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2011年05月06日

南信濃〜遠江、信玄上洛への夢紀行(2日目その1・浜松城周辺の史跡)

平手監物墳墓の地〔平手神社跡〕は、三方ヶ原の戦いで平手監物汎秀が戦死した地といわれています。浜松城の南側、グランドホテル浜松の裏側にあたります。
戦没地は稲葉山で監物坂という坂も残っています。
平手汎秀は、織田信長の家臣平手政秀の子、もしくは孫ともいわれています。三方ヶ原の戦いには徳川家康への援軍として、滝川一益・林秀貞・佐久間信盛・水野信元らと共に出陣しましたが、敗軍の中浜松城近くのこの地において戦死しました。

かつてその地には汎秀およびその家臣の墓碑があり平手神社として祀られていましたが、老朽化により取り壊されました。平成18(2006)年に墓碑は平手一族の菩提寺である愛知県稲沢市の長福寺に移されました。
平手監物最後の地
平手監物最後の地 posted by (C)pismo


鎧掛松は元亀3(1572)年、徳川家康が三方ヶ原の合戦から城に帰って大きな松の木陰で休み、そのとき鎧を脱いでその松に掛けたことから、鎧掛松と呼ばれるようになりました。
現在の松は昭和56(1981)年に元城町の人々の手によって植樹された三代目です。初代は浜松城内の堀のそばにありました。
また、当寺鎧掛松の近くの清水で合戦により疲れた馬の身体を冷やしたところは馬冷(うまびやし)と言ってその地名が松城町内に残っています。
鎧掛松 - 1
鎧掛松 - 1 posted by (C)pismo

鎧掛松 - 2
鎧掛松 - 2 posted by (C)pismo

鎧掛松 - 3
鎧掛松 - 3 posted by (C)pismo

徳川秀忠公誕生の井戸〔誕生井戸〕は常盤町地内、遠州鉄道遠州病院前駅の西側にありますが、元々は現在の場所より西方に約50メートルの所にありました。昔、その一帯は旧浜松城下であり、家康公在城当時には下屋敷が構えられていました。
2代将軍徳川秀忠の生母は、側室・西郷局(於愛の方)で、天正7(1579)年4月7日、秀忠の出産は同下屋敷で行なわれたといわれています。その時に使われた産湯の井戸が誕生井戸で、その井戸は明治の頃まで残っていたそうです。又、ここの北方の誕生橋は、秀忠の生まれた下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことに因んで命名されたといわれています。

徳川秀忠誕生の井戸 - 1
徳川秀忠誕生の井戸 - 1 posted by (C)pismo

徳川秀忠誕生の井戸 - 2
徳川秀忠誕生の井戸 - 2 posted by (C)pismo

徳川秀忠誕生の井戸 - 3
徳川秀忠誕生の井戸 - 3 posted by (C)pismo


浜松八幡宮は、仁徳天皇の時代にが遠津淡海の海運安全のため海の神・玉依比売命を許部の里(現・浜松市小沢渡町)に祭祀したのが始まりと言われています。
許部神社は、延喜式にも「敷智郡6座の神の一座 許部神社」として名を連ねる由緒ある神社です。
その後、天慶元(938)年神託により許部の里から曳馬の里(現在地)に遷座し、この時 白狐が老翁の姿で松の小木を携えこの宮地に導き松を移し植えました。
この故事により「浜の松」すなわち「浜松」の地名になったといわれています。
その後、浜松市馬込町にあった白山神社の御祭神・伊奘諾尊、伊奘冉尊、下垂の玉依比売命が遷座されました。
浜松八幡宮は古くから武家の信仰が篤く、永承6(1051)年八幡太郎義家が陸奥に出陣の折、浜松八幡宮に参籠し、
 「契りあれば 帰り来るまで石清水 かけてぞいはふ 浜松の里」
という歌を詠み、武運を祈願して社前の楠の下に旗を立てたと伝えられています。
 また、三方ヶ原合戦の折、武田軍に追われた家康が天林寺に入り、義俊和尚の案内で浜松八幡宮に逃れ、社前の楠の洞穴に隠れて武運を祈願した際、楠の上に瑞雲が立ち上り、神霊が白馬に跨り浜松城方面に飛び立ったといわれ、家康は無事に浜松城に帰りつき、武田軍の入城を防ぐことができました。この故事から「雲立の楠」と呼ばれるようになりました。
徳川家康は、1586年(天正14年)に駿府に移るまで、浜松八幡宮を祈願所とし武運長久を祈ったと伝えられています。
慶長8(1603)年、征夷大将軍に任ぜられた徳川家康公より社領五十石の朱印を与えられ、幕府より歴世朱印を与えられたといわれています。
浜松八幡宮 - 01
浜松八幡宮 - 01 posted by (C)pismo

