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2011年05月05日

南信濃〜遠江、信玄上洛への夢紀行(1日目その3・秋葉山本宮秋葉神社下社、犬居城、天方城、崇信寺、飯田城、馬伏塚城、久野城)

秋葉山本宮秋葉神社は、和銅2(709)年に社殿を創建したとも、養老2(718)年、行基によって秋葉山が開山されたともいわれています。
かつては、三尺坊大権現を祀る秋葉社と、観世音菩薩を本尊とする秋葉寺とが一つの境内にあり、秋葉大権現として栄えました。
明治元(1868)年の神仏分離令や明治5(1872)年の修験宗廃止令により三尺坊大権現は萬松山可睡斎に遷座、秋葉寺は寺領や宝物を没収され廃寺となりました。
秋葉社も一旦は廃社とされましたが、翌明治6(1873)年、地元の人々の強い願いにより、祭神を火之迦具土大神とする秋葉神社として再建されました。明治13(1880)年には秋葉山秋葉寺も再建されました。
山上には上社があり、気田川の麓には下社があります。
時間の都合で下社のみ参拝しました。
秋葉神社下社 - 1
秋葉神社下社 - 1 posted by (C)pismo

秋葉神社下社 - 2
秋葉神社下社 - 2 posted by (C)pismo

秋葉神社下社 - 3
秋葉神社下社 - 3 posted by (C)pismo

犬居城は承久3(1221)年の承久の乱の後、山香庄の地頭に補せられ、以後犬居も地を中心に、北遠地方を代表する在地領主に成長した天野氏の居城です。
天野氏は伊豆国田方郡天野郷を出身地とし、鎌倉時代は幕府の御家人として活躍しましたが、元弘3(1333)年、鎌倉討幕軍に加わり、軍功を上げています。
南北朝時代にあると、一族が南朝・北朝それぞれの勢力に分かれて戦うなど、複雑な動きを展開しましたが、戦国時代には今川氏の配下として川根方面から天竜川のあたりの地域に勢力を及ぼしました。
永禄3(1560)年、今川義元が桶狭間の戦いで倒れると、徳川家康に属し、上洛を企てる武田信玄が北遠地方をうかがうと、武田氏に従うことになりました。このような状況の中で、光明、篠ヶ嶺、樽山、勝坂などの各地に支城が整えられていったものと考えられています。
天正2(1574)年、徳川軍の包囲を受けましたが、気田川増水のため退却する徳川軍を田能、大久保辺に追撃しています。
天正3(1575)年、長篠の戦いで武田軍が大敗すると、翌年再び徳川軍の攻撃を受け、ついに城を放棄して北遠の地を去りました。
犬居城跡は行者山(250m)の頂にあり、山の南側は断崖絶壁で険阻となっており、北側と西側は比較的穏やかで攻撃を受けやすい地形となっているため、西側から東側にかけて物見曲輪、本曲輪、東曲輪などの諸曲輪が配され、空堀、土塁、堀切などが築かれています。
現在、東曲輪周辺の空堀や堀切などの遺構がよく残っており、中世における代表的な山城として貴重です。なお、山の南側の熱田平には、天野氏の居館が築かれたと思われ、百首塚、的場が残っています。(現地説明板などより)
犬居城 - 01
犬居城 - 01 posted by (C)pismo

