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辛口レビンのブログ一覧

2017年10月06日 イイね!

秋の夜長にちょこっとだけ奈保子

秋の夜長にちょこっとだけ奈保子 
 もうすっかり秋ですね。

 このところは朝晩など少し肌寒いくらいです。

 人恋しい… いや、人肌恋しいか ?  

 そんな季節には…

 そう、河合奈保子である。

今宵は、秋の夜長にちょこっとだけ奈保子をあなたに送り届けましょう (笑)


動画は1987年、今からちょうど30年前で 「ノスタルジックダンステリア」

23歳で当時最年少の日本作曲家協会の会員認定を受けた奈保子が、翌年24歳の時に自ら作曲

した曲である。
 
1950年代の終り頃から60年代の初めにかけてのアメリカをイメージした曲でしょうが、見ていて楽

しくなるような、また心が暖かくハッピーになるような出来栄えですね。

ひとつ欲を言えばもう少し大人っぽく、衣装なんかも例えばバニーガール風に網タイツとか …

あっ … <ボカッ !、<ボコッ ! ( 自分で自分を殴る音 )

う~~ いかん ! いかん !  い、いったい何を考えてるんだオレは !

奈保子にそんなふしだらな格好をさせるわけにはいかんのだ ! (笑)


なにはともあれ、この音楽性の高さはもっと評価されても良かったんじゃないかなと思います。

というわけで、今宵はちょこっとだけ奈保子でした~


  明日から秋祭りだ、酒が旨い ! ( ゚∀゚)o
Posted at 2017/10/06 21:56:44 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2017年07月09日 イイね!

暑い暑い暑~い ! ということで奈保子(笑)

暑い暑い暑~い ! ということで奈保子(笑)
一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

梅雨真っ只中である。

ジメジメ、ジトジト、ジメジメ、ジトジトである。

わかっちゃいるが、鬱陶しいことこの上ない。

それに暑い !


どこにいても、何をしても、しなくても暑い !


さてどうするか ?


そう、

こんな時こそ奈保子である。

奈保子を観て聴いてこの暑さと鬱陶しさを吹き飛ばすのである !


ということで今回は再び河合奈保子(笑)

では早速。 まずは 「夏のヒロイン」 で、今から35年前の姿である。

  

見たかこのさわやかさを !

しかもたった一人で梅雨の暑さや鬱陶しさを吹き飛ばしてしまうようなこの勢いと明るさ !

これぞ昭和のアイドルの実力だろう。


そして次。

少し年が前後するが、36年前で 「ムーンライトキッス」 

奈保子が高3の時の動画であるが、是非その笑顔を今のアイドルたちと比べてみて欲しい。

穢れを知らないと言おうか、純粋無垢とでも言おうか、きっとその違いに気づくはずである。
  
もうおぢさんメロメロ ♥♥(  ◜◡‾)♪゜・*:.。. .。.:*・♪(笑)

親衛隊の野郎どもが笑えるが、そんな彼らも恐らく私と同世代。 

皆んな既に五十の坂を越えてるんだろうなぁ。 歳を食ったもんだぜぃ。


極めつけは次の 「ストロータッチの恋」 で、こちらは34年前。

歌はどうでもいいような内容だが、振り付けから衣装からとにかくカワイイ !

髪をショートにしてイメージチェンジする前の最後の奈保子でもある。 
 
  

もうおぢさん観ているだけで溶けちゃいそう ♥♥(ノ*´0`)♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦(爆)

アマガエルのような( いや、ピーターパンか ? )衣装と彼女には珍しいズボン姿が実に良い。



さて話は変わりますが先月のこと。

今のとあるアイドルグループのナントカという小娘が結婚宣言をしたのだそうですね。

なんと恋人を通り越していきなり結婚ときた ...(ーー;)


とんでもないことである。


こんなことはファンへの裏切りを通り越し、アイドル自らがアイドルそのものを冒涜し、さらに根底

から覆す行為といっていい。

まさに言語道断である。

ここは秋元康にひとこと言いたい。


いったいどんな教育をしているのだ ! ( もしかしてシナリオ通りか ? )


こんなことは決して許されないし、許してはいけないのである。

 

