F1キンダーガーテン記事抜粋
>材木商として財をなしたケン・ティレルは、1968年にマトラのチーム監督としてF1の世界に飛び込んだ。翌69年には早くも、ジャッキー・スチュワートとともにタイトルを手にする。
1970年、マトラの体制変更に伴い、ティレルは独立を決意。当初はマーチの車体で参戦を始め、その年の終盤にオリジナルマシン001を完成させて一躍トップの仲間入りを果たした。翌71年には003でダブルタイトルを獲得して見せた。
72年はロータスのエマーソン・フィッティパルディに破れたものの、73年には新車005を投入して再びタイトルを奪還した。なお、初期のティレルはシャシーナンバーが車名を兼ねるため、001~004、005~006はほぼ同型車となっている。
005はティレルのマシン作りの哲学に基づき、イギリスのコンストラクターらしいコンベンショナルなコーナリングマシンに仕上げられている。フォードDFVエンジンにヒューランド製FG400を組み合わせ、モノコック方式のアルミ製ボディにスポーツカーノーズ。
当初はノーズ内に収めていたラジエーターをサイドポッドに移設し、オイルクーラーをフロントに設置した2台目のシャシーが006。先に製作された005の1台目も同様の改造を受け、006Tと改称され、これ以降ティレルでも形式ごとのモデル名で呼ばれるようになった。
スチュワートはこの年、3度目のタイトルを獲り史上最多27勝の記録を打ち立てたものの、エース禅譲を決めていた愛弟子フランソワ・セベールをアメリカGPの事故で失い、引退。ティレルもこれ以降、タイトルに恵まれることはなかった。
1973年西ドイツGP
ティレルというと、自分がF1を見始めた時は中堅どころになってまして、イキのイイ新人発掘がうまいチームという感じでした。
70年代から見ている方はタイレルの6輪車とかジャッキー・スチュワートの印象が強いのかもしれませんね。
後追いでしか往年のティレルのことはわからないのですが、その中でも006は特別な輝きを放っているマシーンだと思います。
1973年の西ドイツGPの映像は美しいと思います。
トップを走るジャッキー・スチュワートと2位のフランソワ・セベールの隊列は芸術ではないかと思います。
それにしても、ニュルの北コースでのF1は、観戦する側は退屈ではないかと思われるのですが、いかがなものでしょう!?
1回通り過ぎたら、しばらく帰ってきませんよね!?
どうだったのか気になります。
映像を見る限り、耐久レースみたいな印象を受けたのですが。
Posted at 2010/07/02 17:13:00 | |
トラックバック(0) |
F1名勝負 | クルマ