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#通貨について:この旅行記では、ニュー台湾ドル(新台幣)を“元”、日本円を“円”と表記しています。なおこの旅の段階での為替は1元≒2.6円を目安にしてください。
● また違った気動車自強号に乗車
紅葉温泉でノンビリ朝風呂を楽しみ、ゆったり朝食を取ってから出発。
宿で手配して貰ったタクシーはメーターも倒さず走り出し、「値段を確認するのを忘れた!」とは思ったモノの、往路と同じ200元。駅と温泉との間はこの料金で統一されている様子。
そして瑞穂駅へ戻ったときには既に10時40分。少しノンビリし過ぎた感もあるのだが、偶にはゆったりした行程も悪くはないだろう。
瑞穂駅改札口
ホームへと入る
そして昨日と同じ特急相当の「自強号」に乗車。
但し昨日は最新鋭(?)のDR3100型だったのだが、今回は少し古いDR2800型。
ちなみに日本の東急車輌製のステンレスカーで、東急7000系と同じく、米バッド社のライセンスに基づいて製造された車体である。ちなみに導入開始は1981年。
(あくまで「車体」つまりボディの話であり、東急7000系の姉妹車という話ではないので誤解の無いよう…と言うか、根本的にディーゼルカーなのだが)
で、車内は台湾の優等列車として標準的な設備なのだが…この車輌の特徴として車内中央にアーチ型のゲートがあること。
特に機能面での要求で作られているわけではなく、風水的な意味合いで設けられた「装飾」に過ぎないとのこと。
しかし60年代~80年代の台湾の車輌ではよく見られる装飾とのことで、台湾の人がいかに風水を重視しているかと言うことが感じられる。
シートは「窓側カップホルダー付き、テーブル無し」という、至って台湾では普通の造り。但しチケットホルダーが存在しているのが珍しい。
そして途中駅で普快車(普通列車相当)を追い越すのだが、この追い越される列車がまた特徴的なステンレスカー。
こちらはDR2700型という車輌で、1966年に自強号の前身である「光華号」(特急相当)用に導入された車輌で、DR2800型と同じく日本の東急車輌で製造された車輌。そしてバッド社のライセンス云々という下りも同じ。
現在では正面を警戒色に塗装され、随分と印象が違っているが、往時は完全にステンレス色の車で、黒く煙を吐くSLを比較して、シルバーでスマートな印象から「白鐵仔」(“亜鉛の子”くらいの意味合い?)と呼ばれもてはやされたのだとか。
デビュー当時は台北-高雄を結ぶ、台湾を代表する列車だったのだが、半世紀近くを経て、今では台湾高速鉄道(台湾新幹線)にその座を譲り、台湾東部のローカル列車として余生を送っている。
本当は高鉄との新旧乗り比べという意味合いで、是非とも乗車したい列車だったのだが、如何せん本数が少なく、今回のような車窓見学に留めることに。
内部は今でも転換クロスシートで、“風水アーチ”も健在で、往時の雰囲気をよく留めているとのこと。普通列車としてはかなり豪華とも言えるだろう。
そして個人的に気になったのは、台湾の車輌には珍しく乗務員用扉が設けられていることだろうか。
そして列車は「平和」「志学」「吉安」と妙におめでたい駅名が並ぶ区間を通過していく。
● 台湾東海岸鉄道の歴史
花蓮駅へと到着。
ここ花蓮駅も、昨日訪れた台東駅と同様、街外れに位置しており、広い駅前広場を有してガランとした雰囲気の駅。
実は花蓮駅と台東駅には共通した事情があって…まずは台湾東海岸の鉄道の歴史から紐解いてみたい。
今でこそ、鉄道で台湾を一周できるようになっているものの、この環島鉄道が完成したのは、高雄方面と台東を結ぶ南廻線が開通した1992年とごく最近の話。
また台北方面と花蓮を結ぶ北廻線も1980年の開通と、比較的新しく、台湾の東西が鉄道で結ばれたのはこの時が初めて。
しかし東海岸の花蓮-台東相互間は、日本統治時代の1926年(大正15年)に鉄道で結ばれており、半世紀以上に渡って大都市が並ぶ西海岸と、ローカルな東海岸は別々に(結ばれることなく)鉄道が敷設される形となっていた。
そのため、東海岸の鉄道は独自の鉄道文化を形成し、1980年に北廻線で西海岸と結ばれるまで、軽便鉄道規格のナローゲージであったり、それでありながら特急列車や夜行列車まで運行されていたりと、なかなか興味深い状態で運行され続けていた。
