いよいよ 年末だぜえ いろんな会社があると思うけど おいらんところは締めだから おおそうじ2日目
基本 昨日だいたいやったので 今日は暇だ (そういう意味では 通常おいらはひまだ)
外は雨 だが 雨は今日だけみたいなので それはそれでいいのだろう
基本 おいらのきょうやることはこんな感じダイナ
手帳の交換(来年用の手帳に今年からのひきつぎをさせる)
名刺の整理 コンピュータにとりこんでいるひともいるけど おいらは昔ながらフォルダに入れるだけ
洗濯物の整理 ロッカーの中の作業着で洗ってないでほっぽいたやつを クリーニング
まあ あとは机の中のイラン門を片っ端から捨てる
つまり 仕事はないのだ、、、、(涙)
一応忘年会の関係もほとんど住んでいるので みな 帰る。家の掃除セント悪寒に怒られる人が多いし、、、、。
そして 今年の10大ニュースとかいうのを 自分なりに考えてみる(みんカラ版)
1位 ポルシェ買って乗ってみた すごかった そして売ってもた
2位 フィット買った 車高調入れてホイールインチダウン ふぃっとなりに早く運転する方法模索中
3位 コックローチ3号導入 ちゃりんこって便利
4位 スポーツジムに行き始めた バーベル目標80kgを達成 なぜかダンスをちょっと覚えた
5位 飲み屋探索 30代のころかなり行ってたけど40台はあんまりいかなかった 反動から 一気に調査 推定30軒くらい顔を出してみて 今は主要に2軒(場末とおねえちゃんのみせ)
6位 株式取引再開 2008年に大負けし塩漬けしていたのを溶かして損益確定 はらったったので 追加投資して逆襲 2012 -200万円 2013 -100万円 を いまや プラス 30万円 まで取り戻してやった。 メーケットノ借りを返したぜ!
7位 パチンコ銀行から預金をわずかにおろせた しかしこのペースでは 死ぬまでには取り戻せない 対策必要
8位 オートレース借金の返済めど立たず
9位 江角マキコを目指すも 挫折 たちあがれジョー―― 状態
10位 みんともでけた くりさんととっさまとやすこやすさんとがくいちさん ほかにもいるけど このへんのひとがいちばんちかいかな
11位 水商売のお姉ちゃんと友達になった 場末の20歳 ねえちゃんのみせの19歳 若返るぜ
12位 スタバの姉ちゃんと友達になった いっぱいおる
世間では アベノミクス始まった。とりあえず株式市場は順調に推移。一般では あまり実感がないという意見が多いけど やはりすこしづつでも 確かに経済は上向きみたい。タクシーにたまに乗ったら どうですかときいてみるけど 大概は 全然だめですという回答。場末に来る 社長さんたちも 仕事はあるのでいい感じみたいだけど 大きく増えたり 利益率が上がったりはしないみたい。まあ それでも 仕事があるのはみんないいみたいだね。
経済ってなんじゃろかいな?
真剣に取り組むと マルクスさんみたいなこと考えんといかんのかもしれんけど 修正資本主義とか言うのをベースに 社会資本主義とか 資本主義的社会主義とか ことばあそびみたいなのがいっぱいあるけど 基本は ひとびとが集団で暮らすための システム。概括すれば それぞれ いろんな時代にいろんなひとびとが そのときどきの統治システムを組み そこに芽生えた経済を 制御していた。しかし 絶対権力は絶対に腐敗するらしいので 意図的に支配されないという意味での 自由経済の世界が生まれ そして育まれてきた。重要なのはきっと 目的。最終的に 人類が目的とするものは何かといえば それは みんなの幸福。でも 幸福の定義はひとそれぞれ。個人のレベルの幸福にはどんなかたちにせよ 不幸がアンチテーゼとして存在する。ほんとうにそのあたりアで全部自由にやると 幸福だって 特定の人々に集まり 1%の幸福のために99%が不幸になったりするという感覚にとらわれやすい。よく 世界の富の99%は1%の富裕層に集まってるとか いわれるけど その構図はある意味 太古から変わらないのかもしれない。ひとびとが狩猟生活をやっていたときには もちろん 優秀なリーダーがいて ともに獲物を刈るひとびとがいて 得られた富(動物の肉)は ある意味 均等にわけられていたという。その均等はは 平等というより公平に分けられていたんじゃないかと思われる。
他方 農耕生活が始まったら 一部の豪族が荘園を支配し 支配者と奴隷の関係ができあがってゆく。収穫物を集中管理しそれぞれに分配する権力を得たものが そのちいさなコミュニティのリーダーとなりそして 支配がはじまっていった。
