海の日のことですが…
姫路港へ行ってきました。護衛艦などなど、見られるとのことで。
近ごろ対応が複雑な息子をなんとか連れて、着いたのは午後3時。見学できたのは護衛艦はるゆき。
あちい…
甲板は暑すぎるけど自衛官はピチピチでした。鍛えればちがうんだな~。海にはクラゲがイパーイ。
護衛艦というのは、武装してますね~
ま、日本では銃口を自分に向けられることはまずない、と思えるからか、へー、と見るだけですが…
甲板には、活躍中のヘリが展示されていました。羽をたたんで格納するそうな。
カッケ~って、どっちも…
今年で30歳だそうです。はるゆき、がね。
あんまり自衛隊見学に連れていくと、息子が自衛隊に入っちゃうよ、と言われましたが、彼が望むならいいと思っています。私の祖父は漢口で戦死しました。大伯父はシベリア抑留から突然帰ってきたそうです。でも、一族誰も戦時中の苦労は語りませんでした。いつも集まれば大勢で楽しかった、東京の下町一族もだんだんと死んでバラバラになって寂しくなりました。東京のお盆はちょうどこの連休でした。子どもの頃の、お盆の迎え火から送り火、真夏の靖国神社参拝、離れると懐かしく思い出しました。
一度も会うことのなかった祖父の歳を越え、ようやくどんな悲しみや苦しみがあったのか、思いを馳せるだけはできるようになり、過去はどうにもならないことも知り、死んでいった祖父母たちはなんて強かったのかと、思います。
戦艦大和が好きな息子に、ひいおじいさんの話を伝えました。君は死んでいった、たくさんの命を受け継いでいるんだよ、と。
戦死した祖父のことは、どこで、いつ亡くなったのかさえ、祖母が死ぬと分からなくなりました。厚労省に尋ね、ようやく分かった情報はわずかで、もっと早く知ろうとすればよかったと後悔しました。しかし、祖母は語らなかったかも知れません。今でも、父を失った母に、なにか想い出を注いであげたいと、当時漢口にいた人がいたら、会って話をしたいと思っています。
内部も見学でき、動力室(川崎重工のガスタービンエンジンだそうな)、医務室(簡単な手術もできる手術台。オートクレーブも装備)などなど、見てきました。船の科学館で宗谷を何度もみてきましたが、それに比べれば広いけど、背の高い人には窮屈そうや~(´Д` )
最後に…
チョットめくれてますが、最後尾は若い男子自衛官に囲まれながら空いてました。
Posted at 2012/07/21 14:13:25 | |
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船 | 日記