日産創立80周年グランドフィナーレの会場に並べられていた、日産の勇者たちの中で、一番僕の胸をときめかせたのは、何と言っても 510ブルバードの1600SSSクウペだろう。
僕の世代で、この流れるウンカーこと「ハミングテール」は羨望の眼差しでいつも眺めていた。
そして、小学生の僕はこの流れるテールのブルを見つけると、無性に追いかけて、見も知らないドライヴァーにお願いして何度もウンカーを点灯してもらって眺めていたモノだ。
(まぁ、のんびりとした時代で、こんな小学生にも気軽に応じてくれる人が多かったモンだ・・・閑話休題)
このテールランプは、デザイナーの内野輝夫が、当初、左右一体で作る事を何度も求めたが、流石にコストと造り勝手(組立)で、社内からの「勘弁してくれ」の声に、泣く泣く左右に分割のモノにしたものだった。
この動画はオリヂナルのテールではないが、動作はまさにこのままだ。LEDにはない残照が逆に良い味わいを出している。
しかし、その左右のそれぞれの造形はダイキャスト一体で作られ、細かいディテールは見れば見るほど惚れ惚れしてしまうものだ。
センターのチェッカーフラッグの造形も実に手が込んでいる。
510ブルと言えば、サファリラリーでの活躍が有名で、このボディカラーの「サファリブラウン」もサファリでの活躍をイメージして追加されたカラーなんだが、このボディカラー追加で、販売台数が大幅に伸びたという伝説のボディカラーでもあるのだ。
僕の510のサファリでのヒーローは、飛ばし屋ジャックこと、ジャックシニアモンだ。
彼の速さは群を抜いており、現地でも絶大なる人気を誇っていた。しかし、そのアグレッシブなドライヴィング故にクルマを壊してしまう事も多く、事実1970年のサファリでは途中トップで走行していながら、コース途中の崖下に転落して一時、行方が分からなくなってしまった。
そして、彼が次に当時のDATSUN監督だった難波の前に表れた時には、
こんな状況になっても、チーム為に走り続けたジャックシニアモンの510ブル!バンチングタイムで屋根とフロントスクリーンは補修したが・・・
セダンだったブルーバードがクウペの姿になって帰って来た!と難波に言わしめる状況になっていた。
当時の様子を、難波氏は著作でこう回想していた。
私は走って来た1号車を一目見るなり、あっと驚いて目をこすった。
彼はダットサンSSSで参加したはずなのに、私の目の前に現れた1号車は、ダットサンクウペの姿になっている。
崖下に転落してしまい、クウペスタイルに屋根が潰れてしまったのだ。
前後の窓ガラスはやぶれ、ふきこむ雨に全身びしょ濡れになって走っていたのだ。
「崖に落ちたそうじゃないか」との私の問いかけに、彼は、
「昨年も途中で事故を起こしたし、ミスター難波に申し訳ないので、近くの住民を集めて、崖下から担ぎ上げて走って来たのだ」
と目を潤ませて報告する・・・・・
普通の外国人なら、クルマを捨てて諦めてしまうのだが、流石は「飛ばし屋ジャック」だと心を打たれた。
しかし、そうは言うモノのチーム先頭車より一時間以上差がついていたので、
「これからは、ガソリンスタンドを利用して、すべて、一人の力で走ってくれ」
と心を鬼にして彼に言った。彼も、私の苦しい気持ちを理解して汚れた顔をきりっとあげて力強く頷いた。
この後、ジャックシニアモンは二日間を走り切ったが、最終日前日、無念のタイムアウトに泣いたのだった・・・・
復活直後の貴重な画像を見つけた。チームのバックアップ無でも走り続けるジャックシニアモン。彼を揺り動かすのは「責任感」だけだ。
そんな日産やブルーバードの歴史を思い浮かべながら、サファリブラウンの510を眺めていたが、その時、主催者からのサプライズで参加者全員から驚きの声が上がったのだった。
Posted at 2014/12/28 10:57:55 | |
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