とうとうというより、長い長い子供たちの夏休みも終わりを迎えた。
この夏は色々なイヴェントがあって、BX-Car も西に東に奔走したが、ウォッシャー液漏れ、エンジェルアイ用の LED が逝ってしまい現在左目が消えてしまっている。
どちらも、BX-Car の持病というモノで、さらに走行そのものには影響がないが、精神的には正直良いモノでは無い。あぁまたか・・・という諦めに気持ちもあるんだが、ピーピーとエンジェルアイの異常と、ウォッシャー液不足のアラームが点灯して鳴る BX-Car に乗り込み、ほんの少しだが、近所をゆっくりと流すと、スティアリングから伝わる路面の様子と、コーナーで軽く肩を入れて思い通りに曲がる姿に、やっぱり乗って楽しいと気持ちが、手がかかるという現実を忘れさせてくれる。
こんな不安定な気持ちを救ってくれているのが、僕が
主治医 と崇める 某ショップ の存在なんだが、最初に、このショップを訪れた頃は、確かに安くて腕もいい事で名が通っていたが、ピットもそんなに立派では無かったし、飛び込みで行っても、いつでも気軽に面倒を見てくれてたモンだった。
ピット横の壁も波板・・・でも、一生懸命に作業して、オーナーも迷惑しない様に遠巻きに見れたモンだ。
それが、訪れる客が増えて、ピットもだんだんと立派になって、飛び込んで行ってもなかなか訪れる客が多くて、スグには面倒を見られなくなってしまった。
ピットの建屋もしっかりとしたモノになって、この頃はみんなで立派に大きくなる事を喜んでいたんだが・・・
そのうちに、店舗が増えて、さらにメカニックや店舗の店員も増えて、なかなか、社長や、昔からいる店員の人と話す機会も減って来てしまった。
以前は、足の悪い子供と行くと、店員が子供には暇だろうからと、店の裏手の自然の多い林の中に散歩に連れて行ってくれたりもした。子供も、そんなショップの雰囲気と、優しい店員さんに会いたくて、僕が主治医に行く時は、かならず付いて行くと言ってたのだが・・・
ショップの裏に広がる自然。ウチの子供はショップの人とここへ行くのが楽しみだった。
最近はショップに着くと、新しい店員が、新しくできた 待合室 に連れて行ってしまうので、社長や昔馴染みの店員と話をする機会も無くなってしまった。
そうなると子供にとっても、待合室の修理などの待ち時間は苦痛以外の何物でもなくなって、次第に足が遠ざかってしまった。
以前は気軽に、アラームが出たので見てね!と言うとテスターで当たるくらいなら費用を取らなかったが、今では、クルマで何か一つでもメカが触ると、チェック費用やらで、金額は少ないがちゃ~んと請求書が出て支払いが発生してしまう。
いつも来店するクルマが多いので、まず飛び込みで修理や点検なんて不可能になってしまった。代車なんて一週間先まで楽勝でいっぱいで、クルマを置いて行く修理も増えた。
ショップもそこは重々承知で、メカを増やしたり、予約制を取ったりしているのが、そうなると、直接修理を行うメカとは話せても、昔馴染みの社長や店員と顔を合わす時間が増々減ってしまった。
確かに相変わらず腕もいいし、細かい費用を請求する様になっても、部品単価や技術料も安いのだが・・・・
それを維持するには、人数が必要で、多くの来店者に対応するために、それ用の部屋も必要になって、さらにそれらを維持するために、しっかりと必要な経費は請求するのは当然なんだが、昔からの客にとっては正直、寂しい気持ちがいっぱいなのだ。
他愛の無い会話をして、一緒になってクルマを見たり、考えたり・・・たまには社長の「忌憚のない一言」があったりと実に人間臭かったのが無性に懐かしく思えたり。
お気に入りのショップが、だんだん大きくなって、訪れる人も増えて、明らかに繁盛している姿は、馴染みの客としてはとても嬉しいのだが、それによって、なんだか他人行儀になってしまう現実に複雑な心境になるモノなのだ。
飛び込みでの修理や、行って直ぐの修理が不可能になった最近は、無理をしてでも自分でちょっとくらいの修理などをするようになって、出銭は減ったが、気軽にショップに乗り込んで、そこの人達と触れ合いながら過ごす時間が無くなってしまったのは・・・と感じている次第なのだ。
Posted at 2014/08/31 17:46:05 | |
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