犬居城 - 02
犬居城 - 02 posted by (C)pismo

犬居城 - 03
犬居城 - 03 posted by (C)pismo

犬居城 - 04
犬居城 - 04 posted by (C)pismo

犬居城 - 05
犬居城 - 05 posted by (C)pismo

犬居城 - 06
犬居城 - 06 posted by (C)pismo

犬居城 - 07
犬居城 - 07 posted by (C)pismo

天方城がいつ築かれたかは不明ですが、応永年間(1394〜1428)には既に山内対馬守道美の居城でした。
応永8(1401)年には、弟山城守通秀に天方城を譲り、山城守は天方氏を称しました。
天方山城守通興(別号天方四郎三郎)の時代は戦国時代でそれまで遠江、駿河を支配していた今川氏が義元の死後衰退し、これを見た三河の徳川家康は遠州に進攻しました。
永禄11(1568)年、家康は遠江に入ると諸城を次々と攻略し、一方甲斐の武田信玄も駿河を手に入れて、着々と西進してきました。
天方城主天方山城守通興は今川方の勇将と知られており、家康が浜松に入城してからも徳川に従う気もなく、家康に敵対していたため、永禄12(1569)年6月19日家康は「遠州に居ながら徳川に帰伏せざれば」と、先陣榊原小平太康政、天野三郎兵衛康景、大久保新十郎忠隣をして天方城攻略のため進撃させ郭門を打破り、二の丸に押し入り激しい攻防戦がくりひろげられました。山城守もよく防戦したがついに力尽きて降伏しました。
翌元亀元(1570)年10月位には命令に従わずに軍兵を集めてたてこもったため再び大須賀康高、榊原康政をして外曲輪を攻められました。山城守は再び降伏し徳川の支配下に入りました。
元亀3(1572)年9月下旬、武田信玄は上洛を目指し遠州に侵攻し犬居城主天野氏の案内で飯田城を攻略して天方城にせまりました。
天方山城守は風林火山の軍旗をなびかせて進撃してくる武田勢に恐れをなし戦わずして降伏してしまいました。そこで信玄は久野氏を残して山城守とともに天方城を守らせました。
翌天正元(1573)年3月家康は「信玄に降伏したものを捨置くべきにあらず」と、天方城攻略を決行しました。先にこの城に残った武田の臣である久野氏は城兵を指揮して大手の門を切って出て戦い、寄せ手の大久保忠隣、渡辺半蔵らは烈しく攻め、ついに外堀を攻め破り本丸を攻め囲むこと3日、城主山城守、久野氏は必死に防戦したが力尽きて再び降伏しました。
遠江国風土記には、のちにまた甲州の城となりましたが、天正2(1574)年3月に家康は遠州の軍兵を率いて天方城を攻め3日のうちに攻略、この城に軍兵を置いたとされています。
その後通興の子通綱は家康の長男信康が織田信長に謀反の疑いをかけられて天正7(1579)年に二俣城にて切腹を命ぜられた際に介錯をつとめました。このため主君の長男の首を落としたという自責の念にかりたてられ高野山ののぼり仏門に入りその後越前松平秀康に仕えて越前天方氏の祖となりその子孫は明治まで松平氏に仕えました。
一方通興は天方家の存続をはかるため外孫を養子に迎え、後に家康、秀忠に従って数々の戦功をあげました。(現地説明板などより)
城ヶ平公園としてかなり整備されており、城跡まで車で登ることができます。
天方城 - 01
天方城 - 01 posted by (C)pismo

天方城 - 02
天方城 - 02 posted by (C)pismo

天方城 - 03
天方城 - 03 posted by (C)pismo

天方城 - 04
天方城 - 04 posted by (C)pismo

天方城 - 05
天方城 - 05 posted by (C)pismo

天方城 - 06
天方城 - 06 posted by (C)pismo

崇信寺は曹洞宗の寺院で、山号は飯田山です。
飯田城の跡にあります。築城の年代は定かではないが応永の初め頃、天方城主の山内対馬守が武略をもって飯田の荘を取り、この地に城を築いてここに移り天方城は弟の山城守に譲りました。
永禄年代、対馬守の子孫、通泰の代に徳川家康に攻められ主従ことごとく討死して廃城となりました。城主山内道泰は討死しましたが、庶子重但(伊織)は三河国に逃れて同地に土着し、子孫は連綿と続いているそうです。
対馬守は道美と号して文武両道を極め、ことに如仲禅師について禅を修め、応永8(1401)年飯田山崇信寺を建立しました。(説明看板などより)
境内には山内氏3代(山内対馬守道美公、山内対馬守久通公、山内大和守通泰公)の墓があります。
崇信寺 - 1
崇信寺 - 1 posted by (C)pismo

