シトロエンC5に乗り始めて間もなく1年。既に2万キロ超。
購入した当初は正直なところそこまで惚れて買ったわけでもありませんでしたが、今では乗れば乗るほど惚れ込んでいき、その惚れ込み曲線は未だに緩む気配はありません。
当初それほどでもなかったのは、他にも気になるクルマがいくつかあったからです。筆頭はBMW116。C5契約の前日までは116に心は決まっていました。次にエグザンティアV6。そして、実際には高嶺の花でしたが、シトロエンC6。C5のある意味“ドイツ車の影響を受けた普通のセダン”的なたたずまいに対して、C6の圧倒的な個性とシトロエン濃度の高さ。これを体験してしまうと、C5は物足りなくも感じていました。
ところが、実際にC5と1年を過ごしてみると、どんどんC5に嵌っていく。C5購入後にも、116にも、エグザンティアV6にも、C6にも乗る機会がありましたが、それらと比べても今の自分にはC5が一番肌に合うとの思い強まるばかりです。
一番の美点は、その走り=動的質感です。
ハイドラクティヴ3プラスに加え歴史上のFF車のサスペンションでもっとも先進的かつ贅沢とも言われるフロント・ダブルウィッシュボーン+リア・マルチリンクのサスペンション。それがもたらすスーパーハンドリングと極上の乗り心地の融合。そしてブレーキング時のスタビリティーの高さも特筆もの。
そしてBMW設計による時代の最先端を行く小排気量ターボエンジン。
更にとどめはセンターフィックスパッドのステアリングがもたらす、最上のステアリングフィール。センターフィックスパッドを目新しさを狙ったギミックかのように捉える記事や、エアバッグ展開の正確さを訴える販売店の説明ばかりが横行していますが、この機構の最大の美点は、重量物をステアリングホイールから分断することによる、最上のステアリングフィールにあります。この点を明確に強調したプロの評価、私はwebで1件確認した以外に見たことがありません。でもこれはドライヴァーにとって極めて重要かつ価値のある機構なのです。
と言うように、走る、曲がる、止まるの部分には、C5独自の先進技術とコストが惜しげもなく注ぎ込まれています。まさにシトロエンの真骨頂。掛けても良いですが、稀代の名車DSやCXの開発者も、実はC5のような走りのクルマを目指していたこと疑いありません。それをその時々の技術で到達できたのがDSでありCXだった。当時現代の技術があったら、彼らは間違いなくC5の走りを目指したはずです。
C5購入前にも後にも、私の憧れであるC6には何度も乗る機会がありましたが、私自身の好みとしては、走りの質感はすべての点でC6よりC5に軍配が上がります。
しかしこれらの極上のハードウェアは、乗る人にしかわかりません。
一方でそれを包むデザイン。初めて写真を見た時は、ドイツのセダンみたいだな、と感じました。しかし、いざオーナーとなって時間をかけて見れば見るほど、実は全然違う造形です。一見普通のセダンかのようにさらっと見せる全体のフォルムに、隠し絵のような隠れ造形がいくつも潜んでいます。特にリアセクションの面構成は、ドイツ車や日本車ではありえない複雑な面構成になっています。見るたびに新しい発見がある“深い”デザインです。
一見平凡に見える。しかし近づいてみると極めて上質かつ入念であることがわかる。中身は更に贅沢で技とお金がかかっている。
このようなC5の成り立ちは、江戸っ子である私の美意識に見事に嵌ってしまいました。江戸っ子の美学とはつまり、裏地に凝る、です。
表立っての自己主張はしない。でも中身は凝っていて上質。
C5はまさにこれです。
C6の圧倒的なスタイリングは今でも憧れであることに変わりありません。が、C6は誰にもわかりやすい圧倒的な個性。そしてその走りは快適性と直進安定性重視で、ハンドリングは特に鋭いわけではありません。サスペンションは基本的にC5と同じ成り立ちをよりソフトに仕立てたもの。エンジンは古典的なV6でステアリングホイールもセンターフィックスではなく普通の3スポークです。この部分の独自性や先進性はC5が圧勝です。つまりC6は表立って明確な主張をしていて、中身はサスペンション以外は意外と古典的で普通、なのです。
C6は見る人すべてに分かり易い。C5は見るだけの人には凡庸に見えるけれど、持つ者乗る者には、C6以上に独自で濃厚、という重層性がある。
C5は江戸っ子の美意識に見事に嵌ります。
Posted at 2013/12/16 15:16:39 | |
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