2012年、初音ミクがソリストとしてオーケストラと共演したことで話題になった曲。
宮沢賢治の童話や詩、曲をもとにして、シンセサイザー音楽の巨匠 ・ 冨田勲(とみた いさお)氏が作曲した。
「イーハトーブ」とは、宮沢賢治が想定した、架空の理想郷のこと。
賢治のふるさと、岩手をモチーフにしていることは言うまでもない。
オーケストラ、混声合唱、児童合唱、そして初音ミク・・・
大編成の演奏者が織りなす、全部で7楽章から成る大曲だ。
第1楽章 - 岩手山の大鷲〈種山ヶ原の牧歌〉
第2楽章 - 剣舞/星めぐりの歌
第3楽章 - 注文の多い料理店 ※
第4楽章 - 風の又三郎 ※
第5楽章 - 銀河鉄道の夜 ※
第6楽章 - 雨にも負けず
第7楽章 - 岩手山の大鷲〈種山ヶ原の牧歌〉 ※
※ は初音ミクの歌唱がある楽章
ダンディ(フランスの作曲家)やラフマニノフの曲を巧みに引用しながら、
宮沢賢治の作品を連想させる、情感豊かな素晴らしい曲となっている。
中でも白眉は・・・
第5楽章 - 銀河鉄道の夜
初音ミクの澄んだ歌声が、銀河鉄道の幻想的な世界を目の前に浮かび上がらせるようだ。
これは、人間のソプラノ歌手ではできない業だ。
初音ミクの声だからこそ、現実の世界からかけ離れた、宮沢賢治の清涼な情景の描写を可能にしている。
冨田氏は、それを想定して初音ミクを指名したのだろう。
冨田氏の目の付け所には感嘆させられる。
ラフマニノフの曲の引用も、銀河鉄道の幻想的な世界にはピッタリだ。
裏で奏でられるチェロの六連符は、機関車の動輪の動きをイメージさせる。
ピアノの分散和音は、レールの継ぎ目を車輪が越える音に聴こえる。
まるでジョバンニとカンパネルラと一緒に列車に乗っているかのように思えてくる。
初音ミクは幻想の世界を
合唱団は現実の世界を
そして、オーケストラはこの2つの世界をつなぐ役割をしているように感じる。
銀河鉄道の夜が幻想世界なら、次の曲は現実の世界と言えるだろう。
第6楽章 - 雨ニモ負ケズ
この賢治の詩は、東日本大震災のあと、日本はもちろん、世界中で朗読された。
賢治の生き様、理想の生き方をこの詩は語っている。
何か、とても大きな人間的な包容力、計り知れない引力を感じる詩だ。
震災の悲しみと苦しみの最中、この詩に救われた人も多かった。
冨田氏は、あえて合唱団にアカペラで演奏させることで、
人生の寂しさや悲しさのを乗り越え、人として生きるための心の強さを表現しているように思えてならない。
震災後に東京で初演されたこの曲を聴いて、涙を流している客も多かったという。
第1楽章では、賢治が作った「種山が原の牧歌」が歌われている。
そして、終楽章において児童合唱団のメロディーに、初音ミクが三度の和声でハーモニーをつくることで、見事に現実世界と理想の世界「イーハトーブ」を融合させ、昇華させていると感じられる。
第1楽章 & 第7楽章 - 岩手山の大鷲〈種山ヶ原の牧歌〉
この演奏会を特集したテレビ番組の動画があった。
初演のダイジェスト版として、全体の雰囲気を知ることができる。
初音ミクは、第3楽章から登場するが、その歌が「注文の多い料理店」であるのが面白い。
料理店から出られなくなった2人の青年と、「パソコンから出られない」と歌うミクがオーバーラップする。
この演出も冨田氏らしい茶目っ気を感じる。
宮沢賢治は、クラシック音楽を聴いていて、チェロも演奏していたことは有名な話だ。
賢治がこの交響曲を聴いていたら、好奇心旺盛な彼らしく、嬉々として聴いていたに違いないと思う。
・・・ ちょっと気になる話題があった。
「この曲をクラシック音楽として扱うのはどうだろうか?」
「初音ミクが歌っているから・・・」
と、疑問を投げかけている、頭の固いクラシック音楽愛好家がいるらしい。
そうだろうか?
交響曲として、とても素晴らしい作品だと私は思う。
新しい表現方法を駆使して音楽を伝えることに対して、ジャンルだ何だと言うことはナンセンスだと思う。
音楽という形のない芸術表現によって、人に何を伝えられるか・・・
音楽から人は何を感受することができるか・・・
さまざまなジャンル、表現方法があり、どれが好きかは個人の自由。
いいものはいいと素直に受け止める柔軟性と、その世界観やメッセージを感じられる感性こそが、音楽を聴くことに必要なことだと思うのだが・・・
なんだか個人的な音楽論になってしまいましたね・・・(^_^;)
長々と書いてしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました<(_ _)>