最後にブログを更新してから2ヶ月近くが過ぎてしまった。また、ドイツ出張の時に寄ったメルセデスベンツ博物館のことも書かずじまいになっている。これには理由があって、その辺の事情と、先回から今までの出来事を書き留めておくことにする。
10月24日(月)
職場で定例のミーティングにて。
上司「このたび、うちの部署は名古屋の事務所を閉鎖して栃木に統合することが決まりました。したがって、われわれは全員12月1日付けで栃木に転勤することになります。」
私「何??担当する業務が全く変わらないのに名古屋から栃木に転勤?会社は社員を舐めとるのと違うか???アタマに来たから今日から3日間休ませてもらう。」
上司「分かりました、しっかり休んでください。」
その日の昼から翌日いっぱいまで刈谷の自宅でふて寝。自宅にこもり切りだと気分が沈むので、その翌日はヴィヴィオで少しドライブ。いろいろ考えたが、仕方がないので、とりあえず木曜から出勤することにした。
10月27日(木)
朝刈谷を出て栃木へ出張。とりあえず転勤することを決めたので、どこに住むかを検討した。交通の利便性を考えると小山市内の一択だった。
10月30日(日)
出張が土曜日までだったのでその晩は東京に泊まり、翌日お台場で開催された、フジテレビ主催のT-SPOOKのパレードを見学し、ももクロのミニライブに参戦した。朝の10時半に会場に付いたら、すでにLinkLinkSmileのメンバーが10人近くも来ていた。昼前に始まったパレードでは、ほんのわずかな時間だったが、柵越しに2m先を通過するももクロのメンバーを見ることができた。5人の中でもリーダーの百田さんの仮装はかなり突き抜けていて、ここまでやるかとびっくりした。
それから、女装した、いかつい男が私らの並んでいる方に寄ってきて、行きがかり上?ハイタッチすることとなった。LADYBABYのレディビアードだった。ちなみに、LADYBABYをなぜ知っていたかというと、「日本のコンビニ」をテーマとした「セシボン・キブン」という曲をこのグループが歌っていて、その作詞がももクロの曲も多数手がけている只野菜摘氏というつながりである。この曲なかなか面白いと思う。
ももクロのミニライブは5曲という短いものだったが、1曲目から最高の盛り上がりで大いに楽しめた。この日のセットリストを考えたのは、ももクロのファンとしても有名な三宅正治アナウンサーとのことで、ファンの期待にばっちり応えてくれたと思う。転勤話でさえない気分が続いていたが、この日のパレードとミニライブでかなり気分転換になった。
11月4日(金)
転勤先で住む場所を決めるために日帰りで栃木の小山市に行ってきた。あらかじめ情報をもらっていた2件を見せてもらい、そのうちのひとつに即決。
11月5日(土)
静岡県袋井市にあるヤマハのテストコースで開催された「歴史車両デモ走行見学会 2016」というイベントを見学してきた。20歳で二輪免許の限定解除(今でいう大型二輪免許)をしてすぐにXJ750Eを買い、就職してFJ1200に乗り換え、29歳で初めての4輪を買うまでどこに行くにもヤマハのバイクと一緒だった私が、こんなイベントを見逃すわけにはいかない。まして、幻のスーパーカーOX99-11の走る姿が8年ぶりに公開されるのだからなおさらである。
今回のイベント、8年前と比べてはるかに多くの観客が押し寄せたらしく、駐車場への誘導やシャトルバスの運行が全然追いついてなくて大渋滞になり、途中であきらめて帰った人もかなりいたようだ。実際、私が会場のテストコースに着いたのは、デモ走行の終わる時間の午後3時を過ぎていた。しかし、残り物には福があるというか、もう一回、短縮版のデモ走行をやってくれることになった。あきらめずに待った甲斐があった!短縮版とはいうものの、距離が短くなっただけのようで、バイクは10数台と、4輪はトヨタ2000GT、OX99-11、レクサスLFAが走った。
初めて実物を見るOX99-11の姿は、ものすごい存在感を放っていた。由良拓也氏のデザインは20何年後の今見てもさすがと思わせるものがあり、センターステアリングの1+1というレイアウトを含めたコンセプトも他の何にも似ておらず、ヤマハらしさを感じた。また、間近にみると、各部の作りこみも本当にすばらしかった。
ただ、それ以上に、当時のF1用をベースにしたはずの3.5リッターV12エンジンのサウンドが本当に素晴らしく、長い待ち時間の疲れが一気に吹き飛んだ思いだった。観客の輸送ではたいへんな混乱があったが、日が暮れる頃までデモ走行を続けてくれたヤマハの人達には本当に感謝の気持ちしかなかった。
