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2017年04月09日 イイね!
長等神社は、天智天皇6年(667年)に天智天皇が近江大津宮へ遷都された際に都の鎮護のため、長等山岩倉に須佐之男神をお祀りされたのが起源とされています。
その後、円珍(智証大師)が貞観2(860)年に園城寺の守り神として大山昨命を合祀し、新たに建立しました。
天喜2(1054)年に現在の地に遷座しました。
大津市指定文化財である豪華な朱塗りの楼門、全国的にも類例の少ない五間社流造の本殿、 それを取り囲む回廊などがあり、境内の左奥には樹齢300年といわれる巨大のカツラの木があり、御神木となっています。
長等神社 (1)
長等神社 (1) posted by (C)pismo

長等神社
長等神社 posted by (C)pismo

長等神社 (2)
長等神社 (2) posted by (C)pismo

三井寺〔園城寺〕は、山号は長等山、天台寺門宗の総本山です。
大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建しました。
天武天皇から「園城」をという勅額を賜わったことから「長等山園城寺」が正式名称です。天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」とよばれていたことから「三井寺」と一般的に呼ばれています。
近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。
貞観年間(859〜877)、智証大師円珍が天台宗別院として再興しました。東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦4(993)年、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、文禄4(1595)年には豊臣秀吉は、三井寺に闕所の命を下し、堂塔を破壊、寺領を没収し、金堂は延暦寺に移築されて西塔釈迦堂となりました。
慶長4(1599)年、豊臣秀吉正室・北政所により金堂再建。この頃より諸堂が復興され、慶長6(1601)年には、徳川家康が伏見城内の楼門(旧常楽寺楼門)、三重塔(旧比蘇寺三重塔)を移して寄進し、慶長7(1602)年には毛利輝元により一切経蔵が寄進されました。
三井寺(園城寺)
三井寺(園城寺) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (1)
三井寺(園城寺) (1) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (2)
三井寺(園城寺) (2) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (3)
三井寺(園城寺) (3) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (4)
三井寺(園城寺) (4) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (5)
三井寺(園城寺) (5) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (6)
三井寺(園城寺) (6) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (7)
三井寺(園城寺) (7) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (8)
三井寺(園城寺) (8) posted by (C)pismo

三井寺(園城寺) (9)
三井寺(園城寺) (9) posted by (C)pismo

琵琶湖疎水は、大津市三保が関で取水し、三井寺の山下を通り、京都市蹴上と流れる人工の水路です。
延長約9キロメートル。京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されました。
第1疏水は明治18(1885)年、青年技師田邊朔郎の指導のもとに着工、明治23(1890)年に開通し、第2疏水は明治45(1912)年に完成しました。工事が国家的レベルの事業であったことを示すように、隧道の各洞門には伊藤博文を始めとする著名人が揮毫した扁額が掲げられています。
「第1トンネル」入り口付近では、三井寺の桜と共に桜の名所として知られ、水と桜による美しい風景が評判です。毎年ライトアップもされています。
琵琶湖疎水 (1)
琵琶湖疎水 (1) posted by (C)pismo

琵琶湖疎水
琵琶湖疎水 posted by (C)pismo
Posted at 2017/04/26 22:43:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月09日 イイね!
この日は、山科の桜を見に訪れました。
平成23年にも訪れています。
山科疎水の桜
山科・毘沙門堂の桜

山科疎水
山科疎水 (1)
山科疎水 (1) posted by (C)pismo

山科疎水 (2)
山科疎水 (2) posted by (C)pismo

山科疎水
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山科疎水 (3)
山科疎水 (3) posted by (C)pismo

山科疎水 (4)
山科疎水 (4) posted by (C)pismo

毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門堂 posted by (C)pismo

毘沙門堂 (1)
毘沙門堂 (1) posted by (C)pismo

毘沙門堂 (2)
毘沙門堂 (2) posted by (C)pismo

毘沙門堂 (3)
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毘沙門堂 (4)
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毘沙門堂 (5)
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毘沙門堂 (6)
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毘沙門堂 (7)
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毘沙門堂 (8)
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毘沙門堂 (9)
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毘沙門堂 (10)
毘沙門堂 (10) posted by (C)pismo