人々の欲望はかぎりがないのだと井上陽水も歌っているけど それは きっと 生物進化のシステムそのものの結論 積極的に前に進んで 他の生物を圧倒し 環境に適応したものが 世界を支配する。自然淘汰のシステムに内在する弱肉強食のおきて そして その姿は 常に人類の社会の裏にも内在しており 結局人間社会でも 勝ち残る者だけが生き残るようになってしまう。しかし 知恵のみを食べて以来 ひとびとはその中にでも 慈愛の心や やさしい社会を包含することも 覚えていったし そういう風に なっていった。
現代社会では厳しい戦いに勝ち残った資産家たちは いづれ その富を解き放ち始める。鵜オーレンバフェットもビルゲイツもアイアコッカだってカーネギーだって、、、、。かれらはそれぞれ優秀なビジネスマンでありながら なお 恐れられる帝王でもあったのだが その冷血気かと思われた人が カーネギーホールのような 美しい芸術のための建物を後世に残したりする。
もっと身近な話では DVで悩む奥さんに なぜ殴られたり骨折したのに その男から逃げようとしなかったのか聞いたりすると 殴った後その男がやさしくしてくれるからだと答えたりする。人は見かけによらぬ者。ぱっとみ怖そうなおっさんが内実めちゃめちゃやさしかったり 一見まじめでおとなしそうな人が 暴力をふるったりする。おばちゃんたちはこれを不思議だと思うようだが 私はそうは思わない。
人には善と悪の部分が必ずあり そのいっぽう たとえば 善行を表面的に取り繕おうとする人は 他人から善い人と思われたいと思い そして 他人からはらぐろとか言われる。識域下で制御して考えて作った自分には そのアンチテーゼとしての反対の自分が無意識化に自動生成するのだとおいらは思う。そういう意味では 極めてまじめでよい人を演じている人物は本人の意思に反してストレスをため そとでは喧嘩なんかできないのに 奥さんなら殴れる。そして殴るとき鬼なのだが 殴ったら善人に戻る。おそらく にんげんなんてそんなものだ。 善行だけして生きている人間などいない。もし 本当にそんなことができるなら そのひとはきっと神なのだ。マザーテレサやナイチンゲールのようなひとは それらのなかで 母性本能を全開にして生きる人たちなのだろうと思う。彼女たちの内面はよく知らないけど その半白はどこかに充て本人はそれを意識してコントロールしているのだろうと思う。オナニーして発散してたのかもしれないがそんなことは知らない。あるいは 患者にときに鬼のようになって サディスティックに麻酔なしで張りを突き刺したりして 無意識に楽しんでいたのかもしれない。
個人のレベルではこんな感じなのか否と思うけど 為政者たちは 思想家たちは それでも よりよい社会というのを常に目指すが それがすべてのひとびとに等しく幸福なんてことはあり得ない。個人のレベルの批判や思い込みは実はその個人の考え方一つでどうにでもなるのだと思う。ひとはとかく他人と自分を比較しがちで 自分より劣っていると思っているものが幸福そうだったりすると腹が立ったりする。試験が上手で いい高校に行ったのに 彼氏もできずにもんもんと30歳になったおんなは 同い年で同級なのに全然バカだった娘が こどもと楽しそうにやっていると 憎んだり 自己嫌悪に陥ったり 自分の不幸を呪ったりする。ようは 他人と比較しなければよいのにと思うんだけど 競争原理が根本的に生物進化の到達点なら それは 通常だれにものがれられない。
そして 多くの場合ひとびとは そのもやもやとした自分に理解できないものごとを恐れ 不安になる。その中身を考察して自分なりにこうだと理解できれば それが正しいかどうかは別にして 不安は解消される。その中身を白日の下にさらけ出せれば なんてことはないと思えるのだが それはそれでちがうはっけんがあったりもするので まあ 悪いことではないとも思う。
ある意味どんがらの意見はこういう状況にあるものが多いけど その状況になったらそれはそれで さらにそこをベースとした新たな不安を誘発するの 終わりはない。
そのあたりの感覚的なものは インドあたりの密教にいろいろあるが 面白いのは10階層の段階があるというもの。ゴルゴ13はその8段階を超えているのだそうだ。すごい男だ。
そして修行によって10段目に到達した人は 仏とか神の使いとか いうのになっちゃうんだろうな?
というわけで 真理の探究には終わりがなく ひとの道にも終わりがないけど タオを求めるものなら ただとりあえず動いていることが大事。若者は走るべきで 町が建った道も何度も走ったほうがいいと思うけど 年寄りはできるだけゆっくり 正しい道だけを 背極的に歩くべきだと思う。
受動的な人生はあるいみ楽しく楽な生き方だけど それじゃ 死んでるのと変わらない。たとえ ひっくり返っても 積極的に前を向いてまっすぐ歩いていけば そこに きっと 道は開ける。
ほっほほほほ 教科書に乗りそうな文章書いてもた どんがら 大馬鹿野郎