崇信寺 - 2
崇信寺 - 2 posted by (C)pismo

崇信寺 - 3
崇信寺 - 3 posted by (C)pismo

崇信寺 - 4
崇信寺 - 4 posted by (C)pismo

飯田城です。
室町初期、天方城主の山内対馬守道美が天方郷から飯田郷へ進出し弟の山城守に天方城を譲り、城(飯田古城、現・崇信寺)を築きました。
道美の後、久通、通泰と続きました。
永禄12(1569)年、徳川家康による遠江平定が急速に進み、榊原康政、大須賀康高らが先を争うようにして攻め通泰以下主従ことごとく討死しました。
元亀3(1572)年、西上を目指す武田信玄の大軍によって遠江が席捲された際にこの城も落とされました。
城跡は崇信寺の南側、茶畑を真っ直ぐ進んで右手の小さな丘の上にあります。
少し入口がわかりにくいです。
飯田城 - 1
飯田城 - 1 posted by (C)pismo

飯田城 - 2
飯田城 - 2 posted by (C)pismo

飯田城 - 3
飯田城 - 3 posted by (C)pismo

馬伏塚城の築城時期は不明ですが、文亀元(1501)年に遠江国守護であった斯波氏と駿河国守護であった今川氏が遠江国の支配権を巡って中遠地域で激しい戦闘が繰り広げられたときに、今川氏の拠点として座王城(袋井市)、天方城(森町)と共に登場しており、この時に城塞としての機能を果たしていたことがわかります。
城主として確かな史料に登場する最初は、今川氏の重臣で遠江小笠原氏と呼ばれる小笠原春茂(春義、春儀)とその子の氏興(氏清)であり、高天神城の城主も兼ねていたとされています。
今川氏が滅亡すると、小笠原氏は徳川家康の配下となります。天正2(1574)年6月17日、南遠地方の要であった高天神城が落城し、徳川方から武田勝頼の手に支配が移ると、家康は馬伏塚城を高天神城攻略の作戦本部と位置づけ、8月1日から大改造を行って現在の岡山集落全域を取り込む城郭に造り上げました。
城主には家康の重臣である大須賀康高をおき、天正9(1581)年に高天神城が落城するまで、天正6(1578)年に築かれた大須賀城と共に戦略上重要な位置を占めます。
しかし、徳川家康による遠江支配が安定する天正10(1582)年にはその役割を終えて廃城となり、跡地に岡山村が形成されていきました。
現在も小字名として残る破城(羽城)は、城打ち壊しの儀式が地名として残ったものと考えられます。城名の馬伏塚城の読み方は「まむしづか」、「まぶせづか」と両方ありますが、現在では一般的に「まむしづか」と読んでいます。
(説明看板などより)
城跡は、諏訪神社となっています。
馬伏塚城 - 1
馬伏塚城 - 1 posted by (C)pismo

馬伏塚城 - 2
馬伏塚城 - 2 posted by (C)pismo

馬伏塚城 - 3
馬伏塚城 - 3 posted by (C)pismo

馬伏塚城 - 4
馬伏塚城 - 4 posted by (C)pismo

久野城は、久野宗隆が明応年中(1492~1500)もしくは永正年中(1504~1520)に築城したといわれています。
宗隆は今川氏に属し、多くの戦功を立てましたが、孫の久野宗能は永禄11(1568)年、徳川家康の旗下に入り城主となり、掛川城・高天神城攻撃、小牧長久手の戦いなどに戦功を立てました。
天正18(1590)年、家康の関東転封に伴い宗能は下総に移封され、代わって松下之綱が丹波より移り城主となりました。
その後松下重綱・久野宗能(再任)・久野宗成・北条氏重が城主となりました。しかし、最後の城主北条氏重は寛永17(1640)年下総関宿へ移封され、久野城は正保元年(1644)年廃城となりました。
城跡は良く整備され、土塁、堀切などが良く残っています。
久野城 - 01
久野城 - 01 posted by (C)pismo

久野城 - 02
久野城 - 02 posted by (C)pismo

久野城 - 03
久野城 - 03 posted by (C)pismo

久野城 - 04
久野城 - 04 posted by (C)pismo

久野城 - 05
久野城 - 05 posted by (C)pismo

久野城 - 06
久野城 - 06 posted by (C)pismo

久野城 - 07
久野城 - 07 posted by (C)pismo


この日はここまで。浜松に泊まるので次の日は浜松市内の史跡を中心に回ります。
ブログ一覧 | ドライブ | 日記
Posted at 2011/08/07 22:26:50

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