2007年07月26日
先週の金曜から親戚の叔父の容態が悪くそろそろか?という状態でした。
月曜日に亡くなり、火曜日お通夜、水曜日お葬式に参列していました。
叔父は地域農家の中で、うるさがたの一人であったとの事でした。
現代では少なくなった、コワイ父親。
不味い事あると怒られてしまうコワイ人!だったので、気軽に遊びに行くみたいなのはなかったのですけどね。
物事や状況の先を考え見越して意見する、例え世間がどうであれ自分なりを通す、頑固モノ、意地っ張りだったようです。
何かあれば、率先してゴロピカ!と怒って、軌道修正、後は好きにしている、からっとしているタイプだったようです。
その分、筋が通っていないような方々とは折り合わせは悪かったようですが。
そのおかげなのか、お天道様が見てくださっていたのか・・・
亡くなった月曜は、そっと悼むかのような小雨。
お通夜のあった翌火曜日は、うそのようにからっと晴れ上がりました。
そしてお葬式である本日水曜日は、晴れと若干曇りの狭間で、風もある過ごしやすい天気にめぐまれていました。
上記は葬儀一切の読経を行って頂いた、地域のお寺のお坊さんから頂いていた言葉の受け売りではあるのですが。
地域では、率先して言うべき事は言う人であったようです。
タバコが大好きで8年前に肺癌発覚、余命4ヶ月というところを、半ば気合で生き延びていたようです。
本人、寿命も大体察していた、もしくは死期なり寿命なりを決めていた節もあるようです。
そろそろと思われる数ヶ月前に、口の固い親族に葬儀などにあたってあれこれ指示していたようです。
聞かされる方は、「何を馬鹿なことを」と、そして裏で、図らずも耳にしてしまった女性達は、聞くに聞いていられなかったなんて事だったようです。
ただし、折りに着け看病など世話を焼かせてしまっている自身の家族の耳には、くれぐれも入らないようにと口止めしていたようです。
今回、私の耳に入ったのは以下のようなもの。
他にも気づかない事、耳に入っていない事まだまだ沢山あるのでしょうけれど。
その為、その辺のある意味遺言を託された親族の方は、流石に、各式にて示されていた指示や意向を漏らすことのないようにピリピリしていました。
思わず「怒ってくれる人居なくなっちゃった」、「また、怒られたい」と言う言葉も出ていたりもしました。
葬儀を担当して頂く地域のお坊さんには、親族のうちで予め担当として指名しておいたものが、常に脚代わりとして付く事。
(結果的に、お坊さんがまごつく事、余計な待ち時間を頂かない事、周辺の道路事情を知り、適切なコースを取れ、要らぬ心配、不自由をさせない)
葬式の日には、マイクロバスを必ず用意する事。
(葬儀一式が終えた会食の席で、自身を含めた酒好きが集まる事を見越していたようです。移動での脚の心配をせずに、存分に酒を振舞うように配慮していたようです。)
葬儀途中の各種移動では、同じ経路は使わないしきたりがあるそうです。
その中で、火葬後、遺骨を載せ、納骨のためにお寺に向かう際は、田んぼや畑など自身が農作業用に軽トラで走った、自宅前の通りを通るように要望しても居たようです。
天気についても、或いはお天道様にお願いしていたのか、お天道様の方が、そんな意を汲んでくれたのかもしれません。
月曜、お悔やみの挨拶とお線香を上げさせてもらいに実家に窺わせていただき、お顔を拝見させて頂いた際は、締まった顔つきで、まるでまだ静かに寝ているかのようでした。
魂と言うものがあるのなら、まだ自宅の中に居るのじゃないのかと言う感じでしょうか。
水曜日には流石に弛緩してしまったのか顔つき緩んでしまっていました。
が、しかし、逆にそれで優しく、安らかな顔つきとなっていました。
従姉妹の家族の娘さんもおもわず、「いつもこういう顔していれば良かったのに」、と意地っ張りな父親に、優しくそして感謝の言葉掛けられていました。
お坊さんの読経について感じた事など。
お通夜では迷うことなく、成仏するように言い聞かせるような形で、割合力の篭った読経と感じました。
お通夜は、より多くの様々な人々がお越しいただきますから、余計に要らぬ思いを渦めかせ、さ迷わせる事なきよう、気合、祓い、清めの意が多く込められているのかもしれません。
逆に、お葬式、初七日の読経と言う順に、親族ばかりとなる順に、優しく、安らかな読経となるような気がしました。
読経、木魚、打ち鳴らされる鐘の音など、おそらく音霊なども篭っているのではないかな、と言う気もします。
ところで私の方ですが、直前の木曜日か金曜日に舌が痛い、痺れるような感覚を一日だけ持っていました。
胃の調子が悪く荒れている際などは、若干舌がいやな感覚になる事はあるのですが、
今回のような痺れたりひりつくような痛み方は今までありませんでした。
しかし一日だけで済んでしまいました。
もしかしたら、これも何かあったのだろうか?
なんて思えてしまったりもしています。
極々断片ではありますが、親族の一生の一部を垣間見させて頂いたしばしの日々でした。
余計な悲しみをいつまでも近くに置かず、新たな日々を迎える為にもキビキビと済ませる葬儀。
そう遠くは無い数えられる将来、この世での在り方の終わりは必ずやって来るもの。
そんな思いが胸によぎったりしました。
Posted at 2007/07/26 01:08:52 | |
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