毘沙門堂 (11)
毘沙門堂 (11) posted by (C)pismo

蓮如上人は晩年、山科の南殿に隠居されていましたが、自らの臨終を悟られた時、輿に乗られて山科本願寺の正面より親鸞聖人の御真影に参られ、「極楽へ参る御いとまごひにて候、必ず極楽にて御目にかかり申すべく候」と別れを告げられました。御臨終の枕元には、一間の押板に親鸞聖人の御影を掛け、頭北面西してその時を待たれた明応8(1499)年3月25日(新暦5月14日)に蓮如上人示寂、御年85歳でした。翌26日に葬送され、荼毘に付されたと伝えられています。そうして、御遺骨が埋葬された地に御廟が建てられました。
蓮如上人御廟所は、明治維新後に官地となっていましたが、明治15(1882)年3月、蓮如上人に慧燈大師の諡号が贈られたことを機に、両派に下賜されました。御廟所の周囲には山科本願寺の遺構、西本願寺山科別院、東本願寺山科別院、蓮如上人が隠居された南殿跡など、蓮如上人縁の史跡が残されています。現在では、御廟所は東西本願寺が共同で護持しています。(現地説明板などより)
蓮如上人御廟所 (1)
蓮如上人御廟所 (1) posted by (C)pismo

蓮如上人御廟所
蓮如上人御廟所 posted by (C)pismo

山科本願寺跡は、土塁跡が山科中央公園によく残っています。
文明10(1478)年に浄土真宗中興の祖である蓮如上人により造営が開始された寺内町です。寺域は南北約1km、東西約0.8kmにおよび、周囲には防御施設として土塁や濠が巡っており、寺域内は主要な堂舎がある「御本寺」、家臣や僧侶が生活する「内寺内」、寺に関わる職人・商人などが生活する「外寺内」の3つの郭で構成されていました。
「寺中広大無辺にして、荘厳さながら仏国のごとし」と言われるほど、繁栄していたことが想像できます。しかし天文元(1532)年に細川晴元が率いる法華宗徒と延暦寺、近江守護六角氏の連合軍により、焼き討ちにあいます。
昭和48(1973)年に団地の建設に伴い、山科本願寺の北東部では山科本願寺における最初の本格的な調査が行われました。
「御本寺」と「内寺内」を限る南北方向の土塁と平行する濠や「御本寺」と「内寺内」をつなぐ道路や、石垣、鍛冶場、石組みの井戸が見つかりました。またこれら上面に堆積していた焼土や灰は、山科本願寺が焼き討ちにあったことを裏付ける証拠となりました。
これまでの調査成果で、土塁の造成の様子や中枢部である「御本寺」西側に庭園や石風呂などの施設のほか、全国的にも珍しい工芸品なども出土し、その重要性がより一層明らかになってきました。
また寺域を巡る土塁は一部現存しており、その姿を今も目にすることができます。
中でも山科中央公園に残る土塁は、「内寺内」の北東角にあたり、東西75m、南北60mにわたって残っており、当時の状況をよく留めています。
平成14(2002)年には蓮如の隠居所としてつくられた南殿とともに、国史跡に指定されています。
(現地説明板などより)
山科本願寺跡 (1)
山科本願寺跡 (1) posted by (C)pismo

山科本願寺跡 (2)
山科本願寺跡 (2) posted by (C)pismo

山科本願寺跡
山科本願寺跡 posted by (C)pismo

醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山です。
弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が貞観16(874)年に創建しました。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝観音と如意輪観音を刻み、山上に祀りました。これが醍醐寺の始まりです。
開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依を受けて山上に薬師堂、五代堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建立され、山下山上にわたる大伽藍が完成しました。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいます。
下醍醐は、文明・応仁の乱で五重塔を残して焼失しましたが、慶長3(1598)年、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉、秀頼により金堂や三宝院などが再建されました。
醍醐寺 (1)
醍醐寺 (1) posted by (C)pismo

醍醐寺 (2)
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醍醐寺
醍醐寺 posted by (C)pismo

