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烏龍茶HIDEのブログ一覧

2008年06月30日 イイね!

思いっきりビックリした。。。。

思いっきりビックリした。。。。それは先週の土曜日の夜、TVで「ごくせん」が最終回ということなのでビデオで撮ろうと思って番組表を見たら、ちょうど裏番組でやっている「世界不思議発見」エチオピアのレポートだと書かれていた。
何だか懐かしくて、これもチョット録画しておこうかと。。。。


ご存知の方もおられるかも知れませんが私 烏龍茶HIDEは、32歳から34歳迄の2年間を青年海外協力隊で東アフリカのエチオピアに赴任していました。

ちょっと説明すると、エチオピアの首都アジスアベバに有る、地下水開発局というところの車両機材ガレージで、主に自動車や井戸掘削機械の整備などを指導していた。

協力隊の場合、配属先は官公庁の管轄下の職場で、技術指導は主に職場で選ばれたカウンターパートと呼ばれる相手に対して行なわれる。

そして隊員の出した選抜審査がパスしたら、カウンターパートを日本に研修に送る場合も有る。


さて話をテレビに戻そう。

日曜日に録画した「世界不思議発見」を見始めて ビックリ した。

番組は前半に現地の結婚式の様子を紹介し、後半は北部の岩窟教会をレポートするという構成だったのですが、番組が始まってすぐに現れたエチオピア人が、レポーターにいきなり日本語で挨拶して流暢な日本語で話し始めた。



まぁ、そこまではある程度予測していた。

というのも、私が赴任していた20年前にも、確かこの番組だったと思うけど、現地の取材を裏方として手伝ったことが有ったからだ。

その時は、エチオピアの「コーヒーセレモニー」を取材したいとのことだったので、私の知人に頼んでカメラの前でやってもらった。
(その知人は後の私の先妻ですが。。。(^m^)) )
 
次の画面を見た瞬間、思いっ切りビックリ!!



彼の名前が出たが、私の教えていたカウンターパートの兄だ。

この兄も以前に地下水開発局で働いていて、彼も協力隊員のカウンターパートとして技術指導を受け、後に研修生として日本に行ったことが有り、その後日本で長い間暮らしていて、私も東京で彼に会ったことが有った。

テレビに映っている彼の家も、私は訪問したことが有り、記憶に残っている光景だ。

その後、現地式の結婚式の様子が流れ、私は内心「うんうん、俺が現地で式を挙げた時もこんな式だったな~。」と思ったが、横で今の嫁さんも視ているのでそんなことは口にはもちろん出せない。 (^m^))

しかし。。。。

彼は、日本に住んで居た時、確かフィンランド人女性と結婚したと言っていたように思うのだが、今回の番組内では25歳年下の23歳のエチオピア女性と結婚式を挙げていた。

まっ、彼のことを言える俺ではないが。。。。

(^0^))
Posted at 2008/06/30 20:39:33 | コメント(6) | トラックバック(0) | 青年海外協力隊時代 | 音楽/映画/テレビ
2006年10月09日 イイね!

ヤフオクでこんなことが。。。。

タイトルを見て、「はは~ん、売買に関するトラブルだな!」と思われた方がほとんどではないかと思いますが、先に謝っておきますね、“期待外れでゴメンナサイ!”。

ではYahooオークションで何が有ったかを、少し長くなりますが、順を追ってお話しましょう。

私は今から19年前、それまで10年勤務した自動車のディーラーを退職し、青年海外協力隊に応募し、アフリカに行ったのですが、その派遣前の3ヶ月間を東京は高級住宅地の広尾のど真ん中に在る協力隊の訓練所で過ごし、毎日朝から晩まで語学を中心として、医療、文化、援助活動理念などのかなり密度の濃い授業を受けました。

その当時の同期隊員は広尾訓練所には全国から集まって来た、色々な職種の男女合わせて確か150人位が寝起きを共にしていたと思います。

訓練所の生活は、名簿順に男性8班、女性2班に別れて各班毎に同室での共同生活でした。

私の属していた班は18人編成で、下は大学出たての体育教師で22歳、上は船舶機械の35歳というバラエティに富んだ集まりでした。

訓練所で3ヶ月間寝起きを共にすると、兄弟のような感じになり、その後皆バラバラに別の国に赴任した後も、隊員活動中は手紙のやり取りなどで近況を伝え合っておりました。

しかし、派遣国によって文化や風習なども異なるので、どうしても共通の話題には乏しくなり、任期が終了して帰国後は、同じ国に派遣されていた者どうしは、先輩、後輩関係なく交流が続いているケースが多いのですが、訓練所の仲間とは疎遠になるのがほとんどのようです。

そて、またオークションに話を戻しましょう。

私は、結構Yahooオークションを利用していて、烏龍茶HIDE号に付いているパーツの9割位はオークションで購入したものです。

そして昨日も、メーター照明をLEDにしてみようと、ふと思い付き、例によってオークションを見て適当なパーツが無いか探していました。

そこで目に付いたある商品を落札したのですが、その相手からのメールの差出人名を見ると、どうも訓練所当時の仲間の名前のような・・・・。

でも、彼は確か協力隊では、畜産系の学校を出ていたので食品加工の指導で南米に行ったハズなのに、LEDの販売???という疑問は有ったのですが、とりあえず今朝電話を入れてみました。

私:「あの~、○○さんて、もしかすると昔海外に行っておられませんでしたか?」

彼:「はい、それが何か????」

私:「私、協力隊の訓練所で8班にいた○○というのですが。。。」

彼:「えっ! ホントですか、いゃ~懐かしいですね~! かれこれ20年近く前になりますかね?」

ということで、いっぺんに当時にタイムスリップ。
少し、お互いの近況を話して、またメールを入れるということで電話を切ったのですが、こんな偶然も有るのですね!

