スズキの 「アルト ターボRS」 が大人気だ。
MTじゃない、AGS はダメだだとミッションに関する悪評はさて置いて、背の高いクルマばかりが街にあふれて、どれもこれ似た様なクルマばかりにヘキヘキしていた昨今。
じゃぁこれでどうだ!と言わんばかりの個性的なエクステリアと、溢れんばかりのスポーティさを引っ提げて来たのだから、それまでスポーティと言っても、せいぜい、赤いラインが入ったり、ド派手なエアロを装着したくらいのハッタリにも慣れてしまった目にも、確かに 「アルト ターボRS」 は、他所とは違うと認識せざる得ない雰囲気が漂っている。
実は、スズキは昔から、こうしたスポーティモデルで度胆を抜かさせることが得意で、それも中途半端では無く、やる時は徹底的にやるという社風があったように思う。
今回の ターボRS の登場で、多くのクルマ好きは、1987年にリリースされた、初代の アルト・ワークス を思い出した人が多かった様だが、僕は初代 フロンテ・クウペ こそ、実はターボRSの元祖だったような気がしてならないのだ。
1987年に発売された「アルト・ワークス」。余りの過激さに馬力規制のキッカケを作ってしまったくらいのイケイケ・モデルだった。
1968年。それまで、せいぜい20馬力くらいのモデルしかなかった、のんびりとした軽自動車の世界に黒船が表れた!その名は 「ホンダ N360」。
4サイクルで31馬力。それでいて価格は、それまでの軽自動車とほぼ同等の 31.3万円 という低価格で売り出されたものだから、それまで、わが春を謳歌していた「スバル360」を一気に蹴落として売れに売れた。
それを見て、たまったモノじゃないと王者、富士重工は二か月後、ソレックスを搭載して、それまでの25馬力から一気に36馬力まで引き上げた「スバル360ヤングSS」を登場させた。
それまでの質実剛健な思想から、どうしたスバル!?と言わしめた過剰装備の塊になったヤングSS
実はスバル360はモデルチェンジを翌年の早々に控えており、何をいまさらという声もあったが、あまりにもホンダN360の売れ行きが凄まじい、モデルチェンジまで市場を確保できないと焦ったこともあって、考えられる装備を詰め込んで、エンヂンも、もはやこれ以上はというレヴェルまで馬力を上げて来たのだが、正直、ブランニューで設計年次の新しい N360 には、全く歯が立たなかったのが現実であった。
そして、N360の衝撃波は、無論他メーカーにも波及して、軽自動車は一気に馬力競争に走ってしまったのだった。
そのスズキの答えのひとつが、「フロンテ・クウペ」だった。
Posted at 2015/03/24 00:09:22 | |
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