• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

元峠師のブログ一覧

2016年08月21日 イイね!

ブログ休止のお知らせ

私自身、ブログを休止する事になるとは思いもしなかった事ですが、家庭のやむを得ない事情でブログを暫く休止することにいたしました。

断腸の思いですが、とてもブログを書ける状態ではありません。精神がズタズタの状態です。プライベートな問題ですので状況をお伝えしかねますが、ご理解と御了承をお願いします。

みん友並びにマイファン登録戴いてる皆様。及びKさん始め楽しみにされて戴いてる皆さん。本当に申し訳ありませんm(__)m


また、私のおかれている状況についてはお答えしかねますので御了承下さい。

問題が解決し、私自身落ち着いたら再開する方向で行きたいと思いますので暫くお待ち下さい。

また、皆様への訪問、いいね!も少なくなる事をお許し下さい。

必ず、また、楽しいブログで復帰致しますので御了承ご理解をお願いします。
m(__)m


Posted at 2016/08/21 16:01:54 | コメント(17) | トラックバック(0)
2016年08月16日 イイね!

暇ありぬ⚫⚫⚫

書かねば⚫⚫⚫
(´=ω=`)


ま、今回も車ネタでは無いのですが⚫⚫⚫
そうそう車ネタばかりある訳ではありませんので⚫⚫⚫
(゚ω゚;A)


なつかしの物&元峠師薄物館(クラッシック版)のコンバージョンでいきます♪

さて、昨日は地元ダムの水神祭りがありまして、お菓子を投げるイベントがあり、嫁さんとおチビ共は拾い食いお菓子拾いに行ってましたが、私は所用の為、お留守番。

おチビ共は沢山お菓子を拾えた様でホクホク顔♪
長女摩耶が私にお土産を採ってきてくれた様で。

摩耶 とーちゃん♪とーちゃん、飛行機とかお舟とかも大好きだから、お土産あげる♪

うむ、父親としては子供からプレゼントして貰うのは、どんな物でも嬉しいものである⚫⚫⚫
ただ、気になる点が一つ⚫⚫⚫


懐つッ!!!!
Σ(; ゚Д゚)ウハッ


摩耶だけに、対空能力半端ねぇ⚫⚫⚫
(´・ω・`;)


子供の時、良く作って飛ばしたなー♪



いや、アンガト♪
そう言えば元峠師薄物館にも零戦の二十ミリ弾の薬莢がある訳だが、さらっとしか紹介してない上に、紹介したのも大分前なので再登場。

二十ミリ機銃2号弾の薬莢です。
そもそも私の祖父が戦地で亡くなった戦友のメモ等の遺品ケースに使っており、没収されずに我が家にあったものだが⚫⚫⚫

生前、三菱重工に勤めていた伯父に見て貰った所、零戦から発射されたものかは解らないが、九九式機銃の弾で間違い無いそうでして、その伯父自体、零戦設計者、堀越二郎氏にしごかれた一人ですのでまず間違いはありません。



旧日本軍の弾の特徴として、リム後ろの打刻はありません。(例外として“ホ”弾等打刻があるのもあり)


元々九九式機銃は、スイスのエリコン機銃をベースにしており、寸胴型の薬莢が特徴で普通の弾薬のようにボトルネックが存在せず、発射と同時に薬莢がピストンの役割を果たし、排莢と次弾装填を行う独特の構造をしています。(その構造が災いしてベルト給弾化が難しかった様です)



もう一つ判定規準が薬莢径よりも一回りリム部が小さいのも挙げられます。



薬莢径は二十ミリ。若干歪んでるのは長年祖父の道具箱に入ってたせいだと思います。

で、話は戻って、摩耶も飛行機採って来たから、遊ぼう♪と持って来たのが⚫⚫⚫


娘よ⚫⚫⚫俺を撃墜する気か???
((.;゚;:Д:;゚;.))




Posted at 2016/08/16 15:03:51 | コメント(5) | トラックバック(0) | 趣味 | 趣味
2016年08月15日 イイね!

