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2017年01月13日 イイね!
12月は雪が見たいということで、信州に来ました。
最初に妻女山を訪れました。ここは再訪です。
冬の北信ドライブ(2日目その1・前日に続き川中島古戦場巡りなど)
妻女山 (1)
妻女山 (1) posted by (C)pismo

妻女山 (2)
妻女山 (2) posted by (C)pismo

妻女山
妻女山 posted by (C)pismo

妻女山 (3)
妻女山 (3) posted by (C)pismo

斎場山古墳(五量眼塚古墳)は、斎場山の山頂の標高512.8mにある直径35.2mの円墳です。
地元では、招魂社が建つあたりを「赤坂山」と呼んでおり、本来の妻女山山頂は、そこからさらに南西に登った斎場山古墳のことといわれています。
斎場山古墳(五量眼塚古墳) (1)
斎場山古墳(五量眼塚古墳) (1) posted by (C)pismo

斎場山古墳(五量眼塚古墳)
斎場山古墳(五量眼塚古墳) posted by (C)pismo

妻女山 (4)
妻女山 (4) posted by (C)pismo

斎場山古墳(五量眼塚古墳) (2)
斎場山古墳(五量眼塚古墳) (2) posted by (C)pismo

鞍骨城(くらぼねじょう)は、標高798mの鞍骨山にあった山城です。
善光寺平や千曲市東部を見下ろす格好の地にあり、清野氏の主城でした。
清野氏は村上氏に属し、村上九家の上座に列していました。
天文19(1550)年の戸石城の戦いの際、武田氏に出仕し、その後再び村上氏に従属しましたが、天文22年(1553)武田軍の川中島進出によって、清野氏は家名を残すため、武田・村上双方に分かれたとも伝えられていますが、永禄2(1559)年には清野信秀は武田家に仕えています。
東は竹山城、西は雨宮の唐崎城、南西の倉科の鷲尾城などを外郭としていました。
主郭への道は、妻女山からあんずの里ハイキングコースを延々と歩いてたどり着きます。
石垣などがよく残る「天空の山城」です。
鞍骨城 (1)
鞍骨城 (1) posted by (C)pismo

鞍骨城 (2)
鞍骨城 (2) posted by (C)pismo

鞍骨城 (3)
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鞍骨城 (4)
鞍骨城 (4) posted by (C)pismo

鞍骨城
鞍骨城 posted by (C)pismo

鞍骨城 (5)
鞍骨城 (5) posted by (C)pismo

鞍骨城 (6)
鞍骨城 (6) posted by (C)pismo

鞍骨城 (7)
鞍骨城 (7) posted by (C)pismo

鞍骨城 (8)
鞍骨城 (8) posted by (C)pismo

鞍骨城 (9)
鞍骨城 (9) posted by (C)pismo

鞍骨城 (10)
鞍骨城 (10) posted by (C)pismo

玉依比賣命神社は、神社創建の縁起によれば8代孝元天皇16年4月16日、東条斎川の地に勧請されたとされています。
斎川は現在の松代町東条岩沢にあたります。。その後磯並(現在の松代町東条中川)に移り、磯並三社大明神と称しました。
現在の地に鎮座してのは寛喜2(1230)年と伝えられています。
延長5(927)年左大臣藤原忠平らにより撰進された延喜式五十巻の中の神名帳に記載された信濃国四十八座の 式内社の一つです。
現社殿は天保4(1833)年に改築された、八棟造りを模した荘厳な建築です。
(現地説明板などより)
尼飾城の登城口にあります。
玉依比賣命神社
玉依比賣命神社 posted by (C)pismo

尼飾城
尼飾城 posted by (C)pismo

玉依比賣命神社 (1)
玉依比賣命神社 (1) posted by (C)pismo

玉依比賣命神社 (2)
玉依比賣命神社 (2) posted by (C)pismo

伝承によれば、尼厳城(東条城)は、鎌倉時代以前から築城されていた難攻不落の山城です。周りの霞城、金井山城、寺尾城はその支城と伝えられています。
弘治2(1556)年、武田信玄は真田幸隆に尼厳城の攻略を命じました。城主の東条氏はよくこれに抗しましたが、高坂弾正らの武田軍の加勢により、ついに城は落城し、東条氏は越後の上杉謙信の元へ逃れました。
その後、城は信玄の命により改築され、永禄3(1560)年頃、山本勘助により海津城(松代城の原形)が完成すると、防衛的な山城として重要視されました。
天正10(1582)年、武田勝頼が織田信長との天目山の戦いに敗れ、武田氏が衰退すると、上杉景勝らの援護のもとに、北信濃の所将は旧地を回復し、上杉家臣となっていた東条信広も尼厳城将として復帰しました。
慶長3(1598)年、上杉景勝が会津120万石に移封され、これにともなって東条氏ら川中島の将士達も会津に移ったため、尼厳城は400年以上の山城の歴史に幕を閉じ廃城となりました。
現在も急峻な山頂一帯に、永い風雪に耐えた本郭、腰郭、堀切などの一部が残っています。
(現地説明板などより)
松代付近では、「一に春山(若穂綿内・綿内氏)、二に鞍骨(松代町清野・清野氏)、三に尼飾」といわれる城です。三方は断崖絶壁で、北西だけが尾根続きになっています。
尼飾城 (1)
尼飾城 (1) posted by (C)pismo

