大晦日が近づいている。
大晦日の恒例といえばNHKの紅白歌合戦である。
この間出場歌手と曲目が発表されたのだが ・・・
「誰この人 ? 」
「こんな曲が売れてるのか ? 」
口からそんな言葉しか出なくなってもう何年になるだろうか。
私がガキだった頃は、大晦日の夜といえば7時からレコード大賞を見て、それが終わると今度は9
時から紅白歌合戦。 その紅白が11時45分に蛍の光をもって終了すると行く年来る年をちょこっと
見て、0時になると一応おめでとうをして、除夜の鐘の最初だけ耳を澄ませて聞いて寝るというの
が揺るぎない不動のパターンだったものだ。
大晦日はガキでも年に一度だけ夜ふかしが許される特別な日だった。.☆.。.:*・゚
その中心にあったのが紅白歌合戦といっても過言ではないのだ。
それが時代なのか、その後の日本の歌謡界そのものの衰退もあり、現状は目を覆うような有様。
大晦日の不動のパターンが崩れ去ってしまっているという異状な事態が続いているのである。
これではいけない。
そこで今回はタイトルにあるように、まことに勝手ながら私自身の骨身にしみている”これぞ紅白 !”
というものを創作してみたい。
当然ながら私の年齢である50歳代半ばがメインであり、70年代中盤から80年頃の曲が中心である。
完全な自己満足ブログ。 勝手に盛り上がりますので興味のない方はスルー願う。
動画は男女4曲づつ計8曲。 この辺が限界であろう。 そしてできるだけ出場した当時のものを選
んでみた。
では早速。
先ずは紅組、トップバッターは松田聖子。
曲は当然 「青い珊瑚礁」 1980(昭和55)年である。
そこのアナタ、いま聖子と目が合いましたね(笑)
当時は日本の歌謡界が全盛を極めた頃。出場枠が少ないこともあって、ちょっと歌が売れると直ぐ
にお呼びがかかる現在と違って、新人歌手が紅白に出場するというのは異例のことだったのだ。
で、↓これが出場時の画像。
なんならこれは ? 赤ちゃんか ? (笑)
まあ、しかしそれでも良いですね~ やっぱりピンで歌う昭和のアイドルは最高です。
さて、紅組が聖子なら白組はこの人、郷ひろみ。
1979(昭和54)年で、曲は 「マイレディー」
郷ひろみはジャニーズの出身である。
こうしてあらためて見ても今のジャニタレどもと比べ、そのスター性はまるでレベルが違うように思う。
なにしろオーラの出方が半端ないのである。
途中紅組の歌手たちの表情が映し出されますが、みな羨望の眼差しなのに気付かれた事でしょう。
紅白に出場するだけで充分スターのはずなのに更にその上のスターを見るという感じか。
当時は西城秀樹、野口五郎とともにアイドル御三家といわれたものですが、こと若い女性ファンと
いうことになると郷ひろみの圧勝だったように思います。 うちの辛嫁に私の姉、また辛嫁の姉等
皆んな郷ひろみのファンでした。
まあ、世良公則や原田真二にちょくちょく浮気はしてたようですが・笑
続いての登場は紅組 桜田淳子である。
曲は1978(昭和53)年で 「気まぐれヴィーナス」
先ほどの松田聖子があの時代の女性アイドルの”完全体”だとしたら、淳子は芸能界におけるアイ
ドルの在り方や方向性といったものを明確に確立した存在であったと思う。
誰にでも愛され、皆に元気を与え続けるマスコット的存在。 それまで庶民には手の届かないまぼ
ろしの存在だったアイドルを、グッと身近な位置にまで近づけたのが淳子だったと思う。
さらにその後のすべてアイドルたちのお手本となったのもこの桜田淳子だったのだ。
さて、淳子で一気に突き放しにかかった紅組に対し、白組が送るのが西城秀樹。
ヒデキで一気に押して押して押しまくるのだ(笑)
曲は1974(昭和49)年で、お馴染み 「傷だらけのローラ」 !
♪命も~ 心も~ この愛も捧げる~~ ♦♫♦・*:..。
男は命懸けだぜ ! 熱いぜヒデキ !!
いや~男はこのくらい情熱がなくちゃいけませんよね。
他を圧倒するような歌唱力と激しさも素晴らしい !
で、年末出血大サービス。辛口爺がヒデキに似ているとパートのおばちゃんたちに言われてた頃の
画像(笑) ↓ うん、熱いぜ辛口爺 !
