遊び感覚でクルマを持つなんて夢また夢で、単純に移動手段としてクルマを持つ事が憧れであった。
それが昭和40年代に入って、国民の所得が伸びて、クルマを持つ事がある意味でステータスという観点もそうだが、当たり前の存在になってくると、デザイン性や個性というモノが尊ばれる様になって来た。
そんな中、現れたのが、1965年のコロナのハードトップという車型で、
多様化するユーザーのニーズに応えて、ラインナップを広くする手法はこのT50系コロナから始まった。
窓枠の無い斬新なスタイルが一台センセーションを起こした。
一度、どこかが始めると一気に広まるのが世の常で、あっという間に 「ハードトップ」 という病気は、大型車のセドリッククラスまで広がって、ある意味で日本のクルマの車型のひとつのスタンダードになっていった。
最初は大衆車のひとつの形であったが、世の中の所得が益々上がって行き、さらにパーソナル性が求められるようになると、この 「ハードトップ」 という形は、もはや外せないモノとなり、特に 「ハイオーナーカー」 というローレルが切り開いたジャンルに於いては必要不可欠なものとなり、1970年代には各車各様な 「ハードトップ」 が出てきた。
僕的には、昭和47年にデヴューした 130型ローレルの ツゥー・ドアハードトップ が、他には無いオリヂナル性の高いデザインで好きなクルマの一台で、今でも強烈な印象を残している。
その後も、多くの車種で 「ツゥードア・ハードトップ」 は出てきたが、ご存じの様に北米で声高に言われ始めた衝突安全性の問題から、あっという間に 「ハードトップ」 という車型は絶滅してしまった。
日本に於いて、「ツゥドア・セダン」では無く、「ツゥドア・ハードトップ」が隆盛を極めたのは、それまでの「ツゥドア・セダン」は、4ドアセダンの亜流という見方と、廉価版という車種設定が多く、一段格下に見られていた雰囲気があるのだ。
一方の北米では、気軽に乗れて、室内も広く(特に頭上空間)価格も比較的安い「ツゥドア・セダン」が、一般家庭のセカンドカー、もしくはセクレタリーカーとして大いに重宝された。
日本では、とっくに「ツゥドア・セダン」なんて絶滅していたのに、北米向けには、随分遅い時期まで作って輸出していた事からも、そのことを証明している。
今見ると、安全性の問題は確かにあるが、「ツゥドア・ハードトップ」のクルマたちは実に個性豊かで見応えがある様に感じる。
ミニヴァンばかり蔓延る、今の日本の道路には無い、多種多様の個性が昔は溢れていたように感じる次第なのだ。
Posted at 2012/11/03 13:08:26 | |
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