尼飾城 (2)
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尼飾城 (3)
尼飾城 (3) posted by (C)pismo

尼飾城 (4)
尼飾城 (4) posted by (C)pismo

尼飾城 (5)
尼飾城 (5) posted by (C)pismo

尼飾城 (6)
尼飾城 (6) posted by (C)pismo

尼飾城 (7)
尼飾城 (7) posted by (C)pismo

尼飾城 (8)
尼飾城 (8) posted by (C)pismo

尼飾城 (9)
尼飾城 (9) posted by (C)pismo
吉窪城は、海抜619mの吉窪城山の山頂にあり、南に川中島平を一望できる要害の地に築城されました。
城主は小田切氏で、始祖は佐久郡臼田小田切郷の氏人で、鎌倉時代に地頭となって小市に移住し、小市今里等に居館を構え、背面にこの吉窪城を築きました。
戦国時代、城主小田切駿河守幸長は、始め村上義清に属し、更に村上氏と共に上杉方に加わりました。
弘治3(1557)年葛山城を守った頃は春日、朝日、長嶺、久保寺、平林、布施、横山等組下七騎衆を率いた武将でしたが、武田方の火災攻めに遭い越後軍の援軍到着寸前に落城し、幸長は戦死しました。
武田方の治世になってからは幸長の一子民部少輔は一時武田方から400貫の知行を受けたこともありましたが、衰微し流転を重ね、末裔は高井郡に移ったと伝えられています。
(現地説明板などより)
吉窪城 (1)
吉窪城 (1) posted by (C)pismo

吉窪城 (2)
吉窪城 (2) posted by (C)pismo

吉窪城 (3)
吉窪城 (3) posted by (C)pismo

吉窪城
吉窪城 posted by (C)pismo
Posted at 2017/01/13 22:04:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年12月24日 イイね!
ミシガンは、琵琶湖汽船の遊覧船です。
昭和57(1983)年4月29日に就航しました。
滋賀県と友好姉妹都市である、アメリカ・ミシガン州との国際親善を祈念して、ミシガンと命名されました。
船の外観には、アメリカ南部ミシシッピー川に就航している外輪船のイメージを採用しています。
琵琶湖の南側の大津港周辺を周遊します。ミシガンクルーズはミシガン80、ミシガン60、ミシガンナイトの3つがあります。
比叡山や比良山・三上山や琵琶湖大橋などの風景が楽しめると同時に、観光案内やミシガンパーサーによるパフォーマンスが行われます。
平成26(2014)年1月には、「琵琶湖汽船 外輪船ミシガン・客船ビアンカ」が県内ではじめて、船舶としては日本初の「恋人の聖地サテライト」の認定を受けました。
ミシガンクルーズ (3)
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ミシガンクルーズ (4)
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ミシガンクルーズ (5)
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ミシガンクルーズ (6)
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ミシガンクルーズ (7)
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ミシガンクルーズ (8)
ミシガンクルーズ (8) posted by (C)pismo

ミシガンクルーズ (9)
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旧大津公会堂は、昭和9(1934)年に大津商工会議所と大津市立図書館を併設した「大津公会堂」として建設されて以来、昭和22(1947)年には大津商工会議所が移転し大津公民館となり、昭和50(1975)年からは大津市急病診療所となるなど名称や用途を変えながら市民の交流の場として親しまれてきました。
昭和60(1985)年からは、大津市社会教育会館の名で社会教育の拠点として利用されてきましたが、施設の老朽化に伴い耐震上の問題や利用率の著しい低下などの問題を受けて、平成20(2008)年からは耐震補強や外観修景を行い、大津市の中心市街地の賑わいを取り戻す為の集客交流拠点として新たに整備されました。
平成22(2010)年3月に景観重要建造物に指定され、4月からはレトロな外観をそのままに、1階にモダンなレストランを、2階に集客交流・まちづくり拠点施設を設け、観光客や市民が交流できるスペースとして活用されています。
建物は、鉄筋コンクリート造3階・地下1階建、外壁スクラッチタイル貼です。
左右対称で、三階に半円アーチ窓、隅に円窓、一・二階に縦長窓を開けています。
旧大津公会堂 (2)
旧大津公会堂 (2) posted by (C)pismo