浜松八幡宮 - 02
浜松八幡宮 - 02 posted by (C)pismo

浜松八幡宮 - 03
浜松八幡宮 - 03 posted by (C)pismo

浜松八幡宮 - 04
浜松八幡宮 - 04 posted by (C)pismo

椿姫観音は、曳馬城の女城主お田鶴の方を祀った観音様です。
戦国時代、曳馬城(引間城・引馬城)主飯尾豊前守乗竜(連竜)亡き後、女城主になったお田鶴の方は、永禄11(1568)年12月末、徳川家康の攻撃を受け合戦に臨みました。
華やかにして壮絶な死闘の末、お田鶴の方と侍女たちは戦いに敗れ討死しました。
城を最後まで死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方と侍女18人の遺骸を厚く葬り塚を築きました。家康の正室、築山御前も手ずから塚の周囲に百余株の椿を植え供養を営みました。
椿はその後毎年美しく咲き、付近の人々はこの塚所を「椿姫塚」と呼び追善供養を捧げました。
椿姫観音 - 1
椿姫観音 - 1 posted by (C)pismo

曳馬城は浜松城の前身です。
築城年代や築城者は諸説あり、久野越中守、今川貞相、大河内貞綱、巨海新左衛門尉などの名前が挙げられています。
戦国時代、遠江守護斯波氏と駿河守護今川氏が争い、今川氏親が伊勢新九郎を派遣して遠江制圧に乗り出し飯尾乗連が曳馬城主となりました。
今川義元が桶狭間の戦いで敗死すると、飯尾連龍は松平元康(後の徳川家康)に通じたため永禄8(1565)年、曳馬城は義元の子氏真に攻撃され、後に両者は講和をしましたが氏真によって連龍は駿府で暗殺されました。
和議は謀略で、連竜は誘殺された。以後の曳馬城は、連竜の未亡人・お田鶴の方(椿姫)を中心とした飯尾氏の残党によって守られますが、徳川家康により永禄11(1568)年攻略され、家康は曳馬城を居城としました。
元亀元(1570)年になると家康は居城の拡張を開始し名前も浜松城と改め曳馬城は浜松城の一曲輪として取り込まれました。
もともと曳馬城だった部分には、江戸時代には米蔵などが置かれていましたが、明治27(1894)年、井上八郎氏によって元城町東照宮が創建されました。昭和20(1945)年に戦災により消失しましたが昭和34(1959)年に再建されました。
曳馬城(東照宮) - 1
曳馬城(東照宮) - 1 posted by (C)pismo

曳馬城(東照宮) - 2
曳馬城(東照宮) - 2 posted by (C)pismo

普済寺は、山号は広沢山(こうたくさん)、曹洞宗の寺院です。
15世紀の初め寒厳義尹が開山、その後、肥後国大慈寺からきた華蔵義曇が寒厳禅師の遺志を継ぎ、東海の禅堂としてこの地に建立しました。
教派は十三派(四百六十ヶ寺)を数え、華蔵和尚によって浜松地方に禅宗が広められました。普済寺の本尊は釈迦牟尼佛です。
徳川家康の遠江侵攻の際には、この普済寺に陣が置かれたといわれており、又、元亀 3年(1572)の三方ヶ原合戦の際には兵火により焼失していますが、由緒のある寺として徳川氏の保護を受け、家康も客殿を寄進しています。
明治30(1897)年火災に遭い、その建物も昭和20年(1945)戦災を被りました。しかしその後、昭和39(1964)年に再建されました。
山内に北山稲荷を祀っています。なお普済寺の末寺である愛知県豊川市の豊川稲荷は、日本三大稲荷の一つに数えられています。
普済寺 - 1
普済寺 - 1 posted by (C)pismo

普済寺 - 2
普済寺 - 2 posted by (C)pismo


西来院は山号は高松山、曹洞宗の寺院です。
徳川家康の正室・築山御前の廟堂(月窟廟)のある寺院として有名です。
築山御前は天正7(1579)年、佐鳴湖岸の小藪(太刀洗の池)において、家康の家臣の手にかかり悲劇的な最後をとげました。築山御前の廟堂・月窟廟(げっくつびょう、がっくつびょう)は一時戦災のため焼失しましたが、昭和53(1978)年の400年忌に復元されました。
境内には、家康の異父弟松平源三郎勝俊、江戸時代の浜松女流歌人・杉浦真崎、森繁子などの墓もあります。
西来院 - 01
西来院 - 01 posted by (C)pismo