でも恥ずかしいから画像はしっかりボカすぜ ! (笑)
しかしあの当時、ヒデキはいったい何と闘っていたのだろう ? (笑)
さて、全体の半分が終了しました。
ここで余興が入ります。
ところで皆さんはかつては次のようなことが普通に行われていたことをご存知でしたでしょうか。
ご年配の皆様におきましては大変お待たせしました ( ´艸`)ムププ
そう、紅白歌合戦恒例の紅組若手女性歌手たちによる豪華なラインダンスです。
それでは元気よく参りましょう !
※ 残念ながら動画は削除されましたm(_ _)m
いや~たまりませんね~♡ かつてはこういう事も普通に行われていたんですね~
向かって左から、石川さゆりに岩崎宏美に太田裕美 ...向こうには森昌子はどうでもいいですが、
高田みづえに南沙織さんまで ... 私これ全員の名前が言えます(笑)
今となっては大変貴重な映像だと思いますが、本人たちはきっと恥ずかしかったでしょうね~ (*´ `*)
それでは後半戦の始まりです。
紅組のスタートはこの方たち ピンクレディー。
曲は1978(昭和53)年で 「UFO」、 同年の日本レコード大賞受賞曲でもある。
実はこの年のピンクレディーは紅白を辞退しているのだが、そこは無理矢理入れちゃいます(笑)
当時は何故かそれほど感じませんでしたが、今見ると驚くほどの色気ですね~ ♡
この時が大体20~21歳の時なんですよね。 いつも見るたびに思うんですが、昔の女性の方って
ホント綺麗で大人で色っぽい。 最近はAKBばかりが目立つからでしょうか、なんか同年齢でも子
供っぽく見えるんですよね。
女は色気 !
辛口爺は今の若い女たちのそこが不満だぞ(笑)
そして対抗する白組はこの人、沢田研二。
紅組がレコード大賞のピンクレディーなら、白組も大賞経験者で勝負です。
曲は1979(昭和54)年で 「カサブランカダンディ」
♪ボーギーボギー アンタの時代は良かった~~ ♦♫♦・*:..。
あの頃のジュリーは何を着ても、また何をやってもサマになってましたね~
また、彼を見るたびに、男にも色気というものが存在するのだということを再認識させられます。
そしてあの時代は今のように男女がフィフティフィフティでなく、男のわがままを女が許してくれた時
代でもあった。 その代わりに男は女を守るしグイグイと引っ張ってもいった。 たとえそれが痩せ
我慢であっても女がそれ(プライド)を察してくれるというような時代でもあったと思う。
うん、良い時代だったぞ。(遠い目)
さて、早いもので辛口紅白も佳境を迎え、残すはそれぞれのトリを残すのみ。
熱狂冷めやらぬ紅白であるが最後はやはり演歌で締めたい。
演歌は日本人の心である。
アイドルが良い、流行りのポップが良いとかナンちゃらカンちゃらいいながらもやはり一年の最後
を締めくくるのは演歌をおいて他にないのだ。
で、紅組のトリを飾るのはやはりこの方のこの曲でしょう。
石川さゆりで 「津軽海峡冬景色」
年末大晦日、冬の真っ只中。 ここはやはり北国の風景が似つかわしい。
津軽海峡冬景色は、その情景が目に浮かぶ曲として、私はこの作品の右に出る曲はないと思う。
そしてこの曲は”昭和の心”そのものでもあると思う。
雪が積もる北国の厳しい冬。 温暖な地方に生まれてもその心は変わらないのである。
是非後世に歌い継いでいって欲しい歌である。
そして大トリ。
年の瀬を締めるのはやっぱりサブちゃんをおいて他にはないでしょう。
風雪ながれ旅も良いですが、ここはやはり 「まつり」 を上げたい。
先ほどの 「津軽海峡冬景色」 が昭和の心なら、「まつり」 は日本の心だと思う。
山の神に海の神 ...
砂漠に根ざすキリスト教やイスラム教のような一神教では、こういった歌は決して生まれない。
自然豊かな八百万の神が住まう日本だからこそ生まれる歌でしょう。
この素晴らしい国・日本をいつまでも大切に残して行きたいですね。
しかし、う~ん … 紅白の映像ではないので何かが足りない。
そう、紙吹雪である !
で、こちらの画像 ↓
♪これが日本の~まつり~だぁよ~~♪゜・*:.。. .。.:*・♪
これでいいのだ(笑)
と、いうわけでいかがでしたか ? 辛口爺の 「ひとり勝手に紅白歌合戦」
みなさんも曲目を選んで、それぞれ自分なりの擬似紅白を楽しまれてみては如何でしょう。
・・・て、あれ ? これじゃまるで思い出のメロディでしたね。
ま、いっか (笑)