その点、奈保子は男の影が全くといっていいほど無い稀有な存在だったと思う。

ファンの目から見て、信頼度という点では満点なアイドルだったのである。

奈保子の通っていた高校は当時女子高であったそうだ。

もしアイドルになっていなかったら、短大に進み、目標だった保母さんになり、その後はお見合い

結婚をしたのではないかと思うほど。

そのくらい彼女には男の影が無かったのである。


アイドルに男は御法度。

あの頃のトップアイドルたちをみても、石野真子ちゃんが長渕剛に口説かれ、二十歳という若さで

さらわれて行き、聖子に至っては郷ひろみと散々浮名を流した挙句に別れ、その直後に石原軍団

のダレソレへ嫁入り。

さらに明菜がマッチとナニでナニしてホニャララ等々 ...

軒並みにファンたちは裏切られ、失望させられたものだ。

いずれもまだ彼女たちが全盛期の頃である。 (う~ん、結局今も昔も変わらないということか ?(T_T))



しかーし !


奈保子は違った。

彼女だけは違ったのだ。

アイドルに求められる最たるものはなにか ?

それはズバリいえば処女性の高さにほかならない。

アイドルでいるうちは、彼女だけは男を作らなかった。

我々ファンの信頼を決して裏切らなかったのである。

こういったところが、ファンの間で今だに永遠のアイドルと言われ続ける所以であろう。

これは特筆すべきことだと思う。



それでは最後にもう一つ動画を。

1985年にリリースした21枚目のシングルで 「デビュー」

奈保子にとって初めてのオリコン1位を獲得した曲である。

 


という訳で如何でしたか ?

簡単でしたが、久々の辛口おやじの昔のアイドルシリーズ。

今回は再び ”最初で最後の清純派アイドル” 河合奈保子でした~ ♡



  ではまた ✌










Posted at 2017/07/09 21:21:19 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2016年04月02日 イイね!

昔のアイドル 7

昔のアイドル 7
  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

久々にお届けする「昔のアイドル」シリーズ。

今回はオールドファンには懐かしい岩崎姉妹について語り

ましょう。 またまた長編になりますので、興味のある方や、

お時間の取れる方のみごゆっくりとどうぞ。

それではさっそく、先ずは姉の岩崎宏美さんから。


岩崎宏美は昭和33年(1958)東京都江東区深川の生まれ。 オーディション番組「スター誕生」を

経て同50年に歌手デビュー。 同期は太田裕美、岡田奈々、片平なぎさ等々。

岩崎宏美の魅力はなんといってもその歌唱力。

近年「○○すぎるナントカ」というフレーズをよく耳にしますが、これを彼女に当てはめますと、「歌

の上手すぎるアイドル」だったというのが一番ピッタリくるのではないでしょうか。

なにしろ彼女のその高い歌唱力には、歌謡界に留まらず当時の日本を代表する音楽家であった

芥川也寸志さんや山本直純さんたちも絶賛。 さらには若手歌手を褒めるという事はまずしなかっ

たあの淡谷先生でさえも彼女のことは高く評価していたのだそうです。


最初の動画は彼女の2枚目のシングルで「ロマンス」

作詞は阿久悠、作曲は筒美京平でした。

  
     
 ♪ まるで今の私~、迷い子のようね~ ♦♫

この辺りのメロディラインなどは昭和歌謡そのもので懐かしいですね。


清純派として歌手デビューした彼女ですが、実は子供の頃は大変なお転婆娘であり、性格も勝ち

気でとても負けず嫌いだったのだそうですね。

のちにTBSドラマ「男女7人秋物語」に沖中美樹役で出演しますが、実生活でもドラマの中の役柄

そのままの姐御肌で、演技もほとんど地でいっていたのだそうです。



ところで皆さんは筒美京平という作曲家をご存知でしょうか ?

昨年末にAKB48のシングル総売上が累計で3615万枚に達し、B’zを抜いて国内全アーティストの

歴代最高を記録したと話題になりました。

このシングルの売り上げというものを、曲の作り手、つまり作詞作曲を手掛けるミュージシャンに

まで範疇を広げますと一人ダントツでトップの男が浮かび上がるのだそうです。

それが作曲家の筒美京平なのだそうで、その数実に7000万枚超 ! 

