お待たせしました!
欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015は、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2として、こちら↓前回お伝えした“エンツォの生家”の前に建つ、近代建築のミュージアムホールで開催されていた企画展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”についてレポートしていきます。
実はこのミュージアムホール、エンツォの生家よりも規模が大きく広大なので(笑)、2回に分けてレポートしたいと思います。今回は、エントラントの展示物と戦前のマセラティ レーシングカーの遍歴についてお伝えします!(例にもれず、大変長くなっておりますので、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
まずはエントラントの展示を見てみましょう!
1921年/1922年 アルファ ロメオ G1(Alfa Romeo G1)
この展示車は、アルファロメオの自動車技術者ジュゼッペ・メロージ(Giuseppe Merosi)によって、戦前(第1次大戦前)のラクシュアリーモデル “24HP”と“40/60HP”の進化版として開発されました。
荘厳な佇まいの“G1”は、当時アルファ ロメオによって生産されたクルマの中で最大で、当時の自動車マーケットで販売台数の増加を狙って、先代モデルより長く、そして強固なシャシを備えられました。
パワーユニットは、6,567cc,65馬力の高性能な直列6気筒エンジンを搭載したこの“G1”は、“コッパ・デル・ガルダ(Coppa del Garda)”のプロダクションカークラスで優勝するなど、レースにおいても成功を収めたようです。
この時代のレースカーは、クルマのボデーがまだ一体になっていなく、前から順にラジエーターグリル→エンジンカバー(ボンネット)→コクピット→ガソリンタンク→スペアタイヤといった感じに、シャシに載っているだけなのがスパルタンでカッコいいですね♪
1959年 モトスカーフォ ティモッシ - マセラティ KD800/900kgレーサー (Motoscafo Timossi - Maserati KD800/900kg Racer)
30年代前半から、マセラティ エンジンは水上での成功とも結びつきを強め、数々の世界速度記録(World speed record)を獲得しました。この伝統は1950年代まで続き、'59~'69年の間には800kgクラスと900kgクラスで11年連続でワールドタイトルを獲得するまでになりました。
ティモッシのパワーボートには、5,700ccや6,400ccのマセラティV8が搭載され、リーノ・スパニョーリ(Lino Spagnoli)やフラヴィオ(Flavio),ジョルジオ(Giorgio),リボリオ(Liborio)のグイドッティ(Guidotti)親子、エルマンノ・マルキジオ(Ermanno Marchisio)、ジャン・ルイジ・クリヴェッリ(Gian Luigi Crivelli)の手に委ねられました。展示されているボートは、1969年にクリヴェッリがワールドタイトルを獲得したパワーボートで、5,657cc,480馬力のDOHC V型8気筒ユニットを搭載しているそうです。
1953年 アルノ XI - フェラーリ ハイドロプレーン(Arno XI - Ferrari Hydroplane)
レーストラックでの成功がフェラーリとパワーボート界を引きつけ、マラネロで生み出されたエンジンはボートレーサー達をも魅了しました。この“スリーポイント ハイドロプレーン”は、800kgクラスのためにティモッシ(Timossi)が製作したボートで、1953年10月15日にアッキレ・カストルディ(Achille Castoldi)が操り、241.708km/hの世界速度記録(World speed record)を樹立したことで有名になった機体だそうです。
フェラーリは、この機体のために4,493.7ccのV型12気筒エンジンを提供しました。このエンジンは、1951年にフェラーリがF1で初めて優勝した際にフロイラン・ゴンザレス(Froilan Gonzalez)がドライブした“フェラーリ375 F1(Ferrari 375 F1)”のユニットでした。このF1用ユニットに、さらに2基のルーツ式スーパーチャージャーを追加することで510馬力を発揮したそうです。