終戦記念日⚫⚫⚫

さて、今日は終戦記念日。
勿論、国を護らんと戦い戦死された方々、戦禍に巻き込まれ犠牲になった方々の魂の安らぎと、教訓、感謝を忘れてはならないと思います。

しかし、私の祖父のように生き残った人々の苦しみもまた大変であったのです。
終戦を迎えたとはいえ、マレーに取り残された祖父達はイギリスに武装解除を受け、抑留部隊として昭和二十年の終戦から昭和二十二年七月の復員まで、強制労働をさせられてたそうです。

これは、祖父達の抑留部隊。マレー第16大隊の生存者による当時の記憶をまとめられた冊子で一般には販売されていないものです。


終戦を迎えたとはいえ、実質捕虜として爆弾穴の埋め立て、自軍の弾薬処理等、強制労働に明け暮れ、空腹に絶え、マラリヤや作業中の事故。食糧と変えてもらう為にたった一個の石鹸を盗んだ為に、イギリス軍に見せしめの為に処刑された者もいたそうです。

そして、生き残った方々が記憶を頼りに、また、その苦しみを紙切れに書き、見つからないように隠して持ち帰って後世に残したのを纏められたものです。


飛行場の配置だったり。


空輸部隊の飛行編成だったり。

その中の操縦士の一人。大澤氏が同じ抑留部隊の仲間に配布した本。『マレー抑留記』を書かれておられますが、これまた一般には販売されていない非売品の本です。

この本を持つのは同じ部隊にいた生存者か、その遺族だけの非常に限られた人のみです。

この本は、終戦から話が始まり、復員までの記録を筆者がちり紙にメモして隠して持ち帰り、一年半をかけて書かれたものです。

その一部をご紹介します。

1 クラン(昭和二十年八月十五日~同年九月十一日)

終 戦

八月十五日、朝から灼熱の南の太陽が容赦なく照りつけているマレークランの飛行場。午前十時。ピスト(指揮所)にて『敬礼。小室准尉、吉田軍曹、対潜警戒、出発。敬礼。』と飛行隊長北脇少佐殿に報告を終えて、元気一杯愛機のいる掩体(飛行場外に飛行機を疎開してある所)へ急ぐ⚫⚫⚫
愛機は既に整備を終わりエンジンも好調、腹に五十キロ爆弾を抱いて出撃⚫⚫⚫
(以下略)
(このあと筆者は任務を終えて帰還する)

整備員の誘導にて掩体に行こうとすると、先に着陸した小室准尉殿が大きく手を振りながら、私の方へと走って来られるではないか。
一体何であろう。事故でもあったのかと愛機を止めて待っていた。すると、准尉殿は顔色を変えて飛び乗って来られ、『吉田(筆者の旧姓)どうも戦争は負けたらしいぞ。』と言われるではないか。
准尉殿は続いて、『詳しい事はまだわからないが、太田部隊長殿が、昭南(シンガポール)の司令部より帰られ、終戦の報を聞いて来られたらしい。もしこの報が真実なれば、我々操縦者の命はないものと思え。覚悟はよいか。』
※原文のまま転載

そこから、祖父と同じ部隊にいた筆者の抑留の日々が綴られ、食糧難でニシキヘビやコブラを退治して食べた事等も書かれています。(その中の一人が祖父だそうです)

国を守る。それも大切だと思いますが、真っ先に犠牲となるのは国民です。銃を持って敵と戦う。口で言うのは容易いですが、実際対峙するとは酷く違うと祖父は何時も言ってました。『あの日、あの時、その場にいた者でないと判らんよ⚫⚫⚫』と、

他国に戦争を仕掛けさせない国となって頂きたいものです⚫⚫⚫

Posted at 2016/08/15 23:30:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2016年08月14日 イイね!

貰ったのは嬉しいんだけど⚫⚫⚫

貰ったのは嬉しいんだけど⚫⚫⚫えー。K 尊師からかねてお話のあった艦船プラモを沢山頂いたのですが⚫⚫⚫
何でも、コレクターの方から大量に譲って貰ったそうで、大量に有りすぎるから少しお裾分けしてくれた訳でして⚫⚫⚫

ま、説明も面倒なんでざっとですが⚫⚫⚫

空母祥鳳。
珊瑚礁海戦で日本海軍初の損失空母でしたね?