ほぼ国内だけでの数字ですのでこれは凄いことだと思います。

古くは「また逢う日まで」や「魅せられて」、「木綿のハンカチーフ」から「サザエさん」等々。

その筒美京平が最も力を入れた歌手がこの岩崎宏美だったといわれています。



次に挙げる曲は「シンデレラハネムーン」

作詞・作曲は先程と同じで、阿久悠&筒美京平。

ものまね芸人のコロッケの十八番でもありますので若い世代の方々もよくご存知でしょう。

     

個性の強いこの曲をお笑いのネタにされてしまったことで、コンサートなどで歌うと既にイントロの

部分で笑われてしまうのだそうで、以来自然と歌わなくなってしまったのだとか。

しかしよく調べてみますと、実はこのシンデレラハネムーンは凄い曲であったことが分かります。

何が凄かったのかというと、この曲のレコーディングに参加したミュージシャンの面々。

ざっと挙げますと、ドラム林立夫、キーボード坂本龍一・佐藤準、ギター松原正樹、ベース後藤次利

パーカッション斎藤ノブ等々... 分かる人には分かるのではないかと思いますが、今や大御所と

呼べる日本を代表するミュージシャンたちばかりで、まさにオールスター状態。

彼らがまだ20代の新進気鋭だった頃とはいえ、これは当時考えられる最高のメンバーたちだった

のではないでしょうか。

このメンバーを集めたのは他ならぬ筒美京平自身だったのだそうで、ここに作曲家・筒美京平の

岩崎宏美に対する並々ならぬ意欲が伺えたと思います。

          

実に素晴らしい曲だと思いますし、これを封印してしまうなんて本当に勿体無いです。

この曲をお笑いに変えてしまったコロッケの罪は大きいのではと思うのですが、如何でしょう ?



今回の昔のアイドルは岩崎姉妹。 長くなりますので姉の岩崎宏美は次がラストです。

彼女を代表する曲といえば、火曜サスペンス劇場でお馴染みだった「聖母たちのララバイ」や阿久

悠さんの作詞が素晴らしい「思秋期」、またブルーコメッツをカバーした「すみれ色の涙」等が思い

浮かびますが、今回私は敢えてこの曲を取り上げようと思います。


それは「万華鏡」という曲。

昭和54年(1979)、岩崎宏美が二十歳の時の曲です。

この曲は、あの時代の岩崎宏美だからこそ出せた魅力が詰まった曲であると思いますし、彼女に

しか歌いこなせなかった曲でもあったと思います。

妖艶かつ妖しく、さらに不思議な感覚をも秘めているように感じます。

かつて日本人初、というよりアジア人初のパリコレクション(パリコレ)モデルで、ニューズウィーク

誌が選んだ世界のモデル6人の中の一人にも選ばれた伝説のファッションモデルの山口小夜子さ

んのイメージを彷彿させるといったら褒めすぎか ?

動画と一緒に山口さんの画像も貼っておきますので、しばしその雰囲気などをお楽しみください。

   

アジアンビューティー ?   それともオリエンタルビューティー ?

辛口おやじの美的感覚も中々のものか ? (自画自賛・笑)

この曲は是非現代調にアレンジして復活させてみたい気がします。

高い歌唱力で様々な曲を歌いこなした岩崎宏美さん。

どんな曲も歌いこなすその実力派の彼女に、曲を提供する方も楽しかったのではないでしょうか。




さて、続いては妹の岩崎良美です。


岩崎良美の歌手デビューは昭和55(1980)年。

この年はアイドルの当たり年で同期は松田聖子や河合奈保子、柏原芳恵や田原俊彦等々、黄金

の80年組といわれた年でした。

彼女はデビュー曲の「赤と黒」がなかにし礼の作詞ということでも分かりますが、曲も非常に大人っ

ぽく、他のアイドルたちとは一線を画す存在で、単なる可愛こちゃんアイドルでなく最初から実力派

という立ち位置だったという印象です。

またテレビの番組やグラビアも含めて一度も水着にならなかったアイドルとしても知られています。

が、しかし姉ゆずりの実力派だった彼女にも少しの期間ですが、あの時代風のアイドル調の曲を

歌った時期がありました。

デビューして2年、曲は「どきどき旅行」です。

     

中々難しい曲だと思いますが、そこはさすがに昭和のアイドルであり岩崎宏美の妹。楽々と歌い

こなしていますね。 しかも当時のアイドルとしては非常に地味な存在の彼女でしたが、どうして

どうして、チョー可愛いじゃないですか !  

