つづきです。
錦帯橋を離れる頃雨が本降りに(>_<)
広島に行っても雨なので瀬戸内に行けば雨が止んでいる可能性があります。
とびしま海道をバイクで走りましょうと提案してくれた。
プランとは違うがいい提案、岩国ICから高速に乗って呉まで一気に移動する。
とびしま海道
本州側の広島県呉市とその南東に位置する安芸灘諸島の島々を結ぶ、8つの橋梁(総延長:約 5,300 m)の総称である。
安芸灘大橋 本州と下蒲刈島を結ぶ道路橋で車は有料、人・自転車は無料。
(島内で1000円以上の食事・買い物をすれば割引がある)
蒲刈大橋 下蒲刈島と上蒲刈島結ぶ
山砂を採取するために山肌を削られてしまっている
手前の左側でも砂利を採取していた、半島内で砂利と砂の境目がわかった。
原トンネルを抜け右折すると恋ヶ浜と言う名のビーチ。
県民の浜を過ぎ左折して奥まった所にめぐみの里がある。
ここが美味しいのでわざわざ寄ってくれた。
地の物食材の定食
満足しました。
めぐみの里から御手洗までバイクで走ろうかと思っていたが、どうやら雨雲が追いついて来てしまった。
輪行でバイクに異常がないか確認したかったが車で移動することに。
※翌日リキさんがとびしま海道を走ろうと出発して100mでホイールのスポークが折れた(>_<)
この時走っても・・・・・(>_<)
上蒲刈島と豊島を結ぶ豊島大橋
豊島の海岸線
豊島と大崎下島に架かる豊浜大橋
どの島も山腹までガードレールが見え上まで行けるようだ。
時間が有れば登って見たい気がw
漁港の前にある山清青果でしぼりたてオレンジジュースをいただく
懐かしい容器から出てくるジュース1杯100円、ネーブルジュースを一口飲まさせてもらった、
酸味が強く汗をかいている時には良いかも
平羅島に渡る平羅橋を渡らず御手洗へ
※とびしま海道は、平羅島-中之島-岡村島までをいう。
岡村大橋には広島県と愛媛県の県境がある。
ゆたか海の駅( 全国初の海の駅)を過ぎて
15:03 潮待ち・風待ちの港 御手洗
※江戸時代の海運は当初、危険を避け沿岸を航行していたが、後に沖合いを短絡する航路が開発された。しかし潮流の速い瀬戸内海では帆船での航行にはやはり条件が厳しく、沖合いの島で潮待ち・風待ちをする必要があった。御手洗はそのための港として置かれ、廻船(北前船など)の発達につれて賑わいを増し、水夫の接待のための待合茶屋がおかれるほどであった。積荷の中継・富籤の発行など、汽帆船の時代までは繁栄が続いたが、昭和初期頃から船舶の機関の発達に伴い風待ちが不要となり、御手洗はその役割を終えた。しかし、陸上交通・長距離航路から隔絶した土地であったことに加え、1956年の豊町成立後は役場の所在する大長地区が町の中心となり、発展から取り残された御手洗には古い町並みが残ることとなった。住民の町並みへの意識の高まりと共に、重要伝統的建造物群保存地区として選定され、その保全と活用が進められている。
旧柴屋住宅(呉市指定文化財)に入ってみると様々な資料が展示されている。
2012年封切りの「ももへの手紙」は御手洗の風景が使われた様だ。
見てないのでわからないが・・・。
外に出て再び散策
天満神社の境内に入って行くと
日本人初の自転車で世界一周をした中村春吉さんの碑が
社殿
いわれが書いて有ると思って写真を撮ったのだが帰って良く見ると
南の方角に道が設けられており、ここを神の道「可能門」と名付けられており。
この参道を通る時に何か願い事をすれば、聞き届けてくれるとか
残念ながら可能門へは行かなかったので、とびしま海道再訪の時にはお参りしましょう。
坂本竜馬が暗殺される9日前に泊まった金子邸、保全中の為見れず。
若胡子(わかえびす)屋跡
4軒の茶屋に100名の遊女が、そのうち遊女40人を抱えて最も繁盛していた若胡子屋が出来たのは1742年
下待ち、上待ちの部屋に挟まれた土間を入り大広間に
資料が展示してあり大広間には見えない。
舞台が有り、横の通路を行くと二間続きの和室、縁側から庭が眺められる。
大広間に戻り階段が有るので2階部屋へ、小窓を除くと大広間は耐震補強を施してあった。
遊女達が待機していた部屋なのか?
部屋全体が傾斜している様、直すには表側全て解体して直さなければならないので手を付けていないと思われる。
表に出て道路を見ると水道の空気弁にみたらいの文字
日本で最初の時計店 新光時計店
歴史景観地区に似つかわしくない郵便局を曲がり細い路地を入って行くと
海にでて御手洗港
御手洗のバス停
案内図
船宿カフェでひと休み
昔のままの店内(二階座敷)、船底天井がいかにも船宿らしい(写真には写ってないが)
窓から外を見ると千砂子波止( 江戸時代に築かれた防波堤)
高灯籠(千砂子浜の目印で3里先から確認出来た)
食べてしまったので写真でw
船宿カフェの隣でおじいさんが何やら船の模型を作っているので寄ってみる
御手洗最後の船大工・宮本国也さんが台風で道具を全部流され廃業した後、
おちょろ舟の模型を作っている
「おちょろ船」は、上陸できない下級船員のために、遊女たちを停泊中の船まで運んだ船で、御手洗には昭和33年(1958年)まであったそうです。
まだまだ見る所は沢山あるのですが次回のお楽しみにと豊町御手洗を後にします。
呉に戻りながら明日の注意点など教えてもらい呉に来ました。
シンボルの鐵クジラとご対面(*^。^*)
泊まったホテル、明日の集合場所の大和ミュージアムまで近い。
部屋の様子
夕食までの時間にバイクを組立ててみる。
変速など問題なし
呉の街へ、駅前に船のスクリューのモニュメント
まずは海軍さんの麦酒館
AJ広島の皆さんと合流して、出会いと明日の検討を祝して乾杯
呉の繁華街?
海軍カレーと広島焼きを食べてホテルに戻る。
フロントでクロネコの箱をもらい、レインスーツ・泥除け・予備ジャージなど明日必要ないものをパッキングして風呂に入り就寝したのが1時。
明朝につづく!(^^)!