このパワーボート、以前 御殿場にあった“フェラーリ美術館(松田コレクション)”にビッグスケールの模型が展示してあったので存在自体は知っていましたが、まさかここでお目にかかれるとは思いませんでした!しかも、フェラーリの歴史的にも貴重なパワーユニットをさらにチューンして搭載してしまうあたり、やはりエンツォは現役のレースでの勝利以外には興味がなかったのか・・・^^;
では、マセラティ100周年記念展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”をレポートします。
【イントロダクション】
エンツォ・フェラーリをメインテーマとしている当ミュージアムが、この“マセラティ100周年記念展”を開催することは、驚くべきことではありません。それはマセラティとの競争無しには、マラネロで生み出されるクルマ達は多くの成功、及び称賛を得ることは出来なかったからです。
マセラティは、エンツォがまだアルファ ロメオのレーシングドライバーであった1930年代から、“スクーデリア フェラーリ”の強力なライバルとして存在していました。エンツォは、アルフィエリ(Alfieri),マリオ(Mario),エットーレ(Ettore),エルネスト(Ernesto)のマセラティ兄弟をよく知っていました。そして、彼らはレースカーのシンボルとして“トライデント(Tridennt):三叉槍”を選びました。それは、ボローニャ(Bologna)市のシンボルであり、マセラティはボローニャを本拠地とする会社でしたが、モデナの実業家オルシ家(Orsi Family)に買収された際に、本拠地をモデナに移したことで、後にフェラーリと激しいライバル関係となりました。
なぜ“後に”なのかというと、マセラティが1939年と1940年に世界的に最も有名なレースの1つである“インディアナポリス 500 マイルレース”に勝利を収めていた時、フェラーリはまだ最初のクルマ(アウトアヴィオ・コストルツィオーネ 815:当時はまだ名前さえも決まっていなかった)を開発している最中でした。
“トライデント(Traident)”と“カバリーノ ランパンテ(Plancing Horse)”が剣を交えたのは戦後になってからで、その当時ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)は両方のメイクスで、F1ワールドチャンピオンに輝きました。このモデナとマラネロという僅か数kmの間で繰り広げられたライバル関係は、ロードカーにおいても同様であり、素晴らしいグランドツーリングカー(Gran Turismo)が両社から生み出されました。
モデナ、そしてイタリアのモータースポーツ界のランドマークとなった、このエキサイティングな戦いは、1960年代に一時中断されます。この時期、フェラーリがフィアットグループからの強力な支援を受け経営が安定する一方で、マセラティは親会社が幾度となく変更になった結果、レース活動を断念し、ロードカーマーケットにおいても異なる立ち位置を余儀なくされました。
この有名なトライデント(Trident)の“再生”の時は、1990年代にマセラティがフィアットグループに買収されたことでやってきました。そして、その再生は、かつてのライバルであった“フェラーリ(Ferrari)”に委ねられたのです。2003年に発表された“クワトロポルテ(Quattroporte)”が、その新しいスタートとなりました。今回の企画展ではマセラティの100周年を祝い、かつてない規模で重要かつ歴史的意義の大きいモデルや驚異的なモデル達を展示しています。
と、かなり驚異的な企画展のようです^^;
さっそく観ていきましょう♪
1954年 マセラティ A6G/54 カブリオレ フルア(Maserati A6G/54 Cabriolet Frua)
1954年にマセラティは、レーシングシーンから派生したDOHCユニットを使った“A6G/54”の生産を開始し、ボデーワークはフルア(Frua),アレマーノ(Allemano),ザガート(Zagato)のカロッツェリア(ボデー架装工房)に割り当てられました。ピエトロ・フルア(Pietro Frua)は、ベルリネッタとコンバーチブルの2つのボデーワークを提案し、2種類のボデーが架装されました。展示車両は、コンバーチブルヴァージョンの最初のクルマで、イタリアの自動車雑誌“クアトロ ルオーテ(Quattroruote)誌”で初めてカラー印刷が採用された1957年1月号で、特集された個体でもあるようです。
まずは、イントロダクションとともに展示されていたA6G/54。1965cc,150馬力のDOHC直列6気筒エンジンを搭載して、最高速度210km/hを実現しました。
では、展示エリアに入っていきましょう!