少しぽっちゃりした感じも辛口おやじ好みです(ღˇᴗˇ)。o♡ ウホホ (笑)


そして岩崎良美の代表曲といえば、なんといっても「タッチ」ですね。

80年代に週刊少年サンデーに連載されたあだち充の漫画作品で、のちにアニメ化されたオープ

ニングの主題歌でもあります。

     

高校野球を題材としたストーリーでしたが、それまでの定番であったスポ根ものとは一線を画し、

汗臭さを全く感じず、野球を知らない人ても内容に入って行ける新しい感覚のスポーツ漫画であっ

たと思います。

動画は昭和60(1985)年、夜のヒットスタジオでのものだと思います。

     
     
 ♪ すれ違いや、回り道を、あと何回過ぎたら二人は触れ合うの~ ♦♫♦・*:..。

 いや~青春だなぁ~。

 自分にもそんな季節があったかなぁ ... (笑)


岩崎良美とスポーツものといえば、他に思い出すのがアノ作品。


「くやしいです !!」 ←このセリフで分かるでしょうか ?


いや、こちらの方が有名か。

    ↓

「俺は今からお前たちを殴る !!」


そうあの伝説の学園ドラマ「スクールウォーズ」に、ラグビー部のマネージャー役で出演していた

んですね。

     

スクールウォーズは昭和の時代の最後の泥臭いスポ根モノだったように思います。

そして時代はいつしか努力や根性や汗がダサいと言われる時代に。

私の印象ではそれの始まりがこの「タッチ」だったという気がします。

その両方に関係した岩崎良美にはちょっと皮肉めいたものを感じますね。



という訳で、最後は少し話が逸れて駆け足で終了となりましたが、好評の昔のアイドルシリーズ、

今回は歌の上手すぎるアイドル、岩崎宏美・良美の岩崎姉妹でした~


 最後まで読んでくれた人、ありがとね~♡


     
          また来週~










Posted at 2016/04/02 21:11:54 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2015年07月12日 イイね!