醍醐寺 (3)
醍醐寺 (3) posted by (C)pismo

醍醐寺 (4)
醍醐寺 (4) posted by (C)pismo

醍醐寺 (5)
醍醐寺 (5) posted by (C)pismo

醍醐寺 (6)
醍醐寺 (6) posted by (C)pismo

醍醐寺 (7)
醍醐寺 (7) posted by (C)pismo

醍醐寺 (8)
醍醐寺 (8) posted by (C)pismo
三宝院は永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正の創建です。醍醐寺の本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊です。
現在の三宝院は、建造物の大半が重要文化財に指定されています。中でも庭園を見渡せる表書院は、寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物で、国宝に指定されています。
国の特別史跡、特別名勝に指定されている庭園は、慶長3(1598)年に豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭で、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています
醍醐寺三宝院 (1)
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醍醐寺三宝院
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醍醐寺三宝院 (2)
醍醐寺三宝院 (2) posted by (C)pismo

醍醐寺三宝院 (3)
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醍醐寺三宝院 (4)
醍醐寺三宝院 (4) posted by (C)pismo

醍醐寺三宝院 (5)
醍醐寺三宝院 (5) posted by (C)pismo

醍醐寺三宝院 (6)
醍醐寺三宝院 (6) posted by (C)pismo

醍醐寺三宝院 (7)
醍醐寺三宝院 (7) posted by (C)pismo

醍醐寺 (9)
醍醐寺 (9) posted by (C)pismo

醍醐寺 (10)
醍醐寺 (10) posted by (C)pismo

醍醐寺 (11)
醍醐寺 (11) posted by (C)pismo

醍醐寺 (12)
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醍醐寺 (13)
醍醐寺 (13) posted by (C)pismo

醍醐寺 (14)
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醍醐寺 (15)
醍醐寺 (15) posted by (C)pismo

醍醐寺 (16)
醍醐寺 (16) posted by (C)pismo

随心院は、真言宗小野流の大本山で、正暦2(991)年弘法大師第8世の法孫仁海僧正が創建しました。
元の名は牛皮山曼荼羅寺といい、その名はある夜、亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を探し求めて世話を尽くしたものの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を招いて本尊としたことに由来します。
当院は真言宗小野流発祥の地であって、第5世増俊が塔頭に随心院を建立し、第7世親巌の時、後堀河天皇より門跡の宣旨をうけ、以来、小野曼荼羅寺御殿随心院門跡と称しました。
その後、応仁の兵火で炎上しましたが、慶長4(1599)年九条家から入った第24世増孝が再興し、今日にいたっています。
本堂は再興当時のもので、本尊如意輪観世音菩薩像のほかに、阿弥陀如来像(重要文化財)及び快慶作の金剛薩埵像等を安置しています。書院は天真院尼の寄進です。
この附近は、小野小町の旧跡と伝え、境内には小町文塚、化粧の井戸があり、小町の艷書をはったという地蔵菩薩も安置されています。
境内には唐棣の梅があり、3月最終日曜に「はねず踊り」と観梅の催しが行われる梅の名所です。
なお、境内地は昭和41(1966)年6月21日文化財保護法による史跡に指定されました。
(現地説明板などより)
随心院
随心院 posted by (C)pismo

随心院 (1)
随心院 (1) posted by (C)pismo

随心院 (2)
随心院 (2) posted by (C)pismo

随心院 (3)
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随心院 (4)
随心院 (4) posted by (C)pismo

随心院 (5)
随心院 (5) posted by (C)pismo

随心院 (6)
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随心院 (7)
随心院 (7) posted by (C)pismo

勧修寺は正式には真言宗山階派大本山亀甲山勧修寺という門跡寺院です。地名は「かんしゅうじ」と読みますが、寺の名前は「かしゅうじ」と読むのが正しいそうです。
昌泰3(900)年醍醐天皇が、生母藤原胤子の追善のため創建されたのが始まりです。寺号は、天皇の祖父に当る藤原高藤の諡号をとって勧修寺と名付けられました。
本堂は、江戸時代に霊元天皇より仮内侍所を、書院と宸殿は、明正天皇より旧殿を賜って造られたといわれ、本堂内に千手観音像を祀ります。
庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に造園されていて、周囲の山を借景とした池泉庭園です。古く平安時代には、毎年1月2日にこの池に張った氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったと言われています。
池には季節により睡蓮、杜若、蓮などが咲き誇ります。
勧修寺 (1)
勧修寺 (1) posted by (C)pismo

勧修寺
勧修寺 posted by (C)pismo

勧修寺 (2)
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勧修寺 (3)
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勧修寺 (4)
勧修寺 (4) posted by (C)pismo