1929年 マセラティ ティーポ 26B(Maserati Tipo 26B)
“ティーポ 26(Tipo 26)”は、ラジエーターグリルに“マセラティ(Maserati)”の名が初めて示されたグランプリカーで、ボローニャの会社を世界的なマニュファクチュアラーに導きました。
アルフィエリ・マセラティ(Alfieri Maserati)によって設計された“ティーポ 26”は、パワーと軽さを両立させ、そしてロードホールディング性能、制動力にも優れていました。1,100cc~2,500ccのエンジンを使用して約43種類の様々なヴァージョンが造られた“ティーポ 26”は、当時のジェントルマンドライバーのための最高水準のレーシングカーでした。
展示車両は、1,980cc,155馬力のDOHC直列8気筒スーパーチャージドエンジンを搭載して、最高速度は210km/hに達したそうです。
1926年 モトーレ マセラティ ティーポ 26(Motore Maserati Tipo 26)
このエンジンはマセラティ(Maserati)のロゴが初めて与えられたエンジンで、創業者アルフィエリ・マセラティによって設計されました。
マセラティのパワフルかつ軽量なエンジンは、初めから最先端の技術が盛り込まれ、特にDOHCヘッドとスーパーチャージャーは、1947年に“A6 1500”が登場するまでのすべてのマセラティ エンジンに特徴づけられました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:60 × 66 mmの1,493cc,128馬力/6000 rpmだそうです。先端に配置されたスーパーチャージャーから各気筒まで、インテークマニホールドが伸びているのが↑見られますね。
1932年 マセラティ ティーポ V4 スポルト ザガート(Maserati Tipo V4 Sport Zagato)
この“16気筒モデル”は、マセラティの仕事を継続するうえでなくてはならないものでした。アルフィエリは、前述の“ティーポ 26”の2リッター直列8気筒ユニット2個を使い、2本のクランクシャフトをギヤで結ぶことで、1つのクランクケースに組み込みました。
1929年、“ティーポV4”はクレモナ(Cremona)で“フライング10km”における世界速度記録(World speed record)に挑戦し、バコーニン・ボルザッキーニ(Baconin Borzacchini)が平均速度246km/hで、当時の世界速度記録を打ち立てました。
この展示車両は、ローマ教皇の医師をしていたガレアッツィ(Galeazzi)先生のために1932年に製作されたモデルで、このボデーは1934年にザガート(Zagato)によって、再度架装し直されたものだそうです。パワーユニットは、ティーポ26用2個分の3,961cc,280馬力,バンク角22.5°のDOHC V型16気筒エンジンを搭載しています。
16気筒を採用したクルマと言えば、キャデラックV16(1930年)そして、フェルディナント・ポルシェ博士の設計したアウトウニオン“Pヴァーゲン”(1934年)、最近ではチゼータV16T(1989年)、ブガッティ ヴェイロン16.4(2005年)などは知られていますが、マセラティにもV16を採用したクルマがあったんですね~!しかも、直8ユニットをベースにクランクシャフトまでは2本で、クランクケースを一体化している構成にも、当時の苦心が感じられますね。
しかし、こういったエンジンの作り方は、個人的にはとても興味があります。クランクケースさえなんとか造れれば、面白いエンジン出来るのになぁ~という構想、皆さんもありますよね^^;
1934年 マセラティ ティーポ 8CM(Maserati Tipo 8CM)
“8CM”は、当時の最も偉大なレーサー達に委ねられた、非常に成功したクルマでした。その2,991cc,240馬力のDOHC直列8気筒ユニットは、アルフィエリが生前(アルフィエリは1932年に他界)最後に設計したエンジンとなり、当初は前輪駆動のシングルシーター向けに開発されたユニットだったそうです。そのプロジェクトが棚上げされた時に、そのユニットは欧州で初めて油圧式ブレーキシステムを搭載したシングルシーターに転用されることになりました。
展示車両は、ワールドクラスのレーシングレジェンドの1人であるタッツォ・ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)によってドライブされた個体だそうです。
1935年 マセラティ V8RI(Maserati V8RI)
このクルマは、新規格の“750kgフォーミュラカー”の規定に沿って開発され、V型8気筒ユニットと4輪独立懸架式サスペンションなどの技術革新を取り入れた最初の“グランプリカー”です。
また、エルネスト・マセラティ(Ernesto Maserati)は、フロントの左右個々のホイール(ナックル)をドラックリンクで操舵させるステアリング機構や、トランスミッションをリヤのデファレンシャルとともにマウントするレイアウトなどの、大胆で革新的な機構を考案しました。その結果、自由度の高いレイアウトから放熱性に優れ、また着座位置も低められたコンパクトなレーシングカーとなったようです。
パワーユニットは、4,788cc,320馬力のSOHC V型8気筒エンジンを搭載し、最高速度270km/hを実現したそうです。左右からエキゾーストパイプが出ているところからも、V型エンジン搭載車であることが分りますね。