昔のアイドル 伝説編

昔のアイドル 伝説編
  一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

昔のアイドルシリーズも大詰め、今回はあの山口百恵を語り

ましょう。

なにしろ35年前に引退し、その後は公の場に一切姿を見せ

ない人ですので、リアルにご存知なのは40歳代以上の方た

ちということになるわけで、半ば伝説化している人といっても

良いでしょう。

山口百恵はアイドルというよりも 「国民的歌手」 だったといったほうが良いかもしれません。

そして我々一般庶民の中から選ばれた初めての大スターだったと思います。

14歳でデビューして21歳で引退するまでの僅か7年半ほどの活動でしたが、私は日本の歌謡史に

おいて女性歌手の中では、あの美空ひばりさんに次ぐ存在であったと思っています。

なにしろ年末のNHK紅白歌合戦において、わずか十代でトリを務めたのは長い歴史の中で男女合

わせても、後にも先にもこの山口百恵ただ一人なのです。

今の紅白ではありません。

視聴率が70パーセントを遥かに超えた時代で、テレビも一家に1台が主流、歌番組が隆盛を極め、

およそ8000万人が観たという時代のこと。紅白歌合戦のトリを務めるということは、間違いなくその

年の日本を代表する歌手であることの証明でもありました。

並み居る演歌の大御所たちを抑え、当時まだ弱冠19歳の少女が大抜擢されたのです。


山口百恵は当時の人気オーディション番組「スター誕生」を経て1973(昭和48)年にデビュー。

森昌子、桜田淳子と共に「花の中3トリオ」と呼ばれました。




実は彼女はこのオーディションの段階では非常に評価が分かれる存在でした。

例えばあの偉大な作詞家の阿久悠などは「妹的なものならよいが、歌は諦めたほうがいいかも」と

彼女のことを全く評価していませんでした。

逆に彼女を高く評価したのは作曲家の都倉俊一ではなかったか。

山口百恵が最初にブレイクしたのが2作目の「青い果実」でした。

作曲した都倉俊一が自らタクトを握る動画です。





    詞、

       あなたが望むなら 私何をされてもいいわ

       いけない娘だと 噂されてもいい

       恋した時に体の隅で 別の私が眼を覚ますの

       大きな胸に抱きとめられて きれいな泪こぼすのよ

       側に居れば側に居れば 誰も恐くない

       あなたが望むなら 私何をされてもいいわ

       いけない娘だと 噂されてもいい



これを当時14歳の少女が歌ったのです。

ティーンエイジの性という、それまで誰もテーマにすることがなかったことを、見た目ごく普通の少女

がサラリと歌ってみせたのです。

なんともいえない不思議な感覚、ある種の背徳感のようなものをも感じますね。

そして彼女の人気を決定づけたのが次の曲でした。

それまでの歌謡界の常識を打ち破るような衝撃的な内容の歌だったように思います。



これも彼女が15歳の時に歌ったのです。

もちろんこの曲を作り、彼女に歌わせたスタッフが居るわけです。

先程の「青い果実」、そしてこの「ひと夏の経験」 ともに作詞が千家和也で当時27歳。

作曲も先程紹介した都倉俊一で当時25歳でした。

山口百恵本人もそうですが、それぞれの年齢の若さに驚きます。

作り手にとって、ひとつの挑戦とも思えるようなこの曲 ...

私は常々思うのですが、世の中の何かを変えるのは常に若い世代のパワーではないかと。

恐いもの知らずで常識に囚われない柔軟な発想や、ある種のタブーをも恐れないチャレンジ精神、

既存の壁を打ち破る力等々。 色々なアーティストと呼ばれる方たちの作品を調べても、皆驚くほど

若い時に作り発表しています。 我々のように歳を喰ってとうが立つといいますか、現状に固まって

しまった年寄りたちからは中々新しいものは生まれにくいような気がしますね。

今の世の中の何か進歩が止まってしまったような閉塞感は、今の若い世代の方たちに元気が無い

のも一つの大きな要因である気がします。 (私らしくチクンッと刺します・笑)