(現在は西海岸の鉄道に合わせて改軌され、同一の規格となっている。)
で、この台湾東海岸鉄道の歴史と、花蓮・台東の両駅が街外れのガランとした所に立地している事とどういう関係があるのかと言うと…
※多少、細かな正確さを欠いて、わかりやすさを重視した説明になっています。
特に時系列はかなりずれているので、参考程度に読んでおいてください。
そもそも北廻線が1980年、南廻線が1992年の開業と、時代差があるにもかかわらず、それを無視して同時進行的に書いています。
また他にも貨物線が絡んでくるのですが、それらも無視しています。
まず東海岸の鉄道が完全に独立していた時代はこんな感じで、花蓮-台東間の単純な一本路線だったのだが…
ところが北廻線と南廻線が開通したときに、花蓮と台東できっちり両端に接続することはせず、市街地を避けて街外れで接続する形となった。
それに伴い従来の花蓮駅と台東駅は行き止まりの支線の駅となり、それぞれ「花蓮旧駅」「台東旧駅」と改称。
更に新線の本線上(当然街外れ)に「花蓮新駅」「台東新駅」という新たな駅を開設。
この段階では、新駅は操車場としての意味合いが強く、支線となった旧本線へと乗り入れる形で、列車は市街地の旧駅まで運行されていた。
しかしその後、何故か支線となった市街地への路線が廃止されてしまい、街外れの新駅がそれぞれ「花蓮駅」「台東駅」と改名し、現在に至っている。
そのため、花蓮・台東の両市とも、鉄道で街外れの駅へ到着し、市街地へバス乗り継ぎが必要となる事態になってしまっている。
…と、これが花蓮・台東の両駅がガランとした街外れに位置している理由。
但し新駅と旧駅が6km以上離れた郊外にある台東とは違って、こちら花蓮は2kmも離れておらず、一応市街地の片隅には入っているので、台東よりかは状況が良いといえるだろう。
まあこの程度なら高岡駅と新高岡駅くらいの感覚なのかも知れない。
そして、この花蓮と台東双方の旧駅が、鉄道関係の資料館的施設として整備されているのだが、今回は花蓮側のみを訪れることにしたい。
これは台東での時間の関係や、台東近辺には他にも行ってみたい場所があるので、次回以降の旅に課題として残しておこうという判断である。
● 花蓮名物ワンタンの昼食
まずはだだっ広い駅前広場で迷いながら、旧駅へと向かうバス乗り場を探し出す。
実はここ花蓮は台湾有数の観光地である太魯閣渓谷への玄関口と言うこともあり、多数の路線バスや観光バスが乗り入れており、タダでさえダダッ広い駅前広場で、お目当てのバス乗り場を探し出すのはなかなか大変。
そして窓口で、漢字で書いたメモを提示して切符を購入。(ちなみに後ろは台湾の鉄道時刻表)
そして30分ほどの待ち時間を経て、ようやくバスに乗車。
待ち時間がかなりロスになってしまったので、「やっぱりタクシーにしておけば良かったかな…」とも思ったのだが、結論から言うとこれは杞憂。
旧駅に到着し、お目当ての「花蓮鉄道文化園区」に入ろうとしたモノの…12:00から13:30までは昼休み中。
実は花蓮駅から14:30の列車に乗ることになっているので、そうなると駅までの移動時間を考慮して見学時間がかなりタイトになってしまうのだが…
ジタバタしても始まらないので、とりあえず私も昼食を取ることにして、花蓮の市街地を歩き始める。
旧線跡と覚しき道路
蒋介石像だろうか、布が被せられているのは常時なのか、それとも選挙が近いからなのだろうか…
しかし花蓮は、太魯閣渓谷という観光地が控えていることもあってか…街を歩いていると、常にタクシーの運転手から中・日・英いろいろな言葉で「どこへ行くんだい?太魯閣へ行かない?」としつこく勧誘される。観光客だと見るや、わざわざUターンしてくるほどである。台湾の他の地域でこんなにしつこい営業をするタクシーは見たことがない。
台湾のタクシーは、ボッタクられたり、変なところへ連れて行かれたりというトラブルは少なく(というか、経験したことがない)、安心して乗れるという印象が強いのだが、一部のガイドブックなどでは、「花蓮のタクシーに要注意」といった注意喚起がなされているのも見たことがあり、実際街を歩いていて「確かに花蓮のタクシーはめんどくさそう」と思ったのも事実。
そして昼食はガイドブックにも出ている、花蓮名物「ワンタン」のお店。