それと車両解説には、“トランスアクスル”という記述は見られませんでしたが、トランスミッションをリヤデフとともに配置するということは、トランスアクスルに近いレイアウトである可能性が高いですね。この辺りを見ても、戦前のマセラティは先進的な技術開発に長けていたことが分ります♪
1937年 マセラティ 6CM(Maserati 6CM)
このクルマは、偉大なレーサー ルイジ・ヴィロレーシ(Luigi Villoresi)のお気に入りで、彼は「このクルマは確信をもって運転できる。私は勝てるだろう。」と言っていたほどでした。この“6CM”は27台が製造され、3度“タルガ・フローリオ”で優勝したほか、イタリアや海外でのマイナーレースを独占しました。
エンジンはシリンダーヘッドと鋳鉄製のシリンダーブロックをマグネシウム合金製のクランクケースに組み付けた傑作であり、独立したフロントサスペンションとステアリングホイールも、当時としては革新的な構成をしていたようです。
そのパワーユニットは、1,493cc,175馬力のDOHC直列6気筒スーパーチャージドエンジンを搭載し、最高速度230km/hを実現しました。
1938年 マセラティ ティーポ 8CTF(Maserati Tipo 8CTF)
“8CTF”は、マセラティ社にとって最も重要かつ歴史的意義の大きいクルマの1つです。このクルマは、マセラティ社の経営権をビジネスで成功を収めたモデナの実業家オルシ家がマネージメントしていた期間に、エルネスト・マセラティによって設計されました。
レギュレーション変更によって、過給機付エンジンは3リッター,過給機なしエンジンは4.5リッターまでに制限された1938年と1939年シーズン、“8CTF”はドイツ勢に対抗できる唯一のレーシングカーであると考えられていました。“8CTF”は、過酷なことで知られる“インデアナポリス500マイルレース”で2度の勝利を収めるなどにより人気を博したそうです。
パワーユニットは、2,991cc,366馬力のスーパーチャージドユニットを搭載し、最高速度290km/hに達しました。
1940年 モトーレ マセラティ ティーポ 8CL(Motore Maserati Tipo 8CL)
このエンジンは、1939~1940年にエルネスト・マセラティによって設計され、モデナで組み上げられました。
“ティーポ 8CL”は、インディアナポリスで優勝した前述の“8CTF”ユニットの後継型として開発され、1気筒あたり4つのバルブを備え、ボア径:ストローク比は1:1と現代的な設計が採用されていました。
仕様諸元は、ボア径×ストローク:78 × 78 mmの2,982cc,430馬力/6800rpmのツインスーパーチャージド直列8気筒ユニットだそうです。この時代に、既に4バルブを採用している事にも驚きですが、先端の2基のスーパーチャージャーから、前後4気筒ずつに供給されるインテークマニホールドの造形の“ただモノじゃない”感も半端ないですね^^;
1948年 マセラティ 4CLT/48(Maserati 4CLT/48)
この“4CLT/48”は、1939年から始まったボワチュレットクラスにおいて、前述の“6CM”の後継として開発され、マセラティの4気筒シングルシーターレーサーとしては、最後に開発されたクルマの1台だそうです。
シャシは鋼管スペースフレームが採用され、1948年にはパフォーマンスの向上のために、2基のスーパーチャージャーが追加されました。アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari)は、1948年のサンレモGP(Sanremo Gland Prix)にこのヴァージョンの“4CLT”で優勝し、偉大なるレーシングレジェンド ファン・マヌエル・ファンジオ(Juan Manuel Fangio)が、ヨーロッパで初めてのレースに優勝した際にドライブしたのも“4CLT”でした。
パワーユニットは、1,490cc,260馬力のDOHC直列4気筒ツインスーパーチャージドユニットを搭載して、最高速度は270km/hに達したそうです。
ここで、“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”のプロジェクションマッピングによる演出が始まりました♪
ちょうど、訪問時に上映していたのと同じ動画を見つけたので、こちらからどうぞ↓
“エンツォ・フェラーリ編”的な内容で、2回の大きな大戦に翻弄されつつも“スクーデリア フェラーリ”が栄光を勝ち取る。といった感じでしょうか^^;
もう、フェラーリが、そしてイタリアが歴史を使い出したら手が付けられない!(爆)とでも言わんばかりの鳥肌モノの演出で、実際にこの空間にいたら、もれなく心を鷲掴みにされてしまいます^^;
今回の欧州自動車博物館巡りの旅2014⇒2015“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ”パート2は以上になります。
個人的に、今まであまり詳しく掘り下げたことのなかった戦前のマセラティでしたが、こうして見ていくと当時のマセラティがいかに技術革新に長けたメーカーであったかが分かる興味深い展示だったと思います。最後まで読んで頂いてありがとうございました!
