この日は雨でした。以前から近くなのに行ったことがなかった
堺市博物館を訪れました。
この博物館は、古墳の歴史は、近世都市として栄えた堺の歴史について色々学ぶことができます。
そして、堺市博物館がある大仙公園を散策し、
日本庭園であじさいや花菖蒲を見に行きました。
大仙公園は、日本の都市公園100選に選ばれた都市公園です。
日本庭園は、その大仙公園内に、市制100周年を記念して造られた築山林泉廻遊式庭園です
池泉の対岸を中国大陸に見立てて造った庭園は四季折々の花木を楽しむことができ、多くの人々に親しまれています。
大仙公園と道路を挟んで北側には
大仙陵古墳〔仁徳天皇百舌鳥耳原中陵〕があります。
墳丘の全長は480m、前方部の幅305m、後円部の直径245m、周濠を含めた東西の長さ656m、南北の長さ793m、周囲は2,718m、面積 464,124㎡となっていて我が国の前方後円墳としては最も大きい古墳で墓域面積は世界最大です。日本書紀によれば、仁徳天皇67年の冬10月5日に、河内の石津原(堺市石津町~中百舌鳥町一帯)に行幸して陵地を定め、同月18日から工事を始めました。この時、鹿が野の中から走り出て、工事に従事している人々の中に走り入って、にわかに倒れました。人々があやしんで調べてみると、その耳の中から百舌鳥が飛び去り、鹿の耳の中が喰いさかれていましたので、ここを百舌鳥耳原と名づけたと記されています。
仁徳天皇は、それから20年後の87年の春正月16日に亡くなり、同年の冬10月7日に百舌鳥野に葬られました。(古事記では毛受耳原陵)
徳川時代の中頃までは、陵墓の管理が充分に行われていませんでしたが、嘉永5(1852)年、堺奉行川村修就はこれを憂いて、後円部上にあった勤番所を裏門に移し、天皇を葬ったと思われる後円部200坪に高さ3尺の石の柵を設けて、陵内を整備したと伝えられています。
明治5(1872)年9月、前方部正面の第2段のやや上がくずれ、立派な石積の竪穴式石室が発見されました。
正面の拝所の部分しか入ることができませんが、あまりにスケールが大きいためここから見ると大きな山にしか見えません。ただし、堺市役所の21階の展望ロビーからは全景を見ることができるそうです。
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ドライブ | 日記
Posted at
2008/07/06 13:04:19