改めて山口百恵を振り返りますと、前期と後期にはっきりと分かれるようなイメージがあります。

アイドル時代の前期と国民的歌手へと成長した後期ですね。

前期の集大成として挙げたいのが次の 「白い約束」

単に私の好きな曲ということもありますが、この頃の彼女らしい感じが一番出ている曲でもあると

思います。 またこの辺りから他の女性アイドルの追従を許さない、孤高かつ崇高なイメージや雰囲

気が感じられるようになります。

ここでは男女が愛し合い結ばれることを”汚れる”と表現しています。



そしてアイドルから国民的歌手へと成長する彼女の後期。

ここからが彼女の歌手としての全盛期といっていいと思います。

若い世代の方々もご存知の方が多いでしょう。

それを支えたのがロック歌手兼作曲家の宇崎竜童とその妻で作詞家の阿木耀子でした。

こちらも若く、当時30歳と31歳でした。

この二人を指名し、作品を依頼したのはスタッフではなく山口百恵本人だったのだそうです。





山口百恵この時17歳。

最初の曲は 「横須賀ストーリー」

横須賀は彼女の育った街であり、彼女の原点でした。



山口百恵の大きな特徴は、当時の女性たちからの圧倒的な支持を得たことではなかったか。

彼女が何故これだけの人気を得たのか、実に不思議な気がします。

特別美人というわけでもなく、また特別可愛いというわけでもなかったと思います。

可愛いといえば同期の桜田淳子の方が遥かに可愛かったし、確かデビュー当時は淳子の影武者

なんて言われ方もしたくらいでした。


ここで出てくるのが 「陰」 というキーワード。

スター誕生の司会を長年に渡って務められた欽ちゃんこと萩本欽一さんが番組を振り返って言う

には、多くの予選会の中で一番に輝いて見えたのはあの桜田淳子だったのだそうです。

二番目が石野真子。

逆に一番悲壮感を感じたのがこの山口百恵だったのだそうです。





彼女は今でいう 「非嫡出子」 だったのだそうです。

はっきり言ってしまえば妾の子ということ。

プライベートのことですので、ここでは多くを語りませんが、子供の時から重いものを背負った彼女

に見え隠れするその「陰」の部分に世の女性たちがある種の共感を持ったのではないか。

上手く言えませんが、自分の運命を嘆き悲しむのではなく、それを受け止めて強く生きようとする

彼女の姿に強く惹かれていったということか。

その特異な生い立ちは映画やドラマなどの主演女優としても大きな力を発揮しました。

特にTBSドラマの赤いシリーズでの不幸かつ悲劇のヒロインはハマり役で、彼女のいわゆる 「陰」

の部分が遺憾なく発揮されたものでした。





上の画像は 「赤い疑惑」

私はこのドラマで初めて白血病とRHマイナスという血液型を知りました(笑)


男に捨てられた母親、そしてその貧しい母子家庭の少女がやがて煌びやかな芸能界のスターに

成長していく . . .

山口百恵自身がひとつの完全なサクセスストーリーでもあったわけですね。


そして時代の変化。

女はか弱く男に捨てられたら生きていけない、お願いだから私を捨てないでという時代から、女性

たちが自立する時代への移り変わり。

70年代の終わり頃は女性たちがパワーをつけ、わがままで自分勝手な男達に一斉に反撃に出た

時代だったように思います。

その代弁者が山口百恵であったということではないか。


次の曲は 「プレイバックPart2」

当時の女性たちからの圧倒的な支持を得た曲でした。



「馬鹿にしないでよ!」 というフレーズが見事にハマった曲であったと思います。

そして極めつけは、「 坊や、いったい何を教わって来たの 」 というフレーズ。

世の中の男たちにガツン ! と食らわせた一言でした。

それにしても男を坊や呼ばわりする阿木耀子さんの詞が凄いですね。

以前夫でもある宇崎竜童さんのブログを書いたことがありますが、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

などもこの阿木耀子さんの作詞なんですね。

この方はもう天才と言って良いですね。 凄いと思います ヽ〔゚Д゚〕丿


中森明菜がこの山口百恵の熱烈なファンだったのだそうですね。

今挙げたプレイバックPart2もそうですが、次の「愛の嵐」などを観ても明菜がいかにこの山口百恵

に憧れを抱き、彼女を意識していたかが分かるような気がします。

男の私から見てもカッコいいと思いますし、先駆者はやはりこの山口百恵であったのだということが

はっきりと見て取れる動画だとも思います。



山口百恵は映画やドラマで共演した三浦友和との結婚を機に引退をするわけですが、その三浦

友和が彼女の母親のところへ挨拶に行ったときに彼女の生い立ちのことを母親が洗いざらい話

したのだそうです。


自分が過去に妾であったこと。

娘(百恵)はその子供であること。

普通の家庭ではないこと。



そして最後にこう言ったのだそうです。



 「 こんな娘でも良いのですか ? 」 と . . .



今をときめく大スターなわけです。

ちょっと野暮なことを言えば、収入だって桁違いだったと思います。

しかも全盛期でしたから、相手の足元を見て四の五の難グセを付けてもおかしくないわけです。

いや、多分今の時代だったらほとんどそうするでしょう。

なんという慎ましさ!

そして母親が果たせなかった幸せな家庭を築くために全てのものを捨てて三浦友和の胸に飛び

込んで行き、その後は一切公の場に姿を現さない山口百恵のなんと潔いことか!


まさに「この親にしてこの子あり」ですね (´;ω;`)





さて長くなりましたのでこの辺りで最後にします。

イメージでいくと「いい日旅立ち」で〆たいところだと思いますが、彼女の歌はそのキャラクターも

ありますが、全般的に笑顔で歌う曲が少ないんですね。

ですのでここは出来るだけ笑顔で明るく爽やかに終わりたいなと思います。


曲は最後に紅白歌合戦に出場した時の歌で 「しなやかに歌って」 です。

昔のアイドル伝説編 「山口百恵」 これにて終了です。




最後まで読んでくれた方ありがとうね~♡

また来週~



Posted at 2015/07/12 14:51:57 | トラックバック(0) | アイドル | 日記
2015年06月20日 イイね!