私が今こうしてPCを使ってインターネットも楽しんでいますが、PCの前にワープロを初めて買ったのが、この協力隊でアフリカに行く直前の訓練期間中で、全くワープロに付いて何も知らなかった私に色々と教えてくれて、秋葉原に一緒に買いに行ってくれたのが、彼でした。

今日はこの秋一番と言っても良いくらいに雲一つ無い青空で、快晴です。

朝からこんな出来事が有ったので、気分も快晴!



Posted at 2006/10/09 10:16:01 | コメント(3) | トラックバック(0) | 青年海外協力隊時代 | 日記
2006年02月26日 イイね!

雨でヒマだったので、もう少し続きを

雨でヒマだったので、もう少し続きを先のブログの続きです。(雨でヒマだったもので・・・。)

さて3週間の語学研修も終わり、いよいよ配属先に配置されることになります。

上の写真は私が2年間在籍したWWDA(Water Well Drilling Agency = 地下水開発局)という日本政府の円借款により設立された機関の資材ガレージの遠景です。

首都アジスアベバの南の外れに在り、市内中心部から乗り合いタクシーを2回乗り継いで行くのですが、その途中に東京オリンピックのマラソン金メダリストのアベベ・ビキラの墓の有る墓地の前を通って行きます。(若い人は名前を知らないと思いますが、昔はマラソンと言えばアベベと、セットになっていたような超有名選手です。)



そして敷地に入ってすぐに目に入って来るのがこの光景で、以前に日本などから贈られた援助機材の発電機や車両が置かれています。
ただ、残念なことにこれらの大半は故障しており、スペアパーツが無くなってからは資金面で購入出来ないので思うように直せません。

なら別の壊れた機械からパーツを流用して別の故障している機材を直せば良いようなものなのですが、当時の政権による社会主義体制下では、そのような行為は違法扱いで許されませんでした。
まっ、日本でも融通の効かない頭の固い役所仕事ですが、これが社会主義となって国家体制でやっているわけですから、その何百倍も融通が利きません。

何をするにも公式なレター(公式書類)が必要となり、例えば私が掘削の現場に機材の故障を直しに出張修理に行こうとすると、まず私の州境を越える許可書を申請し、出張に乗って行く車両の許可、燃料注入の許可、スペアパーツ及び工具類の持ち出し許可、出張旅費の申請、スペアパーツが無くて購入が必要な場合はその為の許可、その購入代金の許可、それらの機材の州境を越える持ち出し許可、同行のドライバーの許可などが必要で、それらを申請してから許可が下りるまでに最低4日位は掛かります。

とにかく何をするにもオフィシャル・レターが必要です。



そしてこれが実際のガレージで、トタン板で作られた粗末なガレージですが、日本人が10数年にわたって技術を教えているので、彼らの技術レベルは結構高いです。

ガレージの方からこちらに向かって歩いて来るジーンズの上下を着た人がこのガレージの責任者でチーフメカニックです。

手前右の赤いスニーカーの女性(ですよ)は、同一敷地内に有るWASSAという同様の水道関係の機関に属しているワークショップ(工作所)の旋盤工です。

車両は古い型のランクルやイスズや三菱の大型トラック、アメリカ製の大型トラックにドリリングマシンが架装されている、ばかデッカイはしご車のような物とか、ロシア製や東欧製のわけの分からん4駆などを合わせると60台位有りました。

そして大型の発電機や水中ポンプなども数十台有り、これら全てが私の保守整備技術指導の対象です。

Posted at 2006/02/26 19:51:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | 青年海外協力隊時代 | 日記
2006年02月26日 イイね!

ネタ切れなので・・・

ネタ切れなので・・・風邪で寝ていたのでロードスターネタが無いので、ちょっと昔話など。(^o^)/

私がマツダディーラーを、突然退職して青年海外協力隊に参加したのは32歳の時で、22歳で中途入社でディーラーに入り、とりあえずガムシャラに働き、同期入社や先輩達を追い越して営業所を任される所まで一気に駆け上がったのですが、気が付けば世間はバブルの少し前の時期で、車もあまり壊れることが無くなりつつあり、会社としても修理や点検だけではやって行けなくなる気配が漂い始めていました。

そして何を思ったのか会社は健康器具や宝石なども売るように指示が出て来るはで、私としては「これは何か違うぞ。 俺はこんなことをする為に整備士になったのじゃないぞ!」という気持ちがどんどんと膨らみ始め、それが頂点に達し「自分が身に付けた技術を、もっと必要としている人がいるはず。」と思ったら辞表を出していました。

写真は始めての配属先であるエチオピア(何処に在るか知ってる?)の首都アジスアベバに到着して2週間目頃で、現地での語学研修中のある日の街中でのスナップで、真ん中後方で帽子を被っているのが私で、その横の吉田栄作風の彼は同期の隊員です。

どこでも珍しがられ、立ち止まってカメラを出せば、アッという間にこれくらいの子供達に囲まれます。

この続きは、またネタ切れの時に!
Posted at 2006/02/26 15:17:00 | コメント(5) | トラックバック(0) | 青年海外協力隊時代 | 旅行/地域

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