勧修寺 (5)
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勧修寺 (6)
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勧修寺 (7)
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勧修寺 (8)
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勧修寺 (9)
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勧修寺 (10)
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勧修寺 (11)
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勧修寺 (12)
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勧修寺 (13)
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勧修寺 (14)
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勧修寺 (15)
勧修寺 (15) posted by (C)pismo
Posted at 2017/04/26 22:42:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年04月02日 イイね!
この日は、すこしぶらっと、桜が咲き始めている大坂城を訪れました。

大坂城(大阪城公園) (1)
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大坂城(大阪城公園) (2)
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大坂城(大阪城公園)
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大坂城(大阪城公園) (3)
大坂城(大阪城公園) (3) posted by (C)pismo

大坂城(大阪城公園) (4)
大坂城(大阪城公園) (4) posted by (C)pismo

大坂城(大阪城公園) (5)
大坂城(大阪城公園) (5) posted by (C)pismo

大坂城(大阪城公園) (6)
大坂城(大阪城公園) (6) posted by (C)pismo

大坂城(大阪城公園) (7)
大坂城(大阪城公園) (7) posted by (C)pismo

大坂城(大阪城公園) (8)
大坂城(大阪城公園) (8) posted by (C)pismo
まだ、満開には少し遠かったですが、春の訪れは十分に楽しめました。
Posted at 2017/04/19 21:38:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
2017年03月26日 イイね!
広大な梅林があるいなべ市農業公園です。高齢化の進むいなべ市では、高齢者が生きがいをもって生活できるようにする元気高齢者対策と水源地として景観や水源を守る農業の多面的な機能を重視し、地域農業を守る対策が緊急に必要とされています。そこで、特に高齢化の著しい鼎地区において荒廃農地を有効に活用して、都市農村交流拠点(農業公園)を整備し、都市と農村との相互理解の促進、高齢者就業機会の確保、農地の新たな活用による特産品の開発、生産者の生きがい発揮による地域の活性化を図ることとしました。
38haの梅林公園には、実梅を中心とした広大な梅林と、花梅を中心とした梅苑、農業体験のできるクラインガルデン、ブルーベリー園などを配し、18haのエコ福祉広場には、四季折々の花広場、ボタン園、パークゴルフ場などを整備して、地域住民、都市住民にとっての憩いの場・農業体験の場とします。
その整備・管理にあたっては、農業振興、高齢者福祉及び活躍の場の創出、農村と都市との交流、循環型社会の実現という4つの理念を重視し、その実践に向けて取り組むものです。(パンフレットより)
いなべ農業公園 (1)
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いなべ農業公園 (2)
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いなべ農業公園
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いなべ農業公園 (3)
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いなべ農業公園 (4)
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いなべ農業公園 (5)
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いなべ農業公園 (6)
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いなべ農業公園 (7)
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いなべ農業公園 (8)
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いなべ農業公園 (9)
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いなべ農業公園 (10)
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いなべ農業公園 (11)
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いなべ農業公園 (12)
いなべ農業公園 (12) posted by (C)pismo


椿大神社(つばきおおかみやしろ)は、伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座し、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。
猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導しました。そのことより、肇国の礎を成した大神として、垂仁天皇の27年秋(西暦紀元前3年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。
天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。
境内には松下電器の創業者・松下幸之助翁寄進の茶室「鈴松庵」があり、流派を問わず広く一般にも開放しています。
(パンフレットなどより)
椿大神社
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椿大神社 (1)
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椿大神社 (2)
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椿大神社 (3)
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椿大神社 (4)
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椿大神社 (5)
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椿大神社 (6)
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鈴鹿の森庭園は、鈴鹿山脈のふもとに平成26(2014)年にグランドオープンした赤塚植物園グループとマルマツナーセリーの協力により誕生した期間限定の新しい観光スポットです。
日本中から集められた枝垂れ梅の名木は、呉服枝垂(くれはしだれ)を中心に200本を超え、中には、日本最大級の大木もあります。
脈々と伝えられてきた、日本の伝統的な技を現代に伝え、未来へ継承していくための「研究栽培農園」で、開花期間中のみ一般開放を行います。
鈴鹿の森庭園
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鈴鹿の森庭園 (1)
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鈴鹿の森庭園 (2)
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鈴鹿の森庭園 (3)
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鈴鹿の森庭園 (4)
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鈴鹿の森庭園 (5)
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鈴鹿の森庭園 (6)
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鈴鹿の森庭園 (7)
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鈴鹿の森庭園 (8)
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鈴鹿の森庭園 (9)
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鈴鹿の森庭園 (10)
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鈴鹿の森庭園 (11)
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鈴鹿の森庭園 (12)
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鈴鹿の森庭園 (13)
鈴鹿の森庭園 (13) posted by (C)pismo

