私が運転免許を取れる年齢になったのが、1977年の高校の時だ。
翌78年の春休みに、仲の良かった友人が、免許を取った。
そういうのは、当たり前のような時代で、不思議な遠い思い出でもある。
私は1978年は、受験に落ちて浪人していたから、何となくばつの悪い思いをして、
先にクルマの免許を取り、一足先に大人の階段を上がる友人を、指を咥えて
見ていた。
今なら、なんてコトは無い、たった1年の差が、宇宙の星とロケットを隔てる
空間のように感じた、遠い昔の記憶である。
その頃、昭和で言った方が判りやすい。
昭和52年はサバンナRX−7が出て、三菱のミラージュも誕生した。
53年(1978)は、キャンディーズが解散コンサートをして、社会現象になった。
ピンクレディーはアメリカに行くと言って、大きくコケたり、
アイドル歌手は、70年代パターンが通じなくなり、山口百恵も引退を決めた。
自動車は長い(ように感じた)排ガス規制の、試練を乗り越えて、ようやく
目を引く新型車が出始めたのは、昭和54年くらいからではなかったかなあ。
カローラの70型が斬新な直線基調デザインで、とてもよく見えた。
日産シルビアは、量産型の2代目となり、ぐっとよくなり、私たち若者が
すごく欲しい存在になった。
しかし18、19の若者が、スポーツカーの新車に乗れることは、少なく、
実際に買えたりしたのは、中古のダルマセリカのSTクラスとか、
写真の三菱セレステなども、人気があった。
セリカは2代目になっていたが、大人ムードの印象になって、さらに
派生モデルの初代XXが出た。
スカイラインは、ジャパンの前期の時代で、丸目の4灯であった。
ケンメリは中古市場の主力車種。ハコスカは、既に一時代前の昔の車だった。
ブルーバードは810がもうひとつ人気が出ず、その前の610、ブルーバードUが
人気を落としていた。
名車510はさすがに古く、当時は手を出す対象ではなかったが、私は秘かに
いいねと思っていた。
買うなら、フラッシャーランプのテールを持つSSSのクーペ、もしくは渋い
2ドアセダンが良いと思った。
こんなふうに当時のクルマが、すらすら出て来るのは、私が特別と言う
存在でなく、男の子の半数以上は、クルマが好きだった。
雑誌のプレイボーイや、後年創刊した「GORO」などでも、クルマの新型の
話題は、毎号大きく載っていたのが、当たり前だった時代である。
新車の月間販売数が、人気車は万単位であり、いかに自動車が国内経済を
動かし、それを争って買うことが、家よりも誇らしく、自動車ファーストの時代が、
バブルの80年代終わりまで、熱の出る病のように、みんな罹っていた。
これは本当に不思議な、熱中時代だったのである。
なぜ人々は、取り分け若い男性は、クルマに浮かれていたのであろう。
それはクルマが女性にモテるための、必須のアイテムだったからである。
今で言うスマホの存在に近いのか? いや、クルマは動く空間で、
どこへでも連れて行ってくれる、魔法の乗り物で、持ち主や乗り手の、
センスを主張する道具。今で言うと、3つも4つも、重要なポイントを抑えた
“必殺兵器”であったのである。
でも、それ以外にも、クルマは移動の道具であったり、高級なオーディオといった
趣味も当時は人気があったが、上級者や、趣味の世界の奥を覗きたい者には
輸入車(外車)が、とびきり、今で言う、セレブの世界の入り口だったのである。
たった、いや遥かな40年前の世界には、自動車が価値の世界の中心に
君臨しており、それは何をとっても、話題の中心で大きな存在だったのである。
それから時間が過ぎたが、自動車ほど「過去の遺産」で食えている産業は無い。
その自動車産業は、40年の間に、もう昔の神通力は、無くなっている。
今年起きた、トヨタ主導の、自動車税の負担引き下げも、日産の命運を
傾けそうな、ゴーン会長の私的な利益誘導も、40年間の社会変化を、
見ておらず、いつまでも「自分たちが世の中を動かす中心企業」と思っていた、
錯覚に気が付き、狼狽が表面化したことだとは、思われないであろうか。
それは私が故郷にある大企業、新日鉄こと八幡製鉄所に対する思いに近い。
鉄は産業、そして国家なりと、世界に股がる大企業であった製鉄業も、
今は、アルセロールミタルなどと較べて、競争力は無く、影響はうんと小さい。
それでも未だに日本の経済界の中心は、経団連だが、常連企業の不振は続き、
東芝のような、20年前は大威張りだった会社が、今や存亡危機さえ囁かれる。
40年の時間は大きい。そしてその40年は、19だった若者(わたし)を還暦前の
おじいさんに、させてしまう時間の流れだったのだと、気が付いた。
何が、間違っていたのだろう。
今でも、間違っていないのか?
私は、何度か思った。昔のような楽しさと、自分の感情移入は、今の自動車には
無理だと。
それを徐々に失わせて行ったのは、ルール社会であったり、安全重視の構造の
変化であったり、改造を禁止して、自動車はユーザーがいじれる物質でなくした。
その他にも、暴走族やドリフト族の禁止とか、いくつもいくつも、自動車の進化を
越えて、制度社会が、息苦しくなり、さらに重度の負担が何十巻きになった。
牧歌的なクルマ愛を叫ぶことは、ノスタルジックカーでしかできない。
その旧い車は、ついに40年以上の過去の生産品で、誰にも手に入るものでは
なくなった。
クルマに現を抜かせた時代は、昭和までで、後の30年間は、平成の嵐のような
時間であったのだと、今は思うだけだ。
クルマが好きだ。それは何か新たまって、自分に言い聞かせなければ
言い難い。
そんなことって不自然なことのように、思わないか。誰が見たって。
40年間の時代の重さを感じながら、こんな記事をつい書いて見ただけである。
私はもう、決して若くないことだけは、事実である。