昔のアイドル 最強編

昔のアイドル 最強編   一週間のご無沙汰でした、辛口おやじです。

 好評の昔のアイドルシリーズ。 

 今回は「松田聖子」が満を持しての登場です (o^-')v

 またまた長編力作ですので、お時間のある方だけどうぞ。

 連日のうっとうしい梅雨空を聖子のさわやかな歌声で吹き

 飛ばしましょう!



  松田聖子はデビューして今年で35年、いまだ現役のアイドル歌手でもあります (◎o◎)

70年代から80年代にかけて多くの女性アイドルが登場しましたが、事実上現役で残っているのは

彼女ただ一人といっていいでしょう。

特にデビューしてから数年間の活躍ぶりはまさにモンスターでした。

24曲連続でオリコンシングルチャートの1位を獲得するなど、昭和、というより日本の歌謡史におい

て最強のアイドルだったといっていいと思います。


デビュー曲はCMソングの「裸足の季節」。 私も好きな曲ですが、彼女のターニングポイントとなった

のはやはりこの曲でしょう。

天をも突き抜けるようなその伸びやかな歌声は一度聴いたら忘れられない程で、新しい時代の到来

をも予感させました。



松田聖子は1962(昭和37)年、福岡県久留米市の生まれで私と同い年。

私が2月で彼女が3月ですから、私の方がちょびっとだけお兄さんです。(どーでもいいか・笑)

高校1年の時に「ミスセブンティーンコンテスト」の九州地区大会で優勝。

全国大会はご両親に反対され辞退するも、これをきっかけにCBSソニーからスカウトされます。

が、当然ここでもご両親、特に父親が猛反対。(わかるな~・笑)

1年半という長い説得期間を経て、ようやく1980(昭和55)年にデビュー。

アイドルとしてはやや遅い18歳からのスタートはこうした経緯からだったようです。





しかしそれまでのアイドル歌手にはなかった斬新な歌声とハイレベルな歌唱力で多数の新人賞を

獲得するなど、あれよあれよという間にスターダムへ。

また意識的に自分を可愛く見せる「ぶりっ子」が議論を呼んだり、「聖子ちゃんカット」と呼ばれる髪

型が若い女の子の間で全国的に大流行するなど、常に話題の中心的存在という塩梅でした。


次の動画は1981年で「チェリーブラッサム」

まさにバリバリの聖子ちゃんカット、そしてぶりっ子キャラ全開の頃の聖子です。



いや~堪りませんね~♡

松田聖子この時19歳。 妖しいくらいのオーラを放ってますね。


そして次に出した「夏の扉」

皆さんよ~くご覧下さい、

これが昨年末の紅白歌合戦で紅組のトリを務めたおばちゃんの三十数年前の姿ですよ!(笑)