旧大津公会堂 (3)
旧大津公会堂 (3) posted by (C)pismo


滋賀県立琵琶湖博物館は琵琶湖の価値を広く報せるとともに,みんなで湖と人の共存関係を考えるための材料と機会を提供する生涯学習施設です。
琵琶湖への社会的関心が高まった昭和54(1979)年に、県の高等学校理科教育研究会から県に対して要望書が出され、昭和62(1989)年に基本構想が策定されました。この時に最初の学芸員が採用され、以後、8年の準備期間を経て平成8(1996)年10月20日に開館しました。
「湖と人間」というテーマを掲げ、自然と文化の両方を同時に扱う総合博物館です。
400万年におよぶ琵琶湖の歴史や湖と人との関わりを分かりやすく紹介しています。
また、琵琶湖の環境展示の一環として、淡水魚の水族展示も行っています。ビワコオオナマズをはじめ、琵琶湖の生き物や世界の淡水魚が見られます。
琵琶湖博物館 (2)
琵琶湖博物館 (2) posted by (C)pismo

琵琶湖博物館 (3)
琵琶湖博物館 (3) posted by (C)pismo

琵琶湖博物館 (4)
琵琶湖博物館 (4) posted by (C)pismo
Posted at 2017/01/10 23:08:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2016年12月17日 イイね!
千光寺は、正しくは、嵐山大悲閣千光寺と号する黄檗宗の寺院です。
慶長19(1614)年、角倉了以が、二尊院の僧、道空了椿を中興開山に請じて建立しました。了以は、我が国の民間貿易の創始者として、南方諸国と交易し、海外文化の輸入に功績をたてた人物で、国内においては、保津川、富士川、天龍川、高瀬川等の大小河川を開鑿し、舟運の便益に貢献しました。
晩年は、この地に隠棲し、開鑿工事に関係した人々の菩提を弔うため、この寺を建てたといわれています。  本堂には、了以の念持仏であった本尊の千手観音像及び法衣姿の木像了以像を安置しています。境内には、了以の子、素庵が建立した林羅山の撰文による了以の顕彰碑や夢窓国師の座禅石と伝える大きな石があります。
境内にある大悲閣は、大堰川の切り立った岩肌に建つ観音堂で、嵐峡の絶景と共に京都市街地が一望できます。
大悲閣千光寺 -01
大悲閣千光寺 -01 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -02
大悲閣千光寺 -02 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -03
大悲閣千光寺 -03 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -04
大悲閣千光寺 -04 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -05
大悲閣千光寺 -05 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -06
大悲閣千光寺 -06 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -07
大悲閣千光寺 -07 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -08
大悲閣千光寺 -08 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -09
大悲閣千光寺 -09 posted by (C)pismo

大悲閣千光寺 -10
大悲閣千光寺 -10 posted by (C)pismo

亀山公園は、京都府立嵐山公園の一部、亀山地区の公園です。
後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚があり、天龍寺の背後にあたります。
園内には周恩来が、京都留学中に嵐山で作ったと言われる「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑の周恩来記念詩牌や周辺の山々、保津川や対岸の大悲閣千光寺が一望できる展望台などがあります。
また、周恩来記念詩牌に近い場所に角倉了以像があります。現在の像は2代目で、1代目の像は大正元(1912)年に建立され、戦時中の資材供出で撤去され、現在の2代目は昭和63(1988)年に地元の有志が設置したものです。三条京阪の高山彦九郎像、円山公園の坂本龍馬像と並んで「京都三大銅像」の一つとされています。
小倉山の登山道入り口も公園内にあり、亀山の名の由来も小倉山から伸びる屋根で山の形が亀に似ていることから、この名前がつけられたといわれています。
亀山公園 - 01
亀山公園 - 01 posted by (C)pismo

亀山公園 - 02
亀山公園 - 02 posted by (C)pismo

亀山公園 - 03
亀山公園 - 03 posted by (C)pismo

亀山公園 - 04
亀山公園 - 04 posted by (C)pismo

亀山公園 - 05
亀山公園 - 05 posted by (C)pismo

大河内山荘 - 01
大河内山荘 - 01 posted by (C)pismo

大河内山荘は昭和中期の映画俳優の大河内傳次郎の別荘で小倉山に続く山腹を庭園に組み込んだ壮大な屋敷です。
百人一首で著名な洛西小倉山の南面6千坪に,大河内伝次郎が昭和9(1934)年から30年の歳月にわたり造った庭園です。
書院、寝殿、茶室から構成される大乗閣、傳次郎が座禅を組んだ持仏堂などがあります。
遠くに比叡山、京都の町が望め、また大河内伝次郎の時代劇俳優としての活躍ぶりを写真やパネル等で解説する資料館もあります。
大河内山荘 - 02
大河内山荘 - 02 posted by (C)pismo