西来院 - 02
西来院 - 02 posted by (C)pismo

西来院 - 03
西来院 - 03 posted by (C)pismo

西来院 - 04
西来院 - 04 posted by (C)pismo

西来院 - 05
西来院 - 05 posted by (C)pismo

西来院 - 06
西来院 - 06 posted by (C)pismo

西来院 - 07
西来院 - 07 posted by (C)pismo


宗源院は、山号を宝蔵山といい曹洞宗、普済寺十三派の在天派に属する寺院です。
在天弘雲が十五世紀に開創しました。
三方ヶ原の戦いの際、家康の身代わりとして戦死した成瀬藤蔵正義、旗手として討死した外山小作正重の墓があり、また浜松城主松平伊豆守信祝が娘多世姫のために建てたという墓があります。寺の南東一帯に的場があり、徳川家康が在城当時ここで弓の稽古に励んだといわれています。             
宗源院 - 1
宗源院 - 1 posted by (C)pismo

宗源院 - 2
宗源院 - 2 posted by (C)pismo

蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、約3,000~4,000年前の縄文時代の集落遺跡です。
周辺には4ヶ所の貝塚があり、20数軒の家の跡や30ヶ所ほどの墓が発見されました。
貝塚の貝がほとんど蜆だったので、古くから蜆塚と呼ばれていました。
蜆塚遺跡から発掘された物(土器・石器・装飾品)は、蜆塚公園内に併設されている浜松市博物館に展示してあります。
昭和34(1959)年に国の史跡に指定されました。
蜆塚遺跡 - 01
蜆塚遺跡 - 01 posted by (C)pismo

蜆塚遺跡 - 02
蜆塚遺跡 - 02 posted by (C)pismo

蜆塚遺跡 - 03
蜆塚遺跡 - 03 posted by (C)pismo

太刀洗の池は現在石碑の建っている南側10m位の場所にありました。
昔はこの周辺一帯は藪に覆われ約50㎡ほどの池がありました。
天正7(1579)年8月29日、徳川家康の正室・築山御前が信長の命により、岡崎城から浜松城に向かう途中に、佐鳴湖小藪で家康の家臣に殺害されました。築山御前は38歳でした。
このときに血刀をこの池で洗ったので、その水が涸れましたが、延宝6(1648)年、百年忌の法要が行われてから、清水に戻ったといわれています。築山御前は西来院に葬られました。
この谷一帯のことを御前谷といいます。
現在石碑は、浜松医療センターの駐車場の一角にあります。
大刀洗の池 - 1
大刀洗の池 - 1 posted by (C)pismo

大刀洗の池 - 2
大刀洗の池 - 2 posted by (C)pismo


鴨江の根上がり松は、樹齢300年と推定されるクロマツで、根の部分が2m以上も地表から浮き上がっています。
かつては鴨江寺の境内にあたり19番目の観音が安置されていたことから、「十九番観音根上がり松」とも呼ばれ親しまれてきました。
昭和34(1959)年に浜松市の指定天然記念物の登録を受けました。
当初は2本のクロマツが指定されていましたが、1本は平成19(2007)年7月14日に倒れ、現在は根の部分のみが残っています。
根上がり松 - 1
根上がり松 - 1 posted by (C)pismo

根上がり松 - 2
根上がり松 - 2 posted by (C)pismo

根上がり松 - 3
根上がり松 - 3 posted by (C)pismo

根上がり松 - 4
根上がり松 - 4 posted by (C)pismo


浜松城はかつては、今川の臣飯尾氏の居城で「曳馬城」と呼ばれていました。
永禄11(1568)年徳川家康が攻略し、自らの居城としました。
元亀元(1570)年に家康は本拠地を岡崎城から移し、浜松城と城の名前を改めました。
元亀3(1573)年、武田信玄が浜松城を素通りし、西上しようとしたところ、徳川家康は浜松城から打って出て、三方ヶ原で激突しました。しかし、徳川軍は武田軍に敗北を喫してしまいます。
その後、浜松城は武田軍へ備える必要もあり、拡張・改修を加えました。しかし、武田家滅亡後、駿河、甲斐、信濃へ領土を広げた家康は、天正14(1586)年、浜松城から駿府城に本拠を移しました。
天正18(1590)年の徳川家康の関東移封後は、堀尾吉晴、堀尾忠氏が在城しました。
江戸時代は譜代大名達の居城となり、水野忠邦他幕府閣僚への登竜門となった城で「出世城」と呼ばれました。
浜松城 - 01
浜松城 - 01 posted by (C)pismo

浜松城 - 02
浜松城 - 02 posted by (C)pismo

浜松城 - 03
浜松城 - 03 posted by (C)pismo

浜松城 - 04
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浜松城 - 05
浜松城 - 05 posted by (C)pismo
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Posted at 2011/08/07 22:40:14

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