11月12日(土)
転勤の前に運転免許の更新を済ませるために、3ヶ月ぶりに明石に戻った。朝帰ってすぐにポルシェのエンジンオイル交換をDIYで行った。銘柄はシェルのヒリックスウルトラで、先代オーナーの時からこれ一筋である。作業が終わった後、20歳になった長男に空いた道で運転させてみた。最初はちょっと心配したが、普通に転がす分には問題はないレベルで運転できたので、大いに安心した。クラッチと据え切りでのステアリングの重さには閉口していたようだが、レガシィB4に1年乗った経験はムダではなかったようだ。
まあ、本人はBMWのM4やフェラーリ458が理想の車らしいので、将来930を譲ることはなさそうだが、いざという時の交替要員ができたのは心強い。午後は長男のBMW325i(E90)に横乗りしたり、江井ヶ島の海岸でぼんやり過ごしたりして、夕方は大蔵海岸にある龍の湯に行った。
この日は海の近くで長い時間を過ごしたが、今考えると、栃木は海無し県なので、今のうちに少しでもという思いがあったようだ。
11月13日(日)
朝はポルシェに乗って、とある有料道路の展望台を目指した。ここに来るのは何ヶ月ぶりだろう?この日、空冷ポルシェ911は私のを除いてたしか3台だった。
みん友さんに転勤のことを話し、再会を期して別れた。午後からは明石の運転免許試験場で更新の手続きをして講習を受けた。なぜか講習は2時間もかかるコースだったが仕方がない。
11月24日(木)
通いなれた名古屋の事務所もこの日が最後となった。ここには7年間もいたが、大阪から転勤してきたのがつい先日のような気がしてならなかった。
11月25日(金)~27日(日)
25日は休みを取って荷造りと掃除に着手した。結果としては、自分にとって15回目、親元のを入れると23回目となる今回の引っ越しは、今までで最も大変で、準備に丸3日半を要した。もし25日に休みを取っていなかったら、間違いなく間に合わないところだった。原因はまず、同じところに5年間も住んでいたのに物をあまり捨てていなかったこと。次に、作業を手伝う人がおらず、全部自分でやったこと。ところで、引っ越し荷物には運送会社が通し番号を振ったが、その最後が95番だったのはかなり驚いた。いつか断捨離に取り組まなくてはいけない。そういえば、「捨てるのが下手な人は、捨てられやすい」というのをどこかで聞いたが、これは本当なんだろうか??
11月28日(月)
9時前から始めた荷物の運び出しが終わったのは11時を回っていた。休む暇もなく掃除の仕上げに取り組み、管理会社の立ち会いに臨み、ヴィヴィオで刈谷を出たのは午後2時前になった。刈谷から小山までは約430kmで、5時間20分ほどで行けた。このうち、蒲郡で高速に乗ってから佐野藤岡で降りるまでは4時間で、圏央道が全通して本当に楽になった。この間、ももクロのアルバム4枚を順番に聴きながら走っていたらいつの間にか着いたような感じだった。長距離ドライブで聴く音楽の定番としては、ドボルザークの交響曲7番→8番→9番もお気に入りだが、元気を出したい時、出さないといけない時は、やはりももクロに限ると思った。そういえば、この道中で、ヴィヴィオのオドメーターが18万kmを超えた。
11月29日(火)
朝から引っ越し荷物の受け取り。当然ながら段ボールの山に囲まれることになったが、送り出しの時と違って、開梱には時間制限は無いので気が楽だ。とは言っても、照明器具の数が足らないと気づいた時には日が暮れていて、懐中電灯を頼りに物を探したりとか、持ってきた電子レンジは60Hz専用で関東地方では使えないとか、落とし穴がいくつもあった。やれやれである。やはり引っ越しは何回やっても面倒だ。
12月4日(土)
引っ越し後の最初の週末だったが、無理をして、清里で開催されたヴィヴィオのオフ会(クリスマス会兼忘年会)に参加。この日のことは別に書きます。
という訳で、一部のみん友さんには挨拶もお知らせもしないままに名古屋を離れることになってしまいましたが、ご寛恕ください。みんカラのブログもどうにも書く気がしなかったのです。ここに来てようやく普段の暮らしを取り戻しつつあるので、今回、今までの出来事を振り返ってみた次第です。また、栃木方面にお越しの際は、ぜひお気軽にお立ち寄りください。ってそんな機会がある人はいるのだろうか。。
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Posted at
2016/12/11 09:42:46