鈴鹿の森庭園 (14)
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鈴鹿の森庭園 (15)
鈴鹿の森庭園 (15) posted by (C)pismo
Posted at 2017/04/16 22:23:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2017年03月19日 イイね!
須磨浦山上遊園は、鉢伏山と旗振山の山頂一帯に広がる須磨浦公園内の植物園・遊園地を含む公園で、昭和34(1959)念に開園しました。
須磨浦ロープウェイ、カーレーターで山頂エリアに至ります。
須磨浦ロープウェイは、現在のゴンドラは平成19(2007)年3月新造のもので、昭和32(1957)年9月の開業以来、3代目となります。白いゴンドラが「うみひこ」、赤いゴンドラが「やまひこ」の呼び名です。
カーレーターはロープウェイ山上駅と回転展望閣を結んで、昭和41(1966)年3月に開通しました。その姿も当時のままで、「乗り心地の悪さ」が評判です。
回転展望閣は、昭和33(1958)年3月に営業開始しました。建物は当時流行したビヤ樽型のもので、3階はターンテーブルにより、床が360度、所要約45分でゆっくりと回転しています。
山頂エリアには須磨海岸~紀淡海峡から六甲山地まで360度のパノラマを楽しめる回転展望閣や林間の散策路があり、さらに観光リフトで谷を渡ったところにはふんすいランド、サイクルモノレール等が設置された遊園地があります。
須磨浦山上遊園 (1)
須磨浦山上遊園 (1) posted by (C)pismo

須磨浦山上遊園
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須磨浦山上遊園 (2)
須磨浦山上遊園 (2) posted by (C)pismo

須磨浦山上遊園 (3)
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須磨浦山上遊園 (4)
須磨浦山上遊園 (4) posted by (C)pismo

須磨浦山上遊園 (5)
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須磨浦山上遊園 (6)
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須磨浦山上遊園 (7)
須磨浦山上遊園 (7) posted by (C)pismo

須磨浦山上遊園 (8)
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源義経の奇襲攻撃「一ノ谷・坂落とし」は須磨浦公園の北にそびえる鉢伏山と鉄拐山との間、眼下に海を見下ろす東側の急斜面で行われました。
寿永3(1184)年2月7日早朝、鹿しか通らない急坂を、義経は弁慶をはじめとする七十余騎の騎馬軍団を率いて麓の一ノ谷城を攻め降り、源平合戦は一方的な源氏軍の勝利で決着しました。
ここから「安徳帝内裏跡伝説地」へたどる道が、その進軍路といわれています。他に鵯越付近(長田・兵庫区北方)との説もあります。
(現地説明板などより)
須磨一ノ谷 (1)
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須磨一ノ谷
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五色塚古墳は、4世紀から5世紀にかけて造られた兵庫県下で最大の前方後円墳で、 明石地方を支配した豪族の墓であろうと推定されています。墳丘は全長194メートルで3段に築かれており、高さは前方部11.5メートル、後円部18メートルです。
墳丘の斜面には石が葺かれており、下段では古墳の周辺から採集されたと推定されている小石を使用し、中断及び上段では大きな石を使用しています。
埴輪は、墳頂部と墳丘斜面に作られた2段のテラスにめぐらされていますが、その大部分はヒレ付円筒埴輪で、その総数は約2200本と推定されています。また朝顔形埴輪、蓋形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪なども発見されています。
すぐ隣には、直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があります。その他にも五色塚古墳の周囲に巡らされた堀の中にはいくつかの方墳がつくられていました。かつては堀の外側にもいくつかの古墳があって、一つの古墳群を形成していましたが、現在は消滅してしまっています。
ここからは、明石海峡大橋がよく見えます。
五色塚古墳
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五色塚古墳 (1)
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五色塚古墳 (2)
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五色塚古墳 (3)
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五色塚古墳 (4)
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五色塚古墳 (5)
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Posted at 2017/04/11 23:19:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅行(ドライブ以外) | 日記
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