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2016年10月15日
2016/10/15_岡山・京都文化フォーラム「大政奉還と山田方谷」

【山田方谷とは】

文化2(1805)年,備中松山藩領阿賀郡西方村(現高梁市中井町)に父五郎吉,母梶(本姓西谷氏)の長男として生まれる。(本名は球,通称安五郎,方谷は号)。

生まれながらにして聡明。5歳の時,新見藩儒丸川松陰の門に入る。

14歳で母,15歳で父を亡くし,学問を続けながら,家業の農業と,菜種油の製造販売業に励む。

優秀さが藩主板倉勝職に伝わり,藩主から二人扶持を与えられ,藩校有終館で学ぶことを許される。

23歳から29歳にかけて,3度にわたり(4年超)京都に遊学。師松陰の旧知寺島白鹿等に学び,春日潜庵らと交わる。その後江戸に出て佐藤一斎に学ぶ。佐久間象山,塩谷宕陰らを友とする。(一斎塾では塾頭を務める)

帰藩して,有終館の学頭となり,その後,世子板倉勝静の教育係にもなる。

勝職の跡を継いで藩主となった勝静に命じられ,藩の元締役兼吟味役となり,当時財政危機に陥っていた備中松山藩の藩政改革に着手。

方谷の行った改革は,ただ単に負債の整理や倹約の実行だけでなく,藩札刷新をはじめ,地域資源や地の利を生かした産業振興策,文武を奨励して人心を奮い立たせる,いわば未来指向型であった。

結果,藩の貯金は歳入の2倍になり,民政も改まった。

また,老中となった藩主板倉勝静を補佐して幕政に参与。幕末には将軍に従って京都にいた勝静の呼び出しに応じ,再三京都に赴き参謀の任にあたった。 → 策を立案するのに3策を以てすることが多かった。  ☆大挽回の策(上策)  ☆小挽回の策(中策)  ☆一時姑息の策(下策)

教育者としても卓越しており,晩年は,長瀬塾,小阪部塾等で多くの子弟を教えたほか,閑谷学校の再建に尽くすなど,有為の人材を数多く育てた。

☆総て学問は,存心(そんしん:自分の気持ちをしっかりもつこと),到知(物事の道筋を極めていくこと),力行(りっこう:努力すること)の三つなり

☆人は浩然の気を養わねばならぬ。此が学問工夫の寛容なる所なり

☆この塾に集まった塾生は自分に学ぼうとして来ているのだから,一日に一度は是非とも彼らに顔を合わせる必要がある

明治10(1877)年,備中阿賀郡小阪部(現新見市大佐)で死去。


※激動の幕末から明治初期の日本を「至誠惻怛」(しせいそくだつ:誠意を尽くして人を思いやる心)と「士民撫育」(しみんぶいく:すべては藩民のため)の精神をもって駆け抜けた。(会場配布資料より)
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Posted at 2016/10/16 06:37:54

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