8月頭に全国公開されました話題作「ジュラシック・ワールド」。
数年前に公開された「ジュラシックパーク」のリメイクかと思いきや、しっかりその後の話であり、前作を見ていなくてもよい内容となっていました。
本来であれば鑑賞してすぐ感想を書くのですが、今回はあえて2ヶ月待ち、大抵の映画館が公開を終えた後にしました。理由はネタばれ以上にこの映画に強く言いたいことがあったからです。
なお、以下の感想はあくまで私個人の感想・意見です。この映画を楽しんだ方を冒涜するつもりはありません
では早速。
本映画は公開後の評価を見るとかなり上々の評価のようでした。
確かに映像はCGや作り物とは思えなく、迫力のあるものでまさに映画館で見るべき映画でした。
しかし
、私はこの映画を「面白い」とは評価できませんでした。見ている最中もかなり気が滅入っていました。
正直、この映画を「面白い」と評価できる人が不思議でなりません。それは「スクリーム」や「ソウ」といったただ恐怖を駆り立て人が殺される様を「面白い」と評価する事とは違う意味です。
この映画、前作と同様遺伝子操作により現代に恐竜を復活させ、テーマパークにするといった内容ですが、前作と異なるのは、遺伝子操作により全く新しい恐竜を作ったことにあります。名前が「インドミナス・レックス」です。
はっきり言いますと
、ここまで人間が自分勝手に利益目的で命を弄ぶ様が見ていて情けなかったです。
前作では復活した恐竜からただ逃げ惑う内容だったため、恐竜に襲われる怖さや迫力がありました。
しかし本作では「敵」と呼べるものはインドミナス・レックスです。この恐竜は人間だけでなく恐竜おも襲います。それも生きるための捕食ではなく楽しむ狩りとして。
さらに、インドミナス・レックスは人口的に作られた恐竜のため、擬態や体温変化といったありえない能力を持っている。ちなみに作った人間連中は騒動が起きた際には「こんなことになるとは思わなかった。ただ強く驚くべき恐竜を作りたかった。」との事。まるで子供の言い分でアホかと。
物語はテーマパークを楽しんでいるとインドミナス・レックスが檻から脱走。特別部隊等で捕獲作戦に出るも全滅。途中の恐竜を狩りながらテーマパークの中心部を目指す。
一方、本作の主役の一端である兄弟が孤立し、インドミナス・レックスから逃げながら同じくテーマパークの中心を目指す。
そして本作の主役である恐竜の飼育(調教)係の男性と兄弟の叔母に当たるテーマパークの責任者の女性が兄弟を探しながらインドミナス・レックスから逃げる。
最後は人間VSインドミナス・レックスだが恐竜(T-レックスやラプトル)が人間と共闘(?)して、インドミナス・レックスは海の底に。
人間の都合で生み出され、仲間もいず(2体生み出されたが共食いにより1体になった)、恐竜たちと共存も出来ず、映画的にはただ「悪」としての立ち居地で生まれたインドミナス・レックス。
科学者たちはインドミナス・レックスの遺伝子情報を持ち出し逃走。明らかに続編への伏線。
正直、インドミナス・レックスや恐竜が人間を襲ったり殺したりするときは何とも思わなかったが、インドミナス・レックスが恐竜を殺したり、人間が恐竜を殺したり、恐竜がインドミナス・レックスを追い詰めて海に引きずり込んだ時は悲しみと虚しさしかなかった。そしてこの現状を作った原因である人間の強欲が許せないと感じました。
別に動物愛護精神を唱えるつもりはありません。食物連鎖を否定しません。ですが人間の勝手により生み出された恐竜やインドミナス・レックスの姿があまりにも悲しく感じました。
だらだらと長い分の感想になりました。
以上のような感想を公開中にするのもどうかと思い今に至ります。
よくも悪くも意見・感想が多くある映画は話題作です。
多くの人が多種多様の感想を述べるように、これが私が映画を見た感想です。
昔は何も考えずに見れていたのかもしれませんが今はもう無理ですね。仮に続編があっても見たいと思いません。たとえ視覚の楽しさがあってもストーリーが楽しめなければ意味がありません。
私はよくアメコミヒーロー映画を見に行きますが、日本のヒーロー物も好きです。勧善懲悪がシンプルというのもありますが。問題は何が善で何が悪か。
この映画の製作者の意図は分かりませんが、パッと見この映画の悪はインドミナス・レックスですが私はこの映画の悪は人間だと思います。
かなり重い感想でしたが、切り替えて次回の鑑賞予定映画は・・・現時点ではありません(汗)
大物が年内にはなさそうなのでもしかしたら映画鑑賞は次回は来年かな。
Posted at 2015/09/29 18:01:31 | |
トラックバック(0) |
映画関係 | 日記