最近、今まで不明だった平家物語の研究が進んで制作年代が判明しつつあるようです。
平家物語の原本から派生した『長門本平家物語』には、原本にはない「霧島山が子の刻(午前0~2時ごろ)、鳴動して岩が崩れ、火はもうもうと燃えた」など
噴火の様子が記されています。 年月は書かれていません。
政府の震災予防調査会が1918年に発行した「日本噴火志」は、薩摩藩の学者がまとめた「襲山考(そのやまこう)」という本の引用から、
この噴火が天慶8年(945)としていてこれが通説となっていました。
しかし鹿児島県立図書館所蔵の「襲山考」を確認すると、そのような記述はなく
945年噴火説は間違いで、震災予防調査会が誤って引用していたことが判明しました。
一方、長門本には、口語訳すると「噴煙が渦巻いた後、幅3~6m、長さ30~40mほどの大蛇が現れた」など詳細な描写があり『大蛇』はおそらく溶岩流のことで、執筆者が実際に目撃したか、それに近い人物でないとここまで記述できず霧島山の溶岩流出噴火から時間を置かずに長門本が成立したのではないか」と推定されています。
地質調査から霧島山の溶岩流出は788年、1235年、1768年とされている。
788年と1768年は源平の時代ではないことから、1235年が長門本に書かれた噴火の時代であるとみて、「長門本成立を1235~45年ごろとすれば、平家物語原本の成立はそれより前になる」との結論が導かれました。
日本文学の専門家によると、原本は1220~30年ごろ、長門本は14~15世紀の成立とする考えが主流という。日本女子大の麻原美子・名誉教授は「私は長門本の成立を13世紀半ばと考えていたが、これで1235年を(成立年代をさかのぼって考える)上限に設定することができる」と評価している。
一方、青山学院大文学部の佐伯真一教授は「長門本は専門家の間では内容の正確性には疑問があり、噴火の記述が正確だというのは意外だった。長門本の見方を改める必要があるかもしれない」と話している。
このように近頃あらゆる時代の歴史の通説において新事実が判明しつつあります。今後の研究が待たれるところです。
Posted at 2007/11/21 10:28:37 | |
歴史関係 | 趣味