前々回のブログの最後に書いた言葉を再掲する。
『つまるところ「
それは本物なのか?」に対する答えであり、つまるところはメーカーの哲学を問うことになってしまうのだ。』
ボクは所謂スーパーカーブーム世代であり、クルマが大好きであり、クルマ自体もクルマを運転することも大好きだ。しかし残念ながら、ボクの人生(=時間)は限られており、生活を共にするクルマの数も限らざるを得ない。したがって、クルマ選びには同然、拘りは強くなる。
で、ここ数回のブログで頭の中を整理しつつ自分自身を振り返って見れば、要するにボクは先ず、メーカーのクルマ造りの哲学に共感出来るか?次いで、その哲学によって生み出されたクルマに納得が出来るか?これがクルマ選びの非常に重要なポイントなのだと再認識せざるを得ない。
世の一流の自動車メーカーは、そのクルマ造りの哲学において各社、素晴らしいものを持っている。しかし、メーカーの哲学のみでクルマ選びは出来ない。具体的な商品の出来を見極めなければならないからだ。そして、超一流と云われ続けるメーカーは、顧客の期待を裏切らない。
で、マツダである。このメーカーはボクにとってはとっても悩ましい(苦笑)。
マツダのクルマ造りはボクには非常に共感を覚える部分が多い。よってボクはこのメーカーが大好きなのだが、そのクルマ造りの哲学には、度々「???????????」ということがあるのだ。
いや、マツダが発信するその哲学には全く問題点は無い、と思う。むしろ「素晴らしい!」「最高!」「やっぱコレでしょう!」と言いたくなる。
ところが、、、
その哲学によって生み出されたであろうクルマを目の当たりにした瞬間・・・・・あれ?
「一体、このクルマのXXXは、どうしてYYYになっちゃうんでしたっけ?」
というのがあるのだ。その答えは往々にして得られることはなく、どうしても自分自身の中で納得がいかない。納得できなければ、そもそもそのクルマに魅力を感じられよう筈も無い。評価以前の問題だ。
1回目
ボクが最初に買ったクルマはマツダのRX-7(FC3S)で、その
出会いと別れの物語はブログに記したので重複してしまうが、ボクはFC3Sを3年半乗り、1991年暮れにFD3Sに買い替える
ハズだった。1991年と言えば!マツダがルマンで総合優勝を飾った、マツダとロータリーにとって記念すべき年である。ロータリーエンジンはツインローター、ロータリー・ターボと進化したが、ル・マンに挑戦するレーシング・ロータリーは1986年からマルチローター化を推進し、R26B 4ローターエンジンが日本車初となる栄光のタイトルを獲得した。
言うまでもないが、レーシングカー、レーシングエンジンは究極の速さ(パフォーマンス)を追求したものだ。優れたスポーツカーも市販車という制約こそあれ、目指すところは同じであるべき。
なんでレーシングカーのエンジンがマルチローターNAなのに、RX-7はロータリーターボなんだ?
この疑問の鍵となるのはレーシングロータリーがターボ化を断念した理由にあるのだが、ここでは割愛する。
ボクがここで言っておきたい点は以下の通りだ。
・レーシングロータリーはマルチローターNA化を推進し、ルマン優勝すら果たした。
・RX-7(FD3S)はターボを継続し、最終的にラインナップから落ちた。
・RX-8として復活したロータリーエンジンはNAだった。
FD3Sの開発を指揮したのは小早川隆治氏で、元RX-7開発主査として著名な方であるが、ボクは彼に良い感情を持っていない。ボクにとって彼は、マツダからロータリースポーツをラインナップ落ちさせたA級戦犯なのだ。FD3SがマルチローターNAに転換していれば、RENESISの開発も進化ももっと早かったろう。13B-REWが本来進むべきロータリーの進化の方向を捻じ曲げ、10年近くロータリーが本来歩むべき進化の途を停滞させたことは明らかだ。(と、ボクは思っている。)
2回目
言うまでも無く、我が
アクセラSKYACTIVの直進性問題である。
ただ、この問題は不問に伏しても良いと思っている。なぜならマツダは2010年プレマシーから「ダイナミックフィールの統一感」という考え方を採用し、SKYACTIVシャシーでは軽快なハンドリングと高度な安定性を両立すべく、既に誤った方向から転換を図っているからだ。
アクセラSKYACTIVでボクら夫婦が直面した問題は、言ってみればマツダの負の遺産であり、マイナー前のBLアクセラに与えた誤ったサスペンション設計の名残りだと理解することが出来るからだ。
