俺がなぜここまでミニカダンガンに入れ込むのか?
それは俺の人生にあります。
1988年6月1日埼玉県戸田市で生まれて、すぐに川口市に引っ越してきました。
2歳でクルマに興味を持ち、最初はトラックや重機がメインでしたが乗用車系に移行し3歳からクルマの名前をアルファベットで覚え、クルマに乗ると絶対に寝ない子でした(笑)
自分は記憶に無いですが1歳半か2歳くらいの時に一般道で川口市から新潟県まで行った時にはクルマの中で全く寝なかったそうです(笑)
5歳~6歳の2年間通った幼稚園も楽しかったです。
しかし、小学校に入るといろいろ変わるんですよね(>_<)
小学校1年生の時までは楽しかったですが、小学校2年生で男性が好きだからという理由で『オカマ』呼ばわりされ、他にもいろいろ悪口言われて傷付きました。
小学校3年生でクラス替えがあり、初日に教室のドアの前に立つと『なんか嫌な感じがするから入りたくない』と思ったんです。
でも入らないわけにいかないので入りました(´・ω・`)
直感的中
都合のいい女子、お局的女子、などなどルックスはまあまあ良くても性格ブスが多くて……
自分も当時は高飛車で猫被りでプライド高くて、イイ子を演じてましたから自分にも非はあります。
しかし、元々の性格上『敵に塩を送る』ようなこともしてしまうので都合のいい女子にイジメられながらも利用されたり…
小学校3年生~4年生の間は無視や悪口、【菌】呼ばわりなされたりするイジメを受け、小学校4年生ですでに学校恐怖症になり、朝は腹痛や吐き気や頭痛などに襲われ夕方になると治まるというような毎日で当時はインターネットも無かったので症状の原因が自分でも分からず苦しい思いでいっぱいな中、学校行く行かないで母親と毎日大喧嘩し、死にたい・死なせてくれなどもう心の中は破裂寸前でした。
イジメられてるなんてなかなか言えなかったのでそうなってました。
そしてやっと母親にイジメられてることを告白し、小学校5年生頃から徐々に不登校気味になってました。
仲のいい友達とはよく遊んでましたけどね(笑)
そして小学校4年生の時に母方の伯父が乗っていたミニカダンガンZZと出会い一目惚れ。
画像はZZ-4
ダンガンに夢中になりダンガンのイラストを描いては眺め、このクルマに絶対に乗ると決めました。
小学校5年生でまたクラス替えがあり、今度は『嫌な感じはしない』と教室には普通に入れました。
しかし、同じクラスだったイジメてきた女子とは違う女子達が手のひらを返したように頻繁に話しかけてくるようになり、過去のあれは一体何だったの?と自分的にはなんだか裏切られたような気持ちになり、一気に人を信じられなくなり小学校6年生の終わりのほうにはほぼ不登校状態。
学校恐怖症は治らず、仮病と勘違いされ父親に寝ていたところに怒鳴り込まれ『なんで学校行かないのか』と一方的に怒鳴り、俺は寝ていたのに怒鳴られ訳が分からずただただ恐怖でいっぱいで話すこともできず、その間父親は怒鳴って叩いて蹴ってプラモデルを床に叩き付けて破壊してまた怒鳴り、俺の気持ちは無視したまま部屋を出て行きました。
あまりに突然の出来事で恐怖で泣くことしかできませんでした。
心が苦しみで破裂寸前だったのがこれで限界を迎え、心が完全に壊れました。
小学校卒業し、卒業後に撮る写真も全て俯いたままで暗い表情のものばかり。
中学ではさすがに小学校の時とは違うだろうと楽しみにしていたのですが、先生の怒鳴り声で怖くなり、同級生や先輩の女子にモテモテで一度に20人くらいの女子に囲まれて怖い思いをしたと思ったらイケメンなのに性格最悪な名前も知らない同級生に嫉妬されて絡まれて、もう全てが嫌になり完全不登校に。
女子にイジメられて女子にモテモテになるなんて恐怖でしかなかった(´・ω・`)
そして学校恐怖症がうつ病になり社会不安障害も併発。
夜中になると毎日1人で泣いてました。
そしてまた部屋に父親が怒鳴り込んでくるんじゃないかという恐怖感。
不眠症と食欲低下で寝れない食えない状態でいろいろツラくて自殺願望にも支配され、もう絶望…地獄でした。
小学校4年生からずっと学校にも家にも居場所がない状態で、誰も助けてくれないし絶望感の中で唯一心の支えだったのはずっと持ち続けてるスヌーピーのぬいぐるみとミニカダンガンでした。
スヌーピーのぬいぐるみに話しかけ、ぬいぐるみと自分とで会話をするように一人二役をして苦しみやツラさを少し和らげて、ミニカダンガンのイラストを描いたりダンガンの姿を思い浮かべたりしてなんとか生きる力にしてました。
17歳の頃にこの苦しみとツラさから脱するにはどうしたらいいものかと、【生きるとは何か?】【人間の心理や行動について】【人間の育つ環境と人格の出来かたについて】【先入観と価値観による人間の考え方について】【人生とは何か?】【あの世とこの世】などなどを地球規模・宇宙規模の広い視野で独自に研究していき、いろいろ悟った上で【考えや物事の捉え方の変換・転換】を実行し苦しみから脱することができました。
壊れた心の再構築で過去の自分は消え、新しい自分へ生まれ変わることもできました。
廃人から人間に戻ることもできました。
【コケたらコケただけ他人には見えない世界や景色が見え、コケる度に違う景色が見える】ことにも気付けました。
【不幸は自分の価値観や心が作り出すもの】ということにも気付けました。
他にもいろいろ気付いたことはたくさんありますが『名言集』みたいになってしまうのでやめます(笑)
もしもミニカダンガンに出会っていかなかったら、もしも伯父がミニカダンガンに乗っていなかったら俺の人生は変わっていたかもしれません。
もしかしたら地獄に耐えられずにこの世から消えていたかもしれませんし、生きてたとしてもみんカラもやっていなかったかもしれませんし、みなさんに出会っていなかったかもしれません。
ミニカダンガンに出会えたからここまで生きてくることができたし、みんカラもミニカダンガンをキーワードにインターネットで見つけられたし、みなさんにも出会うことができました。
三菱自動車が生んだ1車種でこんなにも助けられるとは思っていませんでした(^^;)
ミニカダンガンは自分にとって人生の一部であり、恩人…いや恩車であり、何物にも代え難い存在です(*^^*)
そういう存在だから伯父から伯母に引き継がれたダンガンが俺の手に渡る直前に廃車になったときに、食事も喉を通らない・落ち込む・抜け殻の大失恋状態になったんです(笑)
そういう理由で俺はミニカダンガンに入れ込むのです(*^^*)
それにヴィヴィオやサンバーと甲乙付けがたいくらいクルマとしての出来やバランスも素晴らしいですし( ´艸`)