富松神社(大村市)
大村藩の崇敬を集めた富松神社
2015年01月02日
富松神社が、文献上に最初に登場するのは、正平19(1364)年から正平25(1370)年の間に本堂川(大上戸川)周辺の諸寺院で写経された大般若経の奥書に「肥前国彼杵荘大村富松社」と見え、南北朝の正平19(1364)年には既に鎮座していたことが知られています。
15世紀後半、大村領主大村純伊の時代には、大村家の守護神太良山大権現(多良岳山頂鎮座)の遥拝所、すなわち「里宮」となるに至って領主大村氏の篤い信仰を集めていました。
しかし、二代後の大村純忠のキリシタン改宗に伴い、天正2(1574)年領内社寺がキリシタンによる焼き討ちに遭う中、当神社もその被害を受けて灰燼に帰しました。
荒廃すること30年余、江戸時代に入ると、領内よりキリスト教が一掃され、従来の神社仏閣の復興策が企られる中で慶長年間(1596~1615)にその先頭を切って、もとの社地に再興されました。その再興に際して、荒廃した社地に残った老松に一団の霊火が飛来したことが再興の契機になったとの伝承から再建時から元禄年間(1688~1704)までは「飛松宮」の社号を用いました。
江戸期には、殊に藩主大村氏が藤原姓として、その系譜が重んじられたことから、藤原一門の祖神・奈良春日大社の御祭神「天児屋根命」を祀る社として「大村惣鎮守神」の称が与えられ藩主・領民の篤い信仰を受けました。
寛永9(1632)年には佐賀呼子沖の加部島の田島神社より平野七右衛門が専従の神主として招聘されその後小島家が代々社家(神主家)を務めました。
明治の神社制度により西大村地区の村社となり大村部の一部をも含めた西大村の産土神社となりました。
昭和63(1988)年に社殿を改築し、その折旧社殿両側に鎮座した森園天満宮と祖匠神社を新社殿に相殿として合祀ししました。
(現地説明板などより)
Photo Canon EOS 5D MarkⅢ
H26.12.26
住所: 長崎県大村市三城町1247
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