三菱がランエボを復活させる意思がある。という報道が読売に出てました。
正直に言います。
不愉快です。
その不愉快の元凶は三菱自動車でも日産自動車にもあるが、ホンダやトヨタのような企業にも同じように抱いてる。
「じゃぁ、最初っから辞めんなよ。」
って事です。
それはF1撤退もそうだし、WRC撤退もそうだし、都合が良くなったら戻って、悪くなったらおさらば。
そういう事なんです。
現在の益子社長が就任当時ランエボに不快感を抱き開発費用のかかる高性能高機動車両から撤退を表明した。
まぁ言い方悪けど、三菱自動車という特異なマーケットで”あぐら”をかける経営システムに切り替えたのだ。
で、どうなったかといえば、正直成功でも失敗でもない経営状況に戻した。
三菱畑で生きてきた男らしい経営にしただけ。
それが三菱という特異なグループ企業の中では凄腕だったのかもしれないけど。
経済評論家じゃないんでわかりません。
その根幹というかランエボを廃止した最大の要因は、日本メーカー共通認識であろう
「レースはお遊びであり、無駄な事」だという事だ。
レースはお遊び
ただ、これに関しては全くもってそうである。
としか言えない。
市販車にフィードバックさせるという点を「したり顔」で語るモータースポーツファンがいるがそれは正直そんなに重要ではない。
なぜなら、その特異な状況下で得られるデータと、市販車両のカオスとも言える状況下にフィードバックさせれるのかといえばそうでもない、寿命までの平均回転数が2000回転の市販車両と5000回転を超え徹底的に管理された燃料とそれに合わせて運転できるプロドライバーのいるレース車両ではまったく違うし、高性能はもちろんレースで要求されるのはリスクヘッジと起きたリスクに対して乗り越えれる人材が肝だ。
じゃあ、走る広告塔という価値があるのか?
まぁ、それもいえば違う。
クソ高い広告費用を払った広告なんて、正直誰も見てない。
実際、このブログを読んでくれるような方でもそうだろう。
去年走ってたメルセデスF1のロズベルグの車両をよく見かけたが、フロントノーズに書いてある広告何だったか覚えていますか?という話。
F1に出るぐらいなら、その費用をテレビ広告に打ったほうが経営者として正しい。
ではなぜ、モータースポーツをするのか。
戦後と言われた時代までは”レースで勝つ=高性能”の証だった。
しかし、今我々が生きているこの世ではもうすでに100キロまで加速するのに苦なく加速でき、高速道路を120キロで巡航しても過不足なく運転できる。
今要求されるのは、ガソリンが内包しているエネルギーを運動エネルギーに変換する熱効率を追求する。
それは、レースも自動車も同じだが、ではレースしていないメーカーがそれに遅れているかといえば全くもってそうではない。
サーキットはもうすでに、市販車の鍛錬の場ではなくなっている。
モータースポーツをメーカーが行うべき理由。
それは
”社会貢献”であり
”モチベーション”であり、
”技術者の夢への追求”である。
この3つこそが、モータースポーツを形成しているのだと思う。
自動車とは便利な道具ではない。
その誕生は技術者の好奇心だった。
オットーサイクルエンジンを簡素な3輪車に積んだカールベンツも、車体を馬車屋に作らせて載せたダイムラーもそうだ。
便利な装置として作ったわけじゃない。
作りたくて作った。
それが根幹である。
技術力があればそれを形にしたいし。
形になったらそれをもっと凄くしたい。
ルマンで優勝したLMP1のポルシェも、それこそブガッティ・ヴァイロンも。それは”作りたくて作った”当たり前の欲求から生まれただけだと思う。
その資金源は自動車メーカーだし、それを利益に直結させないと株主からも怒られる。
だからこれを金のなる木だと、これをすれば儲かると嘘もつかないとダメなのもわかる。
だが、モータースポーツや技術革新の根幹にあるのは実際はそうじゃない、人間には好奇心があり闘争心がある。
「他人よりすげぇ物を作りたいんだ」
当たり前だろう。
他人より凄くて速い車を作るために世界から人材が集まる。
その場や金を提供する。
技術を追求するのが自動車企業ならば、その技術者の要求に応えるのが自動車企業の義務であり、社会への貢献であろう。
その貢献や義務にお金を支払う以上、最終的に利益にするのが経営者の手腕だ。
そんな物があるから赤字と切り捨てるならその経営者はその程度なんだと俺は思う。
自分でボルトも締めた事もなければデファレンシャルがなぜ必要なのかも知らず、何かを追求し没頭もした事ないであろう株主にその感情は理解できないだろうが、それを説明するのもまた経営者だろう。
ランサーエボリューションという車は、その誕生もまたモータースポーツに直結する。
輝かしい戦績を残し、三菱を形成した。
”ラリーといえば三菱”とまで言わしめた一角を担った、
それは三菱自動車史において絶対に避けて通れないものだ。
そして、それを復活させると言った。
切った事も、撤退した事も忘れて復活させると言った。
ラリーアートは解散し、その主力メンバーのほとんどが離れた。
技術を追求する場と、欲求を満たす場がなくなればそれを提供してくれる違う場所へ行くのは当然だ。
そうした状況を作った張本人が、技術畑で育った技術者上がりの親会社の社長になだめられた途端にこの有様だ。
正直、不愉快という言葉以外思いつかない。
その昔、
ランサーエボリューションと共に青春を過ごし、
ランサーエボリューションから車とは何かを教えてもらい、
ランサーエボリューションが我が人生で最初の愛車で本当に良かったと思う人間の、素直な感情です。
Posted at 2017/06/24 20:47:05 | |
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