ひょうたん桜の名で親しまれている大藪の彼岸桜は、樹齢約500年、樹高21m、根元廻り8mのウバヒガンの古木です。つぼみの形がひょうたんに似ていることからいつしか「ひょうたん桜」と呼ばれるようになりました。また「ひょうたん桜」のあるこの地区は元々「大藪」という字名でしたが、この桜にちなんで昭和33(1958)年に「桜」と改称されました。
天正10(1585)年、土地の始祖大崎玄蕃がここに住居したとき、この樹下に大山鎮めとして大山祓神を祭祀したと言い伝えられています。また、武田勝頼が土佐に落ち延びて大崎玄蕃に名を変えたという伝説が残っています。
今も樹幹に小祠があります。
「大藪のひがん桜」の名称で昭和28(1953)年3月に県指定天然記念物に認定されています。
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甲斐武田家、第二十代当主である武田勝頼(変名大崎玄蕃)と三枝夫人(変名美津岐夫人)夫婦の埋葬された墓の前に建立される
鳴玉神社です。
勝頼は慶長14(1609)年8月25日に64歳で亡くなります。三枝夫人は元和2(1616)年10月19日に亡くなって共に祀られています。三枝夫人は歴史上出てこない夫人で、実子の正晴と共に落ち延びた事が系図に書かれていて歴史の大きな謎です。
大崎川井土居屋敷の柿木元に葬られた事が系図に記されております。400年以上の時を経た現在、この柿の木は赤い実を稔らせます。
勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大居士
夫人の戒名 恵照院殿清月宗光大姉
これらは系図に記されており、また長宗我部地検帳からも土居屋敷の場所が確認でき、土佐へ来た武田勝頼の伝承を物語る上でも重要な史跡です。
毎年、大崎八幡宮の秋祭り(11月15日)と玄蕃祭り(旧暦8月28日)には御神幸が行われ、ご神体が御輿に運ばれてきて祭祀が行われます。
(現地説明板などより)
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2016/10/11 21:04:15