次回もマセラティ100周年企画展より、戦後のマセラティ ロードカーとレースカーについてレポートしていきます。
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015”は、“Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ)”パート1として、エンツォの生家を改装した展示エリアのクルマをレポートしていきます。(このミュージアム、車両解説も大変充実していて、思いのほか超大作になってしまったので(爆)、お時間に余裕をもってどうぞ~^^;)
1903年 ド・ディオン・ブートン(De Dion Bouton)
1898年2月18日に生まれたエンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)は、父 アルフレッド(Alfredo)がフランス製の“ド・ディオン・ブートン(De Dion Bouton)”車の購入によって、モデナで初めて自動車を所有した人物であったため、“自動車(Automobile)”と呼ばれる新しい輸送手段に直接触れて、その魅力(magic)を味わう機会に恵まれていました。
このド・ディオン ブートンは、942cc単気筒,8馬力のパワーユニットを搭載しているそうです。
ちなみにこの“ド・ディオン・ブートン社”は、駆動軸を持つリヤのサスペンション方式の1つとして有名な“ド・ディオン アクスル”を発明したメーカーでもあります。
1924年 アルファ ロメオ RL タルガフローリオ(Alfa Romeo RL Targa Florio)
エンツォ・フェラーリは、1924年に南イタリアのペスカーラ市街地サーキット(Circuito di Pescara)で開催されたグランプリ“コッパ アチェルボ(Coppa Acerbo)”で、アルファ ロメオのワークスドライバーとしてこのクルマを駆り、彼の経歴で最高の勝利を挙げました。
また、前年の1923年には消耗戦として知られる“タルガフローリオ(Targa Florio)”でも、1923年仕様のこのクルマをドライブしました。
パワーユニットは、3,620cc,125馬力の直列6気筒エンジンを搭載し、最高速度180km/hを実現したようです。
このクルマに限ったことではないですが、下の画像は戦前のクルマによく用いられていた摺動式のショックアブソーバ↓
シャシ側とリーフスプリングのアクスル側の2点間に固定されて、2点の伸縮によって生じる回転時の摩擦を利用したシンプルな構造になっています。機能面やメンテナンス性などの面で、現在主流のオイルダンパーが優っていたために淘汰されたのだと思いますが、このシンプルなアブソーバは個人的に“好きな戦前車アイテム”の1つです^^;
1932年 アルファ ロメオ 8C2300 スパイダー コルサ(Alfa Romeo 8C2300 Spider Corsa)
1932年のミッレミリア(Mille Miglia)に優勝した“8C 2300”は、その勝利を祝って“ティーポ ミッレミリア(Tipo Mille Miglia)”とも呼ばれるようになりました。
“8C”は、このブレシアを起点とする伝説的なレースで、続く1933年,及び1934年と勝利を収めたことで、アルファ ロメオはミッレミリア通算6勝を実現しました。
また、この“8C2300 スパイダー コルサ(8C2300 Spider Corsa)”は、エンツォ・フェラーリがドライバーとしてのキャリアの最後に乗ったクルマのようです。エンツォが最後に出場したレースは、1931年8月9日ボローニャ郊外で開催された“ジロ・デッレ・トレ・プロヴィンチェ(Giro delle Tre Province)”で、タッツィオ・ヌヴォラーリ(Tazio Nuvolari)に次ぐ2位でフィニッシュしています。
パワーユニットは、2,336cc,165馬力のDOHC直列8気筒を搭載して、最高速度195km/hを実現しました。
昨年訪れた“ムゼオ ミッレミリア(Museo Mille Miglia)”で、戦前最強を誇ったアルファロメオについてレポートした際、展示車が“6C”のロードカーのみだったのが記憶に新しいですが(笑)、このクルマが正真正銘ミッレミリア最強を誇った“8C2300”です^^;