しかしアクセラは世界戦略車にも関わらず、日本の法廷速度の範囲内なら良く走るが、その領域を超えていくと途端に心許なくなるとはどうしたことか?確かに速度無制限のアウトバーンが存在するのは欧州のみであり、世界の大半の地域の交通法規(制限速度)は日本と大差はあるまい。制限速度の範囲内で軽快感を演出出来れば、アウトバーン等の超高速域の安定性などはどうでも良い?という哲学か?それでは欧州の顧客は納得すまい。超一流を目指す会社のクルマ造りとは言えない。
3回目
もう何度も書いてきたが、アテンザにAWDのラインナップを見送ったことだ。ボクは
420Nm(42.8kgm)ものトルクを2000rpmから発するエンジンにフロント2輪ではトラクション性能が足りないと考えている。BMWはリア2輪駆動が基本であり、メルセデスは新世代のFFプラットフォームでは、大パワーエンジンには4maticを奢るという。ホンダはSH-AWDという優れた4WDシステムを開発しながら「それに見合う大トルクエンジンが無い」という理由でSH-AWDの市販化を10年以上、見送った。逆に言えばエンジンのトルクが強大であれば、迷わずSH-AWDを奢っただろう。
これらの一流企業に対し、マツダが大トルクのディーゼルエンジンをFFのみのラインナップとしている、その哲学はなんなのだ?
春先に某自動車評論家のご老人が「ディーゼルにMTの組み合わせが本質だ!」とか騒いでいたが、ボクに言わせれば「ディーゼルの大トルクをどういったシャシーやドライブトレインで吸収するのか?」の方が余程、クルマ造りの本質に関わる問題だ。なにしろ400Nm級の大トルクを持ったエンジンと言えばランエボやインプレッサのターボユニット等、モータースポーツベースの(形はセダンでも)スポーツカーのそれである。両車共に4WDとの組み合わせだが、基本的にはニッチ商品の特別なクルマなのだ。SKYACTIV-Dはマツダの量産エンジンであって、広く一般乗用車に塔載されるべきものだ。これをどうする?マツダは既にFF専業とも言える生産体制を敷いており、今更FRシャシーなどを安直に作ることなど出来ないのだ。
ちなみに前述の評論家はCX-5にMTが無いのをけしからん!と吼えておったが、マツダは海外ではMTを販売しており、別にMTを作っていないワケではない。彼がディーゼルをMTで乗りたい気持ちは理解してあげても良いが、MTが日本市場で売れるか否かはマツダの問題ではなく市場(つまり消費者)の問題だ。彼が何を"本質"と言いたかったのは未だに良く判らんのだが、それはまぁイイや。
話を戻して、マツダがあくまでFF一本で行くというなら、それも哲学だろう。それがどんな哲学なのか是非聞いてみたい。ボクのフラストレーションはこの点に尽きるのだ。
2004年のマツダ技報の巻頭言として、金井(当時)執行役員がこう記している。
マツダの商品の「志」
1.マツダのブランド戦略を体現する
2. 競合セグメントにおける“世界ベンチマーク”となる
3.全ての面で,“Better でなくBest”,“最高で超一流,最低でも一流”
4.開発/生産/販売/サービスする,購入/所有/使用する,“誰もが「誇り」の持てる商品”
さらに説明として、
「2.と3.は共に,「世界一と自他共に認められるレベルを実現する」ということを言っている。当たり前だが,従来の自分たちのパフォーマンスに比べて良くしただけでは,世界一の保証にはならない。世界一を実現するには,よく世界を見回して世界一(一流)の技術を知り,自らの工夫でその上を行く「超一流」を考える。もしどうしてもそれを越える工夫が思いつかない時は,謙虚に世界一に学ぶ。蛇足ながら,「学ぶ」は「真似る」から派生した言葉とのことである。」
とある。
会社を率いる執行役員の言葉として、実に感銘を受ける素晴らしいものだと思う。
マツダがこの言葉の通りに全力でクルマを開発しているとすれば、ボクには何の文句も出ようがない。
①FD3Sにロータリーターボを与えたことは正しかったのか?
②アクセラのあの直進性は、最高で超一流なのか?
この二点は既に過ぎたこととしよう。
③アテンザはFFだけで、メルセデス、BMW、Audiなどの一流を超えられるのか?
答えはマツダのクルマ造りで示してもらいたいものだ。
仏の顔も三度まで、ということわざもあるのだし(笑)。