こんなメジャーな店に入るなんて、NEOCAらしくないぞ!…と言われるかも知れないのだが、時間の制約や街の雰囲気的に冒険する気分にはならず、安全なところでサッサと決めてしまった次第。
店にはいると、まずカウンターがあり、ここで先に精算を済ませ、席で料理を待つシステム。
カウンターには片言の日本語を話すお婆さんがいて、私を見るなり「ココ ワンタン ダケ。 イイカ?」(要はワンタン専門店)と訊ねられ、同意すると「ヒトツ デ イイカ?」と確認し、後はお金を払って席に座って待つように指示される。
そして運ばれてきたのがコレ。
かき氷風の容器はご愛敬として、薄味ながらしっかりとダシが出ているスープ、揚げタマネギなどの薬味、肉たっぷりのワンタン…と、実に基本的な構成ながら、これがナカナカ美味しい。
しかも日本人にとっても馴染みのある味なので、何ら抵抗無くスルスルと食べられ、正直「二人前にしておいても良かったかも?」と思ったほど。
● 花蓮鉄道文化園区を訪問
こうして昼食を食べ、再び面倒くさいタクシーの勧誘を振り払いつつ、今度こそお目当ての花蓮鉄道文化園区へと向かう。
ちなみに花蓮鉄道文化園区は入場無料で2つのエリアがあるのだが、時間がないこともあって、本来の順路とは逆になるものの、メインでないサブエリアから見学開始。
こちらのエリアは「工務段」と「警務段」の跡地で、日本風に言うと「工務部」と「警備部」と言ったところだろうか。
まず敷地内に入ると目に付くのが、回転台をイメージしたと思われる広場。
そして工務段の事務所跡と思われる建物は多目的室(?)に
そして鉄工所跡。おそらく線路など整備していた工場跡なのだろう。
そして今度は警務段跡。左側が事務所で、右側が拘置所と言ったところだろうか。
事務所跡は展示室に
先ほどクドクドと書いていた東海岸の鉄道の歴史についての解説も
そして往時の東海岸鉄道の写真も展示されている
そして拘置所跡にも往時の写真が展示されている
ちなみに漢字で書かれた解説から推測するに、この警務段に関しては日本時代のものではなく、台湾光複(中華民国国民党による台湾接収)後の混乱で、無賃乗車や車内における犯罪などが増え、それに対応するために設置されたものだとのこと。
そしてもう一つのメインエリアへと向かうのだが、道の反対側に、これまた鉄道跡と覚しき施設があったので、ちょっとだけ覗いてみる。
こちらはかつての操車場跡のようで、資料館的施設ではないものの、観光案内所や、「道之駅」(日本で言う「道の駅」ではなく、サイクリングターミナル的な施設?)などインフォメーション施設が設けられた複合的施設。
かつての車庫などの旧施設を活かしつつ、鉄道をイメージさせるようなデザインで作られているユニークな施設。但し閉鎖されているエリアが多く、閑散としているのが残念なところ。
そしてガランとしている花蓮旧駅跡。駅舎そのものや、多くの施設は取り壊され、町中にもかかわらずガランとした広場になっている。(かつて駅前にあった噴水に注目)
どうもこの旧駅エリアは駅の廃止後寂れ始めているようで、花蓮の中心街は新駅と旧駅の中間へと移っている様子。
そしてようやく花蓮鉄道文化園区のメインエリア。
こちらは駅そのものではなく、事務所的な庁舎や職員食堂、通信施設などの建物。
この建物は「駅」では無かったはずだが、改札口や切符売り場など、鉄道らしき雰囲気が作られている。
こちらも入場無料。しかしこの窓口で日本語で書かれたパンフレットなどを手渡して、見所などゼスチャーで案内してくれた。
中庭を囲むような構造
ここにも多目的室があり、資料館的施設だけでなく、公民館・集会所的な機能も持っている様子。
そして展示室へ
旧駅長室
そして往時の旧駅を再現したジオラマ
角度を変えて、今日訪問した施設をチェック
そして東海岸鉄道の100年に関する特別展
東海岸鉄道の全線開業は1926年だが、最初の区間の着工は1910年なので、厳密な「100周年」と言うのではなく、工事が始まってからおよそ100年の歴史、という意味なのだろう。
そして昔の写真も展示してあり、昨晩宿泊した紅葉温泉の写真も。
リフォームこそされているものの、半世紀以上前と基本的には何も変わっていないことがよく解る。
そしてあっという間に時間切れ。旧駅前に停まっていたタクシーを拾って駅へと戻る。
<つづく>