松田聖子といえばライバルとしてよく引き合いに出されたのが中森明菜ですね。

同じ歌番組に出ても言葉ひとつ交わさないとか、お互いそっぽを向いているとか、不仲というより

犬猿の仲というようなイメージだったと思います。

しかし私はこれは真実ではないと思っています。

そもそもこの二人はライバルではなかったと思うのです。

理由の一つは世代の微妙なズレ。

聖子と明菜はデビューで2年、学年で4年も違うわけです。

そしてもう一つは何といってもそれぞれの歌う曲の方向性がまるで違うということ。

これは私の持論というか極論になるかもしれませんが、アイドルというものは失恋などの後ろ向き

な暗い曲は、普段は歌ってはいけないのです。

アルバムなどのB面にちょこっと挟むくらいですね。

常に前向きで明るく夢と希望に満ち溢れ、観る者に元気を与える存在でなければいけないのです。





いつも笑顔で可愛くそこにいるだけで周りがパッと明るくなるような存在。

明菜ファンには申し訳ないが、松田聖子こそ「正しいアイドル」の姿ではないか。

私の世代では他に桜田淳子、石野真子、河合奈保子♡、小泉今日子あたりですね。

アイドルは皆を常に元気づける存在でなければならないのです。

お互いにビッグスター同士でしたが、方向性がまるで正反対の二人だったために逆にうまく共存

出来ていたのではないかと思うのです。



さて、次に上げる動画は「赤いスイートピー」

聖子の数あるヒット曲の中でこの曲を一番に推す人も多いのではないでしょうか。

作曲を呉田軽穂こと松任谷由実が担当。

二十歳を目前に控え、あの聖子ちゃんカットをバッサリとカットしたことも話題になりました。



     詞、   

          春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ


          煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから

          
          何故知り合った日から半年過ぎても


          あなたって手も握らない ...



名曲だと思います。

アイドルの歌う曲にも関わらず自分自身の青春時代のイメージが鮮やかに蘇るのです。

車でしたけど海を見に行くのが好きでしたし、当時は男の喫煙は当たり前で、それについて女の子

も寛容だったし、男も割と皆んな硬派で女の子と手を繋いで歩くなんざ軟派のすることで、人前では

こっ恥ずかしくて出来ませんでしたし..(笑)


それまで聖子といえば圧倒的に男性人気が高かったのですが、この曲辺りから女性のファンも増

えていったような印象があります。

先程も少し触れましたが、自分を意識的により可愛く見せるいわゆる「ぶりっ子」キャラというのが、

その本物の可愛さと相まって嫉妬を招き、人気が上がれば上がるほどアンチ聖子というのが特に

同じ若い女性たちの間から沸き上がっていったのでした。





この「ぶりっ子」の最初の切っ掛けは初めに大ヒットした「青い珊瑚礁」が、当時の人気番組TBSの

ザ・ベストテンにおいて第1位を獲得した時に、母親と中継が繋がった時だったと記憶しています。

母親のおめでとうという言葉に、聖子が泣きながら「お母さん」を連呼した時に、よく見ると涙が流

れていなかった..ということですね(^^;

このことについてこの後の漫才ブームで、当時売れっ子だった春やすこ・けいこや、山田邦子など

が格好のネタにしてコキ下したわけです。





今思えば聖子はどんな悪口や批判、でっち上げや誹謗中傷に対しても決して言い訳や反論をしま

せんでした。

芸能界初のママドルを批判されたり、近年も3回の結婚・離婚を繰り返したことで、何かスキャンダ

ルを逆手に取って、それを糧に輝き続けようとする性悪女という風な書き方をされたりもしました。




分かって貰える人にだけ分かって貰えればいい。

聖子自身にそういう姿勢を貫くという明確な意思があったのではないか。

なにかグッと我慢して堪えていたのではないか、というような気がします。

本当は相当に傷ついていたのではないだろうか。

デビューして間もない頃から、その可愛さゆえにずっとパッシングされ続けてきたにも関わらず、

一切ブレないそのプロ根性は素晴らしいではないか !

これが芯が強いと言われる九州女の真骨頂なのか !?



最後の動画はやはりこれ。

以前のプログにも貼りましたが、復活しましたのでもう一度。

何年か前にユーチューブの再生回数が180万回を超えたという聖子ファンにとっては神動画。

これは歌番組ではなくドリフ大爆笑にゲスト出演した時のものだそうです。

つまりコントの合間のオマケの歌ということ。

これぞ昭和のアイドルのクオリティですね!

 ※ 風船天キス動画は残念ながら削除されました m(_ _)m



いや~


やっぱり良いですね~


昭和のアイドル最高です!





















Posted at 2015/06/20 19:37:48 | トラックバック(0) | アイドル | 日記

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「驚いたね~ まさか当選するとは思わなかったなぁ。それに「私自身、必要な説明をし、公私のラインを引かせていただいた。一定の信託はいただいたと思う。」って・・・
なに勝手に禊すませてんだ ?
国民は信託なんかしてないぞ !

何シテル?   10/23 21:10
上品とは無縁の田舎のべらんめぇ親父です。 身の程知らずの言いたい放題。 時として極論で語ることもありますが、昭和 の頑固親父の戯れ言だと...
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