特徴的な3連のドライヴィングランプ↑に、リヤのスペアタイヤには空力を意識したカバー↓が設けられています。まだ、ラジエーターグリルはフロントに直立しているあたりを見ると、ちょうど流線型がクルマに取り入れられようとしていた狭間の時代の造形が興味深いですね♪
1935年 アルファ ロメオ ビモトーレ(Alfa Romeo Bimotore)
このクルマは、名前の通り2つのエンジン(Bi=2つ,motore=エンジン)を備えたシングルシーターのグランプリカーで、1つ目のエンジンはフロントに搭載され、2つ目のエンジンはドライバーの背後に搭載されました。この2つのエンジンは、1つのトランスミッションを介して後輪に伝達されています。
この“ビモトーレ”はアルファロメオの後援の元、“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”のエンジニアによってモデナで製作され、ルイジ・バッツィ(Luigi Bazzi)によってテストが重ねられました。
高速サーキットで行われるグランプリでの勝利を目指して造られた“ビモトーレ”は、ドイツ ベルリン郊外の超高速サーキット“アヴス‐レンネン(Avus-Rennen)”で行われたグランプリにおいて、ルイ・シロン(Louis Chiron)のドライブによって周回平均速度260km/h近いペースで走り、メルセデスに次ぐ2位を獲得しています。
当時のドイツと言えば、ナチス政権の国威発揚プロジェクトとして開発されたメルセデス・ベンツ“W25”やアウトウニオン“P-Wagen(Pヴァーゲン)”といった強豪がひしめくホームグランプリでの2位は大健闘と言えるでしょう。
また、タッツィオ・ヌボラーリのドライブで、1935年6月15日フィレンツェ(Firenze)- マーレ(Mare)間のアウトストラーダで、321.420km/hの世界速度記録(World speed record)を更新しています。
フロントに搭載される3,165cc,270馬力のルーツ式スーパーチャージャーで加給されたDOHC直列8気筒ユニット↓
同じくリヤに搭載される3,165cc,270馬力のスーパーチャージドDOHC直列8気筒ユニット↓
“ビモトーレ(ツインエンジン)”ということで、当然タコメーターも2つ↓装備されていました♪
そして、2つのエンジンによって行き場を失ったガソリンタンクは、ラダーシャシ脇のスペース↓に収められています。
1937年 アルファ ロメオ 158(Alfa Romeo 158)
シングルシーターのこのクルマは、“1,500ccクラス(ヴォワチュレット)”での勝利を目指して製作されましたが、戦後は“F1カー”として変貌しました。
この“158”もアルファ ロメオのエンジニア達の支援を受けて、ジョアッキーノ・コロンボ(Gioachino Colombo)によって設計され、モデナの“スクーデリア フェラーリ”で製作されました。
“158”のデビューレースは、1938年7月31日にリボルノ(Livorno)で行われた“コッパ・キアーノ(Coppa Ciano)”で、エミリオ・ヴィロレーシ(Emilio Villoresi)が1位,クレメンテ・ビオンデッティ(Clemente Biondetti)が2位に入る快勝を挙げました。
1,479cc,195馬力のルーツ式スーパーチャージドDOHC直列8気筒ユニットは、改良と共に出力向上し、1952年のF1カー仕様(改良型の“159”)では、425馬力にまでアップデートされていました。
1947年 フェラーリ 125 S(Ferrari 125 S)
エンツォ・フェラーリは、ジョアッキーノ・コロンボの設計でマラネロ(Maranello)で製作する“最初のフェラーリ(Ferrari)”は、V型12気筒エンジンを採用することを決めました。
そして、その当時のレーシングシーンにおいて、極めて稀であった“V型12気筒エンジン”を採用したことが、瞬く間にフェラーリに成功をもたらし始めました。その成功は、シングルシーターの“F1”や“F2”のみならず、スポーツカーレースやGTカー、そしてロードカーに至るまで継承され続けることになりました。
この展示車両は復刻されたリプロダクションモデルで、オリジナルの“125 S”は、デビューレースとなった1947年5月25日の“ローマGP(Rome GP)”で優勝を果たして以来、現在まで行方不明のままだそうです。