大河内山荘 - 03
大河内山荘 - 03 posted by (C)pismo

大河内山荘 - 04
大河内山荘 - 04 posted by (C)pismo

大河内山荘 - 05
大河内山荘 - 05 posted by (C)pismo

落柿舎は、松尾芭蕉の門人の向井去来が庵を構えたところです。去来は蕉門十哲の一人で、27歳の時に隠士となり、35歳で嵯峨野に庵を構えました。
39歳の秋頃から嵯峨の庵を「落柿舎」と呼びました。
当時、庭にあった四十本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし、かねて買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。これが落柿舎の名の由来です。
芭蕉も晩年、三度当庵を訪れて、名作「嵯峨日記」を著しました。
庭には去来の詠んだ「柿主や 梢はちかき あらし山」の句碑があります。
去来は長崎の生まれで、芭蕉に師事して俳諧を学び、その芭蕉をして「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」といわしめました。かつて武人であった去来は極めて篤実真摯な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、ちょうど親に対するようでした。
その句「鴨なくや 弓矢を捨てて 十余年」はよく知られています。

わらぶき屋根と周囲の畑がのどかな嵯峨野の風景を演出していて、好感が持てます。
落柿舎 - 01
落柿舎 - 01 posted by (C)pismo

落柿舎 - 02
落柿舎 - 02 posted by (C)pismo

落柿舎 - 03
落柿舎 - 03 posted by (C)pismo

祇王寺は、山号は高松山、院号は往生院、真言宗大覚寺派の寺院です。
平家物語の舞台としても知られており、平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより都を追われるように去り、母と妹とともに出家、入寺した悲恋の尼寺として知られています。
清盛、祇王・祇女らの木像を安置してあり、境内には祇王・祇女の墓といわれる宝筐印塔、鎌倉時代の作とされる清盛の五輪の石塔があります。
建物などは明治28(1895)年のものだそうですが、そんなことは感じさせない趣のある寺です。
祇王寺 - 01
祇王寺 - 01 posted by (C)pismo

祇王寺 - 02
祇王寺 - 02 posted by (C)pismo

祇王寺 - 03
祇王寺 - 03 posted by (C)pismo

祇王寺 - 04
祇王寺 - 04 posted by (C)pismo

祇王寺 - 05
祇王寺 - 05 posted by (C)pismo

祇王寺 - 06
祇王寺 - 06 posted by (C)pismo

祇王寺 - 07
祇王寺 - 07 posted by (C)pismo

祇王寺 - 08
祇王寺 - 08 posted by (C)pismo

清涼寺は、山号は五台山、浄土宗の寺院で、嵯峨釈迦堂の名で知られています。
この地には、一説では『源氏物語』の主人公の光源氏のモデルであったといわれる源融の山荘、棲霞観(せいかかん)があり、融の没後、棲霞寺としたのが当寺の始まりです。
天慶8(945)年に等身大の釈迦像が安置され、これが通称の由来ともいわれています。
その後、インド、中国、日本の三国伝来となる釈迦如来立像を持って宋(中国)から帰国した奝然上人が、その像を安置するため、愛宕山を中国の五台山に見立てた「大清涼寺」の建立を計画しましたが、志半ばで没したため、弟子の盛算が清涼寺を建立して像を安置しました。
昭和28(1953)年、背中に蓋が発見され、中に内臓を模した絹製の五臓六腑などが納められていたことから、生身のお釈迦様とも呼ばれています。
本堂は、元禄14(1701)年に徳川5代将軍綱吉、その母桂昌院らの発起により再建されたもので、本尊の釈迦如来立像(国宝)を安置しており、霊宝館には阿弥陀三尊像(国宝)、文殊菩薩騎獅像(重文)等、多数の文化財が祀られています。
仁王門など立派な建物が多かったです。
清涼寺 - 01
清涼寺 - 01 posted by (C)pismo

清涼寺 - 02
清涼寺 - 02 posted by (C)pismo

清涼寺 - 03
清涼寺 - 03 posted by (C)pismo

清涼寺 - 04
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清涼寺 - 05
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Posted at 2017/01/06 21:26:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
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何シテル?   01/13 22:04
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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