第6回は、テレビのはなし。(その1)
僕がちいさかった頃、夜の8時になると、テレビから「ピーピーピー」っていう音がながれて来て、両親が「寝る時間だから、早く寝なさい」って言われたのを覚えてる。
「
海難を防ぐ為のメモ」とか言って、短い地方ニュースみたいなモノが流れていたんだと思う。
でも、当時はそのモールス信号みたいな無機質なピーピー音がとても怖くて、すぐに寝床へ逃げて行った覚えがある。
たしかその頃はまだ白黒テレビだったなぁ。
しばらくして、ウチにもカラーテレビがやってきた。
むつみ電器のお兄さんが持ってきてくれた
パナカラーだ。
たしか筐体は木製、足も生えてたような。
当然ながら
チャンネルはガチャガチャ式。
1はHBC
3はNHK
5はSTV
12は教育テレビ
Uの27はUHB
Uの35はHTB
TVhはまだ無かったww
母などは、テレビのチャンネルを変えたいときに、僕に言ってくる。
「温ちゃん、
3チャンネルにして」など、NHKといわずに3チャンネルと言ってくる。
「あ、
Uの27でこないだ面白いのやってたよ」
13よりも上のチャンネルは、「27チャンネル」とは言わずに「Uの27」という。
それは、チャンネルのつまみが上下二つあって、上のつまみは1~12までの数字と”U”というポジションがあって、27CHや35CHを見るには、上のダイヤルをガチャガチャ回して”U”にあわせて、その後に下のダイヤルを回して27のそばまで回します。
下のダイヤルは、ガチャガチャ言わなくて、スルスルとまわるダイヤルなので、画面を見ながら映りのいい場所に合わせるのですwww
もちろん、見ている間に画面や音声がノイジーになってきたら、すかさずダイヤルを微調整するのも欠かせません(^o^;)
そのころ僕が楽しみにしていた番組は、歌番組。
ゴールデンタイムには居間に家族みんな揃って、
8時だよ全員集合!や
紅白歌のベストテンなんかで、
天池真理や
百恵ちゃんが歌っているのを見るのが楽しみでした。
僕が幼い頃の天池真理の人気はすごくて、真理ちゃんグッズは自転車まで売られていましたね。
当時はビデオデッキなんて無かったので、歌をラジカセに録音したりして聞いてました。
ラジカセ(
ナショナルのモノラル式)をテレビのスピーカーの前に置いて、歌が始まったら録音と再生のボタンを同時に押し込む。
その瞬間から、家族全員
おしゃべり禁止(^o^;)
その後、ヘッドホン端子からつなぐやり方をむつみ電器のお兄さんが教えてくれた(爆)
ピンクレディーが爆発的に人気になって、小学生はみんな二人ペアになって振り真似をしていました。
男子でも踊れる子は、地方テレビ局のピンクレディー大会に出るんだと言って踊ってましたね。
そんな中でうちの兄弟は
キャンディーズが好きで、解散前のベストアルバムは、兄弟でお金を出し合って買いました。
たしか
5枚組みLPで¥9,000-だったので、姉が4千円、兄が3千円、僕が2千円だったかな、今でも実家にあるのだろうか。
小学生の5年生くらいの頃には、兄と相部屋ながら子供部屋がもらえた。
そのころには14インチくらいのカラーテレビが普及してきて、安価に買えるようになっていた。
赤いプラスチックの筐体で、チャンネルは相変わらずガチャガチャ回すやつ(爆)
よくラーメン屋なんかに置いてあったあんなヤツだ。
あの頃は居間にいると父がNHKばかり見てるので、裏番組が見たいときは自分の部屋に行って5チャンネル(日テレ系)を見てたかな。
今じゃ地デジだし、ワイド大画面だし、ステレオだし、リモコンだし、録画も出来るし、いい時代だね。
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Posted at
2013/02/24 16:55:53