“125 S”のボデーワークは社外のカロッツェリア(ボデー架装工房)で製作されたものではなく、ジョアッキーノ・コロンボのスケッチを元に、フェラーリ社内の板金職人による叩き出しで製作されました。
パワーユニットは“125”の名が示す通り“1気筒あたり125cc”×12気筒で、1,500cc(厳密には1,497.6cc),100馬力のSOHC V型12気筒ユニットを搭載して、最高速度は170km/hだったようです。
ボア径:55mm×ストローク:52.5mmの1.5リッター 12気筒ということで、シリンダー高さがギヤボックスのフライホイールハウジングの膨らみより低く、隠れて全く見えないですね^^;
これだけの小排気量マルチシリンダーユニットだと一体どんなフィーリングなのか、とても気になります(@o@ )y
社内デザイン,社内製作ということも影響しているのか、この“フェラーリ1号車”はその後の“フェラーリ(Ferrari)”の持つ華やかで優美なイメージとは反して、武骨で機械的な一面が多く見られますね。
個人的に、その度合いが顕著に表れている部分だと思うのがコクピット回り↑で、機能性に特化した工作機械の操作盤のような潔さすら感じられます^^;
1952年 フェラーリ 500 F2(Ferrari 500 F2)
アルベルト・アスカーリ(Alberto Ascari)は、このシングルシーターの“500 F2”を駆って、1952年と1953年に出場したグランプリ(1952年と1953年のF1世界選手権はF2規格で実施)で15戦中11勝と圧勝し、2度のワールドチャンピオンに輝きました。このことが決めてとなって、フェラーリは創立からちょうど5年でグランプリになくてはならない“決定的なコンストラクター”のポジションを勝ち取ることになります。
パワーユニットは、アウレリオ・ランプレディ(Aurelio Lampredi)設計の1,985cc,185馬力の直列4気筒DOHCエンジンを搭載して、最高速度260km/hだったようです。
シングルシーターのため、ドライバーの下を通ったドライブシャフトは、ドライバーズシートのすぐ後ろに配置されるデフを介して後輪に伝えられています。
1954年 フェラーリ 750モンツァ(Ferrari 750 Monza)
1954~1955年に製作された“750モンツァ(750 Monza)”は、前述のアルベルト・アスカーリによって1952年,1953年のワールドチャンピオンシップを獲得した“500 F2”に搭載されていた2リッター4気筒を、3リッター,260馬力に拡大したエンジンが搭載されました。
このエンジンの設計も“500 F2”同様にアウレリオ・ランプレディによって行われ、3リッター化の主な狙いは、燃料消費率の向上とトルク特性の改善であったようです。
ボデーワークは、モデナのボデー架装工房“スカリエッティ(Scalietti)”が担当しました。
また1955年5月にモンツァ サーキット(Autodromo Monza)で行われたスポーツカーレースのテストで、アルベルト・アスカーリのドライブする“750 モンツァ”が不可解なブレーキングによるクラッシュで命を落としてしまう悲劇的なエピソードでも知られています。このクラッシュがあった場所は、“アスカーリ シケイン(Variante Ascari)”の名称で呼ばれています。
こういった装備品↓は、50~60年代バルケッタの典型的なアイテムで美しいですね♪
個人的に気になったのが、このテールランプ↓
よく見ると、一体のランプの中にテールランプとリフレクター部分があるように見えますね。550のテールランプも、このように大きめのレンズの中にテールランプとリフレクターを一体型にさせることで、ワンテールにできないかなぁ~^^;
1964年 フェラーリ 500 スーパーファスト(Ferrari 500 Superfast)
“500 スーパーファスト(500 Superfast)”は、成功していたグランドツアラーシリーズ“400 スーパーアメリカ(400 Superamerica)”に代わって登場しました。1964~1966年の間生産された“500 スーパーファスト”は、総生産台数わずか36台にとどまりました。
主要顧客は上流階級であり、その価格は当時の新車のロールスロイス2台分に相当したそうです。その顧客には、当時のイラン国王やイギリスの俳優ピーター・セラーズ(Peter Sellers)も含まれていました。
