※ご本人並みに音程が「それなり」なのは、スルーを推奨いたします。
こんにちは、ぷりんす34です。オルターネーターのベルトをキチッと張り直したおかげで、絶好調でカローラⅡを走らせていたりしております。ようやく気候が夏らしくなってまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
久しぶりに近郊の温泉施設に遊びに出かけて、しっかり温まってまいりました。地方自治体が運営する施設ですが、比較的新しいおかげで快適に入浴出来ます。露天風呂も含めて、豊富な湯量を満喫。年齢相応にくたびれてきている身体の疲れも、いい感じでほぐれました。それにしても、もう少しダイエットせねば~。
施設を出て家路について、しばし走らせていると、オドメーターの数字がそろそろ揃いそうな気配に気が付きました。ぞろ目とか、2ケタとか3ケタの同じ数字がズラッと並ぶとかは割と遭遇するのですが、今回はひと味違います。なんと、9万キロでございます。表示はもちろん、90000。これは、感慨深いものがあります。
いまでこそ、乗用車の登録車はもとより、軽自動車でさえ走行距離が10万キロを超えている状態の車両が存在するのは、当たり前の状況となっております。ですが、昭和50年代あたりまでは、かなりのご老体扱いでした。車体の防錆対策しかり、グリスが使われている足回りのパーツしかり、電気系統の信頼性しかり。主に使用される地域の気候や道路条件によって多少の違いはあっても、あまり違いが無いとも言えるというのが実態だったように感じます。
それを思えば、昭和60年あたりを境い目として、飛躍的に工業製品としての信頼性が向上目覚ましくなった国産車。かつてNHKで放映されて好評を博した、プロジェクトX。自動車を扱った内容の中でも、日産フェアレディーZをアメリカに輸出するに至るまでの苦労の数々は、涙を誘いました。とりわけ、車両の開発以上に難航したのが、車両を販売してくれるディーラーの確保であったそうです。
シリコンバレーで富と名声を掴んだ人やハリウッドセレブに、欲しい車と聞かれてTOYOTAとかNISSANなどと答える現在と異なり、ともすると現在の韓国車よりもはるかに低い評価しか得られず、非常に苦労したそうです。声をかけたディーラーを経営する社長さんからは、厳しい反応。それでも、必ずいま以上に優れた車を提供出来るように努力してみせるからと、粘り腰で説得にあたる日々。
そうしてアメリカで発売されてから、今日ではズィーカー(Z-Car:究極の車)の愛称で親しまれ、初代から現行モデルまでが集うファンクラブが結成されるほどの人気車へと成長を遂げました。アメリカのセレブ御用達的存在となったトヨタも、ベビーキャデラックと呼ばれた、初代クラウンのプロペラシャフトの破損トラブルを解決して、信用を積み重ねてきました。
そんなことをふと思い出しながら、これからも大切に乗り続けたいと考えた日でありました。
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2016/07/13 00:58:25