問題は⚫⚫⚫


この海上迷彩をどう表現しろと???
(。=`ω´=)ぇ?


資料も少ないのに⚫⚫⚫
(´・ω・`;)

次に重巡鈴谷。

うむ。作ってみたかったヤツです♪
嬉しいです♪

重巡鳥海。

高雄型は今作り込んでる摩耶で充分なのですが⚫⚫⚫(゚ω゚;A)
ま、いまはプラモに時間を割く暇が無いのですが⚫⚫⚫折角なのでこっちも作ってみますかね?

んで、駆逐艦橘。橘型一番艦ですな?


ふむ⚫⚫⚫(´・ω・`;)

水雷挺千鳥。


ここまで一気に作ろうとしたら、頭が千鳥足になりそうです。

潜水母艦。平安丸。横浜にある氷川丸の姉妹艦ですね?


伊9型、呂35型。


排水量によって『伊』『呂』『波』と分類されてたそうな⚫⚫⚫

で、最後は補給艦。


あの⚫⚫⚫ちとマニアック過ぎません?
(-ω- ?)


まぁ、気が向いたら作ろうかと⚫⚫⚫
作んなきゃなぁ⚫⚫⚫(´=ω=`)
Posted at 2016/08/14 19:18:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | プラモ | 趣味
2016年08月13日 イイね!

闇に葬られた三菱の機体

闇に葬られた三菱の機体さて、今回は元峠師薄物館外伝と申しましょうか?
三菱重工で航空機設計をしていた、今は亡き伯父から貰った航空機のタイピン。

かつて三菱がプライベートジェット機市場に参入しようとして開発されたMU300のタイピンです。


これが実際の機体の様です。
MU300は初期に開発された機体で、その後の改良型は、三菱のマークになぞらえて『ダイヤモンド』という名前で販売されていたそうです。

ところが、初めての市場参入で不馴れな為に、認可を受けるのが遅れてしまったり、開発されたのが1970年代。まだアメリカの日本製品の印象としては『安かろう、悪かろう』のイメージがあったため、あまり販売は芳しくなく赤字を出す機体であった様だ(笑)

その後、この機体の設計、権利をビーチクラフト社に譲渡。そのビーチクラフトも親会社のレイセオン社に吸収され、現在では『ホーカー』の商品名で販売されている。

こちらがホーカー。

つまりは、基礎設計が三菱なアメリカの機体になってしまったのですね⚫⚫⚫
(´・ω・`;)


そんな三菱の幻?の機体のタイピン。
調べてみると中々興味深いものです♪


で、伯父さん。これの何処に携わったの?
(-ω- ?)
Posted at 2016/08/13 01:26:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 趣味 | 趣味

プロフィール

「Bさんのウインカーレバーが接触不良ぎみだったので、端子を直そうとカバー緩めてみたら正常になった。・・・なにこれ???( ;´・ω・`)」
何シテル?   04/13 14:54
元峠師です。走り引退後…ヘタレ親父に(*´ω`*)ゞエヘ 最近ブログを始めました。みんなで楽しめる様心掛けてます。一緒に楽しめる方のコメント頂ければ幸いです。...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2016/8 >>

  123456
789101112 13
14 15 1617181920
21222324252627
28293031   

リンク・クリップ

怖いかも知れない話。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2023/11/19 11:48:16

愛車一覧

MG MGB 「あずきビー」「あずき2号」 (MG MGB)
グリーンBさんの全損事故から一年三ヶ月。無謀にもフルレストアを敢行した第二世代Bさん。通 ...
日産 ノート デスノート (日産 ノート)
平成23年式。久々の日産車で足車。
スバル サンバートラック スバル サンバートラック
我が家専用農場作業車。RR四駆スバル内製サンバーダンプ。親父の代から軽トラだけはスバルと ...
その他 その他 その他 その他
所属している消防団の古いポンプ庫を解体された際に廃棄品として引き取ったもの。昭和40年式 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation