© 東洋経済オンライン 日本にたとえると表参道のような立地にあった1号店の跡地。開店時は盛り上がっても、定着とな…
2011年から韓国・ソウルで3店舗を展開していた一風堂(力の源カンパニー)が今年2月末日、すべての店舗でのれんを下ろした。
「大げさだけど、一風堂のラーメンを食べることが異国にいる励みになっていたのに……。まさか一風堂が全部なくなるなんて思ってもいなかった」(30代、日本人ソウル駐在員)と、予期すらしていなかった撤収に、在韓日本人はもとより、一風堂ファンの韓国人の間で「なぜ?」「どうして?」と戸惑いと衝撃が走った。
一風堂といえば、言わずと知れた豚骨ラーメンの雄だ。
1985年、九州・博多にカウンターわずか10席からスタートして以来、日本のラーメン界を牽引し、今や国内で94店舗、海外でも2008年のニューヨークを皮切りに12カ国・地域に52店舗を擁するグローバル企業でもある。
そんな一風堂がニューヨーク、シンガポールに続いて進出したのが韓国だった。韓国の総合複合企業のエギョングループ(以下、AKグループ。財閥50位圏内)とライセンス契約を結び、2011年5月、ソウルきっての流行スポット江南に1階はラーメンダイニング、2階はバーという瀟洒(しょうしゃ)な作りの第1号店を華々しくオープンさせ、「毎日行列ができていた」(近くにあるブティック店員)ほどの人気店に。同年末には2号店、翌年には3号店も同地域にオープン。2014年には20~30代が集まる大学街などに進出するという報道も流れ、このまま順調に店舗数を伸ばしていくものとみられていた。
韓国での和食人気はかつての「(和食)もどき」から「本場の味志向」へと移り変わっている。そんな背景からも、本場の味を提供していた一風堂の「撤収」は思いもよらないものだった。
閉店した一風堂のドアには、韓国語では「やむを得ない事情」、日本語では「ライセンス契約終了」と店を畳んだ理由が記された紙が一枚、寂しく貼り出されていた。
どうして閉店してしまったのか。一風堂の広報は、「閉店はライセンス契約満了に伴うもの」と説明する。「あくまでもAKグループとの契約終了に伴うビジネス判断からです。今回は離れましたが、AKグループとは今でも友好な関係を保っています」とのこと。AKグループ側からも似たような説明が返ってきた。
しかし、外食業界に詳しい韓国の記者はこう解説する。「外国の有名ブランド店と契約した際、その味を保つことは大前提ですが、ほかにもそのブランド店らしさを保つために店舗デザインからインテリア、スタッフの教育まで相当な経費がかかります。一風堂も人気はありましたが、(AKグループ側にとって)ライセンス料がやはり相当負担になったと言われています。その分利益が出ていたかというとそうではなかったようで、ブランド価格を押してまでの経営には至らなかったというのが大筋の見方です」
これはなにも一風堂だけではない。韓国で展開する日本の某チェーン店も、スタッフ教育など人件費のレイバーコストなどがかさんでいるものの、それに見合った利益は上がらず、店舗数を減らしたりしている。「いつ畳んでもおかしくない」とささやかれている。
九州に行けば必ず一風堂のラーメンを食べ、時間ができれば日本に行き、日本の味を探索する日本通として、また、韓国随一のイタリアンシェフとしてその名を知られる朴チャンイル氏は、一風堂の閉店は意外ではなかったと話す。
「私は一風堂のラーメンが好きで福岡には15年くらい前から通っていますが、ソウルの店には日本の一風堂にある匠の精神、アニマ=魂が感じられなかった。味はね、悪くなかったんですよ。でも、店のインテリアは凝っていて洗練されているんだけれども、一風堂らしさがなくて、そのせいか味も違うように感じられてね。なんとなく寂しかったですよ。残念です」
朴シェフの言葉には思い当たることがあった。韓国に進出している日本の某チェーン店に行った時のことだ。味は日本で食べた時と違いはなくおいしかったが、スタッフの動きや乱れたままの椅子やテーブルなどを目にしてひどく落胆して以来、そこには足が向かない。そのブランドの食を楽しむというのは味と店が醸し出す雰囲気などが「調和」してはじめて「ブランド」になるものなのだろう。
韓国外食産業研究所の慎奉撥(シン・ボンギュ)所長は一風堂の韓国からの撤収をこう分析する。
「一風堂の撤退はさまざまな見方ができますが、まず挙げられるのが価格でしょう。韓国人が好きなジャジャンミョン(ジャージャー麺)やカルグクス(うどん)の価格帯は4000~7000ウォンですが、一風堂のラーメンは8000ウォンと高めで、特にラーメン好きの若い人にとっては価格に負担があった。
そして、本格的なラーメンというのは韓国の人にとって親しみがなかったこと。わざわざ足を運んで食べるもので日常的なものではなかった点です。そして、外食産業は、企業が運営するにはレイバーコストが高くついて、経費はかさんでも利益が出なければ、苦しいですよね」
加えて、食文化の変化として韓国で年々、高まっている健康志向の流れを挙げた。
「脂っこいものを避ける傾向にありますから、豚骨スープに負担を感じたこともあったでしょう。それに、数年前からの韓国料理を世界に広めるという政策とも相まって野菜がふんだんに使われる韓国料理が見直されていて、最近では店内のインテリアも瀟洒(しょうしゃ)で、スタッフのサービスも行き届いた韓国料理店が続々登場していて人気になっています」
韓国の外食産業の本格的な幕開けは1992年にファミリーレストランのTGIフライデーズがオープンしてからで、いずれも海外留学から帰国した財閥の2世、3世がビジネスにかかわるようになってからだと言われている。海外で見つけた味を韓国に持ち込んだというわけだ。一風堂もAKグループ2世の蔡東錫(チェ・ドンソク)副会長がその味のファンだったという。
韓国では1990年代にフュージョン料理が流行し、2000年代に入るとその国に特化したお国ならではの料理が人気となり、「ノバタヤキ」と呼ばれていた居酒屋はイジャカヤと呼ばれ、より日本に近い味が好まれるようになった。健康志向は「ウェルビーイング」というキーワードで浮上してからその志向は年々高まっていて、最近では野菜満載の韓国料理のビュッフェが人気となっている。
韓国と日本は飛行機で約2時間という近い距離で往来が頻繁なことも外食産業とは無関係ではないようだ。日本に旅行に行く韓国人観光客は今や年間およそ400万人(2015年、日本政府観光局)。日本への旅の目的を尋ねるとまず「食」を挙げる人は多い。しかし、旅の中での特別な「本場の味」と日常の中での「外食」では感じ方も味わい方も異なる。
本場の味や店のたたずまいなどをよく知る人が増えたぶん、地元での外食として本場の味をどうローカライズさせていくか、またどう調和させていくのか。外食を展開する企業はいま一度、再考する必要がありそうだ。 ☆ 日本が、 ばか すぎる 「 下 朝鮮 」 を 捨てた 面倒 見ない と いう事 ~
Posted at 2016/05/14 18:29:37 | |
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