この日は連休中ということで香川県へドライブしました。
屋島寺は天平勝宝6(754)年、鑑真和上が都に向かう途上屋島へ立寄り、北嶺に普賢堂を建て、その弟子恵雲律師が堂宇を整備して住職となったのが始まりと伝えられています。
弘仁6(815)年、この地を訪れた弘法大師は、嵯峨天皇の勅願により北嶺にあった伽藍を南嶺に移し、 十一面観音菩薩像を刻んで本尊としました。
屋島の
獅子の霊巌は、談古嶺、遊鶴亭とともに屋島三大展望台のひとつです。
眼下の断崖の大きな巌の形が獅子の頭に似ているため獅子の霊巌と呼ばれています。
昔、弘法大師が屋島寺本堂を建立しようと早朝に着手しましたが、工事途中で太陽が西に沈んだため、この巌に立った大師が、扇を持って夕陽を招き返し、一日で工事を完成したと伝えられています。
日本の夕陽100選にも選出され、夕陽や夜景が美しいことで知られています。
屋島城は、南嶺と北嶺の中間で「櫓が丘」と呼ばれていて山腹の石垣が古城跡です。
天智天皇の時代、白村江の戦いで敗れ、唐・新羅軍の侵入に備えて築城されました。
665年には長門城、大野城、基肄城、667年に屋島城と高安城を築きました。
発掘調査が進み、城門を復元する計画などもあるようです。
談古嶺は、屋島の三大展望台の一つです。
明治30(1897)年村雲尼が登山した時、源平古戦場の史談を聞き、源氏の武士や平家の公達たちを偲び、談古嶺と命名しました。
眼下に屋島檀ノ浦、安徳天皇行宮跡、那須与一の扇の的、駒立岩、祈り岩、源義経弓流しの跡、佐藤継信の墓、菊王丸の墓などがある史跡を望み、対岸には五剣山、平家が軍船を隠した船かくし湾などがあります。
高松城は、生駒親正が築城した城です。天正15(1587)年に讃岐国17万6千石を与えられた親正は、当初引田城に入城し、後に聖通寺城に入りましたが、天正16(1588)年に高松城の築城を開始。天正18(1590)年に城は完成しました。
江戸時代は生駒氏が改易された後は、生駒氏が生駒騒動で改易されると、水戸徳川光國の兄、松平頼重が城主となり、228年11代にわたる水戸徳川家の分家の松平氏の居城となりました。
明治17(1894)年に天守閣は老朽化のため取り壊されました。また、戦災により三の丸の桜御門が焼失しました。
現在は高松市立玉藻公園となっており、北の丸には、月見櫓、北の丸水手御門、渡櫓、旧東の丸には艮(うしとら)櫓などが残っています。周囲は埋め立てなどでかつての海に浮かぶ城の面影は薄れましたが、現在も水堀は海水を引き込んでいます。
昭和30(1955)年に国の史跡に指定され、平成18(2006)年に日本100名城に指定されました。現在天守閣の復元を目指しているようです。
披雲閣は、高松城跡の玉藻公園にある建物です。
寛文11(1671)年に初代藩主松平頼重、二代頼常の時代に藩主の住居と藩政のための御殿として建てられました。現在の披雲閣は大正6(1917)年、松平第12代当主の松平頼寿伯爵の別邸として、かつての旧披雲閣の半分程度の大きさで建てられました。それでも延床1,890㎡あります。
現在は会議や茶会などの会場として使われています。5月の連休の一時期には、一般公開もされます。
丸亀市に移動する途中、うどん屋に立ち寄りました。
かえしうどんで有名な
家康です。
中津万象園は、貞享5(1688)年に丸亀藩主である京極高豊の命により造られた大名庭園です。京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池を中心として造られています。
敷地には丸亀美術館が併設されており、ミレーやコローなどの巨匠の名画を展示している絵画館、ひな人形を収蔵したひいな館、ペルシャ陶器などを展示した陶器館があります。
多度津陣屋です。
元禄7(1694)年、丸亀藩主京極高豊が亡くなる時、跡を継ぐ高或がまだ3歳であったため、夭折を恐れ高或の後継として庶兄の高通を後見人として幕府に分封を願い出、それが認められ丸亀藩内に1万石で多度津藩が立藩されました。
ただし、高通も当時4歳であったため、丸亀藩内に居館を置いていました。
高通、高慶、高文と3代にわたり、丸亀城内に居住しましたが、4代高賢の代、文政10(1827)年に陣屋を築きました。
現在は陣屋の遺構はあまり残っていませんが、藩士達の家中屋敷の雰囲気が良く残っています。
善通寺です。
は、真言宗の開祖、弘法大師空海の御誕生所で京都東寺、紀州高野山とならぶ弘法大師三大霊跡の一つです。山号は五岳山、四国八十八箇所霊場の七十五番札所です。
大同2(807)年、空海の父佐伯善通から土地の寄進を受け、建立されました。伽藍は弘仁4(813)年に落慶したそうです。
西行法師や法然上人も訪れ、中世には足利氏や細川氏、近世には高松松平家や丸亀京極家など讃岐の領主などの庇護を受けて大いに栄えてきました。
境内には五重塔など多くの伽藍があります。
旧金毘羅大芝居(金丸座)旧金毘羅大芝居(金丸座)は、天保6(1835)年創建の日本最古の芝居小屋です。それ以前は、その都度建てられる仮小屋でしたが、芝居の常小屋と富くじの開札場を兼ねて建設されました。
江戸時代の劇場建築の典型を伝える唯一最古のものとして昭和45(1970)年に国の指定重要文化財に指定されたことを契機として、昭和47(1972)年から4年間、2億数千万円を費やして現在地に昭和51(1976)年に移築復元されました。
昭和60(1985)年から毎年歌舞伎公演が行われています。
金刀比羅宮は象頭山の中腹にありこんぴらさんと呼ばれて親しまれています。
金毘羅宮、まれに琴平宮ともいわれています。
登り口から御本宮まで785段、奥社まで行くと1368段の階段が名物です。
円山応挙筆の障壁画「遊虎図」を収めた御書院と宝物館、収蔵庫の3つを総称した「金刀比羅宮博物館」もあります。
Posted at 2008/05/20 23:28:59 | |
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