パワーユニットは、ジョアッキーノ・コロンボ設計の4,961.57cc,400馬力のSOHC V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度260km/hを実現しています。
このエリアには、エンジン単体も多く展示してあり、中には興味深いものもあるので紹介していきます
1994年 モトーレ F134(Motore F134)
1,347cc,216馬力の2ストローク スーパーチャージド直列3気筒エンジン。詳細は不明ですが、1994年に開発された試作エンジンのようです。ベルトで駆動されているヘッド一体のスーパーチャージャーが革新的ですね^^;
1981年 モトーレ F110A(Motore F110A)
4,943cc,340馬力の180°V型12気筒の512BBに搭載されたエンジンです。
カットモデルのため、エンジンの下にギヤボックスが配置されてる2階建て構造が、よくわかりますね♪
1987年 フェラーリ F1-87 ♯28(Ferrari F1-87 ♯28)
エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)が1988年8月14日に他界してから、ちょうど“28日後”に、モンツァ(Monza)で行われたイタリアグランプリ。
この年、未勝利で不成功のシーズンを送っていた“スクーデリア フェラーリ”でしたが、ゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger)とミケーレ・アルボレート(Michele Alboreto)のドライブするカーナンバー“28”と“27”の“Ferrari F1-87/88C”が、このイタリアグランプリでワンツーフィニッシュを成し遂げました。
この勝利は、エンツォ・フェラーリ(Enzo Ferrari)自身が望んでいた、最高の“さよなら”となりました。
パワーユニットは、1,496ccから880馬力を絞り出すDOHCツインターボチャージドV型6気筒エンジンを搭載していました。
2002年 フェラーリ エンツォ(Ferrari Enzo)
エンツォ亡き後、フェラーリ社の社長を引き継いだルカ・ディ・モンテゼーモロ(Luca di Montezemoro)は、2002年に399台のみ生産されたこのモデルを、創始者“エンツォ(Enzo)”に捧げました。かくして、“エンツォ(Enzo)”は今以って、世界中のコレクターが熱心に探し求めるモデルとなりました。
“エンツォ(Enzo)”には、その当時ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)とともに、数々のワールドチャンピオンシップで勝利した、フェラーリの至高の技術が惜しみなく包み込まれました。
パワーユニットは、5,998cc,660馬力のバンク角65° DOHC V型12気筒エンジンを搭載して、最高速度350km/hを実現しました。また、当時ピニンファリーナ(Pininfarina)に在籍していた日本人デザイナー奥山 清行(Ken Okuyama)氏がデザインを担当したことも話題になりましたね。
“欧州自動車博物館巡りの旅 2014⇒2015 Museo Enzo Ferrari Modena(ムゼオ エンツォ フェラーリ モデナ)”パート1は以上になります。
ちょうど、訪れた時はマセラティ100周年記念展“Maserati 100 (A Century of Pure Italian Luxury Sports Cars)”を開催中だったため、エンツォ・フェラーリにまつわる展示は今回のホールのみでしたが、十二分に“エンツォ(Enzo)”と“スクーデリア フェラーリ(Scuderia Ferrari)”の偉大な歴史を振り返ることができたと思います。
そして、フェラーリが鳴り物入りでオープンさせた“ムゼオ エンツォ・フェラーリ モデナ(Museo Enzo Ferrari Modena)”だけあって、車両解説も充実していて見応えのあるミュージアムです。
次回は、マセラティ100周年記念展についてレポートしていきます。
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